第二百四十六話 何事も無関心が一番怖い。
俺たちは、森の中を進んでいた。
天使族は、長距離を移動する場合、基本的に空を飛ぶ。
翼があるから当然ではあるのだが、どうも連中は有翼種であることに誇りを抱いていて、やたらと空を飛んで他者を見下ろしたがる傾向にある。
大戦時は、そんな連中を片っ端から地面に引きずり降ろしては苛めていたもんだ。
……若気の至りである。
で、空からの捜索ならば、森に入れば連中の目を逃れることが出来る。
と言うことで、俺とアリア、マナファリア、イラリオの四名はイラリオの先導で森の中を突っ切っていた。
尤も、追手が空から見下ろすだけで済ませるはずもない。いずれ、陸路でも追撃がかかるだろう。だからあまりのんびりしている暇はないのだが……。
「なあ、イラリオ。もう少しペースアップ出来ないか?」
肝心のイラリオが、かなりもたついている。
番兵がそんな貧弱でどうする、とツッコミたいところだが、先述のとおり天使族は歩くより飛ぶことの方を好むのであまり脚力が強くないというのと、比較対象が竜と魔王なわけなので、彼が特別ひ弱だと断じてしまうのは少し可哀想である。
現に、一番ひ弱だと思われるマナファリアは、完全にへばって俺にしがみついている。
本人はお姫様抱っこをご所望のようだが(言葉には出さないが、視線と態度で見え見えである)、意地でも思いどおりにはさせてやらん。
「す、すまない……お前たち、随分と体力があるんだな…」
俺に言われたイラリオは、息を切らせながら何とか歩調を早めようとする。が、
「ああリュートさま、か弱きこの身に何てご無体な」
とかなんとかマナファリアがなよなよと俺にしなだれかかる。
「マナファリア、歩きにくい。自分の足でちゃんと歩いてくれ」
「そんな、あんまりですわ!」
……俺、そんなに理不尽なこと言ってるかな……?
「そんなことより、イラリオとやら。そろそろ、貴様らの事情とやらを聞かせてもらえんか?」
アリアは、涼しい顔である。彼女こそ長い間引き籠もっていたわけだから体力の低下も著しいだろうに、流石は脳筋種族だ。
「………………」
イラリオは、無言だ。へばっていて喋ることが出来ない、と言うよりも、話してもいいのだろうかと迷っている。
「どのみち、こうなってはシラを切りとおすことも出来んだろう?もしかしたら、我々が力になってやれるかもしれんぞ」
そう促すアリアだが、イラリオは依然として黙ったまま。
こちらとしても、彼らの事情に首を突っ込む理由を説明し難いので、なんともやりにくい。
が、天界の抱えるゴタゴタが、今の俺たちに良い状況を作り出してくれる可能性は大きい。
「なあ、上層部で何か起こってたりするんじゃないのか?」
黙りこくっているイラリオに、俺も催促してみる。
「あいつらは、お前らを反乱分子って呼んでた。…けど、俺にはどうもそうは見えないんだよな」
これは嘘である。別に彼らが反乱分子に見えるわけではないが、そう見えない、思えないと断じることが出来るほど彼らのことを知っているわけでもない。
が、ここはこう言っておいた方が彼らの警戒心を解きやすいだろう。
本当の反乱分子だったとしても、自分たちをそう呼称されることは面白くないだろうから。
「さっきの覆面、奴らは何者なんだ?随分と過激な感じだったけど」
「連中は……おそらく水天使リュシオーンの手の者だ」
俺の問いかけにつられるように、イラリオが漏らした。
或いは、敵の情報ならば暴露しても構わないと判断したか。
「水天使リュシオーン……確か、四皇天使の一番古株だったっけ?」
いつだったか、魔界の情報屋“灰衣のミルド”から聞いた情報を思い出した。
「……何故、地上界の民がそのことを知っている……?」
あ、しまった!イラリオの警戒心を高めてしまった!
確かに、地上界から天界の様子を知ることはほぼ不可能なので、彼の疑念は尤もだ。
……どう誤魔化そうかな…。
「……えっと、その、知り合いの知り合いに、なんでかそういうことに詳しい情報通がいてさ」
嘘ではない。
「………そうか…。地上界の情報網も、侮れないということか」
……完全に納得した感じではないが、俺が嘘を言っている様子がないのでそれ以上の追及を諦めてくれたっぽい。
単純に、それどころじゃないってだけの話かもしれないけど。
「で、お前らはそいつと敵対してる…って認識でいいのか?」
「………………」
「今さら黙りこくっても現実は変わらないぞ?」
「……そのとおりだ…な」
イラリオは、ようやく腹を括ったようだ。ここで俺たち相手に意地を張っても仕方ないと、そして間者に使うには廉族は適さないと、悟ったのだろう。
「……最近の中央殿のやり方には、疑問が多い」
イラリオのような辺境の警備兵が、執政期間である中央殿の方針に疑義を唱えるのは異例とも思える。天使族ってのは、とにかくやたらと秩序を重んじる…と言うか、秩序のために全てが存在すると公言して憚らない連中なのだ。
下っ端が、お偉いさんのやり方に反発するだなんて……大戦時には、考えられなかったことだ。
……それとも、やっぱり俺が気付かなかっただけで、実はあの頃から天界にも色々あったのだろうか。
「具体的には、どんな風に?」
「執政官の選出に、平民は関われなくなった」
俺の質問に、イラリオは淀みなく即答した。おそらく、ずっと忸怩たる思いを抱えていたのだろう。
中央殿の執政官ってことは、要するに政を決める天界のトップ連中ってことだよな?で、平民が関われなくなったってことは、選挙権が剥奪された…ってことなのかな?
「執政官に選ばれるのも、選出票を持つことが許されるのも、元老院と高位の貴族連中だけだ。俺たち平民は、彼らが雲の上で繰り広げる政治ゲームを、ただ下から眺めることしか許されていない」
「今までは、違ったのか?」
「二十年ほど前までは…な。その頃は、全ての民に等しく権利が与えられていた。勿論、だからといって執政官が平民の中から選ばれることは稀だったが…それでも、システムとして機会の平等は機能していたんだ」
……なるほどー。民主制が崩れて、独裁体制が敷かれるようになった…てとこか。
「どうして…何があって、そんなことになっちまったんだよ?」
それでも、政に参加するという重要な権利を奪われて、平民が黙っているはずがない。いくら貴族の力が大きいとは言っても、数で言えば平民が圧倒的なのだ。何故大人しく、自分たちの首に鎖を巻かせてしまったのだろうか。
「それが……よく分からないんだ」
「……は?なんだよそれ?」
そんな大事なことなのに、よく分からないって…少し無責任じゃないだろうか。他ならぬ、自分たちのことなのに…。
「契機は、よく分からない。が、俺たちなりに原因は考えていて………結局、無関心のせいだったのだろうと、今はそう思っている」
イラリオの表情には、悔恨。例にもれず、気付いたときには遅すぎた…というヤツか。
「長い平和と安定で、誰もが自分たちの身の回りのことしか考えなくなった。今が楽しければ、快適に暮らせていれば、面倒で難しいことは考えたくないと…思ってしまったんだ」
それでも、善意で以て政が動かされていれば、何の問題もなかった。
しかし、権力を握った者が考えることは、古今東西…仮に世界が違っても…共通している。
すなわち、如何にして自分たちに権力を集中させるか。如何にして自分たちが権力を持ち続けるか。
その答えは簡単だ。
自分たちに都合が良いように、仕組みを書き換えてしまえばいい。
彼らにとって幸いなことに、彼らにはそのための権力が備わっていた。さらに、権力者たる彼らを戒める決まりは、人々の無関心によって形骸化していた。
民衆が気付いたときには、既に流れが出来上がっている。
今さら声を上げても状況を覆すことは出来ず、富と権力を持つ者たちの、富と権力を持つ者たちによる、富と権力を持つ者たちのための政治が始まった。
坂を転がり落ちる石の如く、格差は加速度的に広がっていく。
イラリオの話では、現在天界の住民は、五つの階層に分けられているという。
特級…執政官や元老院、一部の高位貴族など、政の根幹に携わる支配者層
一級…特級以外の貴族・豪族
二級…豪商や豪農、生産業に携わる権力者たち
三級…天界の最も多くを占める市民。労働階級とも呼ばれる
四級…通称下層民。落ちぶれた元三級市民や、使役される他種族など。天界に奴隷制はないはずだが、ほとんど似たようなもの
「二級市民までは、今の体制を歓迎しているだろうな。ロクに働かなくても、下からの搾取で贅沢三昧が出来るんだから」
そう言うイラリオの口調が忌々しげなので、彼はそうではないのだろうと推察出来る。
「そりゃ、昔だって階級差ってのはあったし、誰もが裕福な暮らしを出来ていたわけじゃない。けど、努力や運で上に這い上がることは出来た。それに、格差と言っても貧富の差くらいで、それ以外の目に見える違いがあるわけじゃなかったんだ」
「機会の差…とか?」
「それもある。だが他にも、居住区や職業を階層によって制限されてたり、開示される情報に差があったり、上層部に陳情出来る権利があったりなかったり」
……まあ、そうだよな。貧富の差くらいなら、どの世界にもどの国にもある。それを完全に無くすことは、多分…絶対とは言わないけど、現実に考えて不可能だ。
けど、問題は金の有る無しだけじゃない。
生まれ持った格差を覆すには、努力しかない。が、努力することすら許されなければ、他に何が出来るというのだろう。
「だが……一番怖いのは、制度のことじゃない」
イラリオが、ぽつりと呟いた。
「そうじゃなくて、人々の意識が……これが当然、仕方ないことだと固定化されつつあることだ」
いつの間にか、イラリオは足を止めていた。
拳を握りしめて、絞り出すように言葉を紡ぐ。
「上級市民は、下級市民を見下している。無条件で、自分たちの方が尊い存在なのだと。だから、搾取も迫害も平気でやったりする。対する下級市民も、すっかり自分たちを卑下するのが板についてしまった。上級市民に対しては、媚びるか怯えるか。仕方ないって言葉で、諦めてしまったほうが楽だから…」
実際、天界だけでなく地上界も魔界も、似たようなものだ。
ただ、魔界では単純に持つ者と持たざる者の二極化が見られるだけで、天界よりも状況は単純。しかも、力さえあればいくらでも上に昇ることが出来る。
地上界は……国によって千差万別すぎて、ちょっとよく分からない。独裁国家もあるし、民主国家もある。一般的なのは、タレイラのようなゆるーい貴族制だけど。
それらに比べると、天界のやり方はかなり徹底的だ。おそらく、秩序を重んじる天使族の性質が、良くない方向へ暴走した結果だろう。
だが……全ての人々が、それを良しとして現状に甘んじているわけではなかった。
上層部…中央殿のやり方に疑問を抱き、理不尽な格差を無くそうと立ち上がった者たち。
「なるほど。…お前らは、そんな中央殿に反旗を翻した、レジスタンス…ってとこか」
俺の質問に、今さら否定しても意味がないと分かっているのだろう、イラリオは素直に頷いた。
「賛同者は、少なくない。が、勢力が分断されているのと、中央殿との兵力差のせいで、今は手詰まり状態だ」
「それは、少し無謀だったやもしれんな」
アリアが、口を挟んできた。引き籠もってたのに、政治のこととか分かるんだろうか。
「高位天使どもの力は、下位の者とは比較にならん。それこそ、数の差など無意味ではないか?貴様らの仲間がどれだけいるかは知らんが、貴様らだけでどれだけ粘れることやら」
……まあ確かに。四皇天使あたりが出てくれば、一人でイラリオたち数千を相手にすることが出来る。
彼らレジスタンスが、何を自分たちの勝利条件としているのかは知らないが、そしてどのような活動を行っているのかもまだ聞いていないが、徒労に終わりそうな予感がする。
「……俺たちだけじゃない。こっちには…………」
言いかけて、慌てたように口をつぐむイラリオ。さては、ついバックボーンを暴露しそうになったか。
…って、別にいいのに。やはり、俺たちから情報が洩れるのが怖いんだろうな。
イラリオの様子だと、多分、彼らに協力する高位天使がいるのだろう。だが、それが中央殿に知られてしまうと、その後ろ盾を失ってしまうことになる。
自分たちの情報や、その目的・背景を教えるのは構わないが、自分たちの背後にいる者についてはそう簡単に口外出来ないのだろう。
……ま、いいけどね。今の時点で、無理矢理聞き出すつもりもないし。
俺たちにしたら、天界のゴタゴタを突っついてさらに火種を大きく出来ればそれでいい。
……彼らの黒幕がどの位階の天使かは分からないが、その勢力如何では、中央殿を十分に掻き回すことが出来そうだ。
俺は、アリアと顔を見合わせて頷く。
俺たちの方針が決まった瞬間だった。




