第二百五十五話 接触
その日は、いつもと少し様子が違った。
俺たちが天界のレジスタンス、“黎明の楔”に参加して数日たったある日、俺は、構成員たちがそわそわとしているのに気付いた。
一瞬、敵襲かとも思ったが違う。それにしては、緊張感はあるが緊迫感はない。どことなく、浮ついたような空気が漂っていた。
「なにやら、騒がしいのう」
「何か、行事でもあるのでしょうか」
アリアとマナファリアも気付いたようだ。と言っても、気付いただけで然程気にしていなさそうではあるが。
俺たちは、あてがわれた部屋にいる。今日は料理もいいから、ここから出るなと言われてしまったのだ。
……絶対、何かあるな。
そう思いはしたが、とりあえず大人しく待機。ここでレメディたちの反感を買うのは得策ではない。
直接尋ねてみたいのはやまやまだが、いいから引っ込んでろ、と言われるのがオチだろうし。
その代わり、頃合いを見計らって俺は、こっそりと部屋を抜け出した。
「おい何処へ行く。ワタシも連れていくがいい」
「ご一緒いたしますわ、リュートさま」
すかさず二人が付いて来ようとするが、こいつらが来ると色々とめんどくさい。
「いいから、ここで留守番してろ。すぐ戻るから」
きっぱりと同行を断ると、二人とも納得はしてなさそうだが、しぶしぶ了承してくれたようなので、俺はこっそり外に出る。
で、こっそり様子を窺って、レメディとイラリオ、あと数人に見送られて何者かが外に出て来たことを確認した。
全身をすっぽりと外套で覆っており、性別も年齢も分からない。が、レメディたちの態度から、その人物(多分天使だろう)が敬われていることは確かだった。
その人物は、一人だった。同行者もおらず、見送りを受けた後は一人で路地を歩き出す。
ちょっと不用心じゃないだろうか。……いや、用心しているからこそ…かな。
俺は、その人物の後をつけてみる。
歩幅と速度からすると、老人ではなさそうだ。そして、隠してはいるが僅かに漏れだす霊力の純度からすると、かなりの高位体である。
拠点を離れてしばらく進んだところで、やおらその人物が足を止めた。そして、
「…私に何か用だろうか」
振り返らないまま、背後に隠れる俺に声をかけてきた。
やっぱり、気付かれたか。
まあ、俺には気配を断つなんて芸当出来ないし(やり方知らない)、せいぜい物音を立てないように歩くのが関の山だから、気付かれるのも不思議じゃないけどさ。
「ああ、うん。用って言うか、ちょっと確認したくってさ」
隠れる必要もないので、俺は素直に姿を見せて語り掛ける。
「……確認…と?」
「そう。アンタが、あいつら…“黎明の楔”のバックボーンってことでOKなのかな、風天使グリューファスさん?」
「………何者だ」
俺の質問には答えず、警戒を見せる人物。その周囲の霊力密度が、僅かに高まった。
そりゃそうだろう。お忍びでこんなところに来てるってのに、見知らぬ俺にいきなり看破されたんだから。
俺は、彼に敵対する意志はないことを示すために、軽く両手を上げながら、
「俺はリュウト=サクラバ。一応、今のところは“黎明の楔”の一員…つーか、協力者だよ」
「………協力者…?」
「そ。だからアンタの敵じゃない。安心してくれ」
「…私の存在は、“黎明の楔”の中でもごく一部の者にしか明かされていない。何故汝がそれを知っている…?」
俺の質問に否定で答えないことで、彼は自分の正体を俺に明かしてしまった。
レメディが、風天使についてだけは言及してなかったし、彼女らのバックには結構な大物が控えていると予想していたので、カマをかけてみたんだけど。
「いやぁ、レメディから、心強い後援者がいるみたいな話は聞いてたしね」
…それにしても、四皇天使の一人がレジスタンスの黒幕だなんて、ちょっと驚きである。
「……そうか、汝が、彼らの言っていた廉族の協力者か。あの天空竜は放置出来ぬと思っていたが、汝も只者ではなさそうだな」
俺もまた彼と同じレジスタンス側にいるのだと分かったはずなのに、グリューファスの警戒は薄れない。いきなり正体を見破ってしまったのが悪かっただろうか。
まあ確かに、天界を統べる最高位天使の一人でありながら、その在り方に疑問を投げかけるレジスタンスに協力しているなんて知られたら、身分剥奪じゃ済まされない。
彼が警戒するのも、無理もない話だ。
「…それで、用は終わりか?」
「あー、えと、それだけじゃなくてさ」
俺としては、別にレジスタンスの後援が誰なのかなんてどうでもいい話だったりする。重要なのは、そんなことじゃなくて。
「アンタはさ、地上界の…神託の勇者って知ってる?」
「無論だ。彼の者の存在は、我々としても看過することは出来ない」
俺の質問に、グリューファスは眉を顰めながらも答えてくれた。
「だったら、そいつらを狙ったのが誰なのかも、知ってる?」
だが、その次の質問には即答してくれなかった。
それどころか、彼の周囲の警戒がさらに高まる。
「……それを聞いてどうする?汝は、その勇者とやらの関係者か?」
ばりばり関係者です。だって魔王だもん。
「ん、そりゃあね。俺、そいつらの補佐役やってるんだよ」
とは言え、今のところは廉族のフリをし続けておこう。
「……補佐役…?」
「そ。なのにちょっと別行動してる間に、あいつらのいる都市が天使族の攻撃を受けてさ。で、あいつらが今何処にいるのか分からなくってね」
風天使グリューファスは、しばらくの間黙りこくって考え込んでいた。
が、辛抱強く待っていると、やがて再び口を開く。
「…まあ良い。それほどの機密というものでもないからな。……地上界攻撃の許可は、中央殿の決定だ。尤も、それを主張したのは水天使だが」
「その後、地上界に生贄寄越せって無茶な要求したのも?」
「同様だ。天界の意思決定は全て、中央殿から下される」
……なるほど。で、それも水天使の指示だってわけか。
予想通りではあったが、目標がはっきり分かって一安心である。
「だが、廉族よ。それを聞いてどうする?」
グリューファスの疑問も尤もだ。非力な廉族がどう足搔いたところで、最高位天使である四皇天使に太刀打ち出来る術はない。
俺たちに出来るのは、せいぜいレジスタンスに協力して、中央殿の支配体制を崩す手伝いをすることくらい。
……そう、思っているに違いない。
「んー、まあ、こっちにも色々と考えが…ね。ところで、勇者たちの居場所については、何か知ってたり…?」
「現在、捜索中だ。攻撃後、彼らの身柄を確保するよう命じられたが、未だ捕捉出来ていない」
「…そっか」
その言葉を聞いて、俺は安堵していた。
天使たちがアルセリアたちの行方を見失ったというならば、彼女たちはまだ無事であるという可能性が高い。
「考え、と言ったな…?」
「俺の目的は、神託の勇者一行を見つけ出して保護すること。それと、生贄三千人だなんていう無茶な要求を取り下げさせること」
俺は、隠し立てせず素直に目的を話した。
それを聞いた風天使の表情に、同情…否、憐憫の情が混じったような気がした。
「……愚かな。それは汝ら脆弱な廉族には望みえぬことだ。…いや、竜族の助力があっても同じ。地上界に贄を求めたのが中央殿の決定なのだとしたら、それを覆すことはこの私でも難しい」
彼の憐憫は、決して叶うことのない夢物語を俺が口にしていると思ったからか。
「そんなの、やってみなけりゃ分からないだろ?」
「ならば、何をするつもりだ?中央殿の意思決定は、執政官によってのみ為される。汝がそれを望むのであれば、汝自身かそれに近しい者が執政官になり、半数以上の賛成を得なければならない」
グリューファスの言う手は、絶対に俺では不可能なこと。
天使族でさえ、高位貴族でなければなることが出来ないのが執政官なのだ。廉族なんて、お呼びじゃない。
多分、中央殿に近付くことすら出来ないだろう。
だけど。
「誰が、そーんな正攻法でまどろっこしいことやるかよ。望む結果さえ得られれば、手段なんてどうだっていいさ」
事も無げに言った俺の台詞に、グリューファスが何かを感じ取ったようだ。
「それは…まさか汝、暗殺でもしようなどと企んではおらぬだろうな?」
「いやー、暗殺とかそんなあからさまじゃなくってもいいけどさ」
実際には、四皇天使の生死もどうでもいい。彼らに、地上界にちょっかいかける気を失わせればそれで十分だ。
……勿論、それには彼らを排除してしまうのが一番手っ取り早いことも確かだけど。
「それはますます、汝には不可能なことだ。あまりに無謀すぎる…」
「ま、信じても信じなくてもいいよ。出来る限りアンタらには迷惑かけないようにするからさ。……あ、あと、アンタと会ったってこと、レメディたちには内緒な?」
とりあえず、確認したいことは済んだ。
俺は風天使に背を向けると、来た道を戻る。
風天使グリューファスは、怪訝な顔をしてそんな俺をしばらく見送っていた。
この風天使、全然動いてくれないんですけど。
この先、どういう風に扱うか決めかねてます。




