第二百五十三話 拘りって結局自己満足の一環である。
「ああ、君。お茶を淹れてくれたまえ」
「あ、お茶ですね。分かりました」
士天使シグルキアスの書斎で、アルセリアはお茶を命じられて厨房へと向かった。
一日を通して掃除と整理整頓を命じられ判明した事実は、アルセリアはそれらに対し全く適性がないということ。
そしてその事実はアルセリアだけでなく、屋敷の女中たちにも広く認識されるに至ったわけで。
結局、これ以上調度品を破壊されては敵わない…とアルセリアは掃除担当を外されることになった。
で、今は家主の身の回りの世話を言い付けられている。
因みに朝から午後までの六時間ほどで彼女が破壊したのは、花瓶が12、壺が5、カーテンが3、窓ガラスが2…である。
ここまでやらかしてクビにならないのが不思議だが、余程人手が足りないのか或いは余程ヴォーノのツテとやらが強固なのか、或いは主が馬鹿なのか、その理由は不明である。
アルセリアは、掃除はからきしで料理も得意ではないが、お茶を淹れることだけには自信がある。彼女の養父であるグリードがお茶に拘りを持っており、その影響を受けたためだ。
勇者として独り立ちする前、聖央教会で暮らしていた頃は、よく執務中のグリードにお茶を持って行っては喜んでもらえたものだ。
なので、お茶くらいは朝飯前(お茶だけに…)だ、と思ったのだが………。
「……なんだねこれは。僕は、泥水を頼んだ覚えはないのだけど」
アルセリアの出したお茶を一口飲むなり、シグルキアスは顔を顰めてカップを乱暴に置いた。
「え……でも」
見た感じ、特に濃すぎるということはない。鮮やかな紅の透き通った液体が、カップに満たされている。香りも、柔らかく華やかだ。
「抽出時間をきちんと確認したのか?」
「え、と…三分って書いてあったので」
確かに、茶葉の箱には抽出時間が明記されていて、アルセリアはそのとおり大体三分でお茶を注いだはず。
「だったら、こんな苦水になるはずないだろう?淹れ直してきてくれたまえ」
「……………はい、分かりました」
だったら自分で淹れろ、とお茶を頭からぶっかけてやりたい衝動を強固な精神で抑え込み、アルセリアは引きつった笑顔で再び厨房へ。
確かに先ほどは、なんとなくでしか時間を計っていなかった。こうなったら砂時計を使って、きっちり正確に三分を計ってやろう。
そして彼女は再びシグルキアスの元へ。
「……まだエグみを感じる。やり直し」
そしてシグルキアスは再びダメ出し。
「ええ?三分きちんと」
「反論は、きちんとやることをやってからにしてくれ」
「………はい」
だったら自分で淹れろ、とカップを頭に叩きつけてやりたい衝動を強固な精神で抑え込み、アルセリアはこめかみをピクピクさせつつ再び厨房へ。
おそらく、砂時計の砂が落ち切ってからカップに注ぐのでは、若干の時間のロスがあるのだろう。普通ならば言及されることのないような微差ではあるが、病的なまでに神経質な相手であればそれが気に喰わないのだろう。
ならば、ロスも考慮した上で淹れてやる。
そして彼女はまたまたシグルキアスの元へ。
「……今度は随分と薄い。時間が早ければいいというものではないだろう?」
そしてシグルキアスはまたまたダメ出し。
「………さっきは濃すぎて、今度は薄すぎる…て言われ」
「お茶一つ満足に入れられないのかい、君は?」
「…………淹れ直します」
だったら自分で淹れろ、とティーポットを口の中に押し込んでやりたい衝動を強固な精神で抑え込み、アルセリアは硬直した表情で再び厨房へ。
…そして。
「まだ濃い」
「まだ薄い」
「茶葉が多すぎる」
「今度は少なすぎる」
「カップが冷めてしまっている」
「もう一度お湯を煮沸させたまえ」
………等々。
最早嫌がらせでしかないのでは、と思えるくらい微に入り細を穿つ注文に辟易しつつ、自分の目的のために歯を食いしばりお茶を淹れ続けて何杯目だろうか、ようやく、
「……ふむ、これならまだ飲めなくはないね」
言い方が多少気になるがなんとか合格判定を貰い、ほっと息をつくアルセリア。
しかし家主は、それだけで終わるような相手ではなかった。
「いいかい、この僕に仕えるというのなら、この僕の嗜好や趣味を完全に把握してもらわなくては困るんだよ。お茶一つでこんなに手間取ってもらっては、先が思いやられるね」
……ネチネチが始まった。
「そもそも、相手に合わせた行為というのはとても重要なことなのだよ。かく言うこの僕も、普段からいと尊き方々に直接お仕えする栄誉に預かっているわけだけど」
……さらに、何気ない自慢が始まった。
「まあ、そのようなお役目は誰にでも務まるものではなくてね、才能や実力は勿論、家柄や育ちから来る品位だとか、徳の高さだとかも必要になってくるんだよ」
「何しろ、お仕えするのが最高位天使であらせられる火天使セレニエレさま、だからね。お傍にお仕えするこの僕が彼の君の恥になってはいけないだろう?前に出過ぎないように弁えつつ主君を引き立て、その名声をさらに高める一因になるのが側近の務めだ」
「君のような廉族の下層民には理解出来ないだろうけど、それはとても重圧のかかるお役目でね」
「まあ、この僕ほどになればそれほどの苦でもないのだけど、中には重責に耐えられず降格される連中だっているのさ」
…等々、喋るわ喋るわ、自慢話に歯止めがかからない。
よくもここまで恥ずかしげもなく自分を持ち上げることが出来るものだと、アルセリアは怒りを通り越して感心さえしてしまった。
とは言え、うんざりしないわけでもなく。
何しろ話が長いのだ。しかもその中身がずっと、同じような自慢の繰り返し。
それでも大人しくアルセリアが聞いているのは、もしかしたらその話の中に中央殿の重要情報が含まれてやしないか、という期待のためである。
「……ああそうそう、明日は客人が来るからね、準備はしっかりと頼むよ」
しかし残念ながら、めぼしい情報を口走ることなくシグルキアスは話を変えてしまった。
しかも、「しっかりと」がやけに強調されている。
「お客様、で」
「とてもとても大切な客人だからね。くれぐれも、粗相のないように」
相変わらず人の話を途中で遮るイラつく家主だが、アルセリアはそれよりも「大切な客人」というフレーズに気を取られた。
……大切な客人。
もしかしたら、シグルキアスと同等か、もしくはそれ以上の高位の天使…上手くいけば、中央殿の執政官だったりするかもしれない。
その動向を探ることが出来れば、自分たちの状況を打開する糸口も摑めるかも。
だったら、多少のイライラや鬱陶しさなど、些末なことだ。
「かしこまりました!」
だから、今までで一番の満面の笑みで返事をしつつ、後でベアトリクスたちと作戦会議を開かなければ…と密かに考えるアルセリアであった。




