第三百十八話 にゃんこ大ピンチ
「……ねぇ、どうする?」
「…どうしよっか」
「どうしましょうねぇ」
道端で、猫が三匹、井戸端会議としゃれこんでいた。
三毛猫アルセリアが、プンプンしながらぼやく。
「…にしても、なんでアイツはいっつもいっつもフラフラフラフラと落ち着きの無い…」
「いやいや、今回のはギルのせいじゃないでしょ」
それに異論を述べたのは、白猫クォルスフィア。
「そうだけど、でもあいつがボーっとしてるから連れ去られたりするのよ!」
それでもアルセリアの怒りは収まらない。
「まあまあ、今はそれどころではありませんよ、お二方」
冷静に突っ込むのは、黒猫エルネスト。
冷静に…と言うか、常に一歩引いたところから物事を見るのがこの魔神官の特徴である。
「…そうよね、今は、自分たちに出来ることをしないと…」
「それもありますが」
思い直したアルセリアに、エルネストは口を挟む。
「…何よ?」
「ええと、ですね。陛下がいらっしゃらないと、我々はずーっとこの姿のままなわけですが」
『…………!』
アルセリアとキア、同時に驚愕。
言われてみればそうである。今回、魔王であるリュートの認識支配により猫の姿に変わっている彼女たち。それを解除出来るのは、魔王と同等かそれ以上の力を持つ者のみ。
……則ち、魔王以外にそんな奴はいない。
「そ……そうよね。どうすればいいのかしら?」
「そりゃあ…ギルと合流するのが一番なんだけど………」
二人は、リュートが少女天使に連れ去られていった先を見つめる。
それは、中央殿の方角。
「…なんか私、すごく嫌な予感がするんだけど」
「奇遇だね。私もだよ」
しばらく考え込んだのち、二人が出した答えは。
「とりあえず、リュートのことは放っておいて大丈夫。そのうち戻ってくるわよ」
「そだね。じゃあ私たちは、ローデン卿のところにでも行く?」
ひとまず魔王のことは放っておこう、というものであった。
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ロセイール・シティには、猫は少ない。
しかし、犬は飼い犬も野良も多い。
そして、猫と見れば追い回したくなる犬の本能というものは、地上界も天界も変わりはなく。
「ちょっとー、もう、いい加減にしてよね!」
アルセリアがぼやく。走りながらぼやく。
何故走りながらかと言うと、現在進行形で追いかけられている最中だからだ。
彼女たちを追いかけているのは、柴犬くらいの大きさの犬である。
あっさりとリュートを見棄てて呑気にミシェイラのところへ行こうとしていた三人(匹)だったが、質の悪い犬に目を付けられてしまったのだ。
その犬、猫が珍しいのかどれだけ逃げ回ってもしつこく後をついてきて、かれこれ一時間近く彼女らを追いまわしている。
逃げ切ったか…と思っても、気が付くと再び現れる。そして再び追いかけられる。
猫としての経験に乏しい三人(匹)には、犬の追跡を振り切るノウハウがない。
「あーーーー、もう!もう怒った!キア、あんな犬っころ、蹴散らすわよ!!」
逃げて見付かって追いかけられて…の繰り返しに嫌気がさしたアルセリアが、とうとう武力行使を選んだ。勇者として、小さな犬に本気になるなどどうかと思われるが、現在の彼女はさらに小さな猫であるし、このままでは埒が明かないのでこれもやむを得ない決断なのである。
…が、問題が。
「……それはいいけど、どうやって……?」
クォルスフィアの冷静なツッコミに首を傾げるアルセリア。
「何言ってんのよ。いつもみたいに……」
「多分、剣にはなれると思うよ…私は。そういう存在だし。…けど、アルシー、どうやって私を使うの?」
「…………?」
言われた意味がすぐに分からないアルセリアに、クォルスフィアが自分の肉球を掲げてみせて。
「……柄、握れると思う…この手で?」
「……………あ」
言われてアルセリアもようやく気付いた。そして自分の手をまじまじと見つめ、肩を落とす。
「………ムリだわ」
「…だよね」
そうこうしているうちにも、犬はじりじりと距離を詰めてきている。
彼女らは袋小路に追い詰められていて、逃げられる場所はありそうにない。
「…そうだ、アルシー。君も魔導術式使えるんだよね?」
思いついたように尋ねるクォルスフィアに、アルセリアは首を振ってみせた。
「使えるけど……私の持ってる攻撃用術式なんて、大したレベルじゃ…」
「大したレベルな必要なくない?」
「…………あ、そっか」
彼女らは、だらしなく舌を出して近付いてくる犬を見る。
魔獣でも幻獣でも聖獣でもなく天使族でも魔族でも竜族でもなく、ただの小さな、一匹の小犬。
それを撃退するのに、初歩中の初歩である【火炎球】でも過剰防衛なくらいだ。
「そうよね、ただの犬なんだから、低位術式で充分よね!」
低位術式であれば、アルセリアでも無詠唱で発動出来る。彼女は意を決したように、
「【火炎球】!」
魔導初心者が好んで使う、火の玉を発生させる術式を…………
…発動出来なかった。
それもそのはず、今の彼女は猫である。
彼女が唱えた術式名は、他の者にはこう聞こえる。
「にゃにゃ、にゃにゃーにゃ!」
………と。
無詠唱…詠唱破棄と言っても、術式名の宣告がなくていいわけではない。それは一部例外を除き、発動に不可欠な要素だ。
当然、にゃーにゃーでは、その要件を満たすことは出来ない。
「ちょ、ちょっと!なんで?なんで発動しないの!?」
「あーーー、そっかー。猫語じゃ、術式発動は無理なのかぁ」
慌てるアルセリアに、状況を呑気に分析するクォルスフィア。
犬はさらに、近付いてくる。
「……やれやれ、仕方ないですね。ここは一つ、私に任せていただきましょう」
そう言いながら、エルネストが進み出たのだが……
「ちょっと待った、エルネスト」
アルセリアが、待ったをかける。
「どうやって、犬を追っ払う気?」
「それは勿論、攻撃を仕掛けるわけですが……」
「あんたって、瘴気を使って戦ってたわよね?」
「ええ、それしか攻撃手段を持っていませんので」
しれっと答えるエルネストに、アルセリアとクォルスフィアは揃って頭を抱えた。
「あのねぇ!ここは天界なのよ?しかも、一番重要な都市!そんなところで瘴気なんて出したら、大騒ぎどころの話じゃないでしょーが!!」
「間違いなく、魔族だってバレるだろうしね」
三毛猫と白猫に詰め寄られて、困り顔になるエルネスト。
「そう言われましても……私、あとは回復くらいしか出来ませんよ?」
「…………………」
「…………………」
瘴気しか攻撃手段を持たないエルネスト。
猫の姿では一切の攻撃手段を使えないアルセリア。
単体では攻撃の術を持たないクォルスフィア。
相手は、どこにでもいる普通の犬である。
だが、彼女たちが今直面しているのは、間違いなく今まで経験したことのない危機であった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「…外は、随分と静かになりましたね、お父様」
外と同じくらい静まり返った屋敷の中で、ミシェイラ=ローデンは父であるウルヴァルド=ローデンと差し向いで座っていた。
二人のカップに、家令であるエウリスが恭しくお茶を注ぐ。
「静かとは言っても、嵐の前の静けさに過ぎない。…火種は、燻り続けている」
難しい顔でウルヴァルドは答えた。愛娘を徒に怯えさせたくはないが、楽観は最も危険だと分かっている。
地天使によるクーデターが起こった丁度そのとき、ウルヴァルドはエウリスを伴って娘の元を訪ねてきていた。そしてそれは幸運とも言えただろう。
かつて執政官を務めていたこともあるウルヴァルドは、第二位階の高位天使。仮に屋敷に暴徒が押し入ったとしても、退けるくらいのことは容易い。
戦う術を持たない娘一人を屋敷に残すことがなくて本当に良かった…と、ウルヴァルドは自分の幸運に密かに感謝していた。
しかし、彼らを取り巻く状況に変わりはない。
これまた幸運なことに、クーデターの戦火は彼らのところまでは届かなかった。地天使軍と中央軍とのぶつかり合いは、中央殿とその周辺のみに留まっていて、彼らの屋敷の近辺では散発的な暴動は見られるものの、本格的な争いはまだ起こっていない。
しかし、その状況がずっと続く保証はなかった。
地天使の動きに呼応して立ち上がった暴徒たちは、そのほとんどが三等・四等市民である。既得権益とそれに群がる権力者たちを憎悪し、それを排除するためには暴力も辞さない。
領地では名君と尊敬されているウルヴァルドではあるが、ロセイールは彼の管轄地ではなく、また、熱に浮かされた暴徒が名君と愚君の区別を付けるとは思えない。
貴族である、というただそれだけを理由として、ローデン父子が彼らの攻撃に晒される可能性は十分にあった。
「使用人たちを逃がしてしまって、よろしかったのですか?」
エウリスが心配そうに問う。
現在、この屋敷にいるのはウルヴァルドとミシェイラ、そしてエウリスの三人だけだ。
それ以外の使用人は全て、騒動が起こった直後にそれぞれの家へと帰した。
それは、使用人たちを危険に巻き込まないためであると共に、大勢の家来を抱えて暴徒たちの目につくことを避けるためでもある。
だがそれは同時に、屋敷を守る者が誰もいないということも意味していた。
「そうするしかあるまい。なに、もしものことがあってもこのウルヴァルド、そうそう簡単にやられはしないから安心するといい」
「旦那様のお手を煩わせるまでもございません。全てこのエウリスにお任せください」
ウルヴァルドは、エウリスも屋敷から逃がそうとしたのだ。
しかし、エウリスはそれを固辞した。どこまでも主と共にあると、改めて誓ったのである。
そんな忠義の塊である家令と、何よりも大切な愛娘と共に、ウルヴァルドは屋敷で籠城を続けている。
「…少し、外の様子を見てまいります」
「気を付けるのだぞ。敷地外へは決して出ないように」
「承知しております」
エウリスが外へ出る。
屋敷の敷地一帯には、ウルヴァルドによる結界が施されている。内部から招かれない限り、誰も門から中に入ることは出来ない。
その結界があるからこそ、彼らは逃げずに留まることが出来ているのだ。
「………お父様、この先、どうなってしまうのでしょう……?」
「心配するな……と言っても無理な話か。だがミシェイラ、御神は常に我らを見守っていて下さる。正しき行いは必ず報われることを忘れてはいけない」
漠然とした慰めしか口に出来ないことを情けなく感じつつ、ウルヴァルドは続ける。
「今は、グリューファス様に全てをお任せするしかない。あの方ならば、最善の道を選んでくださるだろう。“黎明の楔”のことも心配だが、今は自分たちのことだけを考えるとしよう」
ウルヴァルドとて、不安がないわけではない。
彼が裏で手を貸している反政府組織“黎明の楔”は今回の地天使のクーデターと無関係であり、組織としてこの事態にどう対処するのかも現在は分からない状況だ。こんな騒動の中、伝令役がここに来られるはずもない。
或いは、あの少年であれば…。そんな考えもよぎったが、しかしそう簡単な事ではないと思い直す。
今ここで取り乱しても、娘を不安にさせてしまうだけ。
であれば、自分は落ち着いた姿を彼女に見せるしかない。
お茶を飲み、お茶菓子を口にし、いつもと変わらないお茶の時間を過ごすことにしたのもそのためだ。
「そう…ですね。………リュートさまたちは、どうなさってるのでしょう…?」
図らずも、娘も自分と同じ相手のことを思い浮かべていたようだ…その意味合いはやや異なるようだが。
「あの若者ならば、少し前にリシャール地方へと向かったのだったな。今もあちらにいれば、安全だとは思うが…………ところでミシェイラよ」
この際なので、父として気になっていることをはっきりさせようとウルヴァルドは思った。
「はい、何ですか?」
「あー…その、なんだ、お前は、あの少年……リュート殿のことを、どう思っているのかね?」
問われたミシェイラは、少しの間固まっていた。
無言で固まって、質問の意図を理解した途端に、その顔が真っ赤に染まった。
もうそれだけで、聞かなくても答えが分かってしまう父である。
「そ、それ…は、その、こ、こんなときに、そんなこと……」
「こんなときだからこそ、お前の率直な気持ちを聞いておきたいのだよ」
ウルヴァルドはリュートを高く評価している。だがそれは娘の恩人であり有能な人物である…といった評価であり、娘の相手としてどうなのか、と言えばそれはまた別の問題だ。
種族で差別をする意図はないが、しかし彼は廉族。ミシェイラは、由緒正しきローデン家の嫡子。
普通に考えて、その二人が結ばれることをすんなり容認するのは難しい。
「いえ、その、わ、私……は、その………リュートさまには、大切な方がいらっしゃると……」
アタフタしながら言う娘を見ながら、ウルヴァルドは思う。
リュートに想い人がいたとして、自分の娘がその気になればいくらでも彼を振り向かせることが出来るのではないのか…と。
そのくらい、彼は人並み程度には親バカなのであった。
「しかしそれは、彼に恋人がいるとはっきり聞いたわけではないのだろう?であれば…」
「失礼いたします、旦那様」
ミシェイラの窮地を救ったのは、エウリスだった。
その声に、僅かに戸惑いが含まれていることに気付き、ウルヴァルドは警戒する。
「どうした、外で何かあったか?」
「いえ……そうではないのですが………その、こんなのが落ちてまして」
エウリスはそう言いながら、抱きかかえたそれらをローデン父子に見せた。
「……はて、珍しい」
「まあ、可愛らしい!」
同時に口に出す父子。二人の目の前、エウリスの腕の中には、毛布に包まれた、三匹の子猫。眼をつぶり、ぐったりとしている。
「門のすぐ傍に倒れていまして。随分消耗しているようですので、放っておいては可哀想だと思ったのですが……」
エウリスの歯切れが悪い。こんな緊急時に猫を拾うなんて…という気持ちが働いているのだ。しかし、目の前でにーにー鳴く小さな生物を無視出来ず、思わず屋敷に連れ込んでしまった…というわけで。
「その……面倒は全て私が見ますので、屋敷の隅に置くことをお赦しいただけないでしょうか…?」
その様子はまるで、「面倒見るから飼ってもいいでしょ?」と親にねだる子供と一緒だ。
「お父様、こんな小さい子たちを見殺しには出来ません!私からもお願いします!」
家令と娘の懇願を突っぱねるほど、ウルヴァルドは冷淡ではない。
「う、うむ……一度飼うのならば、最後まで面倒を見るのだぞ」
そう言う姿は、第二位階の高位天使というよりも、ただの一人の父親にしか見えなかった。
厳格なはずの貴族のご当主も、猫の魅力の前には無力です。




