第二十七話 不穏の影
力なく横たわる、巨大な魔獣の死骸。
その前に佇む、三人の少女。
「やったな、お前ら。見事なもんだ」
予想外のパフォーマンスに感心して、俺は彼女らを誉めてやろうと声をかける。
いや、正直言うと、もっと苦戦すると思ってたんだよ。オロチ相手にも苦戦してたっていう話だし、ヒュドラにここまで楽勝モードだとは思わなかった。
てっきりてっきり、数時間の死闘をへて辛くも勝利する……てな展開になるんじゃなかろうかと……。
「いやー、お前らってやっぱり勇者一行なんだな。忘れるところだったわ」
軽口を叩きつつ、アルセリアの反撃を待っていたのだが……
「…………なんか、変」
そう呟いたアルセリアの表情には、釈然としないものが。
「変って…どうした?体に変調でも出たか!?」
やはり、全快したかのように見えてまだそうではなかったのかもしれない。こんなことなら、もっと静養させておくべきだったか……!
だが、慌てて顔を覗き込んだ俺から何故か赤面しつつ視線を逸らして、アルセリアは
「あ、違う違う。そうじゃなくて、その逆」
俺の懸念を否定した。
………って、逆?
「なんか、異様に体が軽いのよ。内側から力がどんどん湧いてくるって言うか……聖剣も、いつもは結構じゃじゃ馬なのに、すっごく言うことを聞いてくれたような気がする」
言いながらも首を傾げるアルセリアは、ヒルダにも問いかけた。
「ねぇヒルダ。【炎獄舞踏】って、あんな強力な術式だっけ……?」
首をぶんぶんぶんぶん、と横に振るヒルダ。
「……【炎獄舞踏】って、どっちかと言うと牽制用だよねぇ……」
こくこくこくこく、と頷くヒルダ。
「それにさ、この前は、結構ヒュドラの瘴気が強くて碌に動けなかったのに、今回はそんなことなかったよねぇ。……あれって、ビビの【聖守防壁】のせい?」
「……確かに【聖守防壁】は、「敵の攻撃から身を守る」効果を持つ法術ですけど……そんなことって、あるんでしょうか……?」
ベアトリクスまで、何が何だか、といった様子で首を傾げている。
「じゃあ、何か?お前らの力が、この短期間で飛躍的に上がったってことなのか?」
「んー……常識的に考えて、そんなことありえないはずなんだけど、そうじゃないと説明がつかないのよねー……」
確かに常識では、そうかもしれない。だが、こいつらは常識という言葉では片づけられない経験をしてきたじゃないか。
「思うんだけど、お前ら、「対魔王戦」で、レベルアップしたんじゃね?」
「え?どういうことよ?」
「いや、理屈とかは知らないけどさ、なんつーか、死線をくぐり抜けることによって尋常じゃない成長をみせるってことも、あるんじゃないかと思ってな。お前ら、“神託の勇者”なんだし」
誰でも死にかければ強くなる、というのであれば苦労はない。だが、そう、こいつらは創世神の意志を継ぐもの、“神託の勇者”なのだ。特別な加護を受けたこいつらなら、“魔王”と対峙し、その窮地を切り抜けることでさらなる高みに至る…ということだって、ありえるんじゃないか?
「そ…そういうものなの?」
「知らん。けど、理屈で説明出来ないなら、理屈で説明つかないことが起こったってことじゃないか」
アルセリアは、しばらく納得がいかない様子でぶつぶつ言っていたが、やがて
「ま、いっか。弱くなったってわけじゃないんだし。よく分からないけどラッキーって思っとけばいいよね」
吹っ切れたように、明るく笑うのだった。
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「ごっちそーごっちそー今日は~ごっちそーう~」
調子っぱずれの歌。歌声の主は、先ほど鮮烈な剣技で魔獣を屠った勇者である。
「……なんだよ、その歌は」
「ふっふーん。御馳走の歌よ。文句ある?」
アルセリアは上機嫌だ。勇者たるもの、たかだか魔獣を一体倒したくらいで浮かれていてはいけないが、彼女が浮かれている理由はそれではない。
俺が、口を滑らせてしまったのだ。
「まあ、何はともあれ、お疲れ様。任務達成のお祝いだ、今日は御馳走だな」……………と。
…いいんだけどね。どのみち夕飯は作ってやるつもりだったし。回復祝いも兼ねて、ちょっとばかり贅沢をさせてやっても。
多分、俺がこいつらに食事を作るのは、これが最後になるのだろうし。
「お兄ちゃん、お肉?お肉?」
相変わらずべったりと俺に張り付いているヒルダも、普段は無表情な顔を期待に輝かせている。
「お肉もいいですが、私はお魚も食べたいです」
ベアトリクスも、ここぞとばかりに主張する。
「分かった分かった。腕によりをかけてつくってやるから、楽しみにしてやがれ」
こうなったら、最高のものを味わわせてやる。俺までもが、アルセリアの上機嫌に引きずられて楽しくなってきた。
メインの肉料理は…ステーキもいいが、ここはローストビーフの方がいいだろうな。ステーキだとボリュームがあり過ぎて、他のものが食べられなくなってしまう。
前菜は、野菜のテリーヌ。あと、ムースもいいかも。なんかちょこちょことオードブル的なものを用意して…せっかくだから、今度こそデザートも用意してみよう。焼き菓子は重いから、果物の蜜煮でも作るか。牛乳と砂糖(と塩)でアイスを作って添えてみるのもいい。
主食はどうしようか。一瞬、手巻き寿司なんてお祝いっぽくていいじゃないかと思ったのだが、この世界には醤油がないんだった。あと、多分だけど海苔もなさそう。
そうすると…パエリアなら、作れるか?サフランはあるかどうか分からないけどなければターメリックで「なんちゃって」パエリアにすればいいし。
よしよし、大体メニューも固まってきたぞ。ケルセーにでも行って、食材をたらふく買い込んでこよう。
幸い、早い時間にヒュドラと遭遇出来たのと、倒すのに時間がかからなかったことで、今はまだ昼前である。ここから急いで村に帰って準備すれば、夕飯までには充分に間に合うな。
「あー、お前らさ、先に村に戻っててくれ。俺はこれから買い出しに……」
そう言いかけたところで、俺は異変を察知した。
“霊素”の流れに生じた、わずかな乱れ。それは波紋のように広がって、地上界にいる俺に届いた。
間違いない、ギーヴレイからの知らせだ。これを放置することは、出来ない。
「ちょっと、どうしたの?」
いきなり黙り込んだ俺を、訝し気に覗き込むアルセリア。
「………悪い。ちょっと、野暮用が出来た。…御馳走は、延期ってことにしといてくれないか?」
『ええええええええええー!?』
三人がハモって抗議する。ものすごい勢いだ。それだけ楽しみにしていてくれたということなのだろう。それは嬉しいのだが、
「ほんと、悪い。出来るだけ急いで戻ってくるつもりだけど、今日はどうなるか分からないんだ」
ギーヴレイからの知らせが、どの程度緊急のものかは分からないが、相手がマウレ卿であれば一筋縄ではいかない可能性が高い。
俺の様子に、何かを感じ取ったのだろう。不意に勇者は真顔になって、
「それは…“魔王”としての仕事なの?」
初めて会ったときと同じ、毅然とした表情で。
「もしそれが、地上界に仇なすものだった場合……私は」
「心配するな、それはない」
俺はアルセリアの言葉を遮った。その先は、口にさせたくなかったし、させる必要もなかった。
「これはあくまで、魔界の中の問題だ。地上界に飛び火させることは絶対にしないよ」
………信じて、もらえただろうか。彼女の表情は厳しいままで、内心が窺い知れない。
アルセリアは、まっすぐ俺の眼を見つめていた。視線を逸らさない。いつぞやと同じ、深く淡い碧の眼が、静かに俺を捉えている。
「……分かったわ。さっさと行きなさい」
しばらくそうして見詰め(睨み?)あってから、アルセリアはふう、と溜息をついて俺から目を逸らした。
「言っとくけど、御馳走のこと忘れたらタダじゃおかないから。このままトンズラ決めようたって、そうはいかないんだからね」
素直じゃないアルセリアの言葉に、俺はつい苦笑する。
「早く戻ってきてくださいね、お待ちしてます」
ベアトリクスと、
「お兄ちゃん………いってらっしゃい」
ヒルダにも見送られて。
「ああ。行ってくる」
俺は、急ぎ魔界へと帰還したのだった。
醤油使えない設定が厄介です…。




