第二百八十話 再会
「君も一緒にどうだい、アルシー?」
アルセリアは、シグルキアスにそう誘われた。
何にと言えば、今回彼の元・上官が巻き込まれたトラブルの件で、一件落着と相成ったのでそのお祝いに開催される宴に…である。
「い、いえ……私は、遠慮しておきます」
「どうしてだい?君はミシェイラとも気が合っていたようだし、僕もパートナーがいないと隣が淋しいじゃないか」
「…………」
どうしてって、だからこそ、である。
シグルキアスのパートナーとしてパーティーに参加なんてしたら、周囲にどう勘違いされることやら。
何より、シグルキアスの勘違いにどう拍車をかけてしまうことやら。
どういう風の吹き回しか、アルセリアへの想いに気付いてしまったシグルキアスの猛攻は凄まじかった。
これが高位天使の本気かと、神託の勇者に戦慄を覚えさせるほどで。
女中仕事を取り上げようとするし、やたらと豪華なドレスと宝飾品で飾り立てようとするし、デートに連れ出そうとするし、屋敷にいるときはずっとついてくるし。
当然、アルセリアはそれを拒絶した。意地になって仕事を続け、ドレスは丁重に断ってデートの誘いものらりくらりと躱し続けた。
自分にはシグルキアスと付き合うつもりはないのだと、直接的にも間接的にも伝えた。
シグルキアスには、伝わったと思う。
そしてその上で、時間さえくれれば君の心を手に入れてみせる、と宣言されてしまったのだ。
宴に招待してくれたのは、現役の執政官ではないがかなりの権力者だという。さらに、シグルキアスはその相手を尊敬しているようだ。
尊敬する元・上官に招待されたパーティーに、女性を同伴する。
それが何を意味するのかくらい、アルセリアでも知っている。
だから、何としてもその求めに応じることは出来ないと思ったのだが……
「アルシー、ちょっといいですか?」
後ろからついついと、ベアトリクスがつついてきた。
そして彼女の耳元に口を近付けると、
「これは、チャンスかもしれませんよ」
…と、囁いた。
「…チャンス?どういうこと…?」
「宴の場で、衆人環視の中で、彼と貴女はそういう関係ではないと示してしまえばいいのですよ」
ベアトリクスの考えはこうだ。
話に聞く元・上官とやらは、シグルキアスとは違ってごくまともな、良識人らしい。ミシェイラの父親だということなので、シグルキアスの暴走癖については見聞きしているだろう。
そしてその場には、それを最もよく知るミシェイラもいる。
アルセリアが、シグルキアスの申し出を迷惑に感じていることは、分かってもらえるに違いない。
「そこで、その方々を味方につけてしまうのはどうでしょう?うまくいけば、その方にシグルキアスさんを窘めてもらえるかもしれません」
「あーーーー、なるほど………」
勿論そこで、アルセリアが優柔不断な態度を見せてしまえば終わりだ。だが、普段シグルキアスにしているように断固たる態度を貫き通せば、その場にいる面々には伝わるに違いない。
恋心に浮かされて周囲の声が聞こえなくなっているシグルキアスよりも、冷静な周囲に訴えかければいいのだ。
「うんうん、やってみる。………旦那様、従者という形でよろしければ、ご一緒させていただきます」
振り返り、条件付きで同行に承諾するアルセリアだが、シグルキアスは意外そうに、
「そんな、君に似合うドレスも用意させるよ。ぜひ僕のパートナーとして」
「従者として、でしたらご一緒いたします」
従者部分を強調するアルセリア。ここだけは譲るわけにいかない。
「そ……そうか、仕方ないね……君がそこまで言うのなら…」
残念極まりなさそうなシグルキアスだが、どうやら承知してくれたようだ。
流石にいつもの女中服というわけにはいかないが、正式なお仕着せを用意してもらうことになった。
そして訪れた、ウルヴァルド=ローデンの邸宅で。
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「……リュート…?」
まさかこんなところで再会するとは思っていなかった懐かしい顔を見て、アルセリアは咄嗟に言葉が出てこなかった。
てっきり、魔界か地上界にいるとばかり思っていたのに………
対するリュートも、何を話していいのか分からないようだった。
ただバカみたいに突っ立って、彼女を茫然と見つめるばかり。
「お初にお目にかかる。私はシグルキアス=ウェイルード。今回の件では貴殿にも尽力いただいたということで、私からも礼を言わせてもらう」
紹介されたシグルキアスの挨拶にも反応せず、その様子が普通でないことに気付いたローデン卿が声をかけようとした瞬間。
リュートは動いた。
無言で、アルセリアに抱き付く。
「ちょ、ちょちょちょ、リュート!?」
いきなりのことに狼狽し、引き剥がそうとするアルセリアだが、その腕の力は思った以上に強くてなかなか離れてくれない。
「……………!?」
「リュート殿?」
横で見ていたシグルキアスとローデン卿も驚いている。が、どう反応していいのか分からないようだ。
「…………………」
「…ちょっと、いい加減放してくれない?」
「…………………」
「…あのね!」
返事をしないリュートに業を煮やしてどやしつけようとしたアルセリアは、彼の肩が僅かに震えていることに気付いた。
「……リュート、あんた……」
「…………………」
「…もう、仕方ない奴ね、ほんと」
引き剥がすことを諦めて、呆れたように彼女はリュートの頭を撫でる。
自分よりもここにいる誰よりも遥かに長い年月を生きて来た彼が、ひどく幼く感じた。
「なに、私たちがいなくてそんなに淋しかったわけ?」
「…………………」
「てっきり、束の間の自由を楽しんでたんだと思ってたけど?」
「…………………」
揶揄にも皮肉にも、答えがない。
「もう、ほんと世話が焼けるわね。これだからヘタレシスコンは…」
「……シスコンは今、関係ない……」
ようやく、弱々しい答えが返って来た。
と言うか、この状況でもシスコンを否定しない魔王である。
「…第一、お前ら生きてたんなら今までどこに行ってたんだよ」
少しだけ腕を緩めて、しかしまだアルセリアを胸に抱きしめたままで言うリュートは、淋しさのあまりに不貞腐れた子供のような顔をしていた。
「まあ、私たちにも色々あったのよ。あんたこそ、どうして…」
「それに、その姿は?なんで天界なんかに……」
二人とも、同じような疑問を抱いている。説明するには時間がかかるだろうな、とアルセリアが思ったとき。
「…アルシー?その……彼とは知り合いなのかい?」
よせばいいのに、何も知らないシグルキアスが口を挟んでしまった。
よりによって、この状況で。
その声に、やはりアルセリアを抱きしめたままリュートが視線を移す。
そこに立っている、シグルキアスを見る。
シグルキアスとアルセリアを交互に見遣り、彼は勝手に自分なりの結論に至ってしまった。
「アルセリア……こいつは………?」
「え、あ、ああ!ええと、この人はね、ええと何て言うか……」
直感的にヤバ気な空気を感じ取ったアルセリアが、慌てて説明しようとする。
だが、またまたシグルキアスがそれを台無しにしてくれた。
「僕は彼女の主だよ。そして近い将来、伴侶となる者だ」
「……………………………」
リュートの沈黙の質が変わった。
「あのね、リュート…」
「そういうことか……」
風が、止まった。
代わりに、空気中の霊素が静かに渦を巻き始める。
「ちょっと待ってリュート。話を……」
「大丈夫だ。もう何も心配しなくていい」
「だから、話を」
「すぐに終わらせる」
終わらせるって、何をだよ。そう力いっぱいツッコみたかったアルセリアは、しかしリュートの目が完全に据わっていることに戦慄を覚え、息を呑む。
「リュート殿!?」
豹変したリュートに驚いたウルヴァルドが声を上げ、
「………ひ……」
リュートの目に得体の知れない闇を見たシグルキアスが悲鳴を漏らしかけ、
「待って!」
制止しようとしたアルセリアの声を無視してリュートがゆらり、と動いた、そのとき。
「失礼致しますわ、リュートさま」
いつの間にかリュートの背後に回っていた姫巫女マナファリアが、彼の首筋をトンっと軽く打った。
「…………!」
直後、リュートはその場に崩れ落ち、アルセリアは慌ててそれを抱き止めた。
「ちょ、ちょっと!……って、姫巫女さま?なんでここに!?」
「お久しぶりです、勇者さま」
気を失ったリュートを抱いたまま混乱するアルセリアに、マナファリアは優雅に微笑んだ。
そして、
「さあ、リュートさまは私があちらへお連れして介抱いたします。勇者さまはこちらでお待ちください」
どこか得意げに言うマナファリアに、なぜかアルセリアは素直にリュートを渡す気にはなれなかった。
「…いえ、姫巫女のお手を煩わせる必要はありません。彼は私たちの補佐役ですので」
牽制するかのように「私たちの」を強調するアルセリアに対し、
「そんな、お気になさらず。リュートさまに付き従うのは、私の使命であり願望ですので」
負けじとマナファリアも張り合う。
「何を仰ってるんですか、姫巫女は神殿の奥深くで引き籠ってらっしゃればいいのですよ」
「あらあらまあまあ、それを仰るなら勇者さまのお役目は地上界をはい回る有象無象を処理することでしょう?」
静かに火花を散らす二人の少女を前に、状況が分からず完全に置いてけぼりにされたウルヴァルドとシグルキアスは、成すすべなく険悪な空気に耐えるしかなかった。
魔王の子供っぽさが浮き彫りです。て言うか、普段偉そうにしてるわりに淋しがりやのお子様なんですよこいつは。独占欲こじらせてるし。




