第二百七十八話 ひたすら待つというのは一つの苦行のようなものである。
ロセイール・シティに戻った俺とマナファリアは、意外なところでミシェイラの姿を発見した。
屋敷で待っているかと思っていたのに、街門のすぐそばまで来ていたのだ。
「……リュートさま…!」
「悪い、お待たせ」
駆け寄って来たミシェイラが泣きそうになっていて、俺は思わず彼女の頭を撫でてしまった。
「あ……あの………?」
「あ、ゴメン…つい。………それで、これなんだけど」
俺は、布に包んだ神笏を、彼女に差し出した。
「花祭りにしては無粋だと思うけど、受け取ってくれるかい?」
冗談めかしてそう言ったのには理由がある。
包みの中が何であるのかを既に察しているミシェイラが、今にも涙の堰を決壊させようとしていたからだ。
嬉し涙であろうと、やっぱり女の子に泣かれるのは気まずいものなのだ。
「はい……本当に…本当にありがとうございます。…どうお礼をすればいいのか……」
「いいからいいから。前にも言ったけど、俺自身の思惑もあるわけだしさ」
今は泣いている場合ではないと思い出したのだろう、ミシェイラはぐっと堪えて、微笑んでくれた。
けど、その瞳には感謝以外の感情も込められている…ような気がした。
「リュートさま……その、私………」
「お嬢様」
何かを言いかけたミシェイラを、いつの間にかその背後にやって来ていたエウリスが遮った。
「今は、優先すべきことがあるはずです」
「……ええ、そうね」
一体何に対して優先なのかよく分からないが、それでも彼女らがすべきことはただ一つ。
「リュートさま…帰ってきたら、お話したいことがあるのですが、聞いていただけますか?」
「ああ、分かった。……そうだ、ついでにこれも持って行くといい」
俺は、もう一つの包みを彼女に手渡す。神笏よりも小振りな包みだ。
「……これは?」
「エヴァレイドの罪状の証拠の一つさ。役に立つと思う」
俺は、自分が見聞きしたことを簡単に説明した。
その内容に二人は驚いたようだったが、その事実も彼女らに味方してくれるだろう。
ミシェイラは、二つの包みを大事そうに胸に抱き、力強く俺を見上げた。
「それでは、行ってまいります」
「ああ、気を付けて。エウリス、彼女を頼んだぞ」
流れ的にそう言うのが筋のような気もしたが、
「…お前に言われるまでもない。が、任せておけ」
考えてみれば、確かに俺が言うことじゃなかったな。
遠ざかっていくミシェイラとエウリスの背中を見送り、俺とマナファリアは一旦ミシェイラの屋敷へ戻ることにする。
「…さ、俺たちは帰ろうぜ。後はあの二人の仕事だ………って、何だよ?」
マナファリアが、何か言いたそうな目で俺を睨んでいる。
「……いえ、ご自覚ないのが非常に腹立たしいと申しますか………」
「は?何怒ってるんだよ?」
マナファリアが怒るなんて、珍しい……と言うか、初である。一体何が、脳内お花畑の彼女の怒りを買ったんだ?
「いいえ、それはリュートさまがご自身でお気づきにならなければ意味のないことですので」
「なんだよそれ。俺の何がいけないってんだよ」
俺、頑張ったよな?ちゃんと神笏も取り戻したし、これでウルヴァルドも助かるしミシェイラも喜んでくれるし、百点満点の結果じゃないか?
「……ですから、そういうところが…………はぁ、もういいです。私如きが口を出すようなことではございませんので」
マナファリアの怒りに、呆れが混じっている。
彼女もまた、「言われなくても察しろ」系か。実に厄介なことである。
「……よく分からん奴だな」
けど、「もういい」と言われたのでそれ以上気にしないことにする。相手が勇者一行だとそうもいかないが、マナファリアに関してはご機嫌伺いする必要なんて何処にもない。
どことなく不貞腐れたマナファリアを連れて、俺はミシェイラの屋敷へと戻った。
この件における俺の仕事はこれで終了だ。余程の想定外が起こらない限り、これ以上でしゃばるつもりはない。
後は、エウリスとミシェイラの頑張りどころ…である。
俺は、対価を催促するアリアに急かされて、大量の焼き菓子作りに取り掛かった。ショートケーキも込みなので、けっこうな手間と時間がかかる。
材料を量りながら、粉を振るいながら、バターを練りながら、俺は気付いた。
ただ待つだけ、という時間の厳しさに。
ウルヴァルドの件は、確かに俺にとっても重要な事案ではあるが、決定的なものではない。天界の指揮系統を突き崩すための一つの手段として彼を利用出来ればと思っているだけで、仮に彼の潔白を証明することに失敗したとしても、それだけで致命的な損害を食らうわけじゃないのだ。
だが、それでも、落ち着かない。
自分にはすることがなくて、事態がどう動いているのかも分からなくて、エウリスとミシェイラがいつ帰ってくるのかも分からないという事実が、ひどく俺を悶々とさせた。
自分が当事者ではない、というのは奇妙な感覚だ。
しかしだからと言って暴れ出すわけにもいかず、俺はモヤモヤの全てをお菓子に注ぎ込む。夢中になって作っていたので、気付けば店でも開けそうなくらいの大量のプティ・フールが目の前に積み上がっていた。
ショートケーキなんて、当初の予定を大幅に超えて三段重ねのデコレーションケーキになっている。
「おおおおおー、これがショート何やらとかいうものか!美しい姿をしているではないか!!」
厨房に入って来るなり叫ぶアリア。純白のクレームシャンティに赤のベリー類で飾り付けたそれは、確かにとても綺麗だ。我ながらちょっと頑張り過ぎた。
…因みに俺は、ショートケーキはジェノワーズ派である。
「おお、こちらにはプティ何やらも出来上がっているではないか!では早速……」
言いながら、プティ・フールを一つ口に放り込むアリア。相変わらずお行儀が悪い。
一瞬、食べるのならミシェイラたちの帰りを待ってからにしろ、と言いかけたのだが、すぐに思いとどまる。
これはアリアの報酬としてアリアに作ったものなんだし、ミシェイラたちには全て終わった後で別にお祝いをする方がいいよな。
「こらこら、ちゃんとテーブルに着いてからだ。お茶も淹れるから、そう慌てるな」
「む?そうか……まあ、貴様がそこまで言うのなら仕方ないな」
続いて二つ目の焼き菓子に手を伸ばしかけていたアリアは、思いの外素直に応じた。目の前に現物があるからだろう。
ずっと不貞腐れていたマナファリアも、大量のスイーツを前に一瞬で機嫌を直してしまった。そう言えば、砂糖って脳内麻薬みたいなものだって聞いたことがあるような。
お行儀よくお菓子を口にするマナファリアと、豪快に口に放り込むアリアの姿が、あいつらに重なって見えた。
憎まれ口を叩きながら「お菓子に罪はないじゃない」と都合の良いことを言うアルセリアと、無言で頬一杯に菓子を詰め込んで満足げなヒルダ、俺を揶揄いながら上品にフォークを動かすビビ。
キアとエルネストはいつも菓子を巡って攻防を繰り広げていたっけ。
あいつらの行方が分からなくなって、もう二月近くになる。
まさかこの俺が勇者ロスになるなんてそんな馬鹿な話あるはずないが、それでもひどく落ち着かない。
これを機に、もう少し積極的に動いてみよう。ウルヴァルドにも出来る限り協力してもらって、場合によってはグリューファスも巻き込んでやる。
天使族が地上界に与えた半年の猶予のこともあるが、それ以前に俺自身が我慢出来そうになかった。




