第三百六話 決着
静かな対峙。
ノエもアルセリアも、すぐには動かない。幾度かの剣戟を経て、互いの剣技や剣筋の大体のところは把握している。その上で、二人の力量はほぼ互角と思われた。
それゆえに、僅かな差異が勝敗を決めうる。
二人は、自分の側にあるその差異を見い出そうと、相手と同時に自分自身にも向き合っていた。
先に動いたのは、ノエだった。
一瞬…ほんの一瞬だがアルセリアの集中が別の方向へ逸れたのを彼は見逃さず、その刹那を狙い踏み込んだのだ。
アルセリアの集中の乱れは、ともすれば彼女自身すら気付いていないかもしれないほどに微かなもので、ノエとしては十分に虚を突いたつもりではあったのだが、しかしアルセリアは冷静なままだった。
ノエの突きを、半身を引き僅かな手首の動きでいなす。腕力に頼り切らない彼女の戦い方はノエも既に分かっているので、当然攻撃をいなされるのも想定内だ。すぐさま体勢を立て直し、振り向きざまに彼女の首を狙う。
次撃に対して、アルセリアの防御は間に合わないかのように見えた。少なくとも、ノエにはそう思えた。ノエの動きは、いなされることも計算に入れた上での体捌きであり、初撃と次撃の間には一切の無駄もない。
この一撃をとどめとしよう。ノエはそう思った。
二人の仲間…アビゲイルとソロウの無念を晴らすという意味合いも兼ねて、彼はその一振りに全てを込める。
長年に渡り傭兵として戦い続けてきた、この地方で英傑とまで呼ばれた自分の来し方の全てを、今まで出会った中で間違いなく最強と呼べる目の前の少女に、ぶつけるために。
そして刀を振り抜こうとした彼は、視界の中で少女がひどく冷静に自分を見据えていることに気付く。
その瞳は、対応不可能な攻撃に晒されているとは思えない確信めいた輝きを宿していた。
彼女は、まだ諦めてはいない。何か策を持っている…
そう直感したノエの刀がアルセリアに届くより前に、彼の眼前で光が炸裂した。
網膜を焼かんばかりの強烈な、濃密な光の攻撃。それは、アルセリアの滅多に使うことのない魔導術式であり、今回の戦闘で彼女は今まで魔導を使う気配をまるで見せていなかったことからノエにとっては全く想定外のものであった。
彼女が行使したのは、光学系術式の中でも初歩中の初歩、殺傷力を一切持たないために魔導学徒が真っ先に習得させられる入門術式、その名も【閃光球】である。当然、ノエに対しても何ら傷を与える力は持っていない。
それはただの目眩まし。だが、魔導を使う素振りを全く見せていなかったアルセリアがまさか魔導剣士だったとは露知らぬノエは、それに関しては一切警戒をしていなかった。
魔導に長けている彼女の仲間が動いたのであれば、予測と対応も出来たかもしれないが…
まともに目を焼かれ視力を失ったノエを、アルセリアが一閃した。
アスターシャに付けてもらった稽古の中で、剣と魔導を両立するようにと諭され、しかし強敵との戦いにおいては闇雲な魔導行使は意味を持たないということも思い知らされ(それを思い知るまでに彼女は十七回くらい死にかけた)、自分のスタイルにおいては高位術式を無理に使ってその分剣が疎かになるよりも剣を邪魔しない程度の低位術式を組み合わせた方がまだマシだと悟ったアルセリアである。
魔導はあくまで補助。それ自体は低レベルでも構わない。
だが、その低レベルな魔導が、彼女とノエの間に僅かな差異として現れたのだ。
「……見事だ…廉族の娘よ……」
最期まで律儀にそう言い残し、胴を一薙ぎにされたノエは倒れ伏した。致命傷ではないが、もう戦闘続行は不可能だろう。
『おつかれ、アルシー』
手の中のクォルスフィアがアルセリアに語り掛ける。先ほどノエがアルセリアの隙だと感じた集中の乱れは、神格武装と神託の勇者との一瞬の作戦会議であった。
ともすれば冷静さを失いがちなアルセリアに対し、その性質ゆえか常に冷静なクォルスフィアはまたとないパートナーである。
今の戦いにおいても、実際に戦闘をリードしていたのはクォルスフィアだった。無論、彼女としてもアルセリアが自分の指示についてこれる力量を有していると確信を持っている。そうでなければ、戦闘中に事細かな指示を下すことなど出来なかっただろう。
これで、残る敵はクェンティン一人となった。
アルセリアとノエが戦っている最中もアビゲイルの亡骸を抱きしめたまま微動だにしなかったクェンティンだが、ノエの最期の声を聞き、ようやくその顔を上げた。
そこには、登場したときの軽薄さなど微塵もない。
途方もない絶望と、哀しみと、そして憎悪が分かちがたく絡みつき渦を巻き、彼を彼ならざるモノへと変貌させていた。
「……してやる……殺してやる、貴様ら全員、許すものか……八つ裂きにして、野に晒してやる……」
食いしばった歯の隙間から漏れ出る声は呪詛に満ち、さしもの勇者一行も戦慄を覚える。
クェンティンは拳闘士であり、多勢に無勢であるこの状況では彼に勝ち目はないかと思われたが、それでも追い詰められた者の最後に見せる足搔きの恐ろしさを知らない彼女たちではない。
油断の一切を排し、アルセリアは“焔の福音”を、ヒルダは魔導杖を構え、ベアトリクスは“聖母の腕”の出力を最大限に引き上げる。
さあ、戦いはまだこれからだ…と彼女らが思ったのも束の間。
「ええい、まどろっこしいわ!」
じれったそうな声で、アリアが尾を一振りさせた。
ばちこーん。
尻尾と言っても、巨竜のそれである。根元の太さは丸太並みだ。筋力に加えて身体の回転も加えた勢いで振り回された尾の直撃を受け、クェンティンの身体は宙を舞い、柱に激突してそれを破壊し、ぼとりと落ちた。
「………ちょっと、アリア………」
気合を入れ直そうとしていた直後に横槍を入れられたアルセリアが、思わずアリアに苦言を呈する。
「何て言うか、もうちょっと……空気読みなさいよね」
「何を訳分からんことを言っておる。こんな連中はさっさと黙らせて、リュートとあの魔族を探しにいかねばならんだろう」
「え?………………あ」
アリアに言われて初めて…繰り返し述べるが初めて、勇者一行はその補佐役(とおまけの魔族)がこの場にいないことに気付く。
今の今まで、気付いていなかったのだ。それは決して彼女らが補佐役を軽視しているというわけではなく、目の前の強敵を倒すのに集中していたためだと追記しておこう。
「…そう言えば、あいついないじゃん!ちょっとどこほっつき歩いてんのよ。全く、いっつもこうなんだから!」
まるではぐれるのはリュートに全責任があると言わんばかりにプリプリするアルセリア。その手の中のクォルスフィアが武装形態を解き、扉の方へ歩いていった。
「まあまあ、アルシー。同じ屋敷の中にいるんだから、探せばすぐに……あれ?」
しかし、扉に手をかけた瞬間に呆けた声を出す。
「…………開かない」
開けるときはすんなりと開いた扉ではあったが、天使たちの仕業だろうか今は力を込めて押しても引いてもビクともしない。
錠がかけられていると言うよりは、何らかの術が働いていると思われた。
「こいつら、よっぽど私たちをもてなしたかったと見えるわね」
アルセリアもクォルスフィアの横に立って同じように試してみるが、結果もまた同じ。
「困りましたね、閉じ込められたというわけでしょうか」
「お兄ちゃん……きっと淋しがってる」
ベアトリクスとヒルダも困り顔で扉の前に立つ。ベアトリクスが解錠術式を試してみて、残念そうに首を振った。
「仕方ない、破壊するしかないか」
扉と見れば壊して開けようとする傾向にあるアルセリアが、事も無げに言った。
他人様の家屋敷を破壊するという行為になんら躊躇を感じていない勇者ではあるが、そんな些事には拘らないのが勇者という存在なので、誰も彼女の非常識を咎めることはない。
「破壊するのか、良かろう」
それどころか、さらに拘りのない元引き籠もりの竜の非常識さは、勇者のそれを超えていた。
「……え、ちょっとアリア?」
再び剣へと姿を変えたクォルスフィアを構え、今まさに扉を一刀両断しようとしていたアルセリアは、アリアの中に異様な魔力が溜まるのを感じて動きを止めた。
周囲の霊素を急激に吸収しているのか、空気どころか建物まで震わせて、アリアの中に螺旋を描いて力が集まり、凝縮されていく。
その凝縮が限界に達したところで、アリアが咆哮した。
耳をつんざく轟音と振動に、残りの四人は慌てて耳を塞いで身構える。
壁に、柱に、天井に亀裂が走った。かと思った直後に、勢いよく崩壊する。
崩れ落ちてくる瓦礫を浴びながらも、得意げなアリア。
彼女は、力を込めた咆哮だけで建物を破壊してしまったのだ。
そして。
上から魔王が降って来た。
アルセリアは、「勇者にしか使えない特別な魔法」みたいなのは使えません。デイン的な。脳筋勇者ですので。




