第三百十五話 猫がいれば職場も天国である。
「あはっ。めずらしーい。にゃんこだぁ!」
セレニエレはそう言うと、俺の首根っこをむんず、と掴んだ。
わわわわわ、何しやがる!乱暴にするなって!
にーにー鳴いて抗議してみるが、通じてないのか無視されてるのか、セレニエレはそのまま俺をひょい、と自分の目線の高さまで持ち上げた。
「やったー、にゃんこ欲しかったんだよねぇ」
ずっと欲しがっていた玩具をようやく手に入れたときの幼子のようなキラキラした表情で見つめられると、ちょっとまんざらでもなく……
……って、「やった」?「欲しかった?」
あれ、あれれれれ、ちょっと、連れてくの待ってちょっと待って!俺は別にお前の飼い猫になるつもりは……
「にゃ、ふにゃにゃ、にゃーにゃ!」
「んー?何かなぁ?お腹すいてる?大丈夫、おうちにいったらミルクあげるよぉ」
いやややや、ミルクじゃなくて!俺は自由を愛する孤高の男だ、飼い主なんて求めてないのだ!
「にゃにゃにゃ、にゃにゃにゃ」
「駄目だよ、暴れたら。落っこちたら、死んじゃうよ…?」
……う。
「死んじゃうよ」のアクセントが、何か含みを持ってそうで怖い。
これはあれか、暴れると落ちて怪我するから危ない、じゃなくて、暴れるなら殺すぞって意味ですか?
まずい、このままだと俺は火天使さんちのタマになってしまう!
ここは、アルセリアたちにこいつの注意を逸らしてもらってその隙に……
…………………。
………って、いないし!!
おい、あいつら何処行きやがった!?なんでこういうときだけ撤退が潔いの?
……あ、あんなところに隠れてる。
路地裏から顔を覗かせて、様子を窺ってる。
その表情からすると……「魔王、ファイト♡」ってとこか。
……くっそあいつら。窮地に陥った魔王を見棄てるなんて、それでも勇者か?
………………。
…………いや、勇者だからこそ…か。
いやいやいやいや、でもエルネストなんて俺の臣下だよ?身を挺して主を救おうとか……思うはずないか、あの腹黒神官が。
そうこうしているうちに、セレニエレは俺を抱いてスタスタと歩いて行く。
ふーむむ、抱かれる猫の気持ちって、こんな感じなわけね。悪くはない。
……じゃなくて。
俺、どうすればいい?このままセレニエレのおうちにまで連れていかれて、お座敷猫ですか?
そりゃ、最高位天使なんだから贅沢三昧はさせてもらえるだろうけどさ。
三食昼寝付き(猫だから二食?)、きっとご飯も超高級猫缶で、フカフワの羽毛ベッドとモフモフのカシミヤ毛布で日がな一日のんべんだらり……
…うん、悪くない。
………じゃないってば。
しかし予想に反して、セレニエレが俺を連れて行ったのは中央殿だった。
あれ、家に行くんじゃないの?拾った猫連れて職場に行っちゃうの?
それとも、この俺を中央殿の看板猫にするつもり?
…いや、そりゃあ愛くるしい美猫を常に傍に置きたい気持ちは分かるけどさぁ。
中央殿の中も、外と同じくらい…いや、外よりもさらに、張り詰めた空気に支配されていた。四皇天使の一人が裏切ったのだから、無理もない。
行き交う天使たちの表情も固く、この先どうなるのかという不安に満ちている。
そんな中、猫を抱っこした少女が超ご機嫌で進むもんだから、悪目立ちすることこの上ない。
が、目上であるセレニエレに対し、猫のことを問いただそうとする奴はいなかった。
「おっまたせー」
超ご機嫌のまま、セレニエレは一つの部屋の中へ。
そこには立派な円卓があって、さらに上座には四つの主座が。
多分、円卓は執政官用で、主座には四皇天使が座るんだろう。重要な会議に使う議場…だろうか?
既に円卓には執政官が、主座には水天使と風天使が座していた。当然のことながら、地天使はいない。
また、円卓にも空席がチラホラと。この状況でいないということは、地天使の側についたということか。
「何をしておった、セレニエレ。それに、その猫はどうした?」
主座に座る一番偉そうな顔をしたご老体…こいつが水天使リュシオーンなのは間違いない…が、セレニエレを咎めた。
咎められたセレニエレは、まったく悪びれる様子はなく、
「ごめんごめーん、ちょっと街の様子を見てたんだぁ。そしたら、この猫拾っちゃった」
言いながら、自分の席へ。
拾ったんじゃないだろ、無理矢理連れて来たんだろ。
「……ふむ、まあ良い」
…いいのかよ水天使。中央殿って、けっこう緩い職場だったりする?
「そんなことより、まだ叛逆者の行方は掴めておらぬのか」
リュシオーンが問いかけた先は、セレニエレではなく眼下の執政官たち。セレニエレに対するのとは声の調子がまるで違う。
どうやら、老人は少女には甘いらしい。
「…は。鋭意捜索中ですが、未だ情報はございません。もしかしたら、既に都市外に出た可能性もあるかと…」
あ、シグルキアスだ。無事だったんだな。
並んでる執政官の中では一番若手っぽいけど、一番落ち着いてるように見える。もしかしてこいつ、意外にデキる奴だったり?
…ま、いけ好かないヤローだけどね。
「情報統制により、民衆の混乱は最低限に抑えられています。暴徒もあらかた鎮圧致しました。しかし、周辺地域では未だ暴動が治まっていないようです」
「…神の恩寵を忘れ秩序を乱す愚かな者共が……暴徒は全て捕らえよ、疑わしき者、匿う者も同様だ。手向かうようならば生死は問わん」
シグルキアスの報告に、リュシオーンはしかめっ面で拳を握りしめて告げた。
忌々しさ全開である。老人の身体から怒りの波動が立ち昇って、執政官たちを震え上がらせた。
流石に平気そうなのは、セレニエレとグリューファス。
激高しかけているリュシオーンを、グリューファスが宥めた。
「リュシオーンよ。今は混乱の平定が最優先ではないか?強引な遣り方では、徒に民の不安を煽るばかりだ」
流石は民衆側にいるだけあって(レジスタンスの首謀者だもんね)、グリューファスは穏便に事を収めようとしている。
「私も、そのように思います。民が疑心暗鬼になっては、新たな叛逆者を生む温床になるやもしれません」
シグルキアスからも援護射撃が。もしかしてこいつら、仲が良いのかしらん?
「……うむ…」
流石に四皇天使と執政官から諫められては、水天使と言えども「そんなん知らんわい!」とか言えないのだろう、苦虫を噛み潰したような顔で唸っていたリュシオーンだが、
「…よかろう。まずは、各地の暴動鎮圧と治安維持に努めよ」
そう、妥協したんだかしてないんだか分からないが、命令を変更させた。
「承知いたしました。天界全土の領主諸侯及び地方執政担当官に通達を急ぎます」
シグルキアスの奴、シグルキアスのくせに、冷静にハキハキと答えちゃって、まるですっごく有能な人材みたいじゃないか。シグルキアスのくせに。
「ジオラディアとその配下の動向に関しては、引き続き私の方で受け持つ。構わぬな、リュシオーン?」
クーデターを直接鎮圧するのはグリューファスの担当だったようだ。上手い事自分の役目に持ってったな。おそらく、クーデター側と接触してその真意を測り、場合によっては自分も“黎明の楔”を率いてそちら側に参加するつもりなのだろう。
ふむふむ、事態は急展開を見せてるじゃないか。まさか体制転覆なんて…と最初は思っていたが、もしかしたら、もしかするかもしれん。
「…任せたぞ、グリューファスよ。アレは四皇天使の名を穢した。その報いは、与えねばならぬ」
そういうリュシオーンの声の調子に、憔悴の影が見え隠れしていた。盤石だと思っていた自分(たち)の支配が揺らいでいる事実が精神的労苦となって、高齢の身を苛んでいる。
「承知した。……執政官たちは、各担当区において先の命令を遂行せよ。異変を感じた場合は、それがどのように僅かなものであったとしても報告を怠るな。現在、天界は未曽有の危機にある、汝らの働きが秩序を守護するのだと心してかかるのだ」
疲れた様子のリュシオーンに代わり、グリューファスが四皇天使を代表して執政官たちに告げた。
執政官たちは全員(ここにいない者は除いて)気を付けで立ち上がり、敬礼すると議場を去って行った。
「……何故だ、一体何故、このような……」
執政官たちがいなくなって、四皇天使だけになった議場で、リュシオーンは呟いた。
その声には、怒りと言うよりも疑問とか、失意とか、無念さのような響きの方が強かった。
余程自分たちの支配に自信を抱いていたのか、或いは余程ジオラディアという天使を信用していたのか、彼にとってこの事態は青天の霹靂だったようだ。
「まあまあ、起こっちゃったことは仕方ないじゃん。暴動たって限定的なんだし、ジオ一人じゃ出来ることなんてタカが知れてるし、なんとでもなるって」
緊迫した空気の議場の中で一言も発しなかったセレニエレが、慰めるように…しかしやや能天気過ぎるが…リュシオーンの肩をポンポンと叩いた。
俺が奴だったら、「何を呑気な!」って怒るとこだけど、やっぱり水天使は火天使に甘いようで、リュシオーンはそれについては何も言わなかった。
「…では私も動くとしよう。セレニエレ、ここの守護は任せた」
「まっかされたー」
グリューファスが立ち上がり、そう言い残して去る。
残されたセレニエレも、
「それじゃ、私も行くね。この子にミルクあげなきゃいけないし」
ずーっと膝に抱いたままだった俺を持ち上げてリュシオーンに見せつけると、足取り軽く議場を出た。
頬杖をついて思案に暮れるリュシオーンは、返事すらしなかった。
看板猫とか犬とかいる職場が羨ましいです。仕事しながらモフりてぇーーー。




