第二十五話 幕間 桜庭柳人の場合。
思い出を噛みしめるように、俺は、桜庭柳人の日常を語り始めた。
「俺はさ、本当に平凡な一市民だったんだよ。魔王でも何でもない、何処にでもいるような……村人Aってとこかな」
「なんか、想像出来ないんだけど…」
「ま、そりゃお前らにとって俺は“魔王”だからな」
あの頃の俺からすると、今の状況の方がちょっと想像出来なさ過ぎる。
「で、両親がいて、妹がいて、平和に暮らしてた」
「平和な世界だったの?魔族とかは?」
魔族の存在に疑問を持たず尋ねるアルセリアに、俺は苦笑する。常識ってやつは、世界が違えばこうもひっくり返るものなんだな。
「あっちの世界に魔族はいない。天使族も、エルフも獣人も竜も魔獣も」
「それじゃ、人間だらけじゃない」
言いえて妙とはこのことか。
「そうだな。人間だらけだった。動物や虫はいたけど、世界中人間だらけで、人間が一番大きな顔をしていた。神とか悪魔とかは、まあ……人によっては信じてはいたけど、俺は概念上の存在だったと思ってる」
まあ、実際自分がそうだったと知った今、もしかしたらあちらの世界にも神が実在しているかもしれないという思いを持たなくもない。
「少なくとも、俺は会ったことも、見たこともなかった。で、人間同士で戦争ばかりしていた」
「人間同士の戦争は、この世界でも珍しくないわ。天地大戦が終わって、魔族が地上界から撤退した後は、戦後の混乱もあってひどい状況だったって、歴史書にも書いてあるし。今も、小競り合いしてる地域はけっこうあるわよ」
神が滅び、魔族という共通の敵が目の前から去って、人間たちは互いに争う余地を見つけてしまったということか。
「そっか……どこも一緒だな。でもまあ、俺のいた国は、少なくとも俺の周囲は、平和だった。戦争なんてどこか遠い国の出来事くらいに思っていたし、現実味がなかった」
「…その平和な国で、アンタは何をしていたの?」
何をしていた…か。何をしていたのだろう。
「んー、そうだなぁ……。学校に行ったり…」
「学校?上流階級じゃない」
「いやいや、俺のいた国じゃそれが普通。学校に行ったり、友達と遊んだり、家のことをしたり…」
部活だとか、ゲーセンだとか、こちらの言葉では存在しない単語に戸惑う。
桜庭柳人の毎日は、ほとんどルーティーンのようなものだった。
平日は、朝起きて、妹と自分の弁当を作り、学校へ。授業を受けた後は、生徒会の雑用(俺は生徒会役員ではなかったのだが)とか部活動とか。
なお、部活は家政部だった。家の役に立つかと思って入部したのだが、実際には週に一度家庭科室で料理かお菓子を作る程度の活動しかしていない部で、ほとんど帰宅部のようなものだった。
帰宅前に夕飯の買い物をすることもあったし、家に帰れば簡単に片づけをして、余裕があれば洗濯したり、掃除をしたり。余裕がなくても夕飯の支度は俺の仕事だった。
悠香に喜んでもらえる献立を考えるのが好きだったので、毎日の料理は苦にならなかった。
夕飯後は、その日の復習と翌日の予習に費やし、入浴後、就寝。
平日はほぼこの繰り返しで、休日になると友人と遊んだり悠香に買い物に付き合わされたりアウトドア趣味の親父に連れられて山へ行ったり海へ行ったりと、変則的に過ごしていた。
久々に蘇る懐かしい日々に、思わずしんみりしていると、
「…………帰りたいとか、思ったことはないの?」
俺に引きずられたのか、同じようなしんみりした表情で尋ねるアルセリア。
「んー。そうだなぁ。帰りたくないって言えばウソになるけど……帰るも何も、向こうじゃ俺はもう死んでるからなー」
死んでいて、よかったと思う。もしそうでなければ、諦めきれずに苦しい思いをしただろうから。
俺の中で、“魔王ヴェルギリウス”と“人間・桜庭柳人”は、ほぼ同じ割合を占めている。諦めきれない思いが沸点に達したとき、その二つが最悪な形で融合してしまうことだってあり得たわけだ。
この世界に対する絶望と、叶わない願いを抱く絶望と。
「そっか……。でも、アンタが異世界で人間やってて、良かったと思う」
ぽつりと呟くアルセリア。その表情は、いつになく柔らかい。
「俺が人間やってて、良かった……?」
言われて気付く。彼女たちが生き延びたのも、今、地上界に対し魔族の侵攻がないのも、要するに現在、「魔王の脅威」が世界に迫っていないのは、俺が“桜庭柳人”だったからに他ならない。
俺が“魔王ヴェルギリウス”でしかなければ、今頃はきっと、地上界、果ては天界にまでその手を伸ばしていただろうから。
「まあ、お前らにとっては運が良かっ…」
「おかげで、美味しいご飯が食べられるし!」
……って、結局やっぱり食い意地なんかーーい!!




