第二百八十七話 理解出来ない難解な本には催眠効果が付与されていると思う。
書類仕事は苦手だ。
苦手だから、側近に押し付けるのである。
が、ここにギーヴレイはいない。
……自分一人で頑張るしかない。
第四書庫の、召喚術式所蔵区画。
とりあえずそれらしい書物を片っ端から手に取って見てみた。
…そして今さらながら気付く、重要にして重大な事実。
……術式理論なんて、知らないんですけど…………。
最初は、べへモス召喚の起動式を調べてみようと思ったのだ。別に召喚自体に興味はないが、知っているのと知らないのとでは理解に差が出ると思ったから。
で、召喚術の起動式が収められた本を見つけたから読んでみたわけだ。
読んでみて、何一つ理解出来なかったわけだ。
考えてみれば、俺は魔導を使ったりはするが、それは見たことのあるものを再現しているに過ぎない。
理屈を理解して、一から式を構築して理に触れ、術を発動させているのではなく、似たような効果を発生させるように理に直接働きかけているだけで。
言うなれば、俺の使う【天破来戟】は、本当は【天破来戟】ではなくて、それと酷似した現象を生み出す全くの別物…なのである。
しちめんどくさい手順を踏まなくてもそれが可能だったため、俺は今まで魔導式だとかに気を払ったことがない。で、今までは確かにそれで問題なかったわけだけど……
いざ式を見たときに、なーーんにも分からないのである。
数学で言えば、カンニングばっかりしてる奴に自力で応用問題を解けと言っているようなもので。
仕方ないので、術式理解は放棄した。諦めた。
となると、術式以外の点から調べるしかない。
そもそも召喚術は、魔術や神法に比べると難易度が高く、手順も煩雑である。自分とは異なる存在を自分の意のままに使役するので当然と言えば当然なのだが、さらにその中でも幻獣召喚は最も難易度が高い部類に入る。
精霊を召喚し、依り代に憑依させる。これだけ見れば簡単なようだが、最初に精霊を召喚するだけでもかなり高難度の詠唱や儀式を要する。
ただ精霊を召喚して使役するのではなく、憑依に耐えうる存在値を持った高位精霊でなくてはならないからだ。
そして召喚しても、依り代という異なる存在と同化させるためには触媒も必要になるし、二つの存在を近付けていく最適化も欠かせない。
そしてそのプロセスの中で、術者に従うように条件付けも同時並行で行われる。
……とまあ、非常に面倒臭くて手間がかかるわけだ、幻獣召喚。
それでも天使族がそれを好むのは、精霊と違って一度召喚すれば破壊されない限り半永久的に稼働させられるから。
きちんとした手順で召喚したものであれば、その後もメンテナンスフリーだし。
最初は面倒だけど、一度成功してしまえば後が楽チン。軍隊と違って兵站を必要とすることもなく、そういう意味ではコスパも良い。
因みにべへモスの場合、やたらと大食漢で必要とするエネルギーが膨大なため、大量の餌…すなわち贄が必要となるわけだけど、天使族はそれに廉族を用いることで、自分たちの損害を限りなくゼロに近付けているのだ。
……昔っから、美味しいとこ取りだったんだよなー、天使族ってば。
なので、実を言うとべへモス召喚を阻止したければ、贄を入手できないようにするのが一番手っ取り早い。の、だが、今回は生贄の提出を拒んでしまうと地上界に攻め込まれてしまうので、それは却下。
となると、次に打つ手は……
触媒か、召喚儀式用設備の破壊…ってところか。
天使たちは、どこで召喚儀式を行うつもりなんだろう?べへモス五十体とか言ってたから、結構大きな陣を敷くと思うんだけど……。
万が一のこと(失敗とか暴走とか)もあるから、中央都市であるロセイール近郊ということはないはず。
多分、どこか辺境の住民が少ないところ。
召喚用祭壇となれば普通の建築物とは違うわけだから、そこから調べられないかな。
技術者とか、特殊建材とか、人と物の流れとか。
あとは、触媒。何を使うのか分かれば、それを入手できなくしてしまえばいい。もし既に用意されているのであれば、全部奪ってしまうとか。
……どのみち、もう少し書物と格闘しなければならないわけか。ちょっとげんなり。
けど、地上界の命運(と天地大戦の阻止)が懸かってるわけだから、こんなところで泣き言は言っていられないよな。
………ここにギーヴレイがいてくれたら俺の三倍くらいのスピードで解決してくれるんだろうけど……
いない奴を当てにすることは出来ない。それに、あいつも召喚術は門外漢なわけだから、なんでもかんでも頼るのは間違ってるよな。
よし、もう少し粘ってみますか。
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「ただいま戻りましたー」
夕方、俺はシグルキアスの執務室へ帰還。一応、彼が求めていた資料も小脇に抱えてある。
「お…お帰りなさい……遅かったでいえ何でもありませんすみません」
相変わらずビクついているシグルキアスの前に資料を置くと、一つ質問。
「ところでご主人さまよ、あんた「月照石」って知ってます?」
「え、あ…知ってますが……それが何か?」
月照石。書庫に籠って書物を読み漁り得た知識の一つ。
それは、幻獣召喚の際、精霊と依り代との融合に用いられる触媒である。
「いやー、何処で採れるのかなーって思って」
「………え!?」
シグルキアスの表情が強張った。
「そ、それを聞いてどうするんですか?まさか…幻獣召喚なんてするつもりじゃないですよね!?」
……しまった、もう少し遠回しに聞くべきだったか。
興味があるのは召喚じゃなくて召喚阻止方法なんだけど、どのみち彼にしてみれば聞き捨てならない台詞だろうな。
「いやいや、そうじゃなくて。えーとですね、そうそう、地上界には魔王を崇拝する邪教団があるんですけど」
そのとき思い出したのは“魔王崇拝者”のこと。そう言えばあいつらべへモス召喚を目論んでいたじゃないか。
…かなり不完全な召喚ではあったけど。
「えええええ!?魔王を?崇拝??」
魔族以外で魔王を崇拝する者がいるなんて、天使族であるシグルキアスには信じられないことなのだろう。彼の驚愕と困惑が一層増した。
「そうなんスよ。まあほとんど犯罪者集団だったんですけどね」
「なんと……!創世神のお導きにより繁栄を許された身でありながら、邪悪の化身たる魔王を崇めるなどと……万死に値する!……です!」
まさか目の前にその邪悪の化身がいるとは思いもよらず、珍しく激昂するシグルキアス。やはりこの世代でも、魔王は天使族の憎悪の対象なわけだ。
「で、その邪教団が以前、べへモス召喚を目論みましてね」
「えぇっ!?本当ですか?廉族が……幻獣を!?しかも、よりによってべへモスだなんて…」
「そうそう。それで、べへモス召喚なんてそんな簡単に出来るものなのかなーって思って」
「ああ、なるほど……そういうことですか」
適当な理由をでっち上げたのだが、シグルキアスは納得してくれたようだ。
「…しかし、考えにくいですね……その廉族たちは、どうやって融合を安定化させたんでしょうか?月照石は、天界にしかないはずなんですけど……」
それは初耳だが、今思えば“魔王崇拝者”の連中、安定なんて二の次だったんじゃないかな。あの場にあったべへモスは、完成体というにはお粗末な出来だったし。
「天界ならそこいらにある?」
「いいえ、月照石は稀少なものなので、産出する鉱山も限られています。しかもべへモスなんて高位体の召喚に仕える品質のものとなると……中央大陸の南西部にとても高品質の月照石を産出する鉱山がありますが、そこくらいじゃないでしょうか……」
……南西部、ね。なるほど。
「埋蔵量は多かったり?その、地上界に流通しちゃうくらいあったりするんスか?」
「いえいえ、とんでもない。天界内ですら、入手は困難ですよ。というかそもそも、採掘も流通も厳正に管理されてますから、他時空界に流れるなんてことはまずありえません」
……ふーん。稀少品なんだね。てことは、それが採れなくなったら困っちゃうわけだよね。召喚儀式が行えないわけだよね。
……いいじゃないか、それ。
例えば、原因不明の自然災害で月照石鉱山が甚大な被害を受けたりなんかしたら、べへモスなんて召喚出来なくなるってことだよね。
……南西部、か。もう少し、詳しく調べてみるとしよう。




