第二百九十六話 中途半端なのが一番恥ずかしい。
怪傑エドニス。
それは、地上界の廉族たちの間で、大評判の芝居である。
初演は20年ほど前。
最初は無名の劇団の、発足初めての演目ということで注目度は大したことがなかった。
その時の観客動員数は、わずか30数名だったと記録されている。
しかし、それまで芝居と言えば堅苦しく説教臭い物語…大抵は教会が絡んでいて教訓めいた終わり方をする…がほとんどだった中で、そう言ったお行儀の良さを排し純粋な娯楽を目指したその作品は、次第に人々の話題に上り、あれよあれよという間に連日満員御礼、一年後には再演が決まり、以降二十年にわたってのロング・ランとなった。
物語は明解。勧善懲悪の筋書きの中に、笑いあり涙あり人情あり。
主人公である義賊エドニスと、エドニスを取り巻く仲間やライバルとの丁々発止の掛け合いは、演じる役者によって様々にアドリブが施され、多くの名優がそこから巣立つことになったと言う。
……で、何故かは知らないが、俺たちはその「怪傑エドニス」になりきる…らしい。
義賊ってところだけを参考にさせてもらえればいいはずなのに、みんなしてすっかり乗り気になってしまっている。
「それじゃあ、決行は今夜ってことでいいんだな?」
「はい。今夜は休息日なので、鉱山からも人がいなくなります。丁度いいタイミングかと」
勢いで決まったことなので若干の心配を抱えつつ、俺は念押しする。
イライアスの屋敷に来て三日が経った。それまでの間は、諸々の準備と打ち合わせ。何故かサンダース大尉役を指名されたイライアスまで、結構ノリノリだったりする。
「ところでリュートさん、サンダース大尉とエドニスの一騎打ちのシーンはどうしましょう?」
「……いや、そこまで再現する必要ないのでは?」
「そうですか……?少し残念です」
言葉どおり残念そうなサンダース大尉…もといイライアス。この分なら、しっかりサンダース大尉を演じ切ってくれそうだ。
……悪ノリが怖いけど。
で、一人で不貞腐れているのが、
「………ずるいです皆さま。あんまりです、酷いです」
留守番決定のマナファリアだった。
「何を仰っているのですか、姫巫女。貴女がヒロインを望んだんですからね」
「だって……こんなに出番がないなんて思わなかったのですもの……」
そう、「怪傑エドニス」にはヒロインが存在する。
役柄的には、エドニスの婚約者だ。
それを知ったマナファリアは、すぐさまその役に立候補した。
三人娘がそれに異を唱えないことを俺は不思議に思ったのだが、マナファリアはそれに気付かず自分で「私がヒロインを務めさせていただきますわ!」と宣言してしまった。
これは、三人娘の作戦勝ちだろう。
マナファリアが宣言した後で、ヒロインの役どころを説明したのだから。
「怪傑エドニス」のヒロイン、マリア=アッシェ。
エドニスの幼馴染の貴族のお嬢様であり、顔良し性格良し家柄良しの三拍子揃った、何処に出しても恥ずかしくないヒロインである。
が、そもそもマリア役というのが、お義理で出さざるを得なかった素人娘(なんかパトロンの娘とかそんな感じらしい)のために急遽用意されたもので、やることと言えば時々屋敷で祈りながらエドニスを待つだけ。台詞もほとんどない。「ああ、エドニスさま…どうかご無事で」の三単語さえ発することが出来ればそれでいい、というオマケヒロインなのだ。
結果、自分がヒロインをやると断言してしまったマナファリアは、イライアスの屋敷でお留守番となってしまったのである。
自分からやると言ってしまった以上、やっぱり嫌だとも言えず、しかし納得も出来ず、マナファリアはひたすらブツブツ言っている。
「……こんなのあんまりですわ。私だけ一人除け者なんて。きっと皆さま、私がいない間に楽しく過ごされるのでしょうね……私だってずっとリュートさまのお傍に侍ることを誓いましたのに……これでは只の端役ではありませんか……」
「そんなことありません、姫巫女!」
そのとき、アルセリアが力強く語り出した。
「愛する者の帰りを待つ、という行為がどれだけ崇高なものか、お分かりになりませんか?そして、愛する者が待っていてくれるからこそ、エドニスはどこまでも強くあれるのです!」
「私が待っているから、リュートさまは……?」
「そう!帰りを迎えてくれる人がいる、帰る場所があるということは、何にも代えがたい幸福。その温もりを再び感じるために、エドニスは死地から何度でも甦るんですから!!」
「私の温もりで、リュートさまが……!」
……ちょっとちょっと盛り上がってるところ悪いけど、何勝手に俺の帰るところがマナファリアの待つ家、みたいな流れにしてるのさ。
つーかアルセリア、旨い事言いくるめて姫巫女を置いていきたいだけだろーが。
マナファリアもマナファリアで、すっかり乗せられてその気になっている。
「私の祈りが、リュートさまを闇から救うのですね……!」
ほら、暴走が始まった。
祈りで魔王を救う姫巫女とかもう訳分かんないから。ツッコミどころが満載すぎてどうすればいいのか分かんないから。
「ええ、そうです。ですから姫巫女は、ここで彼のために祈っていてください!(ニヤリ)」
……女って、怖い。
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夜になり、いよいよ計画実行である。
である、の、だが……。
「なあ、ほんとにこれ付けなくちゃダメ?」
「当ったり前でしょ」
どこがどう当たり前なのか分からない。
だって、これ……仮面じゃん。
イヴリエールが付けてたみたいなバリバリの仮面じゃなくて、目の部分だけを覆う派手な眼鏡みたいなやつ。仮面舞踏会で貴族が付けてるような…と言えば伝わりやすいか。
「エドニスは義賊として活動するとき、いつもこれを付けるのよ。正体がバレたら大変でしょ?」
さも当然と言わんばかりのアルセリアだが、これただの演出上の小道具だろ。
こんなんじゃ顔全然隠れないし。知ってる人に見られたらすぐに正体バレるし。
しかし俺以外の全員は、既にノリノリで仮面を装着している。
なんかもう、大道芸人の集まりみたいに思えて来た。
俺一人抵抗していても虚しいだけなので、諦念と共に仮面を付けてみる。
余計に虚しい気持ちになったことは、彼女らには言わないでおこう。
「じゃ、行ってきます。後のことは打ち合わせどおりに」
「はい、お気を付けて、皆さん」
イライアスとグラナティスに見送られて、俺たちは山査子邸を後にした。
暗がりに紛れて、ブラウリオの屋敷へと向かう。
二時間ほど進んだところで、一際大きな屋敷が視界に飛び込んできた。
屋敷と言うか、城に近い。この豪勢な建物も、領民から搾取した富で築いたのか。
「…で、どこから侵入する?」
「正々堂々、正面玄関からに決まってるでしょ」
「……あ、さいですか」
想像どおりの答えがアルセリアから返ってきて、俺は奇妙な安堵と脱力を感じる。
なんつーか、ブレないよなーこの勇者。
「エドニスは、こそこそとしたりしないの。いつでも堂々としてんのよ。ふてぶてしいのはアンタの専売特許なんだから、そこんとこ上手くやりなさいよね」
「…専売特許て」
しかもふてぶてしいとか言われた。よりにもよって、アルセリアに。魔王の面前でもふてぶてしさを隠さなかった勇者に。なんか納得いかない。
納得いかないが……ここまで来たら、腹を括るしかないか。中途半端なのが、一番恥ずかしいからな。
屋敷の門の手前で、俺は一度振り返って全員の顔を見る。
全員、これからすることの重要性を分かっているのかいないのか、ただ心躍らせていることだけは確かだ。
「よっしゃ。それじゃいくぞお前ら」
「違いますよ、リュートさん。エドニスはお前だなんて言いません。義賊と言っても貴族ですからね」
……ビビにダメ出しされた。
「え…と、それじゃ……行くぞ、君たち。……で、いいの?」
「そうですね、そんな感じです。どこか洒脱な上流階級の空気を醸し出してくださいね」
……難しい注文まで来た。
なんとなく、この作戦の成否は、俺がどれだけ恥を捨てきれるかに懸かっているような気がした。
姫巫女お留守番です。なんかこの人いたらパワーバランスが崩れそうなので。




