第二百七十六話 結果に結びつかない努力を無駄だと感じるときにくたびれた大人になるのだと思う。
結論。
何代も離れた遠い子孫のことまで、責任持てません!
……だってさ、魔王の力や存在値って、血で受け継がれるとかそういう類のものじゃないもん。
俺の器の血とスペックを僅かながら受け継ぐ奴が現れたとて、それが何だと言うのだろう。
…………いや、開き直ったわけではなくてさ。
「……おい、もういいか?」
待ちくたびれて苛ついているというよりも、意味不明なことを呟きながら頭を抱えている俺に呆れかえって…あるいはドン引きして…、魔族の青年が再び声をかけてきた。
「あー…うん、まあ、おっけーおっけー、大丈夫」
まだ心中に動揺の余韻を残していなくもないが、いい加減話を進めないと。
青年は、すっかり勢いを削がれてしまっていたが、それでも相棒を奪われた怒りは軽減していないのだろう、その表情にはすぐに憎悪が戻って来た。
しかし、俺が一筋縄ではいかない相手だと先ほどの打ち合いで分かっているためか、軽率にかかってきたりはしない。
「そう言えば、名前を聞いてなかったな。俺は、リュウト。リュウト=サクラバ。…お前は?」
なので、ついでに名前を聞いてみることにした。
いやいや別に、本当に血縁だったとしたら名前くらい覚えておいてやろうとか思ってるわけではない。
俺の名乗りに、青年はしばらく応えなかった。
俺なんかに名乗る必要はないと思っているのか、或いは俺なんかに名乗りたくなんてないと思っているのか。
が、無視する理由も思いつかなかったようで、渋々といった感じだが、
「…………イデ」
と、答えてくれた。
「…そっか。じゃ、イデ。待たせちまって悪かったな。再開といこうぜ」
「別に、待っちゃいねーよ。けど、お前って変な奴だな、リュウト」
「そうか?…流石に、お前に言われたくないけどな」
確かに、自分がまともな神経の持ち主だとは思っていない。が、天使に飼われ天使を慕い地下に隠れ住む魔族と比べれば、俺はまだ普通の魔王と言えるんじゃないか?
「それじゃ、ご落胤。そろそろ終わらせてもらうよ」
俺はその一言を合図に、こちらからイデに斬りかかった。
イデの技量は、可もなく不可もなく。決して弱いわけではないが、俺が普段接している奴ら…魔界の武王だとか神託の勇者一行だとか…に比べると、見劣りしてしまう。
が、単純な技術で語れない粘り強さのようなものが、彼にはあった。
元々、諦めの悪い性格なのかもしれない。俺に相棒を殺されて復讐心に燃えているせいかもしれない。パッさんことエヴァレイドを守るために必死になっているのかもしれない。
が、多分アルセリア以上の諦めの悪さが、彼に数字では表せない強さを与えていた。
しばらく剣戟を重ね、本来なら俺の方が優勢のはずなのに、そして何度も決定打を与えられそうになるのに、その度に脅威の粘りを見せてそれを阻むイデ。
俺の猛攻に、必死で食らいつく。
剣だけでは、埒が明かない。
……だったら、魔導も使っちゃえ。
俺は攻撃を続けながら神力を練り、一瞬の隙をついてイデから距離を取った。
術式選択は、考えなくてはならない。
ここは地下、そして決して広いとは言えない空間。炎熱系、爆裂系は不可。相手は魔族なんだし、それこそ【来光断滅】なんてお誂え向きかと思ったけど、あれは上空まで届く光熱の柱が攻撃の主体で、間違いなく天井を破壊してしまいそうなので却下。
…と、いう事で。
「【風魔弾】!」
風の弾幕でちょこまかと素早いイデの足を止めさせて。
かーらーのー。
「【氷神来葉】!!」
これまたルガイア=マウレの十八番、氷雪系超位魔導を、お見舞いした。
氷雪系術式には、標的の体内の水分を氷結させるタイプと、外側から丸ごと標的を氷漬けにするタイプがある。
そして、【氷神来葉】は、その両方。
内と外から絶対零度の息吹に翻弄され、中位魔族程度の力しか持たないイデが耐えきれるはずがなかった。
術式の効果が消え、部屋は極寒から元の温度へと戻る。
それと同時に、文字どおり冷たくなったイデは、硬い音を立てて床へ突っ伏した。
「お疲れ様です、リュートさま」
「……………………」
「……どうかなさいましたか?」
後ろでずっと見守っていたマナファリアが、労いの言葉をかけてくる。
が、ちょっと待って欲しい。
俺、今の【氷神来葉】発動時、魔導障壁なんて構築してなかった。
…正直に言うと、ずっと黙り込んでいたマナファリアの存在をうっかり忘れていたというのが事実なのだが……
……ピンピンしてる。
いくら彼女を標的としていなかったとは言え、俺の背後にいたとは言え、一瞬とは言え、部屋の温度は間違いなく人間の生命維持に影響を及ぼす低温まで下がったはず。
……なのに、ピンピンしてる。
「お前……魔導耐性どうなってんのよ…?」
「………?」
キョトンとする彼女におそらく自覚はない。が、流石は創世神の姫巫女ということか。その潜在能力は、もしかしたら勇者以上なのかもしれない。
「まあ…いいや。とりあえず、障害は排除したってことで、神笏を探そうぜ」
マナファリアの規格外にツッコミを入れるのは後回しにして、俺はイデの部屋をあさり始める。
そんなに散らかっている部屋ではないし、すぐに見つかると思ったのだが……
「くっそ、イデの野郎何処に隠しやがった」
俺は思わず毒づいた。
そもそも、こんな普通の生活空間に神笏があるなんて思ってなかったんだよ。
てっきり、それっぽい祭壇にそれっぽく祀り上げてたりするのかと思ってたじゃないか。
気配はこの部屋にある。それは分かる。
が、その気配自体が弱すぎて、それ以上のことが分からない。
しかも、考えてみれば神笏の外観を聞くの忘れてた。笏っていうくらいだから、細長い杖みたいな形状をしているのだろう。で、創世神の遺産なんだから、見ればすぐ分かるような意匠だったりするんだろう。
けど、皮肉なことにこのお洒落空間にベストマッチし過ぎていて、どれがそうなのか分からない!
「リュートさま、こちらは?」
「…うーん………なんか、多分…違う。つか、これ何だ?…………孫の手…?」
なんでやねん。
「リュートさま、これでは?」
「…うーん……これも、多分…違う。……………折り畳み傘じゃねーか」
なんでやねん。
「リュートさま、これはどうでしょう?」
「…うーん……これは絶対に違う。…………つか、これ特殊用途玩具じゃねーか」
…なんでやねん!
俺は慌ててマナファリアの手から大人の玩具を取り上げると、それをペイっと放り捨てた。
マナファリアは何も分からずに無邪気に首を傾げている。ここで赤面でもされた日にゃ、彼女の貞節を疑わなくてはならないところだったので、何故かは分からないが一安心。
「まったく……何処からどう見ても、ただの居心地の良い部屋じゃねーか」
魔族の棲み処には思えない。さらに言うと、神笏の番人のための詰所にも見えない。これじゃ只の、何の変哲もない、生活のための暖かな場所だ。
家族で団欒したり、談笑したりするような。
俺は、座り心地の良さそうなソファの前を通り過ぎる。
きっとここで、イデはパッさんの来訪を待ちわびていたに違いない。
そしてもしかしたら、ここでパッさんと語り合うこともあったのかもしれない。
ソファの向かい側には、暖炉。
……って、大丈夫なのかよ、換気。
そりゃ、煙突は地上に向かって備え付けてあるし、換気扇とかもあるんだろうけど……
ただの飾りじゃなくて、ちゃんと使われてる形跡もあるよな。
燃えさしの薪と、燃え尽きた灰に火掻き棒が無造作に突っ込んで…………
「あ、あああ!!!」
「どうなさいましたか、リュートさま!?」
マナファリアが驚いて悲鳴を上げるくらい、素っ頓狂な声を出してしまった。
だって、イデの野郎何てことしてやがる!
よりによって神笏を…創世神の、俺の片割れの遺産を……火掻き棒代わりに使うなんて!!
俺は灰の中から神笏を引き抜いた。煤まみれで、灰まみれで、ところどころちょびっと焦げている。
………アルシェ、ごめん。お前の形見、魔族の暖炉で働かされてたわ。
「リュートさま…それが?」
「ああ、間違いない。……これ、拭いたら綺麗になるかな…?」
いくらなんでも、このままミシェイラに渡すには抵抗を感じる。
別に自分が汚したわけではないが、それでも感じる。
「…どうでしょう?」
「ぬるま湯で、中性洗剤を薄めて……ってそんなものここにはなかったっけ……」
煤や灰はなんとかなると思う。が、焦げはどうしよう。ダッチやスキレットみたいにこすっても大丈夫なのか?
そんな簡単に剥げるような塗装ではないと思うけど……
これ、内包する神力からすると、本当にただの儀礼用っぽい。エルリアーシェも、実用と言うよりは見た目をそれっぽくするために作ったんじゃないかな。
よって、耐久性も過信出来ない。
「……リュートさま」
頭の中から、綺麗に焦げを落とすためのおばあちゃんの知恵袋的なものを引っ張り出していた俺に、マナファリアが静かに呼びかけた。
静かに、それでいて真剣な声で。
その声につられて彼女を見て、その視線につられて背後を振り返り、俺は驚愕の光景に出くわした。
「それは……駄目だ…………パッさんが、パッさんが……渡すなって………」
イデが、ふらつきながらも立ち上がっていた。
「……マジかよ」
これにはちょっと…いやかなり吃驚。彼のレベルでは、超位魔導に耐えきれるはずがないのだ。言うなれば、HPが1000しかない相手に5000のダメージを与えたようなものなんだぞ?
気合と根性にも、程がある。
「ダメだ……返せ、それは、パッさんのだ……パッさんを、困らせる奴は許さない………」
しかし、彼には正気が残っているのだろうか?
眼は虚ろで、独り言のようにぶつぶつと呟いてはいるが指向性の感じられない声。
俺たちのことも、どこまで認識しているのか。
俺は、彼のことを好ましいとさえ感じ始めていた。
俺にとって彼は、敵の手駒に過ぎない。取るに足らない、吹けば飛ぶような存在。
だが、一途に誰かのために立ち上がろうとする者に対し、完全な敵意を向けることが出来ない。
どうして、立ち上がるのだろう。
勝ち目がないことくらい、馬鹿でも分かるのに。
彼は、神託の勇者みたいに世界の命運だとか宿命だとかを背負っているわけじゃない。パッさんを困らせてはならないという、極めて個人的な理由が彼の原動力だ。
それなのに、何故彼はそこまで頑張れるのだろう。
「オレは……パッさんの役に…立つんだ………そしたらパッさん褒めてくれる………」
ゆらりゆらりと近付いてくるイデに、俺は剣を抜くことが出来ないでいた。
「リュートさま、後ろから失礼いたします」
そんな俺の背後から、マナファリアの静かな声。同時に、風切り音が俺の耳のすぐ横を通り過ぎていった。
トスッという軽めの音と共に、イデの喉元に突き刺さったのは……ペーパーナイフ。
「………!パッ…さん…………………」
急所を刺し貫かれたイデは、僅かに血を吐いて再び崩れ落ちた。
俺は、しばらく動かなかった。……否、動けなかった。
イデといい、勇者一行といい、何故こうも脆弱な生き物たちは必死で足搔こうとするのか。
どうせ、結果は同じはずなのに。
無駄な努力をして、余計に苦しんで、それで何が得られると言う?
「さあ、行きましょうリュートさま」
感傷に耽る俺を、マナファリアがいつもの調子で促した。
こいつはどうも……図太過ぎる神経の持ち主のようだ。
姫巫女なのに殺すという行為に対してあまりにも頓着なさ過ぎだし。
……と、言うよりも。
「なあ、お前、今投げたのって…」
「ええ、そこの机の上にあったペーパーナイフを使わせていただきました」
……ペーパーナイフは、殺傷用には作られていない、断じて。
それ以前に、彼女の細腕で投擲しても普通は魔族であるイデにダメージは与えられないだろう。たとえそれがナイフであったとしても…だ。
「投げる寸前に、魔力を通せばこういうことも可能だと教わりましたわ」
しかしマナファリアはあっけらかんと言う。
「…なあ、マナファリア。お前って……姫巫女なんだよな…?」
戦巫女ではなく。
「ええ、左様でございます」
「で、ラディ先輩がお前に教えたってのは…」
「護身術ですわ」
「…………………」
もう、彼女にツッコむのは後回し…じゃなくて、金輪際やめにしよう、諦めよう。
それこそ、無駄無意味の極致に違いない。
イデとパッさんの間にはそれなりに物語があったりしますが、彼らは脇役なので割愛です。
けどこれ、イデ側から見るとリュートたちの所業は悪逆非道ですね。単なる強盗殺人ですね。




