第二百八十六話 目下だと思っていた相手が実は目上だったと気付いたときの冷や汗は半端ない。
「あーー、面白かった!次は何して遊ぼっか」
ご機嫌な少女。腑に落ちない俺。
……なんでこうなった??
ひとしきりかくれんぼで遊び、ご満悦の少女は次の遊びへと俺を誘う。
すっかり付き合わされた俺は、断るタイミングを完全に逸していた。
……って、駄目だ駄目だ。逸してどうするよ。俺はここに遊びに来たわけでもないし、それほど時間が余りまくっているわけでもないし、何よりここは子供の遊び場ではないし、さらに何より俺はかくれんぼをして遊ぶようなお子様ではない。
「そうだ、次はおままごとやろうよ、ね?あたしがおかあさんやるから、おにーさんは…」
……いやいや少女よ、おにーさんは架空の家族で一家の大黒柱を演じてる場合ではないのだよ、ここは申し訳ないが…
「おにーさんはポチね!」
……ペットかーーい。
「あのー、なんでそこでペットなんですか?普通、母親ときたら父親でしょ?百歩譲って子供。つーかアンタとペットしかいなかったら、一体誰のおかあさんなんだって話じゃないスか」
「あ……そか。……んーじゃ、ポチのおかあさん!」
……いやいやいやいや、ポチから離れようよ。
…………じゃなくて。
危ない危ない、ついつい本気でおままごとに付き合いそうになった。
どうにもこの少女、人を自分のペースに巻き込むのが抜群に上手い。
俺がチョロいわけじゃないからね、言っとくけど。
「すみません、そろそろ俺行きますね」
これ以上彼女のペースに呑まれる前に退散しよう。あまり遅すぎても、シグルキアスに不審に思われてしまう。
「えー、なんで?どこ行くの?ねぇねぇ」
ついさっきシグルキアスの用事で急いでいると言ったばかりなのに、聞いていなかったのか忘れてるのか気にしていないだけなのか、少女はしつこく纏わりついてくる。
「どこでもいいでしょう、ほら、いい加減帰らないとここの大人に叱られますよ」
さらに、至極まっとうなことを言った俺の言葉に、ケラケラと笑い出した。
どうも生意気なガキんちょである。
「やだ、うけるー。あたしが叱られる?そんなはずないじゃん」
「…………………………」
俺は大概、子供に甘いと思う。思うが、生意気なガキにはイラっと来る。
狭量な大人にはなりたくないので、グッと堪えはするのだが、おそらく表情に若干漏れ出ていたのだろう。
「……あれ?おにーさん怒ってる?怒ってる?」
「…………いえ別に」
俺が怒っていると思ったのならさっさと引き下がってくれればいいのに、揶揄するように少女はさらに俺の周りをグルグル回り出す。
「ねね、怒ってる?怒ってるんでしょ?怒ってるんだよね?」
「……………いえ別に」
「ほら、怒ってる。やっぱり怒ってる」
「……………いえ別に」
「わーい、おにーさん怒ってるぅ。怒ってる怒って…」
「やかましいわ!!」
ごちん。
拳骨が出た。
……俺は、狭量ではない。誰だって苛つくだろう?急いでいるのに話を聞かないガキがしつこく纏わりついてくるんだから、誰だって似たような感じになるはずだ。うん、きっとそうだ。
「あのなぁ、俺はヒマじゃないの!遊びたいなら外で一人で遊んでろ!!大人舐めてんじゃねーぞ!」
脳天に拳骨を食らった少女は、少しの間ぽかーんと呆けていた。こいつの我儘ぶりからすると、叱られるのも滅多にないことかもしれない。
……だからいけないんだよ。誉めて伸ばすのもいいけど、叱るときにはきちんと叱らないと、ロクな大人に育たないじゃないか。
「………おにーさん、怒った……?」
「怒った怒った。怒ったから、もうおうちに帰りなさい」
涙目で茫然と呟く少女に、僅かに罪悪感がよぎったりしなくもないが、ここで折れたらこっちの負けだ。
「………………………」
……お、泣くか?
しかし少女は泣かなかった。すぐさま表情が元の明るさを取り戻し…全然堪えてなかったようだ…笑顔を見せる。
そのとき。
「ああ、こんなところにいらしたのですか!!」
突然、慌てたような声が。
そして一人の青年が、パタパタと足早にこちらへ駆けてくる。
……なんだなんだ?俺、中央殿でそんなに丁寧に遇される覚えはないぞ?
………と思った瞬間。
「ごめんごめーん、このおにーさんに遊んでもらってたんだー」
返事をしたのは、少女だった。
「後生ですからいつの間にかいなくなるのはおやめ下さい、セレニエレ様。リュシオーン様にお叱りを受けるのはこの私なのですから」
心底困り果てたような声で少女に嘆願する青年。
……………今、なんつった?
「だーいじょうぶだって。リュシオーンはそんなことで怒らないよぉ」
「それは貴女様にだけですよ。我らの身にもなって下さい」
「…………はーい」
……………って、え?セレニエレ?セレニエレっつった?
今度は、俺が茫然とする番だった。
そして茫然とする俺に少女は悪戯っぽく微笑むと、
「それじゃーね、おにーさん。楽しかったよ。また遊んでねー」
……とか言いながら、お付きの天使を伴ってどこへやら去って行った。
…………………。
………………………セレニエレ…って、言ったよな…今?
セレニエレって言えば、火天使の名前…だよな?四皇天使の………
……………………。
あああああ!しまった!!
なんかエライ奴に思いっきり説教しちまった!!
……目を付けられたらどうしよう!!
いやいや、魔王としては怖るるに足らない相手かもだけど、今の俺はシグルキアスの秘書ってことになってるし、廉族ってことになってるし、穏便(?)に調査をしなきゃいけないんだし、ちょっと色々とヤバくない!?
だけど……あんまり気にしてる風じゃなかった…ような気も…しなくもなくもなく……
………………うーん……ここで悩んでいても仕方ないか。
次に会ったときに全力で謝り倒そう。
………そこ、情けない大人だとか言わないでくれ。
これは処世術の一つなのだ。戦略の一つなのだ。
そういうことに、しておいてくれ。
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突発的なアクシデント(?)に見舞われつつも、俺は目的の第四書庫に到着した。
入口の扉には、紋章型識別装置が嵌め込んであって、そこにあらかじめシグルキアスから強奪…お預かりしたウェイルード家の紋章をかざすと、鍵が開く。
かなりの面積にずらーっと並んだ書架。そこにびっしりと並べられた膨大な量の書物。高校時代の図書室とは訳が違う蔵書数だ。
…………これ、片っ端から調べるの……?
一応、分野別に分けられてはいる。俺が目指す幻獣召喚の術式資料は、召喚術の棚のはずだ。
しかし…………
書棚につけられた案内に従って該当の区画に行ってみて……
…………ざっと数百はあると思われる分厚い本の並びに、少しばかり愕然としてみたり。
ここから、べへモス召喚について書かれた資料を探すのか……。
長い戦いに、なりそうである。




