第二百四十七話 いと高き者たち
中央殿。
天界の最上位機関であり、最高権力者である四皇天使が実質支配する、執政機関である。
その意志が天界の意志、ひいては、創世神の意志…ということになっている。
それは、そこに属する全ての天使たちにとって、譲れない事実。
だからこそ彼らは、地上界が勝手に擁立した“神託の勇者”なる存在を、認めるわけにはいかなかった。
それが、魔王と関わりを持つ者であればなおさら。
「こんにちはー。水の御方はご在宅ですかぁー?」
無邪気にも聞こえる陽気な声が、中央殿の一角に響いた。
声の持ち主は、若い少女。若草色のベリーショートに、真紅の瞳。小柄だが、溌剌といった感じで足取りはまるで飛び跳ねているかのよう。
「…騒々しいぞ、セレニエレ」
対照的に、落ち着いた…枯れたと形容する方がしっくりくる…声で応じたのは、禿頭の老人。長い髭をたくわえ、ゆったりと座する様は威厳や貫禄をこれでもかと放ちまくっている。
窘められた少女…火天使セレニエレは、悪びれずに禿頭の天使…水天使リュシオーンの元へ駆け寄る。
対等である四皇天使ではあるが、それでも年齢や経験の差というものは本来重んじられるべき。現に、最高齢であり最古参であるリュシオーンは、天界の最高権力者として頭一つ抜きんでた発言力・影響力を有していた。
が、そんな彼に、不躾な若き同輩を本気で諫める調子は見られない。挨拶代わりのいつもの遣り取りなのだ。
「ねぇねぇ、ネズミの巣が見つかったってホント?」
リュシオーンの椅子の肘掛によじ登り、セレニエレが尋ねた。傍から見ていると、まるで祖父と孫のようだ。
「左様。だが、すんでのところで逃げられてしまったわ」
言葉は悔しそうなのだが、口調はそれほどではない。水天使リュシオーンにしてみれば、ネズミの数匹を逃がしたところで然程気にすることでもないのだ。
「へー、珍しいね。処刑人を送ったんでしょ?」
「返り討ちに合いよった。まったく情けないことだ」
リュシオーンの言葉に、セレニエレはケラケラと笑い出す。
「やだー、処刑人のくせに、ネズミ退治もロクに出来ないの?しかも全滅?笑えるんだけどー」
「笑いごとではないぞ、セレニエレ」
「だってー。全滅しちゃったら、見せしめも出来ないじゃん」
愛らしく無邪気な表情で、セレニエレは無慈悲な言葉を紡ぐ。
「あ、でも確か処刑人には担保があったっけ。罰は、そいつらに受けてもらえばいいか」
「…言っておくが、全員は殺すなよ」
「はいはーい、分かってるって。全部殺しちゃったら、担保にならないじゃん。自分たちの立場を再確認してもらうだけだって」
ひとしきり笑った後で、セレニエレは表情を改める。
「で、地上界のことなんだけど。…良かったの、猶予なんてあげちゃってさ」
「ジオラディアの判断だ。儂もそれで構わんと思っておるよ。どのみち廉族どもに、我らに従う以外の道はない」
「…ふーん、お優しいこと。覚悟を決める時間をあげたってわけね。流石は地天使サマ」
「そんなことより」
リュシオーンは、話を変えてセレニエレに問いかける。
「聖戦士の件は、どうなっている?」
問われたセレニエレは、少し気まずそうな顔で頭を掻きながら、
「あー…あれね。いやぁ、ちょーっと難航中…かな」
「お主の子飼いが地上界に渡ったのではないか?」
「私のじゃなくて、私の子飼いの部下、ね。…けど、連絡取れなくなっちゃって」
あっけらかんと言うセレニエレに、リュシオーンは少しだけ目を見開いた。
「それは真か?一体いつから…」
「んー……もう結構経つかなー」
「何故もっと早く報告しなかった」
リュシオーンの口調が、僅かだが強くなる。
だが、水天使を本当に怒らせるとそんなものではないと分かっている火天使は、まだまだ余裕だ。
「いやいや、ちょっとした行き違いとかかもって思ったし」
「だが、未だに連絡が付かないのであろう?」
「うん、まーね」
セレニエレが頷き、リュシオーンは思案する。
セレニエレの命により地上界に渡った天使は、確か第三位階の士天使だったはず。地上界に、それを害する力を持った者がいるとは考えにくい。
あり得るとすれば、竜族だが……それでも相当の高位個体でなければ不可能だし、士天使が迂闊に竜族に近付いてその逆鱗に触れたということもまた、考えにくい。
「まさか……裏切ったのではなかろうな」
可能性であれば、死んだというより造反したという方が大きいだろう。
「それはない。…と言いたいところだけど……どうだかなー。アレ、結構向上心旺盛だったからね」
言いつつも、セレニエレは呑気だ。第三位階程度ならば、彼女らの敵ではない。造反が士天使の独断だった場合、放置しても実害は少ない。
「ネズミどもに合流した…という線は考えられぬか?」
「んー、どうだろ?ま、そうだったとしても、アレは大した情報も持ってなかったし」
地上界へ送り出した天使は、言わば尖兵である。彼らからしたら、雑兵も同然。裏切りが事実であればその処遇は死以外に有り得ないが、わざわざそのために積極的に動く必要などない。
「後任は送ったのか?」
「今、選別中。なかなか適任者っていなくてさ」
肩をすくめて苦笑するセレニエレ。地上界で、自分たちの傀儡となる兵を見繕うことに関し、あまり熱意を持っていないことは明らかだ。
「ふむ。…時間はかかっても構わんが、魔族どもには悟られぬようにしろ。連中がいつまでも大人しくしているとは思えないからの」
彼らの一番の懸念は、それである。
自分たちに盾突く反乱分子も、目障りな“神託の勇者”も、重要度で言えば小さい。
彼らに対抗出来るのは、魔族とそれを統べる魔王のみ。それらが沈黙を貫いていることから、足並みが揃っていないと判断し、先手を打ったつもりだったのだが……
「…廉族の勇者どもの行方も、まだ掴めないのであろう?」
魔王が異常な執着を見せている廉族がいるという情報を得た彼らは、魔王に対する最強の武器を得られたと思った。
それが地上界で“神託の勇者”などと呼ばれていることには驚かされたが、そんなことはどうでもいい。その身柄を手中に入れることが出来れば、この上なく有用な道具となる。
「それなんだけどさ。本当にそんなことで魔王を滅ぼせるのかな?」
セレニエレは、魔王を直接には知らない。その脅威も、その恐怖も、御伽噺同然の認識だ。
それでも、魔王が廉族にそこまで情をかけるということが、信じがたい。
「それに関して、お主が心配する必要はない」
しかしリュシオーンがにべもなくそう言い放ったので、何か考えがあるのだろうということだけは察した。
リュシオーンもまた、セレニエレと同様に魔王を知るわけではないが、その口調に確信めいたものが含まれていたのだ。
「はーい。どうせ廉族の行方は、グリューファスが追ってるんでしょ?だったら心配いらないんじゃない?」
「確かにそうだが……仮に魔族どもに先手を打たれた場合は、面倒だ。セレニエレ、お主もグリューファスと共に勇者どもの行方を追え」
「ええー、なんで私?ジオラディアにやらせればいいじゃん」
風天使グリューファスに協力しろと言われ、セレニエレは途端にしかめっ面になる。
「あいつ、何考えてるんだか分かんなくて不気味なんだもん。やだー」
「ジオラディアは、地上界に目を光らせていなくてはならん。聖戦士に関しては、後回しで構わん。どのみち、大して期待は出来ないだろうからな。それよりも、魔王の弱点を握ることが最優先だ」
むくれるセレニエレだが、リュシオーンは聞き入れない。
我儘は通用しそうにないと悟ったセレニエレは、諦めたように溜息をついた。
「…わーかったよ、分かりましたよ。グリューファスと仲良くすればいいんでしょ」
「そうだ。……それと、周囲には目を光らせておけ」
「……どういうこと?」
突然の警告に、セレニエレは首を傾げる。
「勇者どもの行方が掴めないというのも、不自然だ。廉族如きが、我らの包囲網を突破出来るはずもない。となると……」
「……そっちにも、協力者がいる…って?」
「そうだ。しかも、我らの動きをある程度掴める立場の者が」
リュシオーンの言葉に、セレニエレの表情が凄みを増した。
「…中央殿に、敵の内通者がいる…?」
「可能性は、否定出来ん。くれぐれも、用心することだ」
リュシオーンの表情は険しいが、セレニエレは獰猛な笑みを一層深めた。
彼女好みの、楽しくて面倒な状況になるかもしれないからだ。
「それは、ネズミ駆除なんかよりよっぽど楽しそうだねぇ。後で代わってって言っても、知らないよ?」
「言わんよ。儂はお主と違ってそこまで悪趣味ではない」
リュシオーンの軽口に、セレニエレは再び笑い出す。
「悪趣味って、ひどーい。私はただ、楽しいことが大好きなだけだよ?」
「楽しむのは良いが、羽目を外しすぎるなよ。後始末するこちらの身にもなってくれ」
リュシオーンの言葉に、セレニエレは腰かけていた肘掛からぴょんと飛び降りると、ワザとらしく腰を折って見せた。
「承知いたしましてございます」
そして再び顔を上げた火天使の瞳は、長い平穏が終わりを告げようとしていることの期待に、爛々と輝いていた。
ようやく四皇天使さんたちが出てきましたよ。名前がややこしくて、ぐっちゃになりがちです。誰だよこんなわけわからん名前付けたの。




