第三百九話 嫌なことは全て忘れてしまえれば人生イージーモードである。
「……アルシェ、何をしている?」
我の目の前で、エルリアーシェが極小の光を捕まえては何かをしている。
その様子はとても楽しそうで嬉しそうで、見ているこちらも何やら暖かい気持ちになるのだが、同時に自分が少し蔑ろにされているような気がして面白くもない。
「ふふ。今は、小さな生命たちの理を整えているのですよ」
「小さな生命たち……か。そのような下等生物、放っておけば勝手に殖えるであろう?」
つくづく、彼女は物好きだと思う。
生命など、勝手に湧いては勝手に消えて、そしてまた湧いて出る。大した知能も知性も持たず、ただ無意味に湧いたり消えたりを繰り返すだけで、何を残すというものでもないのに。
それでも最近のエルリアーシェは、そんな生命に夢中だった。
強大な種族であれば、まだ分かる。しかし、取るに足らぬ矮小な存在にまで彼女は気を砕き、それはそれは大切な宝であるかのように慈しむのだった。
それが、我には理解出来ない。
生命など、我らの世界に突如発生した異物に過ぎない。星霊核から溢れ出し流れ巡る霊素が突然変異で指向性を持つようになっただけのこと。その証拠に、生命として発生したそれらは、ただの霊素であったときとは違い、酷く不安定なものとなっている。
いつか、それらの中で自分も生命の真似事をしてみたいと言い出すのではなかろうか。
精神すら持つか疑わしい小さきモノの周りを嬉しそうに舞う彼女を見ていると、そんな心配が消えなかった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
あれは、いつのことだったか。
確か……まだ俺たちが、自分の肉体を創るよりずっと前の……知的生命体も出現していなかった頃だっただろうか。
あの頃のアルシェの気持ち、今なら分かるような分からないような、分かりたいけど分かりたくないような……
「……ュート!リュートってば!」
第一、あんなうにょうにょの何がいいんだよ。構ってやってもこちらを認識すらしないじゃないか。そのくせ本能とかそういうのだけはきっちりと主張して……
「ギル、落ち着いて!もういいから、大丈夫だから!」
大体、あんな脚が沢山ある理由が分からない。お前ら海の生き物だろっての。そりゃ魚の食いつきがいいことは知ってるけどさ、でも俺はおかげでパワーイソメすら触れないんだってば。バチ抜けの時期なんて勿体ないとは思ったけど……
……ん?あれ?これ、誰の記憶だっけ…………俺?
「陛下、陛下!私が悪うございました、後生ですのでどうか御静まり下さい!!」
……俺、何だっけ……アルシェと話してて……あれ、違う?
「わ、ワタシも悪かった、ほれ、謝るからその辺にしておけいリュートよ!」
………………………………………。
「………あれ…?お前ら………何してんの?」
なんか、夢を見ていたような気がする。
気付くと、やや遠巻きにドン引きで俺を見ているベアトリクスとヒルダ。足元にはエルネストが平伏してる(なんでだ?)。
で、アリアが背後から俺を羽交い絞めにして、アルセリアとキアが正面から俺に抱き付くみたいにしがみついている。
………何コレ。何の遊び?どんな状況?
そもそも、俺は何をしてたんだっけ………?
さらに視線を巡らせると、俺の目に映ったのは瓦礫の山。よくよく目を凝らせばそれがかつては豪奢な屋敷を構成していたものだと分かるが、こうなってはただのガラクタだ。
ええっと、ここは何処だっけ?
…………………。
……ああ、そうそう。ブラウリオとか言う悪徳領主を懲らしめに来たんだった。
で、ブラウリオを追い詰めて、あと一歩のところで…………
あり?
記憶が飛んでる。
確か、ついさっきまでブラウリオ、俺の目の前にいたよね?
なんか余裕っぽいこと抜かしてなかったっけ……
あ、ブラウリオ発見。
けどなんか……様子が変だ。眼の焦点が合ってないし、傲慢でこまっしゃくれた表情がすっかり変貌して、からっぽなのにひきつってる感じ。顔色も、蒼白を通り越して土気色。
「お、おいブラウリ……」
「ひ、ひへっ」
…うわ!怖い!!俺の顔を見た途端、壊れた人形みたいに…
「ひ、ひひひひひひふひひっひ、あひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ!」
わわわわわ!怖い怖すぎる!何これお化け屋敷の幽霊人形!?
完全に理性を失ってる…つーか正気を失ってるじゃないか。あの我欲の塊みたいだったブラウリオがこんなになるなんて、一体何があったんだよ!?
「お、おいアルセリア。こいつ、何でこんな風に……?」
多分、一部始終を見ていたであろうアルセリアたちに状況を説明してもらおうと思ったのだが、問われたアルセリアは何かを諦めたかのように首を振り、俺の質問には答えてくれなかった。
「……ゴメンほんと謝るわ。人の嫌がることはしちゃいけないって、相手が魔王でも同じなのね」
「……魔王の弱みを握ってやったと思ったが……もうこれには触れぬが得策よの」
「………申し訳ございません陛下もう二度と絶対に決して致しませんゆえどうかお赦しを………」
答えてくれない代わりに、アルセリアが何故か殊勝に謝ってくる。さらにアリアまで神妙な顔をして。
で、エルネストに至っては有り得ない感じで土下座スタイルなんですけど。
キアと目が合ったので、視線で説明を求めてみた。が、彼女もやはり諦め顔で。
「……そう言えば、昔っから見たくないものからは現実逃避して目を逸らしがちだったよね、ギル」
とか、痛いところを突かれてしまった。
「……何、何?なんでこんなことに?屋敷は何処行った?」
「何処って……自分で塵に還しといて何言ってるのさ」
………自分で?俺が?ブラウリオと屋敷に、何かしたってのか?
全く記憶にないことに混乱していると、キアは首を振りながら盛大な溜息をついた。
「……はぁ、もういいや。もう今回のことに関してはこれ以上踏み込むのをやめよう、そうしよう。…ね?」
「あ……うん分かった」
分からないけど、強制的に頷かされてしまった。
「それじゃ、さっさとここの空間を元に戻してね。で、イライアス夫妻に報告しに行こう。……あ、詳細説明は私がするからギルは黙っててね」
「へ?あ、うん」
やっぱりよく分からないまま、俺は隔離していた空間を元の座標へと戻した。敷地の外の景色が甦り、遠くからせせらぎの音が聴こえてくる。
「んじゃ、まぁ……帰るとすっか。……エルネストいつまでそうしてるんだよ」
足元に平伏したままのエルネストを立たせて、ようやくアリアが拘束を解いてくれたので俺は歩き出す。
ついてくる連中が、やけに俺から距離を取っているのは何故だろう。
「……なあ、お前ら何か遠くない?」
「そ、そうかしら?気のせいじゃない?」
アルセリアの声がうわずっている。
しかも、いつもはヒルダが俺に引っ付いてくるのにずっと遠巻きのまま。
「なあ、ヒルダ……」
「お兄ちゃん、大人げない…………」
……えぇ!?大人げないって……何それいきなり?
俺が一体何をしたって言うんだよ!
……と問い詰めたい気持ちで一杯だったのだが、彼女らの表情を見ると、きっと俺は何かをやらかしたのだろう。それ以上触れるな、と無言の圧をアリアから感じたので、大人しく引き下がっておく。
何があったのか覚えてはいないのだが……確実に言えるのは、そのせいで彼女らの俺への評価がマイナス方向へ思いっきり傾いてしまったということである。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
山査子邸へ戻る前に、やらなくてはならないことがあった。
リシャール辺境伯ブラウリオ=エイヴリングとその配下は倒した。まだ息のあるブラウリオと二人の配下は、グルグル巻きにして屋敷跡に転がしてある。この後イライアスとの打ち合わせで、不幸な被害者になってもらわなくてはならないからだ。
ブラウリオは無事と言えば無事だが、無事じゃないと言えば無事じゃないので、少なくとももう二度と領主のような責任ある地位には就けないだろう。他の二人も同じだ。
が、それで問題が解決したわけじゃない。
否、ここの地方の人々にとっては、解決と言っても過言ではない。この後俺たちが無法者を装って、イライアスにそれを討伐してもらって、後はその功績で彼をここの新たな領主に推すのは風天使らの仕事だ。
俺たちがボロさえ出さなければ、それでこの地の平穏は守られるだろう。俺の見たところ、イライアス夫妻はごくごくまともな神経の持ち主。民に圧政を敷くようには思えない。
……だが、肝心の月照石がまだ残ってる。
それが稀少なものである以上、そしてべへモス召喚に欠かせない以上、仮にイライアスが領主に就任してその採掘・精製を環境汚染の観点から拒んだとして、中央殿…水天使がそれを許すはずがない。
イライアスが使えないなら、他の手の者を派遣して採掘権は本格的に中央殿が持っていってしまうだろう。
で、あれば。
「……本当に、良いのか?」
俺の顔を見ながら、アリアがワクワクしつつも疑わしさの混じった様子で聞く。
「ああ、中に生体反応がないことは確認済みだ。ぱーっと派手にやっちまおうぜ」
俺たちが立っているのは、月照石鉱山の坑道入口。他にも入口はあるそうだが、どうせ全部破壊してしまうのだから探す必要もない。
「…うーん……何て言うか、こういう大規模破壊って経験ないからちょっと抵抗があるんだけど…」
意外にも尻込みしているのはアルセリア。こういうの、好きそうだと思ったんだけどな。
…まあ、勇者の仕事って破壊じゃなくて世界の救済だから、或いはそれが自然な反応なのかもしれないけど。
寧ろ、ヒルダやベアトリクスの方がウキウキしている。
「お兄ちゃん、いっぱいこわして大丈夫?怒られない?」
「おう、怒られないぞ、存分にやっちゃって大丈夫!」
……いや、厳密に言えば…言わなくても…本当は怒られる。怒られるじゃ済まない。とんでもない重罪である。が、俺たちの目的には欠かせないことだし、天界の民じゃない俺たちに天界の法は関係ない。
さらに……魔王である俺がいいと言っているのだ、いいに決まってる!
「それでは、遠慮なくいかせてもらうぞ!」
アリアが咆哮と共に、竜の姿に戻る。口を開けると、炎ではなく衝撃波がそこから放たれた。特殊スキルかと思ったが、振動系術式かもしれない。
アリアの衝撃波に触れた鉱山は、見る間に崩れていく。
それを見たヒルダも負けじと、地属性上位術式【超重崩戟】を連発し始めた。
「あらあら、まあまあ。それでは私も失礼して…」
ベアトリクスも、唯一の攻撃術式【来光断滅】で破壊に加わる。
「え、あ、ちょっと……」
アルセリアはそれを見てオロオロするだけだ。変なところで常識人なんだなーと考えかけて、単に大規模破壊に使える術式を持っていないだけかと気付く。
アルセリアの持つレパートリーは、ほとんどが補助系だ。攻撃用のもなくはないが、せいぜい中位術式。上位以上となるとしちめんどくさい詠唱も必要となるし、ほとんど使うことがないという。
さらに、神格武装“焔の福音”を使えば他の面々に負けない破壊力を発揮することは出来るが、こんなにどっかんどっかん爆発が起こりまくってるところに剣一本で飛び込んでいったら、巻き添え確実である。
結局、アルセリアと、こういうことには不向きなエルネストは、ド派手な破壊行為を遠巻きに見るだけになった。
「……でもさ、リュート。これだけで大丈夫なの?」
岩が砕かれ山が崩れる轟音をBGMに、アルセリアが怪訝そうに問いかけてきた。
「大丈夫って…何が?」
「だってさ、これって、坑道を破壊してるだけよね。そりゃ、山の形はだいぶ変わっちゃうとは思うけど…この中に月照石の鉱脈があることには変わりないんだし、また新しい坑道を作られたら……って、何よその目は」
「お……おま、まさかお前の口からそんな道理らしいことが聞けるだなんて……!」
いつもいつも、深くも浅くも考えなしに即行動!がウリの単細胞勇者だったアルセリアが……なんて成長を!!
「……ちょっとそれどういう意味よ」
あれ?誉めたつもりなのに怒らせてしまったぞ?
「い、いや、まあ、とにかく!そこについては、心配要らない。今こいつらにしてもらってるのは、只のカモフラージュだから」
「……カモフラージュ?」
「そ。気休めかもしれないけど…って程度のな。中央殿の連中には、ここで何かとんでもないことが起こった…ってことだけ察してもらえればいい」
鉱山の異変とイライアスの関係を疑われては困るから(何しろ月照石の採掘を進めていたブラウリオとイライアスが敵対していることは周知の事実なのだから)、鉱山を破壊したのは俺たちエドニス・ファミリー(この設定、今の今まで忘れてた)なのだと知らしめなければ。
と言うことで、とにかくド派手に、という注文で彼女らに働いてもらっているのである。
「ここの鉱脈な、もうどれだけ掘り進めても屑鉄しか出ないよ」
「……え?それってどういう……」
「ちょこっと細工して、鉱脈を変質させてやった」
俺の言葉に、アルセリアはようやく合点がいったようだ。
ただし、別の意味で納得していなさそうな……
「あー、なるほど、ね。……つーかアンタ、そういうことも出来るんだったらなんでさっき……」
「ん?さっき……って?」
「……………なんでもない」
まただ。なんか忌避すべきことみたいに顔を逸らされてしまった。
なんだろう、俺、悪いことでもしたんだろうか。
誰も説明してくれないのに遠回しに責められてる気持ちになって、ちょっと面白くない俺である。
パワーイソメ、気になった方は是非釣具店で実物を見てみてください。
自分はアレでもダメです。
魔王、酷い目に遭っちゃいましたね。彼には別の機会に活躍の場を作ってあげたいと思います。




