第二百七十五話 計画性ってのは、ほんと大事だから…いや、ほんと。
そう言えば、「丁寧な」とか、「上質の」とか、「素敵な」とか、ハイセンスをさりげなくひけらかす形容詞が付いた生活特集の雑誌を、日本ではよく見た覚えがある。
郊外の、緑豊かでそれでいて不便ではない静かな環境に、狭過ぎず広過ぎずの一戸建てを構え、あくせくしないマイペースな生活を望む人々(それでいてSNSでいいね!を求めるのだが)が憧れるような。
そんな雰囲気を醸し出している居心地の良い部屋の中で、ソファにだらしなく寝そべって本のページをダラダラと繰っていたのは、一人の青年だった。
青い髪に、紫の瞳。頭には、二本の角。背中には、蝙蝠を思わせる皮膜状の翼。
……どっからどう見ても、魔族ですやん。
その魔族の青年は、扉を開けた俺たちに気付くと、警戒心ゼロの気だるげな様子で話しかけてきた。
「……なに、おたくら。パッさんから何か伝言でも?」
……パッさん…て、誰?
「あ……いや、俺たち、神笏を探して来たんだけど……」
そのダラけまくった調子につられて、思わず正直に告げてしまう。が、それを聞いても彼の表情に変化はなかった。
「……神笏?何それ」
「いや、何それって……エヴァレイドが、ここに隠してるはず…なんだけど」
とぼけているようには、見えないんだけど……
「あ?知らねーよそんな………って、ああ!」
面倒臭そうにしていた青年だったが、途中で何かに気付いたかのように声を上げた。
「そう言えば、パッさんそんなこと言ってたな!」
……パッさんって……もしかしてエヴァレイドのこと!?
青年は、寝転がっていた姿勢から起き上がると、それでもだらしなく座っているのだが、少しだけ表情を改めた。
「確か、誰が来ても絶対に渡すなって言ってたけど……あんたらはパッさんの遣い…じゃ、なさそうだな」
ここでパッさんの遣いの者だと勘違いしてくれれば面倒も避けられたのだろうが、俺がしれっと嘘をつくよりも早く彼は一人でそう決めつけてしまった。
……事実だけどさ。
「てことは、あんたらはパッさんの宝物を横取りしに来たってことか?」
むむ、人聞きの悪いことを。
「横取りじゃない。返してもらいに来ただけだ」
まあ、俺たちの物でもないのだけど、そこはそう言って差し支えないだろう。
「それは、エヴァレイドが本来の持ち主から奪って隠したものだ。それをあるべき場所に戻すために、俺たちはここへ来た」
その魔族にそれほどの敵意が見られないことから、もしかしてもしかしたら、あっさりと神笏を返してもらえるかもしれない。
そう思って、これまた正直に告げてみたのだけれど。
「ああー?そんなはずねーじゃん。だってパッさん、これは大事なものだから誰にも渡すなって言ってたし」
「いや、だから、奴は取り戻されることを警戒して、そう言って…」
「パッさんが渡すなって言ったから、渡しちゃ駄目なんだよ」
………こいつ、馬鹿なんだろうか。馬鹿なんだな、うん。
「なあ、お前……魔族なんだろ?」
「ん?ああ、そうだけどそれが?」
俺の問いかけに素直に頷きつつ、青年は自分の言葉の持つ意味にまるで気付いていないよう。
「分かってると思うけど…ここは天界で、エヴァレイドは天使族だ。なんで魔族であるお前が、宿敵であるはずの天使族に従っているんだ?」
魔族たちの、天界と天使族に対する強烈な敵意と嫉妬と劣等感は、そうそう消せるものではない。地上界に対して抵抗のないディアルディオやエルネストでさえも、天界に関しては他の魔族同様に完全敵対を決め込んでいる。
それなのに、天使族の子飼いのような真似をするなんて……
……そこ、魔王のくせに聖教会の子飼いみたいになってるお前はどうなんだって、そういうツッコミはやめてくれないかな。
「なんでって……パッさんがそう言ったんだし」
「…………へ?」
「パッさんの言うことなら、オレ、聞かないと」
…………ちょっと待って理解不能なんですけど。
…………もしかしたら。
「なあ、お前…生まれは何処だ?」
「天界だけど?」
「………………………」
はい、これまたさらりと爆弾発言、出ました。
「どういうことだ?魔族が天界でって……じゃあ、両親は!?」
魔族が天使族を毛嫌いするのと同じく、天使族も魔族を嫌悪している。仮に魔族が(ありえるはずないのだが)天界に紛れ込んでしまったとしたら、無事で済むわけがない。
地上界に、人間と混血した魔族の末裔がいると知ったときもかなり驚いたけど、今回のはそれの比ではない。
絶対に起こりえないはずの現象が、起こっている…この俺の、目の前で。
「うるせーなぁ。んなもん知らねーって。俺はガキの頃から、パッさんのとこにいるんだからよ」
「??!?」
え、何?どういうこと?
こいつは子供の頃からエヴァレイドのところに?それは、家族ってこと?
いやいやいやいや、でも、魔族と天使族だよ!?
「…………リュートさま」
マナファリアが後ろからつついてくれたおかげで、我に返ることが出来た。
そう…だよな。今重要なのは、こいつの出自やエヴァレイドとの関係じゃない。とにかく神笏を返してもらわないことには、話は進まないんだ。
「……まあ、いいや。で、お前はエヴァレイドの味方なんだな?」
「とーぜんじゃん。パッさんの敵なんて、オレがみーんなやっつけちゃうからな」
青年の顔に浮かぶのが、忠誠心と言うより親愛の情のように見えて、俺は一瞬だけ躊躇する。
エヴァレイドの方は知らないが、この青年は奴のことを間違いなく慕っている。欲とか思惑とかとは関係なく、彼と彼の言いつけを守ろうとしている。
俺はこれから、そんな彼から神笏を奪わなければならない。
道理は、こちらにあるのだと思っている。
エヴァレイドは、自分の欲のためにウルヴァルドを陥れようとした。その行為は、どう控え目に見ても褒められたものではないだろう。
だが、物事の善悪とはかけ離れた所でエヴァレイドを慕っている様子の青年に対し、その理屈を振りかざして自分たちの正当性を主張するのは、なんだか憚られた。
だが……それでは失礼します、と立ち去るわけにもいかないわけで。
「…ダメ元で頼んでみるけど、俺たちは、パッさんを傷付けるつもりはないんだ。だが、神笏は返してもらいたい」
「やだよ、そんなことしたら、パッさんが困るじゃん」
反射的に答える魔族。その迷いの無さが、問答は無用なのだと示していた。
「パッさんのせいで、困ってる人が他にいるんだけど?」
「他人のことなんか知るもんか。オレは、パッさんとティトがいればそれでいい」
やはり、彼はこちらの言い分を聞きそうになかった。……って、
「ティト…って?」
「ティトはティトだよ。オレの親友。ここで一緒に暮らして…………」
ティトとやらを自慢げに説明しかけてた青年が、動きを止めた。
何か、あったのだろうか。
「……そう言えば…なんで、あんたらはここにいる?ここまで来れた?ティトが、侵入者に気付かないはず…………」
…ああ、ティトって、さっきの魔獣の名前か。
なるほど、ペットっつってもエヴァレイドのじゃなくて、こいつの…だったわけか。
「なあ、あんたら……ティト…ティトを…どうした?あいつは今、何処にいる………?まさか、まさか……」
一番考えたくない結論をおそらく予測して、青年の肩が小刻みに震えている。
ここで、この場限りの嘘をつくことも不可能ではなかったが、そうする気にはなれなかった。
「ああ、悪い。……正当防衛ってことで」
「………………!」
一瞬にして、青年の双眸に怒りが燃え盛る。それまでダラけまくっていた態度は瞬時に戦闘態勢へと変化した。
「お前……殺したのか……ティトを…?」
「だから、正当防衛っつったろ。元々は、そいつの方から襲い掛かって来たんだから」
侵入したのはこちらだが、有無を言わせず殺しに来たのは向こうなのだ。俺だって、あそこまで弱っちい魔獣ならば放置しても構わなかった。
けど、向こうが殺す気で襲ってきたんだから、仕方ないじゃないか。
しかし、俺の言い訳は彼にとっては見苦しい弁明にさえもならないようだった。
「お前……お前ぇええええ!!殺したのか!ティトを殺したのか!パッさんのことも、殺すつもりなんだな!?」
完全に激高している。言い訳も道理も、聞く気はなさそうだ。それほど大切な魔獣だったのか。それならば、殺されて怒り狂う気持ちは、分からなくもない。
「いや、別にパッさんのことを殺すつもりはないよ?ただ、神笏を…」
「うるさい黙れえええ!!!」
俺の言葉を遮って、青年が弾かれたようにこちらに向かって跳んできた。彼の下腕部が刃のような形状に変化して、俺を切り刻もうと迫ってくる。
俺は、半分くらいは無意識に、影の自動迎撃を沈黙させていた。
理由は……よく分からない。ただ、何だろう…自分の意志と関係ないところで彼を殺すのは、とても申し訳ないことのように思えたのだ。
多分これは意地とも矜持とも違う、二千年前だったら馬鹿馬鹿しいと一笑に付してしまうような、そんな下らない感傷の一種なのだろう。
けれどもその自分の気持ちに素直に応じて、俺は彼の刃を自分の剣で受け止めた。
だが一度止められたくらいで諦める青年ではなく、次々と攻撃を繰り出してくる。
彼の刃は、かなり高密度の魔力で形成されていて、俺の剣(ギーヴレイが持たせてくれた見た目だけは地味だけど地味に凄い魔剣)じゃなければ、耐えられなかっただろう。
幾度か斬りむすんだ後、彼は一旦後退した。その怒りの表情に、警戒が混じる。
「……お前、一体何なんだ?非力な廉族のくせに……」
無暗に攻撃しても無駄だと悟ったのだろう。俺の出方を探り始めた。どうやら馬鹿だが、愚か者ではないらしい。
「そっちこそ、天界で地下に引き籠ってるボッチにしてはやるじゃないか」
「当然だ!オレは、魔界の高貴な血を引いてるんだからな!!」
…………はて?
「高貴な血って……お前、生まれは天界なんだろ?」
「パッさんが言ってた、オレは、そこら辺の魔族とは違うんだって!遠いご先祖には、それはそれは高貴な方がいるんだって!!」
……こいつ、それを鵜呑みにしたのか。
「はぁん、高貴な方…ねぇ。どこのどちら様だか」
たとえそれが本当だったとしても、魔族は血筋による身分をそれほど重要視していない。強い血族には強い個体が生まれることが多いので、名門は名門として認識されているに過ぎないのだ。
仮にどんな名家に生まれようと、個として無能であれば簡単に見放される。
遠い先祖にお偉いさんがいたところで、それを主張しても無意味なこと。
「聞いて驚くな…………魔界の支配者、魔王さまだ!!!」
………………………。
……こいつ、それを鵜呑みにしたのか!?
「おま……魔王って、それ…」
「はっ、怖気づいたか廉族!だが謝ってももう遅い。ティトを殺して、パッさんも殺そうとするお前は、絶対にここから生かして帰さない!」
「いや、だってお前、魔王って………」
「リュートさま」
不意に、マナファリアが背後から俺の背中をつついた。
振り返ると、いやに真面目な顔で。
「責任は、お取りにならなければなりませんよ?」
そう、言い放った。
「…って、いやいやいやいや、そんなはずないじゃん。あいつの勘違いか、エヴァレイドの嘘か知らんけど、そんな事実はない!」
ここは当然、潔白を証明させてもらう。が、マナファリアの視線の圧は変わらないまま。
「それは、確かですの?誓ってそのようなことはないと、断言出来るのですか?」
「当たり前だろ!誓って……ちか…って………………?」
………ない、よな…?うん、そんなことは………だって、俺は魔王で、魔族は生物で、従って子供が出来るとか出来ないとかそんな心配は……
………あれ…?でも、どうなんだろう………検証とかしたわけじゃないし………
えええええ!?ひょっとしてそういうこともアリ!?
いや、でも、もし仮に万が一にも何かの間違いでそんなことがあったとしたら、母体となる女性が黙っているか?
魔王の子を懐妊したなんてことになったら、だってそれは次代の魔王になるわけで、それは則ち魔界の支配権を手に入れるということで、俺の周りに侍っていた野心溢れる女性たちにとってはまたとない幸運なわけで……
「…おい、何を呆けている!無抵抗な相手を切り刻んでも復讐にはならないからな、さっさと剣を取れ!」
混乱に頭を抱える俺を、青年がそう促した。この隙に襲ってこないあたりは、なかなかどうしてまっすぐな御仁のようである。
……が、ちょっと待って欲しい。俺は今、心当たりを総ざらいしている真っ最中なのだから。
「ありうるとしたら……ゲイルード…マージェリー…アデリーン…マイラ…オレリア……駄目だ一夜限りの相手はまったく思い出せない……」
「おい、聞いているのかお前!!」
「ごめんちょっと黙ってて。…ギーヴレイに聞けば分かるか…?しかしこんなことあいつに打ち明けたら卒倒しかねないし……そもそもあいつの目を盗んでってことも一度や二度じゃ……」
あああああ、考えれば考えるほど不安になってきた!
どうしよう、「父上って呼んでいいですか?」とか言われたらどうしよう!!
「リュートさま、お見苦しいですわよ。ここはどーんと、腹を括ってください」
やめてマナファリア!そんなベアトリクスみたいに俺を追い詰めないで!!
「おい……いい加減にしろよ、来ないならこっちから…」
「だから少し待ってくれって、息子よ!」
「誰が息子か!!」
二千年前の自分を、本気で張っ倒してやりたい。
いつかこういう問題が絶対起きるって思ってましたよ私は。
計画性も大事ですが、節操ってのも大事ですね。




