第二百七十二話 お礼の形って……色々だよね、ほら、うん。
「声をかけてくれたのが、もう少し早ければ良かったのに」
エヴァレイド邸の女中は、心底残念そうにそう言った。
「もう少し早くって……どういうこと?」
「少し前、旦那様が廉族を大量に雇ったのよ」
「……え?」
パスクアル=エヴァレイドは、聞いた話によると非常に気位が高く傲慢な性格をしているらしい。そんな奴が、廉族をたくさん雇う?
「よくあることなのか?」
「そんなはずないじゃない。だって旦那様、廉族のこと毛嫌いしてるもの。こんなこと、今回が初めてよ」
すっかり打ち解けてくれた女中…名前は……確かエデルミラって言ってたっけ…は、何の疑問も持たず俺の質問にペラペラと答えてくれる。
人を疑うことを知らないんだろうな…利用して申し訳ない。
「でも、大量にって……天界に、そんなたくさん廉族っていないよな?」
決して珍しいわけでもないが、ありふれているわけでもない。天界における廉族はその程度だ。街を歩けばちらほらと姿を見るし、天使の元で働かされている(働かせてもらってる?)のもいたりするが、そんないっぺんに大量の廉族を連れてくるなんて……一体何処から?
「…そんなのは分からないわ。けど、多分10や20じゃきかない数よ。私見たもの。どこからか廉族がたくさん馬車で連れてこられたところ」
「その馬車は何処に?」
「別邸じゃないかってみんな噂してるわ。なんでも最近の旦那様は、ちょっと変わったペットを飼い始めたんですって。で、その世話係として廉族を集めてるんじゃないかって」
………ペット?犬とか猫とか…じゃないよな。
と言うか、何故廉族なんだろう。
そりゃ、地上界を下に見ている天使族にしてみれば、ペットの世話なんて下賤な廉族にさせておけばいいって考えるかもしれないけど、数を揃えるのが大変じゃないか。
天界中から廉族を集める……或いは、地上界から拉致という線も。そこまでの手間をかけて、廉族を使役しなければならない理由はなんだ?
「どんなペットか知ってる?」
「知らない。一度お使いで別邸まで行った先輩がいるんだけど、敷地内に入れてもらえなかったんですって。だから私の周りにそれを見た人はいないわ。それに……」
「それに?」
「旦那様も、全然別邸の方にいらっしゃらないみたいなの。ペットを飼い始めたのに。…おかしいと思わない?」
エデルミラは、不思議そうにしつつも深く考えてはいない。おそらく、せっかく新しいペットを飼ったのに全然可愛がらない薄情な飼い主だ…程度に思っているのだろう。
「その別邸にいるのは、廉族ばかり?」
「みたいよ。なんか、天使族は絶対に近付くな、みたいなこと言われたって」
………へぇ。ほぅ。なーるほど。
なんか、分かったような気がする。
出来れば、直接確認してみたいところだけど……
「で、もう飼育係の募集はやってないんだよね?」
「ええ、今のところは、間に合ってるみたいよ。残念だったわね…貴方と一緒に働いてみたかったのに」
エデルミラは、俺にしな垂れかかりながら名残惜しそうに言う。
先ほどのお礼が少しばかり過剰だったためか、すこぶる積極的になっているようだ。
喜んでもらえて光栄だが、流石にこれ以上はエウリスを待たせすぎだ。そろそろ戻らないと。
「そうだね、本当に残念だ。けど、縁があったらまた会えるさ。……いろいろとありがとう」
「もう行くの?よかったら明日も…」
「ごめん、明日は別の街で仕事を探さなきゃ。それじゃ、俺は行くよ」
引き留めようとしたエデルミラをさりげなく振り切って、俺はその場を後にした。
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「……つーわけで、俺はエヴァレイドのペットってのが、魔獣なんじゃないかって思ってる」
エウリスに経緯を説明し終えてから、俺は自分の推測を口にした。
しかしエウリスはその根拠が分からないみたいで、首を傾げる。
「何故、そう思う?」
魔族や魔獣との実戦経験がない世代なので、仕方のないことかもしれない。
「ペットの世話をさせられてるのが、廉族ばかりだからだよ」
数を揃えるなら、下層階級の天使族の方がよっぽど簡単で手早いはず。それなのに、わざわざ廉族だけを集めた理由。
「お前ら天使族ってのは、魔属性に滅法弱いからな」
非常にベタなカテゴライズで申し訳ないが、天使族は聖属性である。その弱点は魔属性。因みにその逆もまた然り。
で、一部の魔獣が放つ瘴気ってのは、完全に魔属性。しかもその中でも、一番厄介なタイプだったりするのだ。
高位天使ならいざ知らず、一般の天使族が高濃度の瘴気に触れ続けた場合、おそらく数日…早ければ数時間で、壊れてしまう。
単純に死ぬだけならまだしも、肉体的なダメージよりも精神的なものの方が甚大なため、大抵は発狂する。
大戦時に、何度か見たことがあった。
功を焦って魔界にまで侵攻し、そこに生息する強力な魔獣の瘴気にやられて壊れていった天使たちを。
明るい色だったはずの翼はヘドロのようなどす黒い色に変貌し、力の象徴たる翼が変質してしまった彼らは、戦うことはおろか自分のことすら分からなくなって、そのまま魔獣の餌になっていった。
天使族では、魔獣の世話なんて無理なのである。
その点、廉族ならば多少の耐性はある。とは言っても、もって数週間といったところだろうが…同胞と違って使い捨てにしやすいのだろう。
「ペットが普通の獣とか聖獣とかなら、飼育係の種族に拘る必要なんてないだろ?けど、魔獣だったら天使族に世話をさせるわけにはいかない。発狂した奴が、変に騒がないとも限らないし」
「そう…だったのか。我々が魔属性に弱いとは、初耳だが……しかし、考えてみれば当然のことか」
エウリスは、理解してくれたようだ。
「もちろん、これだけの理由で奴が魔獣を飼育してるって断言出来るわけじゃない。けど、それを確認しに行く価値はあると思う」
「しかしリュート、それがもし事実であるならば奴の弱みにもなるだろうが…今は神笏の行方を捜すことが先決だ。余計なことをしている暇は…」
「余計なことじゃないかもしれないぜ?」
にやりと笑って告げると、エウリスも少し遅れて気付いたようだ。
「……そうか。奴が、魔獣を飼うなどという大罪に走った理由……」
「そ。天使族を近付けたくないから、天使族が近付けないようにした…万が一のためにな」
エヴァレイドは、神笏の番犬として、魔獣を飼育している。
それが、俺とエウリスの立てた仮説だった。
天界にとって、魔に属するものは須らく罪であり、悪である。執政官たるエヴァレイドが魔獣を飼育するなど、知られるだけで糾弾は免れない。
そこまでして魔獣を飼うということは、そのリスクよりも必要性の方が大きかったからだ。
「と、いうわけだ。確認しないことには何とも言えないけど、まあハズレだったとしても、奴の何らかの弱みは握れると思うし、悪い手じゃないと思う」
「……そうだな。確かに、調べてみる価値はありそうだ。だが………」
エウリスは、何かを言い淀んだ。
気まずそうな表情から、それが何なのかはすぐに分かった。
「エヴァレイドの別邸ってのには、俺が一人で行ってくる。お前は、出来ればロセイール・シティで待っててほしい」
「しかし……それは危険だ…!」
エウリスは一応止めてくれる。「だったら一緒に行こうぜ」と言われたら困るくせに。
「まあ危険っちゃ危険だけど、下手したら瘴気が蔓延してる場所だ。お前を連れて行って、そこで中てられたら余計に面倒なんだよ。それに…」
これは蛇足であり本当は心配する必要などないことなのだが、エウリスには一番効果的なこと。
「万が一、連中に見つかった場合……俺一人なら、不法侵入の曲者ってだけで済むけど、お前がいたらそうもいかないだろ。奴がローデン卿を糾弾する理由をこれ以上増やすわけにはいかない」
「それは…確かにそうだが……しかし、お前一人が危険に晒されることに……」
生真面目なエウリスは、俺の申し出を素直に受け容れられないようだ。
けど、俺は一人で行きたい。こいつに付いてこられたら、ロクに動くことが出来ないじゃないか。
「気にすんなって。俺だって、色々とローデン卿には世話になってるし、これからもなるつもりでいるんだ。利己的な動機もあるんだし、何かあってもお前らを責める気はないよ」
「…………」
「もうあまり時間はない。神笏を見つけ出したら、すぐにお前のところに持って行く。そっから先は、お前の仕事だ」
「…………………分かった。すまないが、頼む」
ようやくエウリスが承諾してくれた。真面目で人が良いってのも、状況によっては面倒なものである。
しかしまあ、これで単独行動を取ることが出来るわけだし、ミッションの難易度はぐっと下がった。
「よっしゃ。じゃあ、まずロセイールに戻って打ち合わせと行くか」
ここから先はスピード勝負。ある程度のフローチャートを用意しておく必要がある。
俺はエウリスと共に、ミシェイラ(とアリアとマナファリア)の待つロセイール・シティのローデン家別邸へと戻ることにした。
「………ところでリュート。一つ疑問なんだが」
「……ん?」
「先ほどの、女中の話………それだけを聞き出すのに、なぜ三時間もかかるんだ?」
………ぎく。
ちょっと待ってよエウリスさん。今さらそれ聞きますか?つーか、いい年した大人なんだから、察しようよ、そこんとこ。なに純真な瞳で訊ねてるのさ。
「ま、まあだってほら、心を開いてもらうために…ね?会話だけだと、限界があるし…ね?」
「確かに、普通は会ったばかりの相手に雇い主の情報をペラペラと話すことなどないな」
「でしょ?だから、お礼も兼ねて…ね?」
「…ああ、そういうことか」
「そうそう、そういうこと」
「お茶を御馳走していたんだな?若い女性はお茶や甘いものには目がないからな」
「…………そうそう、そういうこと」
わざと恍けているのかと思ったが、エウリスの目はマジだ。
純粋で綺麗な心が苦手なのは、きっと俺が魔王であるからに違いない。
……うん、そういうことに、しておこう。
勇者一行がいないからって、好き勝手してる魔王です。




