第二百四十四話 「普通」も「常識」もその人次第。
「このままじゃ、ダメだと思うの!」
いきなり言い出したのは、神託の勇者アルセリア。
只今、夕食の鱒の香草焼きを堪能している真っ最中である。
「急にどうしたんですか、アルシー?」
ベアトリクスが、不躾なアルセリアを窘める。が、アルセリアは構わず立ち上がったまま、
「だって、ずっと隠れてたって何も解決しないじゃない。私たちを狙う天使の勢力があるとして、そいつらが諦めるまで待ってろっていうの?」
それは、おそらく見込めないことだ。天使族と人間種では、持てる時間が違いすぎる。天使たちが諦める頃には、彼女らは既に鬼籍に入っていることだろう。
「…気持ちは分かる。が、賛成は出来ない」
アルセリアに否を唱えたのは、央天使サファニール。
「今はまだ、中央殿の動きがはっきりしていない。この時点で迂闊に動くのは危険だ」
天界の最高執行機関である、中央殿。天界の総意はそこで決定される。そしてそこに属する執政官たちは、央天使の存在を秘匿し、神託の勇者の存在を抹消し、地上界を利用して魔界との戦争に突き進もうとしている。
それが決して創世神の望むところではないと知っているのは、サファニールだけ。その彼も追われる身となった今、神の手を離れて自分たちの意志で歩き始めた天使族を止める者はいない。
「なら、いつになったら中央殿とやらの動きがはっきりするの?」
ずばりと問われ、サファニールは即答出来ない。
隔絶されたこの地では、あまりに手に入る情報が少ないのだ。
「ここに隠れてても仕方ないし、少しくらいこっちから動いたっていいと思うんだけど…」
「危険だ。奴らの狙いが汝らであることは間違いない。自ら死地に飛び込むとでも言うのか?」
提案しかけたアルセリアを即座に遮るサファニール。
だが、それで大人しく引き下がるアルセリアではない。
「そりゃそうだけど……バレなきゃ大丈夫なんじゃない?」
「……バレなければ…だと?」
「そ。だってサフィー、貴方確かそういうの得意な感じじゃなかったっけ?」
アルセリアは、サファニールの権能のことを言っている。
認識を司る力。
確かに、それを使えばアルセリアたちの存在を改竄することも隠すことも容易い。看破出来るのは、創世神や魔王といった格上の存在だけ。
確かに、不可能ではないのだが……
「それで正体を隠して、一体何をするつもりだ?まさか廉族である汝らに、執政官どもを屠ることが出来ると思っているのか?」
四皇天使を筆頭に、執政官は極めて高位の天使ばかりで構成されている。例え神託の勇者と言えども、それらと渡り合うのは自殺行為だ。
「いや、そこまでは言わないけど…例えば中央殿とかいうところに行ってみて、連中が何を考えてるのか探ってみるとか」
「例え天使に化けたとしても、そうそう会える連中ではないぞ」
「そ…それはそうかもだけど…やってみなきゃ分からないし……」
「そのような不確実なもののために冒せる危険ではない」
何と言ってもサファニールの態度は変わらない。
二人の遣り取りを黙って見ていたベアトリクスが、助け船を出した。
「アルシー、彼のことが気になるのでしょう?」
ズバリと言い当てられて、アルセリアは一瞬躊躇ったものの、すぐに頷く。
「…だってあいつ、多分心配してると思うし……せめて私たちは無事だよって、伝えておきたい…」
結局のところ、それが本当の望みだったりする。
「ねぇサフィー。その、天使を相手にするのは諦めるけどさ、ちょっとだけ地上界に戻るってのは出来ない?」
問われたサファニールは、考え込む。
姿を改竄して地上界に降りるのであれば、危険はそれほど大きくないだろう。中央殿も、そう地上界ばかりに気を配っているわけでもない。
しかし……
「何をそこまで気にしている。彼…とは、魔王のことか?」
アルセリアたちが、魔王に会いたいと望む気持ちが、理解出来ない。
一方的に魔王に執着されて、天界に目を付けられてしまったのだとばかり思っていたのだが、どうやらそれは彼の勘違いのようだ。
「…うん。あいつさ、変なところで責任感強かったり保護者ぶってみたりするとこあるから……私たちがいなくなって、すごく混乱してると思う」
しかし、アルセリアの口から出てくる魔王像が、自分の中のそれとあまりにもかけ離れ過ぎていて、一体誰の話をしているのか分からなくなってくるサファニールである。
「……その、なんだ……魔王が心配だの責任感だの保護者だのと……まったくもって理解し難いのだが…」
「そりゃ、サフィーはあいつのこと知らないから…」
「いや、かつて大戦時に、魔王とは幾度か相対したことがある。……が、汝の言うような印象は全く受けなかったぞ」
サファニールにとっての魔王とは、とにかく怖ろしくて、恐ろしくて、畏ろしい、想像を絶する化け物である。
「奴が、特定の相手に対し、まるで情愛のようなものを抱くとは思えないのだが……」
「そうでもなかったりするよ」
そこで口を挟んできたのはクォルスフィア。
おそらく、魔王の情愛の深さを最もよく知るのは彼女である。
「今の形になる前…大戦の頃から、ギルは自分のものだと認識した相手に対しては、とにかく過保護で心配性で独占欲丸出しだったから。……だから、心配なんだよねー………」
「心配?魔王が…か?」
「んー、そうじゃなくて、世界が」
「……………?」
「もしギルが、私たちが死んだと思い込んじゃったら……自棄を起こして腹いせに世界を滅ぼすくらい、しちゃいそうな気がする」
「……な!?」
サファニールは驚くが、アルセリアもベアトリクスもヒルダも、そしてエルネストも、さもありなん、と頷いている。
なんとなくだが、確かに魔王ならやりかねないことだ。
そして、彼女らのそんな想像は見事に的中していたわけなのだが。
「まさか……奴は、魔界の王だぞ?そのような無責任な真似を、たかが自分の執着する相手が死んだ程度で……」
「だから、ギルにとってはそれが「たかが」じゃないんだって。重きを置く対象が、ちょっと普通と違ってるんだよ」
平然と言われて、絶句するサファニール。
「まあ、今すぐに陛下が動かれることはないでしょう」
そこに参戦してきたのは、エルネスト。
「もし陛下がその気であれば、今頃世界は終焉を迎えているでしょうからね。ただ…あまり時間を置き過ぎるのは、得策ではないと思いますけどね」
「……お兄ちゃん、淋しがってる……」
「ええ、そのとおりです。そして陛下の負の感情は、世界に対して良い影響を与えないでしょうから」
「ぐ…うむむ……」
自分を除く全員一致で、そろそろ動くべきだという結論に達しかけている面々を前に、サファニールはどのような判断を下せばいいのか、本気で悩んでいた。
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「おい馬鹿、押すなって」
「貴様が進むのが遅いからだろう!」
「んなこと言ったって、隠れながらなんだから仕方ないだろ。……マナファリア、お前もくっつきすぎ」
アリアを押し返して、マナファリアを引き離して、俺は再び抜き足差し足を始める。
見事脱獄に成功した俺たちは、詰所のある階へと昇って来ていた。
ざっと見たところ、それほど大きな建物ではない。こんな田舎だから無理もないと思うけど。
ここまで来たら、何食わぬ顔で逃げ出すことも簡単そうだったが、どうせなら情報の一つや二つ、手に入れたいものだ。
少なくとも、いきなり俺たちが敵視された理由くらいは、知っておきたい。
……と、やばいやばい。
この先、廊下の扉が開け放たれていて、こちらの姿が向こうにも丸見えである。
しかも、こちらに背を向けてはいるが、部屋の中には幾人かの人影が。イラリオの姿も見える。
大きめの角部屋だが、会議室か何かだろうか?
……このまま進んで、バレないかな?音を立てなければ……大丈夫かも。
けど、気配で悟られる心配もあるし…。
とりあえず、俺たちは扉の手前で息を潜めて、中の様子を窺ってみることにした。
連中、俺たちと違ってそんな必要ないはずなのに声を潜めていて、何を話しているのか聞き取りづらい。
「…………の、密使が……中央殿……………エレの動向も……………問題は……の…………」
……ええーい、何を言っとるのか全く分からん!
とは言え、これ以上近付いたら気付かれちゃうなー。
こうなったら、普通に姿を現して普通に連中を叩きのめして普通に尋問する方が早いかも。
けど、せっかく脱獄に成功したのに、自分から出て行くってのはなんか面白くない。
……いやいやいやいや、遊びじゃないんだ遊びじゃ。
アリアが、後ろから俺の髪をついついと引っ張った。振り返ると、やる気満々な表情が。
どうやら、俺と同じことを考えていたらしい。
まあ、一瞬で終わらせれば騒ぎにもならないだろうし…いいかな。
そう思い、アリアに頷こうとした瞬間。
「おい!大変だ!!」
俺たちがいるのとは別の扉から、一人の兵士が慌てた様子で部屋に駆け込んできた。
げげげ、もしかして脱獄がバレた?
そう思って、身構えようとしたのだが……
「どうした、何があった?」
「まずいぞ、連中に嗅ぎ付けられた!村長の奴が裏切りやがったんだよ!すぐに逃げないと、討伐隊が…」
何やら、部屋の中が騒がしい。
なんだか、俺たちとは関係ないことで焦ってるっぽい…?
「急げ、イラリオ!」
「待て、資料を破棄してからじゃないとまずい」
「そんなことしてる場合か!」
……ふむむ。イラリオは何やら地図とか書類っぽいものとかを搔き集めようとしている。
一体、何をそんなに焦ってるのだろうか。
見たところ彼らは番兵。すなわち、権力者側にいる者たちのはず。
となると、天使たちの執行部…確か中央殿とか言ったっけ…に敵対する勢力があるというわけか?
……二千年前なら、とても考えられなかったことだ。
確かに、天界で何かが起こっているのかもしれない。
「…どうする、リュート。騒ぎに乗じてこの場を去るか?」
アリアが尋ねてくる。
まあ、それが一番無難な手だろう。この慌てようだと、俺たちが逃げても構っていられなさそうだ。
それじゃ、この隙に………
「イラリオ、奴ら来やがっ……ぐあぁっ!」
もう一人、部屋に駆け込んできた兵士が突然苦悶の声を上げた。そしてそのまま倒れ伏す。
その身体を踏みつけて、どかどかと雪崩れ込んできた一団。
「……なんだ、奴らは?」
アリアが胡散臭そうに呟く。俺も同感だ。
突如詰所にやってきて、問答無用で兵士たちに襲い掛かる一団は、お揃いの装束にお揃いの仮面、どこからどう見ても怪しさ大爆発の連中である。
「くそ、応戦しろ!!」
イラリオはそう叫びながら、自ら前に出て剣を振るう。それに勇気づけられたのか、襲撃に浮足立っていた他の兵士たちも抵抗し始めた。
部屋の中は、混戦状態である。
これ……このまま無視して出て行っちゃっても、いいんだろうか。
口も手も出す筋合いはないし、ぐずぐずしてたら俺たちも見付かるだろうし、そしたらもっと面倒なことになるかもだし……
……けど。
「なあ、リュート。もしかしたら、ここで連中に恩を売っておけるのではないか?」
とか、アリアが言い出した。
実を言うと、俺も同じことを考えた。
情報も何もない現状では、協力者が欲しい。勿論、俺たちの本当の目的を話すわけにはいかないけど、表面的に利用できる相手がいれば、何かと動きやすいことは確かで。
どう見ても、イラリオたちの方が劣勢である。このままでは、すぐに制圧…全員殺害…されてしまうだろう。
ここで上手いこと助けて、上手いこと言いくるめて、便宜を図ってもらうことって出来ないかな?
……まあ、俺たちを相手にするイラリオが、悪い奴には思えなかったからこそ、なんだけど。
迷っている時間はない。
状況がどう転ぶかは分からないが、後のことは後で考えよう。
「よし、アリア。一丁ぶちかましてやれ」
「お安いご用だ」
端正な顔をにやりと歪めて笑みを作ると、竜族最強種、天空竜アリア・ラハードは立ち上がり、悠々と剣戟の真っただ中へ歩いて行った。




