第三百二十六話 喧嘩の適正価格はどのくらいなんだろう。
「止まれ!貴様ら何者だ!?」
鋭い声が飛ぶ。
ピーリア・シティ中心に位置する行政区、そのさらに中心に建つ石造りの堅牢な建物。中央殿を模して造られたそれは、小さな宮殿のようにも見えた。
ピーリア・シティの行政を司る、執政館である。そしてそこは現在、中央殿に反旗を翻したクーデター派の本隊が占拠している。
いつ中央軍の攻撃があるか分からない。その状況で警戒態勢を敷く彼らの元に無防備にも近付く者がいたのだ、呼び止めるのも当然である。
声をかけられて、先頭を進むイラリオは一旦足を止めた。こちら側には交戦意志がない、と示すためだ。
そして、声の持ち主である警備の兵に、名乗る。
「私は、イラリオ=エイヴリング。風天使グリューファス様にお仕えする組織の末端にいる者だ。此度の武装蜂起に関し、貴殿らの真意を伺いたい。責任者と話をさせてもらえるだろうか」
馬鹿正直にも程がある名乗りである。が、この期に及んで誤魔化す意図を彼は持っていない。
「風天使…だと?…………どういうつもりだ?」
警戒を解くことはしないまでも、警備兵は問答無用で彼らを捉えようとはしなかった。しかも、「風天使」のフレーズに反応を見せた。もしかすると…、とイラリオは僅かな期待を抱く。
彼らは、風天使が反体制派を率いている事実を、知っているかもしれない。
「責任者と、話をさせてもらいたい」
だから彼は、そう繰り返した。
末端の兵が即座にイラリオの排除に出ないということは、クーデター派の上層部にとって風天使は敵だとはっきり認識されているわけではない…という可能性があるからだ。
イラリオの考えが当たっているのだろうか、警備兵はしばらく考え込んでいた。このままイラリオらを排除するにせよ責任者へ話を通すにせよ、彼の独断では決められない問題らしかった。
「…どうなるのでしょうね」
「ふむ、話の分からぬ輩ではなさそうだが、のう」
イラリオの後ろで、ベアトリクスとアリアがコソコソと耳打ちし合う。ひょっとしたら、味方だと思ってもらえるかも…と彼女たちも思い始めていた。
そこに、
「何をしている?」
新たな兵が、姿を見せた。警備兵が連絡したのか表の異変に気付いたのかは分からないが、より高位の天使のようだ。
「クーレン様……、実は…………」
警備兵が、クーレンと呼びかけた目上の天使に事情を説明する。その説明の中に事実誤認…彼らを敵だと断定するような思い込み…は含まれていなかったので、イラリオは大人しく待つ。
「……なるほど、貴様らが……そうだったか」
説明を聞き終えたクーレンがそう呟いた。イラリオたちの存在を最初から知っていたかのような口ぶりだが、さりとて友好的な様子は見られない。
「貴殿が、ここの責任者だろうか?」
「……我らをお導き下さるのは、地天使様だ。しかし、実務においてはこの私が指揮を任されている」
クーレンは言いながら、イラリオの背後にいる風変わりな四人に一瞬だけ目を留め、すぐにイラリオに戻した。
「レジスタンスを呼称する者たちがいるらしいという話は聞いていた。そしてそれに風天使様が絡んでいる…という情報も」
「驚いた、そこまでご存じか。であれば、我らの状況もご理解いただけると思って構わないだろうか?」
“黎明の楔”のことをほとんど正確に把握していたクーデター派には驚きだが、同時に話が早くて助かる。少なくとも彼らは、自分たちとイラリオたちが共通の敵を持っているのだと知っている。
だが。
「大体は、把握している。何の意味もないままごと遊びでレジスタンスごっこをしていたのだったな」
返って来た言葉は、随分な侮辱だった。
イラリオたちとて、遊びで抵抗運動を続けていたわけではない。これまでも多くの危険があったし、その中で犠牲になる者も多かった。力不足と言われて反論することは出来ないかもしれないが、覚悟を侮辱されては心中穏やかではいられない。
ここにいるのがレメディであったら、激昂してクーレンに掴みかかっていただろう。しかしイラリオは、同じことをしたい衝動を理性で抑え込む。感情に流されて事態を悪化させることは出来ない。
「………貴殿らの、真意を問いたい。中央殿の支配体制を崩して何を成そうとしている?」
クーレンは、イラリオを怒らせる目的を持っていたに違いない。にも関わらず冷静に質問を続けるイラリオに、少なからず感心したようだ。
「地天使様は、偉大なる御神の創り給うた秩序が失われつつあることを憂慮されておいでだ。そしてその元凶は、既得権益にしがみつく中央殿と水天使リュシオーンにある。それらを排除し、再び天界を正しき姿へと戻すことが我らの目的だ」
その言葉に、イラリオは安心する。全てを信用してしまうのは尚早だが、クーレンの言うことが事実であれば、その目的は“黎明の楔”と重なる。
共同戦線を張ることも、不可能ではない。
「で、あるならば、クーレン殿。何卒、風天使様と地天使様が手を取り合うことが出来るよう計らってはいただけないだろうか?我らは、同じ理想を掲げていると私は思っている」
「それは、お前たちレジスタンス……何やらの楔とか言ったか…それと手を組め、と言うことか?」
クーレンの口調には、嘲りが少なからず含まれていた。
「私の一存で決定出来ることではない。しかし風天使様が地天使様と和睦なさるのであれば」
「それには及ばん」
イラリオの言葉を、クーレンは遮る。
「お前たちは所詮、烏合の衆に過ぎん。風天使様は別だが、お前たちなど仲間に引き入れても足手まといにしかならない」
「しかし……!」
「お前らを、信用することは出来んということだ」
けんもほろろなクーレンに拳を握りしめるイラリオだが、その判断も致し方なしと思える。外部の勢力を引き入れれば、それだけ隙も大きくなる。その中に中央殿の間者が紛れていない保証など、どこにもないのだ。
「そもそも、風天使様に中央殿を覆す意図が果たしてあったのかも、疑わしいところではないか」
「な……何を言うか!!」
しかしそこまで言われて、流石にイラリオも黙っていられない。四皇天使でありながらレジスタンスを率いるグリューファスの難しい立場については、彼らも心を痛めていたからだ。
「第一、それが本当だったとしたら、何故今まで静観を決め込んでいた?地天使様のように、立ち上がることもせずその場しのぎのつまらぬ活動で、一体何を成し遂げられたと言う?」
「そ……それ、は………!」
「地天使様と同格である風天使様であれば、その気になれば同じだけのことが出来るはずではないか!それなのにそうなさらなかったということは、本気で中央殿を打倒しようというつもりがなかったということだろう!」
「我々は……このように民衆に犠牲を強いる遣り方を是とすることが出来なかったのだ!もっと他に、犠牲を最小限にして目的を果たす方法を模索して…」
“黎明の楔”の方針を主張するイラリオを、今度こそ確かにクーレンは嘲笑ってみせた。
「ハッ、何もせず手をこまねいているだけで何が救えると?大いなる変革のためには、多少の犠牲はやむを得ないものだ。それを忌避するのはただ臆病風に吹かれただけではないか?或いは、そうでないとすれば、風天使様とお前たちの行動は、只のデモンストレーションに過ぎないということだ」
「貴様……愚弄するか…?」
「本当に中央殿を倒し天界を救うつもりなど、なかったのだろう…違うか?」
いくらなんでも侮辱を積み重ねられて、温厚なイラリオもそろそろ沸点に達しようとしている。もしかしたらそれこそがクーレンの狙いなのかもしれない、と気付いたベアトリクスは、ここは一旦退くべきと判断し、イラリオに声をかけようとした。
だが、それよりも早く。
「ほう、貴様は他者の心中を覗くことでも出来るというのか?それは大したモノよのぅ」
何故かイラリオではなくアリアが、クーレンの喧嘩を言い値で購入してしまった。
いきなり前へ進み出た謎の女を、クーレンはつまらないものを見るかのように一瞥した。どうやら外見には惑わされることのない御仁のようだ。
「……女、廉族ふぜいが口を出す問題ではない。一度くらいは見逃してやるからさっさと失せるがいい」
それでも問答無用で殺そうとはしないあたりは、良識があるとも言える。
「……ふん、羽虫ふぜいが、随分と口の回ることだ」
「ちょ……アリア殿!?」
ニヤリと不敵に笑いクーレンを挑発するアリアに、慌てたのはイラリオ。せっかく穏便に事を済ませようと侮辱にも必死に耐えていたのに、腹を立てる筋合いなどないはずのアリアがそれをぶち壊しにしようとしているのだ、無理もない。
「貴様は黙っていろ、イラリオ。……ワタシはな、短い間だがこやつらと共に過ごし、その信念と覚悟を目の当たりにしてきた。それを、何も知らぬ者に勝手に決めつけられてしまっては、面白くない。それに…」
アリアは、クーレンにびし!と指を突きつけた。
「ワタシから言わせてもらえば、貴様らも十分、烏合の衆よ」
その言葉は、決定的だった。
もとより“黎明の楔”と協力するつもりのない…それどころかレジスタンスなど偽装ではないかと疑っているクーレンに対し、ここまで挑発すれば十分だった。
「……女、それは宣戦布告と受け取っても構わぬか?」
「他者の心を読めるのだろう?そのくらい察しろ、羽虫が」
アリアが言った途端、轟音と共に大地が激しく揺れ動いた。
地震ではなく(天界に地震はない)、クーレンの霊力によるものだ。
「…後悔しても、もう遅い」
大地に亀裂が走り、アリアを呑み込もうと突き進む。だが、地の裂け目にその姿が消えたと思った瞬間、
「クハハハハハ、無駄なことよ!」
アリアの哄笑。そして奈落へ通じる亀裂から文字どおり飛び出してきたのは、空色の体躯の巨竜。
これには、クーレンも度肝を抜かれたようだ。
「な……貴様、竜族か!?」
「羽虫の分際にしてはなかなかの魔力だがのう、それがどうした…という感じだぞ?」
羽ばたきながらクーレンを見下ろすアリア。種族の習性として、天使族は見下ろされるということを何よりも嫌がる。
「………いいだろう、身の程を教えてやる」
クーレンは、負けじと自分も飛翔し、アリアに向かい合った。
「ほう、ならばワタシは、身の程を知るべきがどちらなのかを、教えてやろうではないか」
怒りの形相のクーレンの殺意を、真っ向から受け止めるアリア。
どうやら、穏便に済ませるという目的は果たせそうにない、と、イラリオは諦め半分で両者を見上げるばかりだった。
正直なところ、もういい加減天界には飽きてきたので先に進みたいです。
けどこんなめちゃくちゃな状況をぽっぽりだすわけにもいかないので、もう少しガマン……。




