第二百九十話 前提条件が違うと最初から話にならない。
俺は、建物の外で待っていた。
場所は、以前にグリューファスが出て来た裏口である。
奴は、俺をここに呼び出したことを誰にも告げていないようだった。であれば、このまま他の連中に知られないままの方が、色々と都合が良かったりする。
例えば、万が一…そう、万が一奴と俺とが敵対するような事態になった場合…とか。
そう思って、俺もまたここの連中には何も話さず、裏口で待っていた。
奴が現れたのは、日もすっかり暮れた頃。
暗闇に紛れるようにして、亡霊のように姿を見せた。
「こんばんは、風天使サマ」
「待たせたようだな」
グリューファスは俺の挨拶にそう答えると、何の断りもなしに狭隙結界を敷いた。
一瞬にして俺と奴とは空間の隙間に移動する。
俺がまるで驚く様子を見せないことが、グリューファスの警戒をさらに強めたようだった。多分、もう一段階か二段階で、奴の警戒は敵意へと昇華するだろう。
「単刀直入に聞く。貴様は何者だ?」
前振りも何もなしの、文字通りの単刀直入。だが勿論、この質問は真っ先に来るだろうと予想していた。
そして、どう答えるかも既に決めていた。
「詳細は話せない。けど、俺は魔界の意志でここに来た」
「…………………!」
グリューファスも、予想はしていたのだろう。しかし、俺があまりに素直に白状するものだから、逆にそれが疑わしく思えてきたようだ。
本来ならば、天使族にとって魔族は須らく滅ぼすべき敵。俺は自分が魔族だとは一言も言ってないけど、こう言えばそうだと思われるのは当然だ。
それなのに、グリューファスは俺に襲い掛かってはこない。
俺の態度に、何か裏があるのかも…と新たな警戒を生じたのだ。
「ならば、その目的はなんだ?」
「その前に、はっきりさせておきたいことがある」
俺は、グリューファスの質問に答える前に重要事項を説明することにした。この前提がなければ、奴は間違いなく俺と敵だと判断し、俺は奴を滅ぼさざるを得なくなる。
「まず、第一に。魔界には、天界とも地上界とも積極的に争う意志はない」
「なんだと?しかし、魔王は……」
「魔王の意志だってことだよ。そもそも、先に地上界にちょっかいかけたのは、天界だろ?」
サン・エイルヴの件は、四皇天使であるグリューファスならば当然知っているはず。
現に、俺の言葉に奴は反論出来ないようだった。
「勿論、天界が宣戦布告してくるようなら、その限りじゃない。けど、余計な真似をしなければ、天地大戦は避けられる。……ここまではいいか?」
「…………先を聞こう」
流石は四皇天使。色々と納得出来ないだろうが、まずはそれを飲み込んで先を促す。
「問題は、天界の地上界に対する干渉だ。……魔王が、地上界を気に入ってるって話は知ってるか?」
「アレが、廉族の娘らに執心しているという件ならば知っている」
………なんかニュアンスが気に喰わない。気に喰わないが、今はそういうことにしておこう。
「まあ、その娘らだけじゃないんだけど……そんな中、天界は魔界との戦に備えて幻獣べへモスの召喚を決めた」
「それが、魔王の逆鱗に触れたということか」
普通は、そう考えるだろう。それは正しく、宣戦布告に他ならないのだから。
けれど。
「正確に言えば、そうじゃない。べへモスが五十体いようが百体いようが、魔王の前じゃペットの仔猫以下だ」
「まさか。如何に魔王と言えど、高位幻獣の大群を前に……」
「事実だよ。けどまあ、それは信じても信じなくてもいい。問題は、そのために天界が地上界に贄を求めたってことだ」
勿論、神託の勇者を殺そうとしたことに関しては激オコである。怒髪天である。が、そこは半分以上解決済みなので不問としよう。
「理解出来ぬな。贄と言っても、地上界の廉族のことだ。魔王に何の関係がある?」
「だから、地上界が気に入ってるって言ったろ?数千の犠牲を…だなんて内容に、魔王は不快感を示している」
俺の説明に、グリューファスは未だ納得出来ていないようだった。
無理もない、魔王が地上界に心を砕くなんてこと、彼らの常識からしたらありえないのだから。
「不快感だと?どういうことだ、まるで魔王が地上界の民を思っているかのようでは」
「だからそういうことだよ。気に入ってるの。平穏に過ごさせてやりたいって思ってんの。情が移ったわけ。……分かるか?」
さて、分かるだろうか。彼らとて、情愛は理解している。
二千年前は天使族の表面的な部分しか知らなかったから、彼らはただ無機的に秩序だけを追い求める装置のようなものだと思っていたが、少なくとも現代において、家族や恋人を想う心は彼らの中に間違いなく存在する。
目の前の男は情とは無縁のような顔をしているが、そうとは限らないだろう。
あのエヴァレイドだって、イデを可愛がっていたようだったのだから。
「そのようなこと……到底、信じられぬ」
「まあいいから、ひとまずは信じてみてくれ。で、想像してくれ」
最初から頭ごなしに否定されたのでは、話が進まない。俺はグリューファスがグダグダ言い出す前に続ける。
「魔王は、地上界を気に入っている。以前ほどには、天界に対しても敵意を持っていない」
正確には、創世神亡き今、天界なんてどうでもいいだけの話だったんだけど。
それでも今は、天界にも死んでほしくない奴が沢山いる。
「だから、天界から動かない限りは、戦は起こらない。けど、地上界の犠牲なんてのも、認められない。魔王は、このまま世界が穏やかに続いていくことを望んでいる」
ここで俺は一休止入れて、グリューファスの反応を見る。
彼は、俺の言葉を頭の中で反芻して、咀嚼しているようだった。
どうやら少しはこちらの言うことを聞いてくれる気になったみたいなので、先を続けよう。
「魔王は、かつてとは違う。見違えるほどに甘くなった…という臣下もいるくらいだ。だから、天界が魔界や地上界を害さない限りは、安全と言える。だけど……今のままでは、戦は回避出来ない」
「……地上界の、贄のことか…?」
「そのとおり。このまま天界が地上界に贄を求めれば、間違いなく魔王は動くだろう。だから、平和を続けるためにもべへモス召喚は阻止しなくちゃならない」
それが、世界にとっては最善のはずなのだ。振り上げた拳を下ろす勇気さえあれば、誰も傷つかなくて済む。
しかし、問題は……
「貴様の言いたいことは分かった。しかし、べへモス召喚は既に決定された事案だ」
問題は、天使族の頭の固さと、
「それに、魔王を滅ぼすことが我らの大義だ。それが叶うのであれば、地上界の犠牲も戦も、厭うものではない」
認識の甘さだ。
こいつらは、半分以上本気で、天界が総力を挙げれば魔界を…魔王を滅ぼせると思っている。
天地大戦を経験していないために仕方のないことかもしれないが、要するに魔王のことを思いっきり見くびっているわけだ。
が、創世神の加護を失い、権能も持たない四皇天使に率いられた天使族の軍勢と、魔王の加護が健在で天地大戦を戦い抜いた武王(一部例外あり)を擁する魔界軍とでは、どう甘く見積もってもまともな戦争になり得ない。
第一、仮に拮抗したとしても、魔王はどうするつもりなんだ?
尖兵は尖兵同士、四皇天使は武王とぶつかり、それでも対等どころの話ではないのだけれども、まるまる俺の身が空くことになるんだぞ。
ほーら、どう考えても勝ち目があるはずないじゃん。
けれども、それをこいつらに理解させるのは困難だ。彼らは、魔族の力も魔王の力も知らない。過去に創世神が魔王に勝利したからと、今回も自分たちが勝利すると思い込んでいる。
二千年前の記録が詳細に残されていれば話は別だったかもしれない。が、勝利した彼らは自分たちに都合の良いように史記を編纂し、後世はそれを真実だと信じ込んだ。
天使族からしても、二千年という時間はあまりにも長すぎたのだ。
さて、どう説得しようか。
「じゃあ、逆に聞くけど、アンタは地上界の人々に犠牲を強いることをどう思うわけ?」
「……痛ましいことだとは思っている。だが、強大な邪悪を滅ぼすために必要な犠牲であれば、致し方あるまい」
……そうきたか。
「でもさ、べへモスを召喚せずに、地上界にも犠牲を出させずにしてれば、今までどおりの平和が続くんだぜ?けど、べへモス召喚を強行すれば、間違いなく戦は起こる。戦が起こったら、天界だって無傷じゃいられない」
「それもまた、必要な犠牲だ」
……くそ、分からず屋め。
「なあ、アンタはレジスタンスを率いてるんだよな?それって、中央殿の非人道的で身勝手な遣り方が気に入らないからなんだよな?」
「…そうだ。公正と博愛を忘れ私利私欲に走る者に、天界を統べる資格はない」
やはり、その点ではこいつは良識を持っている。なのに、
「だったら、意味なく戦争を引き起こして多くの命が失われるよりも、何事もなく平穏にいった方がいいってことくらい、分かるだろ?」
「それとこれとは、問題の次元が違う。邪悪なる王を滅ぼすことは、何よりも優先されるべきこと。我らの使命であり、存在意義だ」
魔王のこととなると、途端に石頭になりやがる。
駄目だ、平行線だこれ。
魔王に戦争の意志がない以上、このまま平和を保ったほうがいいじゃないか、という俺に対し、こいつらは何が何でも魔王と魔族を滅ぼさなくちゃ、というスタンスなのだ。
犠牲を厭う気持ちはある。だが、その気持ち以上に、使命感が勝っている。
沢山死ぬんだから戦争なんてやめようよ、と言ったところで、敵ボスを斃せるならどれだけ死んでも構わないよ、と返されてしまっては、打つ手がない。
「魔王を滅ぼせるのであれば、我らも地上界の民も、喜んでその身を捧げるだろう。…いや、そうすべきなのだ」
……ほら。こいつ自身も言ってる。
いやはや、これは万策尽きたかな。
こいつが分からず屋っていうだけじゃなくて、多分天界の共通認識がこうなんだ。
どれだけ言葉を尽くしても、魔王より平和の方が優先だと考えを改めさせることは出来ないだろう。そんなことが出来るのは、それこそ創世神くらいなものだ。
……あ、いや…待てよ。
魔王を滅ぼせるなら、犠牲は厭わない……か。
前提条件………魔王を、滅ぼせるなら。
……だったら、その前提条件が崩れればどうだ?
魔王は滅ぼせずに、犠牲だけが積み上げられる。
それは、最悪のシナリオだ。それが流石に無駄死にでしかないということは、どんな石頭にでも分かるだろう。
よし、それなら実行に移すとしようか。
これもまた最善とは言い難いけれども…なにしろこの後の展開が面倒臭い…それでも最悪手ではない。
「…アンタらの主張は分かった。結局、どんな犠牲を払ってでも魔王を滅ぼせれば構わないんだな?」
「左様。それは尊い犠牲だ」
「じゃあさ、どれだけ犠牲を払っても魔王を滅ぼせなかったら、どうするんだよ?」
「………なんだと?」
グリューファスの声に、僅かだが怒りが混じった。
奴は、俺が天使族を侮っていると感じたのだろう(いや、それは事実だけど…)。
「魔族の尖兵ごときが、己惚れるな。神の祝福を受けた我ら天使族の力は…」
「だったら、俺を殺してみろよ」
「……………ほう?」
俺の挑発に、グリューファスはその瞳に嘲りを含ませた。
「己惚れるな…と言ったはずだが」
「いいから、やってみろって。…アンタが俺を殺せれば、確かに魔王も滅ぼせるだろうさ」
つーか、奴が俺を殺せれば天界的には一件落着ハッピーエンドなわけである。
が、俺はそんな愚かなお人好しではない。
「…面白い。分を弁えぬ下等生物が、己の言葉を後悔するがいい。どのみち、魔族を生かしておくつもりはなかったがな」
瞬間、グリューファスの周囲の霊力が膨れ上がった。
密度も純度も、最高レベルである。流石は四皇天使だ。
おそらく、手加減するつもりはないだろう。そしてそれはこちらとしても望むところだ。
全力でぶつかってきた奴を、圧倒的な力で真向からねじ伏せる。
そうでもしなければ、この石頭をカチ割ることは出来ないだろう。
さて、それではお灸タイムといきますか。
俺もまた、静かに“星霊核”との同調を開始した。
なんだかんだ言って喧嘩っ早い魔王サマです。




