第二百五十八話 悩みを相談するうちに親密になっちゃったよ大作戦
「連日お呼び立てしてしまい、申し訳ありません、ミシェイラさま」
「いえ、そんな…お気になさらず」
どこか今までとは趣の違う落ち着きと自信を身に着けたシグルキアスが、再びミシェイラを迎えた。
三日間にわたる、アルセリアの厳しい特訓を乗り越えた彼は、再びミシェイラを屋敷に招待したのだ。
…いよいよ、リベンジである。
勿論、アルセリアも給仕として控えている。
特訓の成果を遺憾なく発揮出来るよう、全力でシグルキアスを補佐するつもりだ。
既に当初の目的をどこかに置き去りにしていたりするのだが、ツッコミ役のリュートが不在なため、アルセリアは気付いていない。
他の面々は、面白がって見物している。エルネストは勿論のこと、ベアトリクスもヒルダも、クォルスフィアまで自分の仕事をサボって茂みの陰で見守り隊である。
……一体誰を見守っているのかは、彼らもよく分かっていない。
「今朝方は随分と冷え込みましたね」
「ええ…でも私、寒いのは嫌いではありませんわ」
「そうでしたか……けれど、お風邪など召さないようにして下さいね」
シグルキアスがミシェイラを気遣った直後、タイミングを見計らったようにアルセリアが彼女のカップにお茶を注ぐ。
柔らかで、それでいて刺激的な香りが立ち昇った。
「お茶に、蜂蜜と生姜を入れてみました。身体が温まるそうですよ」
「そう……なんですか。………美味しいです」
「それは良かった。実を言うと、このアルシーに教えてもらった淹れ方なんですけどね」
……よしよし、いいぞシグルキアス。
後ろに控えながら、アルセリアは内心で力強く頷いている。
先日とは別人のようだ。きちんとミシェイラの言葉を聞いているし、労わり方も本心からだと伝わってくる。
特訓の中で、話すスピードもかなり遅くさせたのだ。
以前のシグルキアスは、まるでマシンガンのようにすさまじい勢いとスピードで自分の言いたいことだけをまくし立てるタイプだったのだが、血のにじむようなスパルタ教育を経て、ゆったりとした落ち着きのある口調へと見事成長してくれた。
これだけでも、ミシェイラの気後れもだいぶ緩和することだろう。
しかも、これは打ち合わせにはなかったことなのに、さりげなくアルセリアを立てている。ミシェイラが以前、アルセリアに好感を持っていたことを覚えていたからだとすれば、とんでもない成長だ。
そしてもし、そういう打算がないのだとすれば、彼は本物になったと言えよう。
「それで、その……実を言うと、今日お越しいただいたのには、少し理由がありまして……」
いよいよ、作戦決行だ。アルセリアは、密かに息を呑む。
この作戦が成功すれば、シグルキアスは今まで以上にミシェイラと親密になれるはず。
そう、それは……。
「理由…ですか?」
「はい。……お恥ずかしながら、ミシェイラさまに、ご相談したいことがありまして」
うんうん、いいぞシグルキアス。
後ろに控えながら、アルセリアは内心でエールを送る。
自信に満ちた男が不意に見せる頼りなさってのも、女には効果的だったりするのだ。
……無論、いっつも頼りないのは論外なのであるが。
「相談…ですか、シグルキアスさまが……私に?」
ほらほら、ミシェイラ嬢は吃驚している。
そりゃそうだ。今まで、ミシェイラの話を聞いているようで聞いていなかった男が、彼女に相談を持ちかけるなんて。
人は、どうでもいい相手に相談など持ちかけない。
この人の意見を聞きたい、重視したい、と思う相手だからこそ、頼りにし、相談することが出来るのだ。
則ちここで、シグルキアスはミシェイラの言葉に重きを置いている、と言外に示したのだ。
「はい。……その、マリアベルのことなんですけど…」
「妹さんのことで?」
「そうです。あの子もそろそろ、社交界に出る頃かと思いまして。ただ、本人にはその気がないようで、どう言い聞かせても駄々をこねるばかりなのですよ。最近では、すっかり部屋に籠ってしまって」
マリアベルとは、シグルキアスの妹である。年齢は三十とちょっと、人間換算で十二歳前後。
天界でも、上流階級はそのくらいの年齢で社交界デビューするものらしく、しかし一向に家の外に出たがらない妹に困っていることを知ったアルセリアが、それを利用しない手はない、と進言したのだ。
そこで立てた作戦が、この、悩みを相談するうちに親密になっちゃったよ大作戦…である。
同性であり、既に社交界デビューを果たしたミシェイラであれば、この相談に乗ることは容易い。そして彼女は、シグルキアスの悩んでいる姿と、妹思いの姿を目の当たりにする。
さらに彼女の助言に従ったシグルキアスが、悩みが解消したと彼女に感謝を伝えれば、ミシェイラも悪い気はしないだろう。
それまで唯我独尊だった男が、自分を頼って自分の言葉を聞き入れて自分に感謝するのだ。シグルキアスの強引さに辟易していたミシェイラにとってそれは、とても新鮮な体験に違いない。
「その、マリアベルさんは、何か理由などは仰っていたのですか?」
ほら、優しいミシェイラのことだ。既に親身になって相談に乗る体勢になっている。
「理由……特にそういったことは……」
「何か、あるはずですよ。マリアベルさんだって、ウェイルード家の一員として教育を受けて来たのですから、いずれは社交界に出なくてはならないと分かっているでしょう。それなのに、目前になって拒否するということは、何か具体的な理由があると思います」
今までとは打って変わって、ミシェイラが饒舌になった。これは、彼女のフィールドだ。得意分野であれば、彼女は気後れせずに自分の意見を述べることが出来る。
「だから、まずは社交界に出ろと強制するのではなくて、その理由を聞いてあげてください。すぐには教えてもらえないかもしれませんが、根気強く。兄君が自分を心配してくれていると分かれば、彼女もきっと打ち明けてくださいますよ」
「根気強く……妹の話を、聞いてあげるのですね」
おお、シグルキアスよく分かってるじゃないか。そうそう、その調子。
「そうです。そのときに、叱ったり否定してはいけませんよ。彼女が自分で答えを出すのを待ってあげてください」
ミシェイラは、自信なさげなシグルキアスににっこりと笑いかけた。
その時のシグルキアスの表情から判断すると、多分それは滅多にないことだったのだろう。
「…分かりました、そうしてみます。……ミシェイラさまに相談出来て良かった。私一人では、どうしていいか困り果てていたもので……ありがとうございます」
そして、シグルキアスが礼と共に頭を下げたときのミシェイラの表情から判断すると、これもまた滅多にないことだったのだろう。
「いいえ、少しでもお役に立てたのなら嬉しいですわ」
「また、進展がありましたら相談に乗っていただけますでしょうか」
「はい、喜んで」
頷くミシェイラの表情は、先日が嘘のように柔らかく自然な笑顔だった。
よっしゃーー!よくやったぞシグルキアス。
ミシェイラ嬢と打ち解けただけでなく、次回の約束も取り付けるとは!
アルセリア、心の中で思わずガッツポーズ。
すっかり自分の使命を忘れていたりする神託の勇者であった。
その後もしばらく、和やかにお茶は進んだ。
順調な展開に気を良くしたシグルキアスが暴走しかける場面もあったが、そこはアルセリアの必死のフォローでなんとか乗り切る。
シグルキアスも、よっぽどミシェイラ嬢に気に入られたいのか或いはよっぽどアルセリアのスパルタが怖いのか、背中に刺激を受ける度(ヘマをやりかける度にアルセリアが彼の羽根をむしるのである)、きちんと軌道修正している。
お茶会がお開きになる頃には、ミシェイラ嬢はすっかりリラックスしていた。
これは、大成功である。気に喰わない男の前でリラックスする女はいない。恋愛対象かどうかはまだ分からないが、少なくともミシェイラの、シグルキアスへの好感度は今までになく高まった。
そもそも、お互いが上流階級の、正式に婚約を結んでいるわけでもないがいずれ結ばれるだろうと周囲から認識されている二人なのだ。シグルキアスが今日のことを忘れなければ、余程のことがない限り…具体的に言えば、ミシェイラ嬢に運命の相手が現れない限り…二人の仲は安泰だろう。
お茶が終わり、ミシェイラの乗った馬車(天使族は飛んで移動するのが普通だが、上流階級は馬車を使うのがステータスである。なお、車を曳くのは通常ユニコーンかペガサスである)を見送るシグルキアスは、何かをやりきったような晴れ晴れしい顔をしていた。
「……アルシー」
馬車が見えなくなって、シグルキアスは初めてアルセリアの名を呼んだ。
「ありがとう、君のおかげだ。これからも、よろしく頼むよ」
「はい、お安いご用です!」
………いやいやいやいや、お安いご用じゃないよこれからもっていつまでここにいる気だよ。
陰からこっそり窺っていた見守り隊の面々も、流石にそうツッコまずにはいられなかった。
なかなか勇者一行と魔王が合流出来ないんですけど…どうしましょう。




