第二十四話 サイト設営は明るいうちに。
早朝。まともに眠れなかった俺は、自室で支度をしていた。
ヒュドラの縄張りは広いらしい。あの広大な山脈のほとんどがそうらしく、簡単にエンカウント出来るという保証はない。
見たところ、山脈は二千メートル級の山々が連なっている。村人たちが使っている林道や獣道もあるが、ヒュドラがそういう人の立ち入る場所にいるとも限らない。
もしかしたら、長丁場になるかも。
ギーヴレイが揃えてくれた旅道具が、役に立つことになりそうだ。保存食と行動食は、宿の親爺に頼んで用意してもらった。
今日の朝食は、軽めにサンドイッチ。ケルセーで購入してきたパンの残りを使ったのだが、サンドイッチというよりナンドッグみたいな感じになってしまったのはご愛敬。
そうこうしているうちに、三人娘も起きだしてきたようで、
「ちょっと、アンタ何逃げてるのよ」
うぐ、ばれてた!
「ば、ばっかお前、逃げ出したわけじゃないっつの。俺にだって色々考えがあってだなぁ……」
「で、逃げ出したんでしょ」
「う………………はい」
もう反論もめんどくさい。
「お兄ちゃん、なんでいなくなっちゃったの」
部屋に駆け込むなり、ヒルダが俺にのしかかってきた。
そして肩越しに俺の旅道具を見て、興味津々になっている。
「おはようございます、リュートさん。………今朝の食事は、何でしょう?」
…………ああ、もう。なんでこいつら、こうなんだろう………………。
出発の前に、エルネスト司祭と会話しに行こうか。
半ば本気で、そう考えたりした。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
朝食を済ませ、三人娘と俺は、村を後にした。そして、初日に下山したのとは別の道から、山へと入る。
どうやら、村長が山に入れないと困る、と言っていたとおり、村の人々は頻繁に山に出入りしているようだった。そこは、整備されているとは言い難いが、歩くのに困らない程度には踏み固められた登山道。
問題は、道沿いに歩くだけでヒュドラに遭遇出来るかどうか、だが。
登山はお手の物だが、俺の知っている登山は「道から外れないようにする」のが最も重要視される。それに当てはまらない今回、正直言うと若干不安がなくもなかった。
三人娘は、そんなこと気にもしていないのか、まるで遠足のように気楽に歩いていく。体力だけは常人離れしているようで、けっこうなハイペースだ。
先頭をアルセリアが、その後ろにベアトリクスが続く。ヒルダは、最後尾で俺にべったりと貼り付いたまま。
「あのさ、ヒルダ。ちょっと歩きにくいから、離れてくれるかな……」
「んーん。や。ここボクの場所」
か、可愛い……可愛いけど………………いや、可愛いからいいや。
何かに負けた気もするが、気にしてはいけない。
「しっかし、不気味なとこよねー」
「道は歩きやすいので助かりますけどね」
確かに歩きやすい。が、なんか違和感。
普通、山仕事って言ったら、林業だったり、山菜採りだったりしないか?
日本でもそうだったが、人の手が入る里山ってのは、案外明るいものだ。木々は間引きしなければ日光遮られ、質の悪い木材ばかりになってしまうし、下草を刈ることでキノコ類も豊富に生えてくる。
今俺たちが歩いてるこの山は、どちらかと言うと放置林のようにも見える。
山仕事って、なんなんだろう……?
数時間程歩き回り、ヒュドラの痕跡は無し。俺たちは、ひとまず休憩を取ることにした。の、だが。
ここで、勇者たちのポンコツっぷりが、その片鱗を見せ始めた。
俺たちが休憩地に選んだのは、清流のすぐ傍。少し開けていて、休むにはうってつけの場所だ。
「見て、ビビ。水がすっごく綺麗」
そう言いながらアルセリアは、手で水をすくうとそのまま口へ……
「って、ちょっと待てい!」
俺が制止しなければ、そのまま飲もうとしていた。
「何よ、急に」
「何よ、じゃない。生水は飲むなよ」
ここが水源か、湧き水であったなら話は別だが、見たところ最上流というわけでもなさそうだ。だがアルセリアは理解出来ていないようで、
「そう言えば、旅に出る前に教会の人からもそう言われたんだけど……なんで?」
…………そこからか。
「なんでって、腹こわしても知らないぞ」
「こわさないわよ。こんなに綺麗なのよ?」
…………それほどか。
「あのな、見た目は綺麗でも、実際には汚染されてることはザラなんだって。重金属…は、まあ、こんな上流ならまずないだろうけど、寄生虫とかだっているかもしれないだろ」
「………………きせいちゅう?」
…………あ、それも、なのね。
この世界の医療技術がどれほどのものかは知らないが、寄生虫の存在を知らないのはよっぽどだぞ。
さて、どう説明したものか。
「あのな、ここ、動物もたくさん棲んでるだろ?」
「え?…そうね。さっきから鳴き声がするし」
「この川の近くで、糞をしてるかもしれないよな?」
「………………………………!!」
アルセリアは、弾かれたように川から離れた。
まあ、実際に川の水を飲んで寄生虫にやられたりする確率はそう高くないとは思うけど、無用のリスクは避けるに限る。何より、俺の知らない寄生虫や病原菌がいるかもしれないのだし。
俺と違って人間である彼女らは、いくら神託の勇者と言えども、病気と無縁ではいられないだろう。
とりあえず理解してもらえたようなので、食事の準備をしよう。
と、言っても、本格的な料理を作るわけではない。娯楽で来ているのではないのだから、保存食の干し肉で簡単なスープを作り、持ってきた乾パンをそれで流し込んで終わりだ。
三人の不満げな空気が、びしばしと伝わってくる。魔獣討伐の真っ最中で、贅沢を言っている場合ではないと分かっているのか、流石に口には出さないが…
「ねぇ。これあんま美味しくない」
……前言撤回。全く分かっていないようだ。
「分かった分かった。夜はも少しまともなもの作ってやるから。今はこれでガマンしといてくれ」
どのみちこれは小休止でしかないのだ。時間を食ってしまっては元も子もない。
俺の言葉になんとか不満を呑み込んで、アルセリアはおとなしく食べ始めた。まるで子供だ。いや、年齢的にはまだ未熟な少女であることは確かだが、なんて言うか、人類の未来を背負う選ばれし者、にしては幼すぎやしないか?
「夕飯が楽しみですねぇ」
最年長であり、おそらく三人のまとめ役と思われるベアトリクスでさえ、深謀遠慮の持ち主とは思えない。
「お兄ちゃん、甘いのが食べたい」
…………ヒルダにいたっては、年齢以上に幼く見える。
まあ、可愛いから許すけど。
こいつらの教育係は、一体何を考えていたのやら。勇者と言っても生まれたときから完成されているわけはないのだから、戦闘技能から一般常識まで、教師役を担う者がいたはずだ。
戦闘技能に関してはまあ仕方ないが、一般常識はさっぱりじゃないか。
少なくとも、「いのちだいじに」と、「嫁入り前の娘の貞操観念について」くらいはしっかり教え込んでおいて欲しかった。
昼食休憩を終え、再び捜索を開始した俺たちだったが、
「ねー。ちょっと、どうなってんのよ。全然いないじゃない、ヒュドラの奴」
どうなってるって、俺に聞かれても困る。
「初日は向こうからすぐに襲ってきたのにさぁ。もしかして逃げちゃったんじゃない?」
「なんで優勢だった方が逃げるんだよ」
「別に私たち劣勢じゃなかったもん!」
………よく言うよ。
「でも、もしかしたら本当にそうかもしれませんね」
「ビビまで!私たち劣勢じゃなかったってば!!」
「いえそうではなくて」
ベアトリクスは、別の意味で思い当たることがあるみたいだ。
「どこかでちらっと耳にした程度ですが、確かヒュドラという魔獣は非常に繊細で警戒心が強く、外敵に接すると縄張りを捨ててしまうことがままあるそうです」
「へー。ほー。繊細で警戒心、か。どこかの誰かさんたちに爪の垢を煎じて飲ませたいもんだなー」
「……どっかの誰かって、誰のことよ?」
…………さては勇者、自覚あるな。
「それはともかく。ヒュドラがもうここにはいない可能性もあるってことか?」
「……そこまでは、なんとも…」
うーん。だとすると厄介だぞ。いることを証明するのはそこまで難しくないが、いないことを証明するのは非常に難しい。
何せ、この広大な山脈をしらみつぶしに探してみないと結果は出ないのだから。
「もうめんどくさいからさ、ヒュドラはどっか行きましたーって、村長に報告してみたらどうよ?」
なんて俺の素敵な提案だったが、
「んないい加減なこと出来るはずないでしょ!!」
アルセリアに一蹴される。正論だが、こいつに言われるとなんか腹立つ。
「逃げてないとしても、どっか、隠れてるのかも……」
珍しくヒルダが口を挟んできた。ちなみに、休憩後もずーーーっと俺にひっついている。
「隠れるって、何から?」
「……………………………」
ヒルダは無言で、俺を指差す。
「へ?俺?なんでだよ」
俺はヒュドラとは戦ってすらいないぞ。ただこいつらを連れて逃げただけで。
「何言ってんのよ。あんた魔王でしょ」
………あ、そっか。
確かに思い返してみると、ヒュドラは俺に随分と警戒を見せていた。襲い掛かってこようとしなかったし。
……ん?
……ってことは…………?
「アンタのせいでヒュドラが見つかんないわけね」
「えええええ?俺のせい?そんな横暴だ!」
「横暴じゃないわよ。十分に有り得ることじゃない。どう責任取ってくれるわけ?」
なんか、風向きが怪しくなってきた。
「ま、まぁアレだ。もっと調べてみないと分かんないだろ?とりあえず、今日明日は捜索に費やすぞ」
別に誤魔化しているわけではない。そもそも、こいつらの言い分が正しいとは限らないのだ。
何事も、決めつけるのはよくない。多角的な視点を持つ、そんな柔軟性に富んだ男に、俺はなりたい。
とっぷりと日は暮れ。
「今日一日、無駄に終わったわね」
月明かりが木々に遮られ、森は深い闇に覆われている。
「無駄かどうかは、まだ分からないじゃねーか。明日は見つかるかもしれないし」
「少なくとも今日は無駄だったでしょ」
焚火の明かりだけが、俺たちを照らしていた。
日が暮れる直前まで、俺たちは歩き回った。わずかな魔力反応も見逃さないように神経を尖らせ、時折憎まれ口を叩き合い、アルセリアが不用意に浮石を踏んで崖から落ちそうになったりヒルダが見慣れぬ鳥に夢中になって迷子になりかけたりベアトリクスが何度も同じところをぐるぐる回っているのではないかという懸念を持ち出して時間を喰ったり(それは杞憂だった)もしたのだが、まあ大概真面目に捜索を続けた。
それでもヒュドラは影も見せず、夜通し探すつもりだった三人娘を説き伏せて、ひとまず今晩は山中で野営をすることにしたのだった。
折よく適当な横穴があり、俺たちはそこを今日の野営地にしている。何しろ、俺以外は誰もテントを持っていないのだから。
「まぁまぁ二人とも。そろそろ食事をいただきましょう」
剣呑に言い合う俺とアルセリアをベアトリクスがとりなした。とりなすのが目的ではなく、さっさと目の前の肉とピラフにありつきたいだけだということは、もう俺には分かっている。
焚火に炙られているのは、一角兎の肉。ローズマリーとガーリックを擦り込んで、豪快に丸焼き。味付けは、塩コショウのみ。それが結構イケるのだ。滴る脂が食欲をそそる。
で、もう一品はピラフ。こっちではあまり馴染みのない米料理。バターで炒めて、具は刻んだ玉葱、人参、カシューナッツ。塩コショウで味付けをして、乾燥させたガーリックとコリアンダーで香りをつけてある。
「へー。お米料理って、初めて食べるかも」
「そんなに珍しいのか?」
「んー、地域によっては食べるかもだけど、なんか添え物扱いだよね」
味もしないしさ、と言いながらアルセリアはピラフを一口。
「……………美味しい」
ぽつりと呟くと、猛烈な勢いでかきこみ始めた。
「あら、本当。こうやって食べると美味しいものですね。それに昨日から気になっていたのですけど、この油、すごく風味が良いです」
ベアトリクスも食べ慣れない米を気に入ってくれたようだ。
「あ、それバターだよ」
「バター?」
「そう。牛の生乳から取れる乳脂」
「あれって、お料理にも使えるものなんですね……」
この世界でのバターは、主に薬(滋養強壮?)と、宗教的な儀式くらいにしか使われていないらしい。なんと勿体ないことか。
今度、こいつらには是非バターケーキを食べさせてやりたい。
で、ヒルダはと言うと……。
「なあ、ヒルダ……」
「……………………」
「一人で、座れる…よな?」
俺の膝の上にちょこんと座って肉にかぶりついている。俺の問いかけに、ちらり、とこちらに視線を上げて、再び肉へと戻す。
俺の膝から動く気配はない。
この状態だと、俺が飯を食いにくいのだが……まあ、いいか。
「アンタさ、ヒルダにだけは随分甘いわよね」
「へ?別に……」
そんなこと………あるか。
「あー…まあ、その………妹がさ、同じくらいの年頃だったんだよ。それで、かな」
口に出したせいか、一瞬、ヒルダの姿に悠香が重なって見えた。
「い、妹!?」
「魔王に、妹がいたのですか!?」
しんみりした俺と対照的に、驚愕の声を上げるアルセリアとベアトリクス。
「あー違う違う。魔王の方じゃなくて、前世の、人間だった頃のことね」
「あ、そ…そう。……びっくりした」
まあ、“魔王”に妹がいるとなれば、今後の勢力図にも大きく影響してくるだろうから、こいつらが驚くのも無理はない。
「………前世って、人間だったのよね。異世界で」
少し神妙な口調になって、アルセリアが呟くように問いかけてきた。
「ん?まあ、な。……たったの、十六年間だけだったけど」
「アンタの人間時代って、どんな感じだったの?」
………人間時代って……
表現はともかく、冷やかしで尋ねているわけではないことは、表情と声の調子から分かった。
「聞いてどうするんだよ」
「…別に。聞いてみたいだけ」
唐突だけれども、まあいいか。夜は長いのだから、久しぶりに思い出に浸るってのも、悪くはないかもな。
基本的に三人娘は都会っ子なので、アウトドアは初心者です。旅といっても宿に寝泊り、がほとんどだったので。
訓練時以外は、結構箱入り娘だったりします。




