第二百八十九話 呼び出しって用件に関わらず物凄く緊張するのはなんでだろう。
思いもよらない新たな問題に気付いてしまった翌日。
その日も俺は、シグルキアスに引っ付いて中央殿へ。
今日は、月照石の産地についてもう少し詳しく調べてみよう。
魔導技術というよりは地理的なことなので、第二書庫に参考文献がありそうだ。
「ええと、リュートさん…今日は……」
「第二書庫行ってきまーす」
「え、あ……はいどうぞ」
シグルキアスはいけ好かない男ではあるが、物分かりが良くて実に助かる。
誰とは言わないが他の面々…ゆの付く職業の人とかその周囲とか…を相手にしているときよりも、何倍も気が楽だったり。
さてさて、今日はいい情報見つかるかな?魔導関連の専門図書ばっかりな第四書庫と違って、第二書庫は一般的な書物が中心みたいだから、昨日よりも調べやすいことは確かだろう。
あとは……昨日の娘っ子に捕まらないことを願おう……
と思ってたら。
向かい側から、誰かが歩いて来た。背格好からして、セレニエレではない。だが、その存在値も霊力も、まったく引けを取っていない。
…あれは……見覚えがある。四皇天使の一人、風天使グリューファス。
昨日話題に上ったばかりの高位天使が、俺の目の前に。これは、お誂え向きってやつじゃなかろうか。
グリューファスの方も、不躾に自分を見つめる俺に気付いた。
中央殿に廉族がいること自体珍しいが、最高権力者である彼に礼を示さない者はもっと珍しい。
だから俺は、奴がそれを怪訝に思う前に、こちらから挨拶してやった。
「こないだはどーも、風天使サマ」
「………………汝は、あのときの…」
瞬時に、警戒を見せるグリューファス。
自分の正体を看破した相手と中央殿で鉢合わせるとは思いもよらなかったのだろう。
彼からしてみれば、俺は起爆信管そのままの不発弾みたいなもの。いつ何処で何を巻き添えにして爆発するか知れたもんじゃない。
同じ“黎明の楔”側にいるという点では敵ではないのだけれども、どうやら非常に慎重らしいこの御仁が俺を警戒するのも無理からぬ話だ。
「…汝が何故中央殿に……」
「あー、まあ、色々と動き出す頃合いかなーって思いましてね」
嘯く俺に、彼は警戒をさらに強めた。だが、場所が場所なのでそれ以上は何も言わず、無関心を装って俺の横を通り過ぎた。
ただし、
「……今夜、トルテノで」
すれ違いざまに、俺にだけ聞こえるくらいの小さな小さな声で、そう告げていった。
そのまま知らん顔で、歩み去って行く。
俺もまた、彼の姿を目で追うこともせず素知らぬフリで先へ進む。
とりあえず、グリューファスとエルネストの対決は避けられそうだ。ちょっと一安心。
いくら権能持ちとは言え、戦闘要員ではないエルネストでは四皇天使であるグリューファスに対し分が悪い。
と言うか何より、その両者がぶつかったら大騒ぎになること必至である。
今夜の逢引でどう説明したものか少し悩むが、ひとまずは月照石の調査に集中出来そうだ。
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「ところでリュートさん、今晩あたり、アルシーを夕食に誘いた」
「すいまっせん旦那さま。今日はちょっと無理。つか、今日も無理。で、俺これから出かけてきますんで」
「え、え?…あ……はい、いってらっしゃい」
夕方にシグルキアスの屋敷へ帰ってきて、ソワソワしながらアルセリアを招きたいシグルキアスの要望を突っぱねて、俺は急いでトルテノ・タウンへ向かう。
出来れば、グリューファスが向こうへ行く前に到着しておきたかった。
「私たちも一緒にいて大丈夫ですか?」
ビビが尋ねるが、ここに置いていく理由もない。グリューファスとはサシで話すつもりでいるが、それでも近くに関係者は集めておいた方がいいような気がした。
少なくとも、情報の共有化は計っておきたい。
「ベアトリクスさまはここにいらしてもよろしいのですよ?」
…マナファリアの奴、まーた要らん挑発を……そう言われて大人しく従うビビじゃないだろうが。
案の定、ビビも強気な笑みでそれを迎え撃つ。
「あら、私はただリュートさんのお邪魔にならないかな、と思っただけですよ。彼には彼なりの考えがあるでしょうから、その妨げになることは本意ではありませんので。私は気の回らない女ですが、そのくらいの配慮はあるのですよ?」
遠回しに気が回らないとディスられたマナファリアだが、気を回すだとか配慮するだとかの対人スキルとは無縁で生きてきた彼女に、その意味はおそらく理解出来ていない。出来ていないが、自分がディスられたという事実だけはきっちり察している。
「まあまあ、そうだったのですね。私はいつでもリュートさまのお傍に付き従うと決めていますので、そのような些事に迷うことはございませんが」
ちょっと待ちなさいマナファリア。いつでも付き従うって、なんで勝手に決めてんの。いい加減自分の立場を考え…もとい、思い出しなさい姫巫女。
「気が回る回らないは置いておきまして、私はご一緒しても大丈夫なのでしょうか、陛下?」
魔族の正体をグリューファスに勘ぐられているエルネストは、流石に心配している。が、疑われている以上はどこにいても同じだろう。彼と俺が繋がっているということは既に知られているわけだし。
「問題ない。下手なこと言わずに大人しくしてれば、後は俺が何とでもするから、お前は何も心配しなくていい」
「……陛下…………」
珍しく感激してるっぽいエルネストなのだが。
「…陛下が魔王っぽいことを仰られるなんて………」
「え、いや、俺いつもちゃんと魔王してるよね?」
やっぱり俺を茶化すことを忘れないのだった。
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トルテノ・タウンに向かう際、こっそり“門”を使ってしまった。
天界では思う程好き勝手出来ない俺ではあるが、その程度なら朝飯前。実際に動く神力も大したことないので、まあバレる心配もないだろう…多分。
馬車でも小一時間で着くような距離なので大げさかと思ったのだけど、出来るだけグリューファスよりも早く着いておきたかったってのがある。
「あれ、リュートさん…それに皆さんも、どうしたんですか?」
前連絡もなしにいきなり訪れた俺たちに、イアンが少し驚いていた。
「ああ、うん。ちょっとこっちにいる面子に用がありまして」
その様子からすると、イアン始めここの連中は、グリューファスが俺を呼び出したことを知らないのだろう。であるならばこちらもあまり吹聴しない方がいい。
「え、何よあんたら、ぞろぞろと雁首揃えて」
アルセリアも俺たちの訪問に驚いて勇者らしからぬ言葉遣いを露呈する。
「…ってお前、勇者が雁首揃えてとか言っちゃ駄目だろ」
「何よ、私の言葉遣いに他人がケチ付けるんじゃないわよ」
「…………。…………………?」
あれ…?俺が間違ってる…?
「まあまあ、リュートさん。アルシーは対魔王戦でもこうだったんですから。今さら変わりませんよ」
俺へのフォローかアルセリアへのフォローか、ビビがやや呆れたように突っ込んだ。
「あー、そう言やそうだったな。考えてみたら随分と豪胆だったよな」
「それだけがアルシーの長所ですから」
「ちょっとアンタら聞き捨てならない!」
わちゃわちゃやりながら廊下を歩いていると、ヒルダが俺の足元に引っ付いて来た。見ると、キアとアリアも合流している。
どうやら、グリューファスはまだ来てないみたいだし、今のうちに。
「よし、お前ら。ちょこっとミーティングな」
俺たち用に与えられている部屋に全員を集め、エルネストが防諜系術式(種類は知らない。けど隠蔽効果も付与してるようだ)を発動させるのを待って、俺は皆に告げる。
「今日、中央殿で、ここのボス…風天使グリューファスから接触があった」
「風天使って……四皇天使とかいう天界のトップ……じゃなかったっけ?」
キアの質問に、俺は頷いて続ける。
「そう。天界を牛耳る四人の最高位天使が、四皇天使。その一人が、実はレジスタンス活動を首謀していたりするわけだ」
「え、そんなことあるわけ?マジで!?」
アルセリアたちにはまだ話していないことだったので、驚くのも無理はないか。
確かに、敵のボスが実は味方のボスでした…ってのは吃驚だよね。その逆は案外ある話なんだけど。
「まあ、天界にも色々あるみたいだな。…で、問題はその風天使は俺たち…つーか俺のことを思いっきり警戒してくれちゃってんのよ」
「………あ、うん、それは分かるかも」
……そこだけ物分かり良くならないでよ勇者さま。
「……ま、まあ、ものすっごく慎重で警戒心の強い奴みたいだからな。エルネストの正体も怪しんでたらしいし」
「ただでさえ怪しいもんね」
「……酷いですキア殿」
仲良しのキアにズバリと言われてエルネストがしょげている。が、まあ、こいつが怪しい…と言うか胡散臭いことは俺も認めよう。
「で、今日ここに呼び出しを受けた」
「…………!……それ、大丈夫なんでしょうね?」
アルセリアが心配してるのって、俺のことなのか風天使のことなのか自分たちのことなのか、どれなんだろう。
「お兄ちゃん、怒られる…?」
ヒルダは純粋に俺の心配をしてくれてるのに。かわいーなぁ、もう。
「なるほど、貴様を見極めるつもりだということか」
「あらあら、天使ふぜいがリュートさまを見極めるだなんて、なんて不遜な」
アリアの見立ては正しいと思う。が、マナファリアの台詞が完全に武王になっちゃってる。
…天使ふぜいって、君が言っちゃマズいでしょ…。
味方にさえ正体を秘している組織のボスが、警戒する相手を呼び出す。しかもその相手ってのが実は魔王。そのこと自体は知られていないが、魔族っぽい(と疑わている)奴と関わり合いもある。
それらの状況を勘案すると、あまり悠長に構えていられない事態かもしれない。こいつらも、そのことくらいは分かるのだろう。なんとなく空気が落ち着かなくざわついてきた。
「はいはい、静粛に。相手とは俺一人で会ってくるけど、その間お前らにはここで大人しくしててもらいたいんだ」
「一人で…って、本当に大丈夫なんでしょうね?」
……その表情を見るに、アルセリアが心配しているのはどうも俺ではなさそうだ。
お前また暴れる気じゃないだろーな…って目が語ってる。
「少しは信用しろって。相手も馬鹿じゃないし、最終的な優位はこっちにあるんだからな」
本当にその気になれば、俺が風天使を怖れる必要は微塵もない。立場とかこれまでの経緯とか努力とかが全部水の泡になってしまうのはイヤだが、それを覚悟すればどうとでもなる話なのだ。
「……優位?アンタが?…なんで?相手は最高位天使なんでしょ?」
………他意なく首を傾げるアルセリアの純粋さが痛い。
こいつ、俺が魔王だってこと忘れてるんじゃないだろうか。
……いや、違うな。忘れてるんじゃない。
ただ、アテにならない魔王だと思われているだけだった。




