第三百二十五話 毎日電話しなきゃ気が済まないってのはそれもう強迫観念な気がする。
「…決めた。私は一度、彼らと話をしてみようと思う」
そんなことを、イラリオが言い出した。作戦会議とは名ばかりのただ怒声や嘆き節が飛び交う喧騒の場でのことである。
「……彼らってのは……クーデター派の連中のことかよ」
いっそのこと全面降伏してしまおう、と弱気な泣き言を吐いた仲間を締め上げていた真っ最中のレメディが尋ねる。分かり切ったことだが、確認せずにはいられなかった。
「分かってるんだろうな、イラリオ。下手すりゃ帰ってこられなくなるんだぜ」
地天使軍が“黎明の楔”に友好的であれば、問題はない。だが、そうであるのならば地天使は真っ先に風天使と手を組んでいたのではないか。そうはせずに単独で動いたところから、両者の間には連帯感や絆は存在していなかったと思われる。
「当然、分かっている。だが、ここで言い争いをしていても何にもならないしな。少なくとも、私が帰らなければ彼らは敵なのだ、と判断出来るじゃないか」
「テメー、自分が何言ってんのか分かってんのか…?」
自己犠牲とも取れるイラリオの言葉に、レメディは締め上げていたメンバーから手を離し、今度は代わりにイラリオの胸倉を掴んだ。静かな口調の中に、爆発寸前の憤りが透けて見える。
それがイラリオの身を案じてのことだと分かっているメンバーたちは、何も言わなかった。
「それも、分かってるよ。別に自分を犠牲にして…なんてこと考えてるわけじゃない。が、誰かが動かなければならないのであれば、それはここの責任者である私の役目だ。そして君の役目は、ここを守ることだ。……分かってくれるね?」
イラリオの口調は静かだがブレない力強さを孕んでおり、彼の覚悟を嫌と言う程レメディに見せつけた。そんな彼を見るレメディの表情はいつになく切なげで。
「……ったく、テメーは一度意地になったらテコでも動きやがらねぇ。……が、テメーにもしものことがあったら……許さねーからな」
そう言いながら彼の胸に額を押し当てる姿は、言葉遣いとは裏腹に随分と乙女チックである。出征前の恋人の身を案じる…みたいな。
「……なんだ、お主ら恋仲だったのか」
よせばいいのに、せっかくの良い雰囲気をぶち壊しにしてくれたのは、アリアである。狙ってるのかそうでないのか、そんなはっきり言われてしまうと、レメディの性格としては強がりで本心を隠してしまうに決まっている。
「な…っ、ば、バカなこと抜かしてんじゃねーよバカじゃねーのか」
照れのために元々豊富ではない語彙がさらに貧相になってしまうレメディの顔は真っ赤になっているのだが、そこにベアトリクスとマナファリアが追い打ちをかける。
「あらあら、まあまあ、それは気付きませんで」
「まあ……そうだったのですね、それはとても尊いことです」
周囲のその他大勢はいいとして、気まずいのはイラリオである。因みにレメディはまだ彼の胸倉を掴んだままである。何て言ったらいいのか分からずに、さらにどんな顔をすればいいのかも分からずに、立ち竦むばかりだ。
「あのなぁ!今は、んなくだらねーこと言ってる場合じゃねーんだよ、分かってんのか!?」
「下らなくなんてありませんよ、いかなる場合でも他者を愛するということは何物にも代えられない大切なことです」
聖職者らしく胸の前で手を組み合わせて説くベアトリクスだが、聖職者云々関係なく面白がっているだけだろうな、とヒルダは思ったが何も言わなかった。
一方、本心から二人を祝福するのは脳内恋愛お花畑のマナファリア。
「そうですわ、否定なさる必要などございません。真の愛情は、如何なる行為をも阻害するものではないのですから。だからこそ私もリュートさまをお慕いしお傍に侍ることが出来ているのです!」
…最終的には自分とリュートの話になっているが。
「安心せい、小娘。こやつには、このワタシがついていくからな。万が一にも万が一のことなど、ありはせん」
アリアが胸を張って断言。…と言うか、勝手についていくことを決めていたりする。
「え……、いや、しかし……」
自分一人で行くつもりだったイラリオは当惑するが、
「そうですね、我々がおりますので、何も心配ありませんよ」
「微力ながら、お力添え致しますわ」
「………どろ船に乗ったつもりで待ってるといい………」
四人とも、いつの間にか自分たちが行くことになっているのは決定事項だと言わんばかりに前へ進み出た。のだが……
「…ヒルダ、泥船ではなくて、大船ですよ、大船に乗ったつもりで、が正解です」
「……!まちがえた………」
泥船では沈んでしまう。縁起が悪いことこの上ない。
「ていせい、大船に乗ったつもりで待ってるといい………」
慌てて言い直すヒルダだが、その間抜けな遣り取りにすっかり勢いを削がれたレメディは思わずイラリオから手を離していた。
「………分かった。くれぐれも、こいつのことは頼んだ」
決して納得したわけではない。だが、今自分に出来るのはイラリオとこの四人の新参者を信じて待つこと、イラリオの不在を守ることだ…と理解したレメディは、四人に頭を下げた。
「うむ、任せるがいい」
「アルシーばかりに頑張らせるわけにはいきませんしね」
「……お兄ちゃんも、頑張ってる…と、思う……」
「ここで功を成せばリュートさまにお褒め戴けるでしょうか?」
約一名、やる気のベクトルが違っているのが混ざっているが、何はともあれ、イラリオとアリア、ベアトリクス、ヒルダ、マナファリアの五名は執政館を占拠したというクーデター軍の元へ赴くこととしたのであった。
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「へへへへへへ陛下!そ、その娘は………天使ではありませんか!一体、何処で何があってどんな事情で天使などを魔界にお連れあそばしたのでございましょうか!?」
「おい、少し落ち着けって」
魔界へ戻っていきなりの、ギーヴレイの詰問である。慌てっぷりがスゴイ。あと、近い。
「わわわわわ私はいつも落ち着いておりますそれよりも陛下その娘は」
「だから落ち着けって」
ギーヴレイの口を手で塞いで、俺は抱いていたセレニエレを長椅子へ寝かせる。
さて、これからギーヴレイへの説明&説得だ。頑張れ、俺。
「あー…なんだ、その、こやつは四皇天使、天界の最高位天使の一人だが…だったが、今はもう魔属の存在よ。我が従者の一人として迎えるつもりゆえ、お前に教育を頼みたいと思ってな」
頼むんじゃなくて命令すればいいのに、ここでギーヴレイの顔色を窺ってしまう俺って、もしかしたら女房の尻に敷かれるタイプなのかしらん。
「じゅ……従者、でございますか…?天使族を………魔王陛下が………?」
あ、珍しくギーヴレイがフリーズしてる。無理もないかな、彼は天地大戦の当事者世代だし、若者たちなんかよりも天使族に対する忌避感はとんでもなく大きい。
これが勇者一行相手だったら適当な説明で終わらせるのだけども、相手がギーヴレイの場合はそうもいかない。何より、彼にその才を遺憾なく発揮してもらうには正確で詳細な情報を伝えておくに限る。
ということで、俺はギーヴレイに経緯を詳しく説明した。
説明した後で、ギーヴレイはしばらく固まっていた。実を言うと、「あの御方」とやらのことを話したのもこれが初めてなのだ。
それまでは、なんとなく漠然とした視線を感じているだけで、もしかしたら俺の考えすぎかも…という思いもなくはなかったから、余計な心配をさせたくはなかったのだ。
しかし、どうやら俺に敵対する何者か…「あの御方」が実在するらしいと分かった以上、ギーヴレイに隠しておくのは得策ではない。
固まったまま、自分の中で情報を整理していたのだろう。しばらくすると、ギーヴレイは深刻そうな表情で、しかし迷いは吹っ切れたように、頷いた。
「そのような背景であれば、承知いたしました。この者の身柄は私がお預かりいたします。加えて、記憶の復元が可能かどうかも探ってみましょう。精神系の術式に長けているイオニセスならば、もしかすると何らかの方法を知っているやもしれません」
「任せたぞ」
「御意。それと、愚かにも陛下に盾突く不届きものの件ですが、“戸裏の蜘蛛”を地上界へ重点的に展開するご許可を戴きたく」
……地上界?天界や、魔界ではなくて?
俺の表情を読み取ったのか、ギーヴレイは捕捉した。
「陛下のお話を伺う限り、その者はかなり狡猾、そして周到な輩と見受けます。であれば、天界・魔界両時空界からも適度な距離を保ちつつ双方に目を光らせることが出来る地上界こそが、そやつの隠れ家として有力かと。必要に応じ、時空間を移動していると思います」
「……空間転移の術を持っている……と?」
「考えにくいことでございますが、おそらくは。そ奴の動きは、移動の自由なくしては成り立たないものです」
………確かに、俺の目を盗んで色々企むには、何処かに隠れるかあっちこっち逃げ回るかしなくてはならない。その両方が出来る存在、となると………ちょっと厄介かも。
「地上界に派遣した“戸裏の蜘蛛”の指揮は、ルガイア=マウレに一任致します。かの者ならば、必ずや陛下のご期待に副う働きを見せるでしょう」
うん、やっぱりギーヴレイは頼りになる。あの娘っ子たち相手だと何でもかんでもこっちが考えなくちゃならないけど、ギーヴレイに任せれば全部上手い具合に差配してくれるし。いやー、ほんと俺なんかには得難い臣下だよ。
「…分かった。ならば、ルガイア指揮の“戸裏の蜘蛛”を地上界へと送ろう。それと、お前には我との通信手段を与えておいた方が良いな」
「そ………それはなんと有難きお言葉!!」
………別に褒美を与えるとか言ってるわけじゃないんだけど(いや、彼には充分に与える必要があるけれども)、すごく感激した感じなのはなんでだろう。
俺は、携帯用の小さな手鏡を二つ持ってこさせると、それに力と特殊効果を付与した。
見た目は只の鏡だが、これで簡易版スマホのようなものの出来上がりである。
……あ、そうだ。
ついでに、その鏡を“天の眼地の手”と接続させてみた。こんな小さな鏡ではその全機能を使用することは出来ないが、これでちょっとしたネットサーフィンは出来るようになるだろう。
「これを用いれば、何時如何なる時も我と会話が可能だ。霊脈の乱れが激しい場所でなければ、使用する場所に制限もない」
「こ………これは……………」
本当は、この手のものを臣下に渡すつもりはなかったのだ。急ぎの用ならルガイア・エルネスト間の通信が使えるし、いざというときには以前みたいに宝珠を渡してそれを破壊させれば俺に伝わる。
……が、ルガイアが地上界へ行ってしまうのであれば、魔界との連絡に使うことは出来なくなる。
そこで、なんちゃってスマホの制作を思いついたわけなのだが……
何故、渡すつもりがなかったかと言うと……
「こ、これがあれば、いつでも、何処でも、陛下のご尊顔を拝することが出来るのですね……いつでも、何処でも…………」
震えながら感激しながら、ギーヴレイが鏡を押し頂いている。
「これがあれば………いつでも、何処でも…………」
………ほら、だから嫌だったんだよ。
いや、別にギーヴレイと話すのが嫌なわけじゃなくて、俺としても物凄く心強いことではあるのだけど、なんつーかこいつ、
「陛下、これで毎日のご報告が出来まする!」
……毎日連絡してくる気満々なんだよ。
「ギ…ギーヴレイよ、特に状況に変化がないのであれば、そう頻繁に通信する必要もないのだぞ…?」
やんわりとご辞退申し上げてみたって、
「何を仰せですか!本来ならば、日々の政務のご報告を滞りなく御身にお伝えするのも重要な我が務めなれば、ようやくそれが叶うことに、万感胸に迫る思いで御座います!!」
……やっぱり、聞く耳持ってくれない。
多分、この調子で下手をすると天界や地上界に居ながらにして書類仕事を押し付けられそうな気がする。……って、ほんとは俺の仕事なんだけどさ。
……仕方ない、諦めよう。こんな至らない主に忠誠を誓ってついてきてくれるこいつらに報いるためにも、少しくらいの我慢はしなければ。
あ、そうそう。
「ギーヴレイよ、何か望みはないか?」
「……?望み……で、ございますか?このような尊き秘宝を戴きましたのに……」
唐突な俺の質問に、鏡を抱きしめながらギーヴレイはキョトンとしている。こいつまさか、自分が褒美をもらうとかそういうこと全く想定してなかったのか?
「うむ。いつもお前には助けられてばかりいる。その功に報いねばならぬと思ってな」
ギーヴレイだけではないんだけど、だから他の武王たちにも何か考えるつもりではあるけれども、やっぱり最初に恩賞を与えるなら彼だろう。二千年前の分も合わせて、余程の我儘でなければ何でも叶えてやるつもりだ。
しかし…
「陛下…………」
何となく予想はしてたけど、ギーヴレイまたもやボロ泣きだ。
「その、お言葉だけで、私は十分過ぎるほど報われております……これ以上、望むことなどは……」
「お前はそう言うが、そのようなわけにもいかないだろう。他の者への示しもある。どのような願いでも構わぬ、申してみよ」
武王たちはいいのかもしれないけど、このままじゃ俺、忠義を尽くした臣下に褒美一つ与えないケチ臭い魔王って思われてしまう。それに、一方的に尽くしてもらうってのもやっぱ気が引ける。
「…………それ、では……一つだけ、お聞きいただきたいことがございます」
…お、なーんだ、やっぱりあるんじゃないか。
うんうん、何だ?領地か?財か?それとも女性……は、ないか。なんだっていいよー、この魔王に任せなさい!
「……どうか、どうか御身を慈しまれますよう、お願いいたします」
…………ん?
「陛下には、些かご自愛が足りないように思います。しかし御身こそが我らの希望であり拠り所でありますれば、私めは如何なるときもその心身の健やかなるを望んでおります。どうかそのことを、御心にお留め置きいただきたく」
………ヤダ何この子、可愛いこと言ってくれるじゃないか!!なんかもう、こみ上げてくるものがあるんですけど?
そこまで言われたら、頷かざるを得ないでしょ。
「……承知した。お前の言葉、胸の内にしかと刻み付けておこう」
「は。有難き幸せ」
………うん、もう、こうなったらサプライズ褒美しかないな。本人が何も言わないなら、何が良いのかじっくり考えないと。
ギーヴレイの忠誠を甘く見ていたわけではないが、ここまで尽くされると罪悪感すら芽生えてきてしまう。
エルネストみたいに……は、やり過ぎとして、もう少し肩の力を抜いてくれればいいのに。
少なくとも、毎日の通信程度は快く応じてあげないとな、うん。




