第三百八話 魔王のトラウマ
アリアがぶち空けた大穴から部屋(舞踏場と敵さんは言っていたらしい)を出た俺たちは、残るブラウリオを探すことにした。
見たところ、アルセリアたちが相手をしていた四人の天使たちの中で、息があったのは二人。
そうじゃなかったうちの一人はアリアの雷に焼かれて真っ黒こげになっていて、一人は超至近距離からの爆発を受けたみたいに顔がちょっと直視出来ないくらいになって右腕も失っていた。
息のあった二人にしても、一人は胴体にかなりの裂傷を受けてるし、もう一人は全身を強く打っていてぐにゃんぐにゃんになっている。多分、そう長くはないだろう。
……けっこう、こいつらの遣り方ってえげつないんだなー…と改めて思ってみたり。
敵相手に容赦をする必要はないと思うのは俺も同じだが、殺し合いに魔族も天使も廉族も変わりはないということ。
天界や地上界では、魔族は残虐非道で冷酷無比ってイメージ強いけど(それはそのまま俺へのイメージだったりするけど)、神託の勇者とかでこうなんだから、じゃあ種族の差って結局は何なんだろう?
強かったり弱かったり、角があったり羽根があったり身体が大きかったり小さかったり、創世神を崇拝してたり魔王を崇拝してたり。
そういうのって、実のところは大した違いじゃなかったりするのかも。
仮に今回の戦いでアルセリアたちが負けていたとしたら、そして彼女らがこの四人の天使たちみたいに惨い目にあってたとしたら、間違いなく俺は怒り狂うだろう(と言うか既にサン・エイルヴで似たような感じになってる)。
それはそれ、俺自身の行動を俺自身の感情に従わせているわけだから至極当然のことなのだが、だったらその天使たちが許されざる大罪を犯したのか…と問われると何とも言えない。
そこのところの気持ちの落とし処、創世神はどういう風にしてたんだろう?
「ちょっとリュート。何ボーっとしてんのよ、さっさと来なさい」
多分どこまで行っても結論に辿り着けなさそうなことを考え込んでると、アルセリアに呼ばれて思考が中断されてしまった。
その能天気な顔を見ていると、どこかで強引に折り合いをつけるしかないのかな…とも思う。
魔王がそれでいいのか、という気がしなくもないけど、これって極論としては、全てを等しく愛するか全てを等しく憎むかって話になって、それって結局全てを等しく無視するのと変わらないことだよなーと思考がどんどん俯瞰していってしまう。
結論として、考えても仕方ないことは放置することにした。
「陛下って、根っからの苦労性ですねぇ」
なんか察した感じなエルネストに揶揄された。否定はしない。
「で、そいつは何処に行ったのかしら?」
「外に逃げられると厄介ではありませんか?」
アルセリアとビビが立て続けに質問してきた。
アルセリアの質問には答えられないが(分からないから探してるのである)、ビビの質問に関しては心配要らないと断言できる。
「ああ、大丈夫。この屋敷一帯ごと空間を切り離してるから」
こうしておけば少なくとも外部へ連絡を取られる心配はなくなる。俺としては褒めてもらってもおかしくないと思ったんだけど…
「そんなこと出来る余裕あるなら、最初っからそいつ本人だけを閉じ込めればよかったじゃない」
アルセリアに責められた。
「……仕方ないだろ、気付いたら逃げられてたんだから」
「………何よそれ。魔王のくせに抜けてるわねー」
「……お兄ちゃん、ボンヤリ?」
アルセリアだけでなく、ヒルダにまで言われてしまった。
ここは一つ、挽回しなければならないところだな。よっしゃ、今に見てやがれ。
「ちょーっと待ってろって」
俺は、意識を集中させた。空間内のブラウリオの気配を探る。
おそらく奴のことだから、どうにかして姿を隠そうとはしていることだろう。しかし、現在この閉ざされた空間の全ては俺の手中にあるも同然。如何に気配を消そうと偽ろうと、その気になれば見付けられないことは……あ。
「…見つけた」
その気になる前に、見付けてしまった。何故か、奴は隠れようともしていない。
「どこ?早く向かいましょう!」
アルセリアに急かされたので、俺は先頭に立ってその場へ向かう。
それは、屋敷の裏……離れの、さらに向こう側。
逃げようとして逃げられないことに気付いて愕然としてたりするのだろうか、奴の気配はそこから動かない。
急いだとは言え多少の時間はかかったのだが、俺たちが到着したときも奴はまだそこにいた。
「……よう、エイヴリング卿。逃げるのはやめたのか?」
俺たちに背中を向けたままのブラウリオに、俺は声をかけた。
奴がいるのは、石造りの奇妙な建築物の前。廟…か何かだろうか。ここは裏庭っぽいし、例えば先祖代々の墓…みたいな?
「……やめたのではありませんよ。逃げる必要が、なくなっただけの話です」
さぞ消沈しているだろうと思っていたブラウリオの声はしかし、全く動じていないようだった。最初に会ったときと同じくらい、自分の優位を確信している余裕たっぷりの声。
「必要がない…とは、諦めたということでしょうか?」
語尾に「でヤンス」を付けるのを完全に忘れ去ったエルネストが問う。だが、諦めたというには奴の声には力が込められていた。
「いえ…まさか。この私が、浅ましき魔族を前に諦めるなどと……あるはずがないでしょう?」
言いながら振り向いたブラウリオの表情は……狂気に満ちた笑顔だった。
「よくも、私の前で好き勝手をしてくださいましたね。中央よりこの地の支配を任されたこの私に対し、その所業は万死に値します。貴方たちには、ご自分の愚かさをたっぷりと後悔していただくことにしましょう!」
ブラウリオは、そう叫ぶと徐にその廟を、破壊した。
彼の手から放たれた霊力が廟に亀裂を走らせ、巨大な柱のようなそれは、自重に耐えかねて崩れ落ちた。
一体、何をするつもり…何をしたつもり、なんだろう。
と、思ったのも束の間。
俺たちの足元が、地震のように揺れ始めた。
「ハハハハハハハハ!ここに眠るは、かつてこの地で数千の民を喰い殺し、創世神により封じられたとされる化け物よ!その封印を今解き放った。恐怖と後悔に打ち震え最期のときを待つがいい!!」
…え、ちょっとブラウリオ。なんかすっごい得意げに語ってるけど、それ解放しちゃったら奴自身も危なくない?完全に自棄を起こしてるのかな。
地響きは、さらに強まっていく。じきに、その化け物とやらが姿を見せるだろう。
「……さて、どうしますかね?」
ベアトリクスの質問に、
「…リュート、アンタいきなさいよ」
アルセリアが、俺に指示してきた。
……って、俺?
「なんで俺…つか、なんでお前が命令するんだよ」
なぜか、さも当然って感じに指名してくるんですけど。
「だって、さっきこいつとやり合ったのって、エルネストなんでしょ?だったら、アンタ一人だけ何もしてないじゃない」
……う、そう言われてみれば…………!
「まだ役に立ってないんだから、最後くらいきっちり頑張りなさいよね、いいところを譲ってあげるんだから」
…………確かに、俺は今回何もしていない。
エルネストはブラウリオの召喚した精霊を見事手懐けてみせたし、アルセリアたちも高位天使相手に充分以上の戦果を見せた。
と、いうことは……後は俺だけか。
「…ふぅ、仕方ないな。ま、いっちょいいとこ見せるとしますか」
アルセリアに役立たず呼ばわりされたのは気に喰わないが、ここで一つ格好いいところを見せて汚名返上といこうじゃないか。
ふふん、俺の雄姿を見て惚れるなよ。
「さ、んじゃま、さくっと………」
一歩進み出た俺の前に、そいつは姿を現した。
いきなり、地面から、ズボッと。
巨大な蛇のようなシルエットが、突き出て来たのだ。
……いくつもの節に分かれた身体。無数の、身体の割に小さな脚がうじゃうじゃ蠢いている。
眼らしきものは見えない。頭の先っちょに、牙が円形に並んだ口。一際大きな顎が一対。
「………イ…イソメ………?」
思わず、声が裏返った。
それは、オニイソメをオロチクラスにまで巨大化させたかのような、蟲の化け物。
「うっわー、気持ち悪いヤツね。ほらリュート、さっさとやっつけちゃって……リュート?」
アルセリアが調子よく声をかけてくるが、俺が一歩後ずさったのを不思議に思ったようだ。
「ちょっとリュート…?何してんのよ……って顔色悪っ!!」
「……お兄ちゃん…?」
俺の顔を覗き込んだアルセリアとヒルダが、驚いている。ベアトリクスとエルネストも、何があったのかと怪訝そうだ。
だが……俺は、それどころではない。
正直に言おう。
俺は、世界中の全生命体の中で、唯一その存在を絶対に許容出来ないのが、このイソメという生物なのだ……!
俺の虫耐性は、多分一般的な平均値である。
Gは論外。こいつは好きとか嫌いとかいうものではない。ムカデとかゲジとか脚がやたらと多いのはかなり苦手だが、それでも触らなければなんとか我慢出来る。他の虫も、好き好んで触れようとは思わないが、イオニセスのムシムシパニックの中でもとりあえず魔王の沽券は守り通せた。
だが………イソメだけは……こいつだけは、例外なんだ。
全身から嫌な汗が噴き出る。アドレナリンの過剰分泌で、動悸がやばいくらいにレッドゾーンへ。
そう、桜庭少年が幼き日に植え付けられた、とてつもないトラウマ。
あれは、俺がまだ四つか五つか…物心ついた頃。
俺は、桜庭父に連れられて、生まれて初めての海釣りへと行った。
そして見た、タッパーの中で不気味に蠢く不気味なニョロニョロ。
慄く桜庭少年に、桜庭父は「怖くないぞー」と言わんばかりに、それを一匹摘まみ上げて、目の前に掲げてみせた。
そして……あろうことか、うっかり指を滑らせて、そいつを落下させたのだ。
桜庭少年の……俺のTシャツの中に。
襟元から入り込んだそいつは、うにょうにょと俺の肌の上を…………
ああ゛あ゛あ゛あああああああ!
ダメだ、思い出すだけで発狂しそうになる!!
そんなイソメの大親分みたいなヤツ、戦えるわけがない!絶対ムリ!絶対ヤダ!!
「………エルネスト、ちょっとパス……」
だから俺は、俺の忠実なる臣下にそう命じたのだが………。
「何を仰せですか陛下。せっかくの見せ場なんですから、我々に陛下のご威光をしかとお見せください」
エルネストの奴、拒否しやがった。
この俺の、この魔王の、命令を、俺の眷属であり、臣下であるこいつが、きょ、拒否……
…って絶対面白がってる!口調が、声が、今までにないくらいに嬉しそうなんですけど!?
「あのような下等な蟲ごとき、御身の前にはミミズ同然。さあ、ご存分に」
ダメだ、エルネストは頼りにならない!
俺は救いを求めて神託の勇者に視線を移す。
神託の勇者アルセリア=セルデンとその随行者たちは、ものすごーーーく冷めた眼で、俺を眺めるばかりだった。
ああ、そうだった。
俺とこいつらは、宿敵同士なんだった。
今まで随分と慣れ合っていたからついつい忘れがちだったが、本来であれば俺が助けを求められるような相手じゃなかった。
だったら、アリアは?
「……ふ、ふふふ。面白い。なんだ貴様、あのにょろにょろがダメなのか?魔王のくせに情けないのう」
ああ、エルネスト以上に露骨に面白がってる。
ダメだ、俺、孤立無援だ。
向こうでブラウリオが何やら喚いてる。
後悔するがいい、とかどこまで楽しませてもらえるか、だとか、なんかそんな感じのこと。
けど、もう奴のことなんてどうだっていい。
「ほらほら陛下、何をなさってるんですか早く早く」
「ちょ、ま、押すなエルネストまじで頼むからあああああ!」
やめて!肩をぐいぐい押すのほんとやめて!!
「もう、ぐずぐずしてるんじゃないわよ。さっさとしなさい」
あああああ、アルセリアまで!押しながら含み笑いしてるし!
やめてやめてムリだからほんとムリだからヤバいからマジでヤバいから!!!!!
皇帝イソメが、威嚇なのか俺の目の前で顎を打ち鳴らす。
その瞬間、俺の意識は真っ暗にシャットダウンした。
イソメが嫌でルアーを使うって人、多いと思います。かく言う自分がそうです。(まあ、アミとかもありますが。)
魔王の思わぬ弱点が露呈しました。
けど、オニイソメってあれ、どう見ても地球外生命体でしょ。




