第二百六十八話 使命とか誇りとか矜持とか大事だけど、結局は食欲が最優先だよね。
「リュートさま…こんな無理をお願いしてしまって、申し訳ありません!」
屋敷につくなり、ミシェイラが勢いよく頭を下げた。
けど、これは彼女のせいではないのだから、彼女が謝るのは筋が違うというもの。
「大丈夫だから、気にしないでくれ。……大変だったね、ミシェイラ」
肩に手を置いて、彼女を慰める。が、思っていた以上にミシェイラは気丈な様子を見せていた。
しっかりと頷くと、顔を上げて笑顔をつくる。
「ありがとうございます。エウリスも、本当にありがとう。お二人がいて下さって、本当に心強いです」
それは、多分に強がりが含まれていることは明白だった。
顔色は青白く、肩が僅かに震えている。不安げな視線の動きも瞬きの多さも、隠し切れない彼女の不安を俺たちに伝えてくる。
それでも、俯くことなく胸を張って立っているミシェイラ=ローデンという少女は、とても強い心の持ち主なのだろう。楚々としながらも凛とした佇まいは、秋風に揺れるコスモスの花を思わせた。
「それで、状況を整理したいんだけど…」
エウリスとミシェイラ、そして俺の三人で、今後の作戦会議だ。
「エウリスの話では、ローデン卿はエヴァレイドとかいう政敵に嵌められたって話だけど」
「私には、判断出来ません。ただ、エヴァレイド卿は何かにつけて父を敵視しておりました。私も、幾度か嫌がらせを受けたことがあります」
……って、大人げないな、エヴァレイド。いくらウルヴァルドが嫌いだからって、その娘にまで嫌がらせとか、どんだけ小さい器の持ち主だ。
「確証がないのは俺もエウリスも同じだ。けど、少なくとも神笏を盗んだのがローデン卿でない限り、真犯人は他にいるはず。そして、エヴァレイドは第一容疑者ってわけだ。…で、俺たちはその線から調べを付けようと思ってるんだけど……」
「ああ、そうだな。きっと神笏は奴のところにあるに違いない。今すぐ乗り込んで……」
「ちょい待ち。早まるなって」
俺は、逸るエウリスを窘める。
気持ちは分かるが、その前にこちらの防備も備えておく必要があるじゃないか。
防備と言っても、別にこの屋敷に防御陣形を敷くというわけではない。
「あのさ、ザナルド・シティのお屋敷には調査って入ったのか?」
「無論だ。中央殿からの使者が、屋敷中をくまなく探していった」
「……で、そこには神笏はないんだよな?」
俺の質問は、少しばかり言葉足らずだったかもしれない。
「何を言う!まさか、旦那様が神笏を盗んだとでも思っているのか!!」
…エウリスを、激しく怒らせてしまった。
「違う違う、そうじゃなくて!……冷静に考えてみろよ、もしお前がエヴァレイドで、憎きローデン卿を陥れる目的で神笏を盗み出したんだとしたら、それを何処に置いておく?」
「何処に…だと?そんなもの、誰の目にも付かないところに………いや、違うな…」
エウリスも、気付いたようだ。
「そう、もし俺だったら、陥れたい相手の家に隠しておくね。で、頃合いを見計らってそれが見つかるように仕向けて、「やはり彼が神笏を盗んだのだー!」とか、宣言するね」
「…………!」
実際、ウルヴァルドを陥れるには、神笏の有無なんて関係ないのだ。ただ、ウルヴァルド=ローデンが神笏を盗んだ、という事実さえあればいい。
そして彼の屋敷から盗まれたはずの神笏が見つかれば、言い逃れは出来ない。
「屋敷を調べていった使者ってのは、信頼出来る奴らなのか?」
仮にそれがエヴァレイド側だったりしたら、状況は最悪だ。
だが、エウリスはそれについては心配していないようだった。
「ああ、調査に来たのは中立性の高い方々ばかりだった。彼らが、神聖術も用いて徹底的に屋敷を調べた結果、神笏の痕跡は全くないと断言して下さった」
……良かった、手遅れではなかったようだ。後は、今後真犯人がローデン邸に神笏を持ち込む可能性だが…
「現在、その方々が厳戒態勢でお屋敷を監視している状態だ。疑われているのは旦那様だが、逆にエヴァレイドの手の者もまた、お屋敷に近付くことは出来ない」
それを聞いて、俺は一安心。天使族は何事も徹底的にやらないと気が済まない性質なので、その言は信頼出来るだろう。
「…となると、残る心配はここ、ミシェイラの屋敷ってことだな」
「……私の?」
いきなり話を振られて、戸惑うミシェイラ。だが、彼女がウルヴァルドの愛娘である以上、彼女も既に当事者なのだ。
さて、俺とエウリスはエヴァレイドとやらを調べるためにあちこち飛び回ることになるだろう。その間、ミシェイラはここで一人残らなければならない。
彼女の安全を考えれば、何処かに身を隠してもらうのが一番。だが、屋敷を留守にすれば、それを真犯人に利用される。
ウルヴァルドが神笏を盗み出した後、それを娘の屋敷に隠したのだ…というシナリオで。
…うーん、どうしようか。
彼女にはここにいてもらわなくちゃいけないけど、身の安全も考えてもらいたい。
「ローデン家本邸の使用人たちを、ここへ呼び寄せるというのはどうだ?この屋敷の者たちと合わせれば、充分な人数になる」
エウリスはそう提案したのだが……
「いや、寧ろ使用人全員に、暇を与えてくれないか?」
俺は、その真逆を取ることにした。
「全員…ですか?この屋敷の者にも?」
「そう。事が終わるまででいいからさ。ミシェイラやエウリスには気心知れた人たちかもしれないけど、この状況で無条件に他者を信じるのは怖い。屋敷に出入りする数は最小限に留めておきたい」
買収や脅迫で、使用人たちが利用されることもありうるのだ。
「……分かりました、リュートさまの仰るようにします」
「ごめんな、ミシェイラ。出来るだけ解決を急ぐつもりではあるけど、しばらく不自由をかけると思う」
彼女は貴族のお姫様。生活の全てにおいて、使用人たちは不可欠な存在だろう。だが、ミシェイラはそんなこと気にしていなかった。
「ご心配無用ですわ。自分のことくらいは自分で出来ます。それに、父が苦難に陥っているというのに、私一人が我儘を言うわけにはいかないじゃないですか」
……うーん、とても殊勝な心掛けだ。どこかの単細胞勇者一行に爪の垢を煎じて飲ませたい。
と、そこにエウリスが口を挟んできた。
「待ってくれリュート。それではあまりに不用心ではないか?屋敷にお嬢様が一人きりになるなど…」
確かに、彼の心配も尤もだ。
ただでさえお金持ちの家は狙われやすい。今回の件を置いといても、屋敷から人気が消えれば何かと危険もあるだろう。
ウルヴァルドを陥れたい何者か(第一候補・エヴァレイド)が、ミシェイラの身柄を利用しようとすることだって、あるかもしれない。
だから、俺には考えがある。
「分かってる。俺の連れを一人、この屋敷に護衛兼話し相手として置いときたいんだけど…いいかな、ミシェイラ?」
「リュートさまの、ご友人…ですか?勿論、とてもありがたいお話ですけれども…よろしいのでしょうか?」
「そいつは、信用出来るんだろうな?」
ミシェイラとエウリスの立て続けの質問に、俺は一度で答える。
「勿論。エウリスはさっき、ちょっとだけ会っただろ?そいつは竜族だ。ちょっと変り者だけど、真面目で責任感が強くて、何より相当強い。ミシェイラのことも、気に入ると思う」
そう、アリアをここに連れてきてしまえばいいのだ。
彼女であれば、それこそ四皇天使あたりでもない限り後れを取ることはあるまい。しかも、責任感の強さは折り紙付き。
もしかしたらオマケでマナファリアが付いてくるかもしれないが…まあ、害にはならないと思う…多分。
「分かりました、お願いいたします」
ミシェイラの許可も出たことだし、早速アリアを連れてこよう。
これで、ミシェイラの周辺は安泰だ。
……と思ったのだが。
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「……解せんな」
事情を話してアリア(とマナファリア)をミシェイラの家に連れて来たのはいいものの、肝心のアリアがヘソを曲げている。
横でそれを見ているミシェイラが、すっかり恐縮しちゃってるじゃないか。
「そう言うなって。ローデン卿は、俺たちの目的にも協力してくれるかもしれないんだぞ?ここで見棄てるわけには…」
「そうではない」
無関係の者のために尽力するのが面倒なのかとも思ったが、どうもそうではないっぽい…?
「何故ワタシが、貴様の命令を聞かねばならんのか、という話だ」
……えーーーー、今さらー?
とも思ったが、言わないでおく。
…まあ、確かに俺も考えが足りなかったかもしれない。
魔界の臣下たちは喜んで俺の命令に従ってくれるし、単細胞勇者たちは何も考えずに俺の意見を聞き入れてくれる。
彼らとアリアを同じように考えていたけれども、それはアリアに失礼なことだった。
彼女は誇り高き竜族。しかも創世神の最後の息吹を浴びた存在。とてもじゃないが、魔王にあれこれと指図されて大人しく従う気にはなれないのだろう。
そう考えると、彼女が俺に同行を申し出たのも、監視のためだったのかと思い至る。
魔王が良からぬことを企まないように、世界に仇なす愚行を犯さないように、その傍らで目を光らせる…
「だからワタシは、対価を要求する!」
………へ?
「ふむ、そうだな……以前に貴様が作って来た、トリノカラアゲとかいう食物があったろう?あれで手を打とうではないか」
……こら待て竜族。誇りは何処に行った?使命は?
どうやら、食い気優先なのは勇者一行に限ったことではないらしかった。




