第二百五十二話 整理整頓って性格によって天国と地獄に分かれると思う。あと掃除も。
「ああ、君たちが新しい侍従と女中か。よろしく頼むよ」
鷹揚な態度と鷹揚な口調。見目麗しい青年天使は、お仕着せに身を包んだアルセリアたちを一瞥してそう言った。
その天使の名はシグルキアス。第三位階の、士天使である。
それまで天使たちの序列など知らなかったアルセリアたちだが、今回の潜入にあたってサファニールとヴォーノから簡単なレクチャーを受けた。
士天使とは、第一位階…則ち最高位天使である四皇天使直属の、実動部隊のトップ組だということだ。
何故ヴォーノがそんな大物と繋がりを持っているのかは謎で堪らないが、より中央殿に近い場所へ潜入出来たのもひとえに彼のおかげである。
「はい、よろしくおねが」
「この僕はとても多忙でね。屋敷では最高の状態で寛ぎたい。君たちにはそのために尽力してもらうよ」
アルセリアの返事を妨げ…と言うか聞いていないシグルキアス。
「詳しいことは、侍女長から聞いてくれたまえ。僕の手は煩わさないでおくれよ」
「はい、分かりました。気をつ」
「それじゃ、僕は出仕の時間だ。見送りは家来全員がしきたりだからね」
「……………」
こちらの話を聞く気もない、聞く価値もないと思っている天使に、アルセリアのこめかみがピクピク。
しかし、後ろからベアトリクスがエプロンの蝶結びを引っ張って彼女に自制を促してくる。
出発前、ヴォーノが言っていた。
「これから皆さんがお仕えする方ですけどねん、ちょっとばかり変わった方だという噂がありますのよん。くれぐれも、お気をつけてくださいねぇん」
なんとなく、ヴォーノが言っていたことの片鱗が早速チラ見えしているようだ。
しかしここで不機嫌な表情を見せてしまうと、せっかくのヴォーノの尽力が無駄になってしまう。
アルセリアもそこまで子供ではない。ぐっと苛立ちを飲み込むと、笑顔でシグルキアスに一礼した。
アルセリアもベアトリクスもヒルダも、そして勿論クォルスフィアもエルネストも、庶民である。
ベアトリクスだけは生まれ自体は悪くないが、育ってきた境遇は庶民以下である。
したがって、上流階級の生活はよく知らない。
勇者一行としてそれなりの教育は受け、一通りのマナーは叩きこまれているが、それでも表面的なものに過ぎず。
天界の高位天使、しかも上流中の上流貴族であるシグルキアスの屋敷での仕事は、完全に彼女らの想定外であった。
「ほら、アルシーさん。そこの花瓶がまだでしょう?」
先輩女中から、回収し損ねた花瓶を指摘され、慌てて取りに戻るアルセリア。
「しっかりしてくださいね、毎日最も美しい状態で花を飾らなくてはならないのですから」
挿してある花はアルセリアが見る限りまだまだ綺麗で、交換する必要などないように思えたのだが、どうやらここの主の美意識はちょっと面倒なレベルらしい。
その他にも、ほとんど通らないような廊下の隅の床が曇っているだの(埃や汚れがあるというわけではなく)、ずらりと並んだ先祖代々の肖像画が僅かに傾いているだの(水平器を使わないと分からないレベル)、カーテンの襞が不揃いだの。
挙げていけばキリがないが、やたらと目ざとい先輩や侍女長にあれやこれやと口出しされ、半日程度でアルセリアの忍耐力は既に限界に達しようとしていた。
今回は召使いということで、全員バラバラに行動している。というか、こき使われている。
アルセリアは掃除担当、ベアトリクスは食堂の下働き、クォルスフィアは庭仕事、そして一人天使姿のヒルダは主の簡単な補佐ということで、家令からいろいろと教え込まれている。
なぜかバテバテなのはアルセリアだけなのだが、それはおそらく性格的なものなのだろう。もともと大雑把で整理整頓だとかに無頓着だったツケが今頃返って来た感じだ。
「あーもう、あーーーーーもう!何なのよちょっと細かすぎ!」
こっそり人気のない物陰で、溜まった愚痴を吐き出すアルセリア。
「花なんて赤でも青でもなんでもいいじゃない。つか、花瓶多すぎ。あと絵も。肖像画があんなに並んでるのって不気味なんですけど。あと、床の光沢なんて分かるかっての。糸くずだってほっときゃそのうち風で飛んでくわよ」
ブツブツブツブツと、まるで呪詛のように暗い表情で呟くその姿は、とても神託の勇者には見えない。
「第一、使ってない部屋なら無くしちゃえばいいでしょ。誰も見ないようなところをわざわざ完璧に磨き上げろとか生産性なさ過ぎにも程が」
「アルシー?」
「ぉうわ!ビックリした!!……ちょっとビビ、驚かさないでよ」
ブツブツの最中にいきなりベアトリクスがひょっこりと顔を出し、アルセリアの心臓を一瞬だけ止めて来た。
口煩い先輩女中ではないと気付いて胸を撫でおろすアルセリアを見て、ベアトリクスとヒルダはなんとなく状況を察し。
「……大変そうですね、アルシー」
「もー、大変ってよりも面倒。すっごい面倒!あとここの奴ら口煩すぎ!……そっちはどう?」
アルセリアの質問に、ベアトリクスはさらりと、
「こちらは楽なものですよ。私が命じられたのは厨房の下働きですから。修道女時代にやっていたこととほとんど変わらないですしね」
ひたすら野菜の皮むきと食器洗い&食器磨きに専念していたベアトリクスは、アルセリアと違ってケロリとしている。
仕事が馴染みのあるものだと言うこともあるが(それを言ってしまうと、アルセリアだって掃除をしたことがないわけではない)、几帳面な彼女の性格のせいも大きいだろう。
「……ヒルダは?難しいこと言われてない?」
ただ一人、天使族として毛色の異なる仕事を命じられたヒルダは、家主の補佐である。内容的に彼女には難しいのではないかと思われたが、
「…だいじょぶ。おじさん、優しい」
指導役の家令が甘いのか幼児趣味なのか分からないが(前者だと思いたい)、それほど苦労しているわけではないようだ。
「やー、みんなこんな所にいたー」
「お疲れ様です、皆さん」
やけに庭師姿が似合うクォルスフィアと、その肩のエルネストも合流。勿論エルネストは、人目のあるところでは猫になりきっている。
「……なんか楽しそうね、キア」
頬に土をつけたまま明るい表情のクォルスフィアが羨ましいアルセリアである。
「んー、けっこう土いじりって性に合ってるかも」
「おかげさまで私は楽をさせてもらってます」
エルネストは猫なので、仕事がない。広大な庭で土を運んだり耕したり苗を植えたり植木を剪定したりするクォルスフィアの周りをうろちょろしたり昼寝したり辺りを散歩したり、優雅なものである。
が、猫になったのは彼の希望ではないので文句は言えない。
「何よ何よ、大変なのは私だけ?なんかズルいー」
むくれるアルセリアだが、
「同じ屋敷の仕事で一か所だけ負担が偏ってるなんてないと思いますけど」
しれっと抜かしたエルネストを睨み付ける。
「なに、それじゃ私のせいだって言いたいの?」
「いえ、そうは言いませんけどね、日頃の生活態度とか」
「言ってるじゃない!」
「んなーお」
いきなりエルネストが猫のフリをしたのは、誤魔化すためではない。彼らがたむろしているところに、屋敷の女中が不意に現れたのだ。
「まったく、人手もないというのにこんなところで油を売ってるんじゃありません!皆さん持ち場に戻って!!」
神経質なお局さまに一喝され、神託の勇者一行と神格武装と魔王の側近は反論すら許されず、蜘蛛の子を散らすように解散させられたのであった。
何が苦手って、整理整頓ほど苦手なものはありません。
汚部屋なんとかしたい……




