第二百六十三話 人脈とは何物にも代えがたい財産である。
まさか、他者の敷いた狭隙結界の中に、無理矢理割り込んでくるとは。
ウルヴァルドパパ、流石である。
「……これは一体どういうことだ、エウリス!」
突然現れたウルヴァルドの叱責に、エウリスは真っ青になっていた。
彼の剣は既に、地面に落ちている。
……ふいーーー、助かったー。
あのまま胴体を真っ二つにされてたりしたら、洒落にならないところだった。
油断大敵とは、このことだね。ちょっと慢心が過ぎたかもしれない…反省しないと。
「リュート殿、ご無事か?」
平伏しているエウリスの前を通り過ぎて、ウルヴァルドは俺の傍に走り寄った。
そして俺の傷を見て、その表情に怒りが走る。
「……エウリスよ。リュート殿は我が娘の命を助けてくれた恩人。その彼に対し、このような振舞いに出た理由を申してみよ」
エウリスは、答えることが出来なかった。
それは、自分が間違ったことをしているという自覚があるからではなく…それも多少はあるかもしれないが…単純に、ウルヴァルドの気迫に圧倒されているためだ。
彼の怒りはエウリスに向かっているのに、目の前にいる俺もちょっと怖かったりする。
さっきまで、温厚な好々爺って感じだったのに……彼の周囲を怒気まじりの膨大な霊力が渦巻いていて、今にもエウリスに襲い掛かりそうだ。
「恩を仇で返すとは、正にこのこと。誇り高きローデン家の従者たるお前が、このような愚行に走るとは思わなんだ」
「だ……旦那様……私は…………」
「言い訳など、聞くつもりはない!主の義務として、今この場で引導を…」
「あの、ローデン卿、ちょっと待ってくださいよ」
俺は慌てて、怒り狂うウルヴァルドとエウリスの間に割って入った。
確かに彼の言っていることは何一つ間違っていないのだが、それではエウリスがあんまりじゃないか。
「その、エウリスにも色々と事情…って言うか、思うところがあったみたいなんですよ。まずは、それを聞いてあげてください」
「リュート殿。寛大な御心に感謝する。…だが、これは我がローデン家の問題だ。誇りを汚したこの者には、報いを与えねばならない」
ウルヴァルドの怒りは収まらない。このままエウリスを殺してしまうのではないのだろうか。
ふとエウリスの方を見ると、彼は平服したまま大人しく裁きを待っていた。もう、弁明さえしようとしていない。
彼は、今回の件は自分の独断だと言っていた。
もしかしたら、その罪も自分一人で背負うつもり…だったのか。
……あーもう。なんで魔王の俺が、天使族のためにこんなに腐心しなきゃならんのだ?魔族たち相手ならいざ知らず、こいつらの面倒まで見る気はないんだってば。
「ローデン卿、彼がこんなことをしたのは、貴方のためなんです」
俺の言葉に、ウルヴァルドは動きを止め、エウリスは驚いたように顔を上げた。
「…リュート殿、それはどういうことか?」
「彼は、貴方が“黎明の楔”に協力していることを俺に知られ、それを憂慮して、俺の口を封じようとしたんですよ」
俺の台詞は、ウルヴァルドにとっても爆弾発言だったと思う。
密かに、援助相手にも知られないように、“黎明の楔”に協力してきたと言うのに、俺にそのことを知られてしまったのだから。
けれども、ウルヴァルドならばそれだけのことで俺を殺そうとはしない。この御仁、曲がったことは大嫌いのようだ。
「……貴殿は、一体……?」
「とりあえず、詳しくお話します。彼と俺の処遇は、それから決めてください」
…ふぅ。なんとか、事態を収束出来そうだ。
まったく、せっかくあいつらから離れられてるっていうのに、ストレスが全然軽減しないのはなんでだろう?
あーーー、魔界に帰りたい。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「……そうか…貴殿も“黎明の楔”の……」
一連の事情……俺が“黎明の楔”の連絡役で、エウリスと会ったばっかりだったということ、そのせいでローデン卿と“黎明の楔”の関係に気付いてしまったということ、エウリスは主の秘密を守るために、知ってしまった俺の口を封じようとしたこと……をあらかた説明し、ようやくウルヴァルドの怒りは和らいだ。
「しかし、それならばなおのこと、エウリスの振舞いは短慮に過ぎたと言わざるを得ない。彼の行いには、どこにも正義が見当たらないではないか」
「それでも、主を守りたいという気持ちは尊いものですよ。仮にそれが、正義とは呼べないものだったとしても、その気持ちは否定しないでやってください」
もし俺だったら…俺の臣下たちが俺のために俺の望まないことをしたのであれば…やっぱり、その気持ちを無下には出来ない。
それだけ、主を思う気持ちが強かったということなのだから。
「しかし……恩人である貴殿に危害を……」
「気にしないでください、かすり傷ですよ。……ミシェイラ、俺はいいから、彼の方を見てあげてくれないかな?」
俺は、すぐ横で包帯を巻いてくれていたミシェイラに声をかける。
流血のせいで派手に見えるけど、間違いなく俺よりもエウリスの方が重傷のはずだ。
「でも、リュートさま……」
「おかげで、だいぶ痛みもなくなったよ。ありがとう」
笑いかけると、ミシェイラは照れたのか顔を真っ赤にしてエウリスの方へ小走りで向かった。
そして俺はウルヴァルドと差し向って……
「……ローデン卿、何か?」
なんだか、ウルヴァルドが奇妙な表情で固まっている。
俺、変なこと言ったっけ?
「……いや、何でもない。気にしないでくれ。……その、娘が随分と心を開いていると思ってな」
「……ミシェイラ嬢が?」
ミシェイラだったら、相手が誰でもにこやかに接するんじゃないかな、いい子だし。
「それで、話を戻しますけど……俺は、ローデン卿のことを“黎明の楔”の仲間にも伝える気はありません。貴方の立場としては、極力秘匿しなければならないことだと理解してます」
実際、俺がウルヴァルドのことを吹聴したところで、何の利もない。それがもし、中央殿の間者の耳にでも入ろうものなら、“黎明の楔”は大きな後ろ盾を一つ失うことになるのだ。
ただし……
「ただし、一つお願いしたいことがあります」
俺がそう言うと、ウルヴァルドの表情が険しくなった。
「……交換条件…ということか?」
若造が調子に乗りおって、とか思ってなきゃいいんだけど……って、ほんとは俺の方がずーーーっと年上なんだけどね。
「いえ、そんな大それたことじゃありません。出来る限りで構わないので、中央殿の動きを教えてもらえないか、と思って…」
「そういった情報であれば、可能な限り“黎明の楔”に渡しているが」
「いえ、俺が欲しい情報はそれとは少し違います」
“黎明の楔”が欲しいのは、体制をひっくり返せるような情報。或いは、体制をひっくり返すための活動に有益な情報。
俺が欲しいのは、それとは方向性が違う。
そして俺は、自分の本当の目的をウルヴァルドに話すことにした。
彼ならば、信じられる。そう、直感が囁いたからである。




