第二百五十四話 気の合わない相手との会席ほど苦痛なものはない。
………騙された。
いや、誰も騙してはいないし、完全にアルセリアの勘違いであるのだが、しかし彼女は心中でそう毒づいた。
士天使シグルキアスの客人。
大切な相手だと言うし、さぞ高位の、重要な役職に就く天使が来訪するのだと思い込んでも仕方ないではないか。
しかし実際、彼の屋敷にやって来た天使は、確かに高位の貴族かもしれないが、取り立てて重要な役職に就いているというわけではないようだ。と言うか、多分中央殿とは関係ない模様。
「やあやあ、ようこそおいで頂きました、ミシェイラさま!」
「……お招きいただき光栄ですわ、シグルキアスさま」
喜色満面の態度で両手を大きく広げ客人を迎えたシグルキアスと、対照的に浮かない顔で返事をする少女天使。
明らかに、シグルキアスの「お招き」をありがたく思っていないことはアルセリアにも分かった。
しかし、当のシグルキアスはそれに気付かないのか、にこやかな表情を絶やさずに彼女をテラスの席へエスコートする。
シグルキアスの屋敷の中庭に設けられたテラス。色とりどりの花々が咲き乱れ、東屋や噴水の配置は緻密に計算し尽されている。
中庭と言っても面積は相当なもので、吹き抜ける風が心地よい。
こんなところでのんびりお茶を楽しめればさぞ気分も良いだろうと思われるが、それも同席する相手による。
少なくとも、ミシェイラと呼ばれた少女の気分は決して良くなさそうだった。
「お父君はご壮健ですか?最近ご無沙汰しておりまして」
…やはりシグルキアスは、彼女の強張った表情には気付かない。
「はい、おかげさまで、元気にしております」
普通だったら、その言葉の後に相手の近況を尋ねる一言が追加されるべきなのだが、ミシェイラ嬢はそう言ったきり口を閉じる。
「先日の舞踏会は素晴らしかったですね。流石はアマルド侯爵と、感嘆せずにはいられませんでしたよ」
「ええ、左様ですね」
「そう言えばお聞きになりましたか、レイヴァーン殿のご息女も社交界デビューをなさったそうですね」
「ええ、左様ですね」
「そうそう、今日はタッシェル地方のお茶を取り寄せたのですよ。収穫量が限られていてとても稀少価値の高い品なのですがね、どうしても貴女に味わっていただきたくて」
「ええ、左様ですね」
…………気付いて、シグルキアス気付いて!さっきから彼女、「ええ、左様ですね」しか言ってない!!
思わず、気の利かない家主の後頭部を張っ倒したくなったアルセリアだが、これまた強固な精神でその衝動を抑え込んだ。
どう見ても、状況は明らかである。
シグルキアスが、一方的にミシェイラ嬢に惚れ込んでおり、一方のミシェイラ嬢は彼の気持ちを迷惑に思っている。
まあ、人の話を聞かない上にいけ好かなくて鼻持ちならないシグルキアス相手では、無理もないことかとアルセリアは失礼なことを考える。
が、こうも好意をダダ洩れにしているのに素気無くされている様には、同情も感じなくはない。
しかしここでは女中に過ぎないアルセリアが同情したところで、何が出来るというわけでもなく。
仕方なく彼女は、黙って二人に給仕するしかなかった。
「……あの」
自分のカップにお茶を注ぐエプロン姿の獣人を見て、ミシェイラが少し驚いた顔をし、それからアルセリアに声をかけた。
「はい、何でしょう?」
ミシェイラの年齢は、アルセリアとほぼ同じ(と言っても天使族なので、実年齢はずっと上だろう)。頼りなげな表情でおずおずと声をかけてくる姿はとても愛らしくて、思わずアルセリアはにっこりと笑いかけてしまった。
「あ、いえ…その、すみません。獣人の方をお見かけするのは、とても珍しいものですから……」
慌てたように俯く姿も愛らしい。
アルセリアはリュートと違ってロリの気もショタの気もないが、か弱い者に保護欲が湧くのは勇者としての性である。
ここにリュートがいたなら、またぞろ目の前の少女を誑し込むに違いない。
そのくらい、可憐な少女だった。
「ああ、彼女は最近雇ったばかりの女中でしてね。元は、新しい従者の縁故の者なんですよ」
ミシェイラがアルセリアに興味を抱いたことを見逃さず、シグルキアスはうきうきと説明。
「大して気の利かない娘ですが、今は人手不足が深刻ですからね。やむなく…と言ったところです」
大げさに溜息をついてみせるシグルキアスに、アルセリアの表情がひきつる。
が、彼女がまたもや強固な精神力を発揮するよりも前に、
「そんなことを仰られては失礼ですよ、シグルキアスさま。この方の笑顔、私は大好きですわ」
「気立ての良さだけは評価しているんですよハハハハハ」
ミシェイラのフォローに、慌てて付け足すシグルキアス。が、そう思ってなどいないことは、アルセリアにバレバレである。
「あの、お名前を伺ってもいいですか?」
ミシェイラ嬢はどうやら、シグルキアスよりもアルセリアを相手にしたいと思ったようだ。…と言うよりも、アルセリアと会話することでシグルキアスとは話さずに済むようにしたい、といったところか。
「あ、ええと…アルシーっていいます」
「アルシーさん…ですか。私はミシェイラ=ローデンです。よろしくお願いしますね」
…ほわわんとした笑顔が可愛い。
同性ながら、思わず赤面してしまうアルセリアだった。
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片思いの相手をお茶に招待し仲を進展させようというシグルキアスの目論見はおそらく、失敗に終わった。
その後も、ミシェイラはアルセリアに身の上のことを聞いたり地上界のことを尋ねたり(アルセリアの頭で上手く誤魔化すのは非常に大変なことだった)、ほとんどシグルキアスの方を見ようとはしなかった。
それでもめげずに会話を試みるシグルキアスのメンタルの強さには脱帽だが、ミシェイラにはそんな彼に答える気はさらさらなさそうで。
流石にちょっと可哀想かも、とアルセリアが思ってしまうほどにシグルキアスの道化っぷりは目に余るものだった。
「あー、君。ちょっといいかな」
だから、ミシェイラ嬢が帰ったあとでシグルキアスがアルセリアを呼び出した気持ちも、分からなくはない。
「はい、何ですか?」
しかしアルセリアには、同情はしても怒られる筋合いはない。ないのだが、てっきり主を差し置いて客人と楽しく?会話を続けていた女中にお叱りの言葉をぶつけるのだろうな、と覚悟はしておいた。
だが、そんな彼女の予想に反して。
「………あー、その、なんだ………」
歯切れ悪くそわそわと自室をうろつくシグルキアスからは、普段のいけ好かなさが緩和されていた。
「その…君の助言が欲しいのだが」
「………助言…私の?」
お叱りではなく予想外の言葉に、思わずアルセリアは素っ頓狂な声で答えてしまった。
しかしシグルキアスは、そんな召使いの不躾を気にする余裕はなさそうで、
「君もあの場にいたから分かるだろう?ミシェイラ嬢は、とても内気で引っ込み思案なんだ」
……いや、あの場にいたから分かるけど、それは相手が貴方だからですよ。
と心の中でツッコんで、アルセリアはとりあえず頷いておいた。
「今までも何度かお誘いしているんだが、どうも彼女は僕の美貌や地位に気後れしているようで、なかなか打ち解けてくれようとしないんだよ」
…………………。
一瞬、心中でツッコむことすら忘れていた。
確かに、シグルキアスの容姿は非常に優れている。見てくれだけなら、誰もが称賛を惜しまないだろう。リュートと良い勝負だと、アルセリアも思っていた。
天使族に多い、明るく淡い金髪に青い瞳。身長はそれほど高くないが、均整の取れたスタイルと、優雅で洗練された立ち居振る舞い。
何も知らない女性が彼を見たならば、一目で恋に落ちてしまったりもするかもしれない。
天使族は比較的見目の良い者が多い種族だが、その中でも彼は群を抜いていると思う。
だが、所詮は見てくれだけ。
一度言葉を交わせば、一瞬でその内面の残念っぷりが露呈する。
しかも、彼自身がそれに気付いていないあたりがこの上なく残念だ。
「だから、同年代の女性の意見を聞きたい。君はどう思う?どうすれば、彼女が胸襟を開いてくれるだろうか」
「そ……」
そんなん知るか自分で考えろ、と一喝しそうになったアルセリアだが、すんでのところで思いとどまる。
ここで、シグルキアスの歓心を得ることが出来れば…もう少し色々と、やりやすくなるかもしれない。
「…そ?」
「そ、そういうことなら、任せてください!」
安請け合いにも程があると自分でも分かっているが、アルセリアはお得意の「なるようになるさ」精神で取り掛かることにした。
「そうか、いやぁ、心強いよ」
そんな彼女を疑いもせずに頼りにする家主は、もしかしたら思うほど嫌なヤツではないのかもしれない、と思ったアルセリアは、出来ればついでに彼の想いも成就すればいいな、とらしくないことを考えたりもしたのだった。
早く勇者一味(一味って言うな)とリュートを再会させてあげたいんですけど、この組み合わせけっこう楽しいので、もう少しグズグズさせちゃいます。




