第二百四十一話 新天地?へ
「ふん、ふんふん」
「ちょ、アリア……近いって」
「少しくらい辛抱しろ」
恥ずかしさで身をのけぞらせようとした俺を引き留めて、守護竜アリアは再びクンクン。
何これ。美女に体臭を嗅がれているって、どんな罰ゲームよ。
どうせなら、竜の姿でやってくれれば、恥ずかしさも軽減したってのに。
しかも…
「で、マナファリア。お前も近すぎる」
アリアの反対側には、姫巫女マナファリアが。
俺の腕をがっしりとホールドして、べったりひっついている。
「そうですね、リュートさま」
……いやいやいやいや、離れようよ。つか、離れてくれよ。
「…ふむ。問題ないな。魔族の匂いは消えている。これならば、天使族に気取られることもなかろう」
ようやく俺から顔を離して、アリアが太鼓判を押してくれた。
すっかり染みついた魔族の匂いを消すために、俺は“星霊核”での禊を終わらせてきたのだった。
で、ちゃんと匂いが消えているかどうか、嗅覚の鋭いアリアに確認してもらってたってわけ。
…マナファリアがひっついているのには、何の理由も必然性もない。
「しかし……確かに魔族の匂いはせぬが、これはこれで問題があるやもしれん」
……え、どういうこと?
俺の姿は一般的な人間と変わらないし、匂いさえ消えれば魔族との関係性を疑われることなんてないと思うんだけど……
「匂いが、清浄すぎるな。これでは、貴様の神格に気付く者が現れる恐れがあるぞ」
「え……マジか」
流石に、そればっかりはどうしようもない。だって本当のことだし。
「まあ、ワタシや姫巫女と行動を共にしていれば、誤魔化すことは容易だろうから、然程気にすることもないと思うが、一応は用心しておくがいい」
「あ、うん……分かった」
アリアから注意事項も受け、魔界と地上界での準備も終わり、心強い…かもしれない新たな仲間も得て、いよいよ天界への潜入である。
なんか俺、こういう潜入とか、やたら多くない?もしかしたら伝説のスパイになるべくして生まれてきたんだったりして………ってんなアホな。
まあ、普段から正体を隠して過ごしてれば仕方のないことなのかな。
流石に、“魔王崇拝者”のところとか、タイレンティア大聖堂の内部とか、そういったところに潜入するのとは緊張感が違うけど……
もう、こうなったら、なるようになれ、という一種の悟りと言うか、諦めに近い境地に至っていることも事実。
結局のところ、俺の最終にして最大の目的は、アルセリアたちの無事を確認すること、その安全を確保すること…なのだ。
勿論、大戦の回避というのも目的の一つではあるけど……正直に言うと、二の次だったりする。…と言うか、あいつらや魔族たちのことを考えると戦争は避けなきゃならないってだけの話で。
だから、天界での用事は出来るだけ早めに済ませたい。さっさとあいつらを探さなきゃならないからな。
今回の件…べへモス召喚のための贄を地上界に要求した決定権者が誰なのかを探り出し、適切に処理するのが、ミッションというわけだ。
「ほんじゃ、ま、行きますか」
俺は、あらかじめ“天の眼地の手”で目星を付けておいた座標へと、“門”を繋げる。
誰かに目撃されると困るから、出来るだけ人気のない辺境へ。
そして、引きこもりの守護竜と暴走超特急の姫巫女を連れ、自分を最も強く嫌悪し拒絶する民の棲み処へと、足を踏み入れた。
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空の青は、時空が違っても変わらない。
いや、地上界よりももっと高いかもしれない。
空気は清冽で、肺に直接刺さってくるような感覚を覚える。
魔界と同じで、物質の全ての密度が地上界のそれよりも高い。
ここが…天界。
神に最も愛された種族…天使族と、それに認められた徳の高い者のみが住むことを許される、聖なる地。
俺がここを最後に訪れたのは、まだ天地大戦が起こるより前のことだった。
その頃から、ここの空気は好きじゃない。あまりに綺麗すぎて、一点の曇りや僅かな濁りさえ許容してくれない感じがするから。
こうして久しぶりにこの空気に触れても、嫌なことばっかり思い出してしまう。
「おい、魔王よ」
そんな俺の嫌な思い出を断ち切って現実に呼び戻してくれたのは、守護竜アリアの声。
ただし…ちょっと険悪な。
「……確かに、転移の瞬間を目撃されないことは重要だ。が、貴様、このような所に下りてどうするつもりだ…?」
そう言いながらアリアが見つめる先は、大海原。
右も、左も、大海原。そして背後もまた同じく。
…ここは、小さな小さな絶海の孤島。
どうやら、人気のないところという一点のみで探索した結果、ここが最有力候補として該当してしまったらしい。
「いやー、まあまあ。天使共のど真ん中に出現するよか、ずっとマシじゃん?」
険悪なアリアを宥めようと、軽い調子で答えたら…余計怒らせてしまった。
「マシとかそういう問題ではなかろう!それとも貴様アレか、無人島で美女二人とワクワクドキドキちょっぴりムフフなサバイバル生活を送ろうとか、そういう魂胆なわけか!?」
「なんの設定だよそれ!?」
引きこもりのくせに、何故そういうシチュが出てくるんだこいつの頭の中は。
第一、ちょっぴりムフフなお相手ってのが…
「まあ……なんて素敵な…」
「ちょーっと黙ってような、マナファリア」
引きこもりの竜と世間知らず暴走超特急の姫巫女だぜ?
……手ェ出せるはずないじゃん。
つか、手を出す気になるはずないじゃん。
「とにかく、今はそんなことしてる場合じゃないし、当然そのつもりもない!…って何だよその顔は」
「………べ…別に、なんでもないわ阿呆」
よく分からんが落胆されても困る。なんせ、アリアがいればこんな状況、大した問題ではないのだから。
「なあ、マナファリア。お前、馬って乗ったことある?」
「馬……?馬とは、乗るものなのですか?」
…あ、ダメだそこからか。想像はしてたけど、こいつが輿以外の移動手段を経験してるわけなかった。
……となると…仕方ない、俺がホールドしとくしかないか。
「と、言うわけでアリア。俺たち二人を乗っけて陸地まで行ってくれない?」
「な………っ!このワタシに、貴様を背に乗せろと言うのか……!」
あれ…もしかして、失礼なこと言っちゃったかな俺。
「え…と、やっぱり……嫌だったりする…?」
なんか、竜種としての威厳とか沽券とかプライドとか、そういうのを傷付けてしまっただろうか?
「…ば、馬鹿者!何もそのようなことは言っておらんだろうが!!ただ、突然で、その…驚いただけだ!」
「あ…そう……?」
なんか妙な反応だ。
人間で言えば、おんぶやら抱っこやらと同じ感覚かと思ったんだけど、竜にとっては違うのかもしれない。
が、本人が了承してくれたようなので、ここは彼女の寛大さ?に甘えることにする。
「……鞍も鐙もないからな。落ちるでないぞ」
竜の姿に戻り、そう言って屈むアリアの背中に飛び乗ると、俺はマナファリアも引っ張り上げる。
「まあ、そこんところは頑張ってみる」
「た、高いですリュートさま!」
視点の高さにビビって俺に抱き付くマナファリア…のように見えるが、声の調子からすると多分ビビってない。どちらかと言うと、楽しんでる。
俺は、少しだけ“霊脈”にアクセスすると、アリアと俺たちの位置関係と接触面を安定化させた。
これで、余程のことがない限り落っこちることはないだろう。
しかも、天界ならこの程度の霊力はスルーされるだろうから、安心だ。
まあ、霊力の質の差異に気付かれてしまえば厄介だけど…そこまで出来る天使はそうそういない。
いるとすれば、創世神の神力に直接触れたことがある個体くらいじゃないかな。そんな奴はもういないだろうし。
「……貴様の霊力は、御神のものととてもよく似ているのだな……」
多分初めて俺の神力に触れたアリアが、どことなく淋し気に呟いた。
「そりゃ、同じ場所から引っ張ってきてる力だからな。…つか、俺たち自身が元は同じ存在だったんだし」
「……そうか、だからか……」
何か納得したように言うと、アリアは体を起こし翼をはためかせた。
「では行くぞ。しっかり摑まっているがいい!」
そして、飛翔。
巨大な翼がはためく度に、高度が、速度が、増していく。
離陸時だけは(その巨体ゆえに)若干のもたつきがあったが、一度スピードが乗ってしまえば実に軽快。
だが……
風圧が、凄い。
アリアは多分、俺たちのことを考えて手加減してくれているんだと思う。なにしろこいつは天空竜。竜族最強種であると同時に、その名のとおり空との高い親和性を持つ。その飛行能力は、飛竜に次ぐ。
彼女が本気になれば、マナファリアなんて窒息してしまうだろう。
今だって、押し寄せる空気の圧のせいで呼吸が苦しそうだ。
俺は慌てて、空気の流れを変えてやる。俺とマナファリアを避けるように風圧を後ろへ流してやれば、アリアの飛行の邪魔にはならないだろう。
俺自身も余裕が出たせいか、周囲に目を向けられるようになった。
そして、眼下を猛スピードで流れていく海面の煌めきを、遠くにゆっくりと動いていく雲を、水平線にようやく浮かび上がった大陸の影を、見る。
「これは……爽快だな」
思わず、呟いていた。グリフォンなんかとは比べ物にならない。転移でパパっと移動するのでは、決して味わえない。
これは……リアル竜騎士じゃないか!
おおー、ゲームをやっていて一度は憧れる竜騎士体験!
そう、俺もいっぺん、やってみたかったんだよ。
なんだか、やみつきになりそう!
この一件が落ち着いたら、またやってみようかな。アリアに頼み込んで。
「リュートさま、とても美しいです……」
そこまでしなくても落ちないだろってくらいに俺にしがみつくマナファリアが、感嘆の声を上げた。
神殿の奥しか知らない彼女にとって、俺とは比較にならないほどの新鮮な体験だろう。
初めて世界を見た赤子のように、瞳を輝かせている。
「愛しい方の傍らで、同じ光景を見ることが出来るというのは、とてもとても素晴らしいことですね…」
瞳を輝かせついでに、例の暴走も始まる。
「世話役の神官に、聞いたことがあるのです。人々は、愛しい相手と結ばれる際に旅に出るのでしょう?」
……?旅……?ああ、新婚旅行のこと…かな。この世界にもその風習ってあるのかー…。
「それはきっと、違う環境で生きてきた二人が同時に初めての体験をすることによって、同じスタートを切るための儀式ですのね」
「へー……そんなもん…なのか?」
あれって、お祝いムードついでに羽目を外して遊ぼうってことじゃないのか。
…それか、結婚時くらいしか長期休暇をもらえない悲しき企業戦士の唯一の安息…みたいな。
「きっとそうです!初めて見る美しい景色、初めて体験する事柄、初めて出会う人々……初めて尽くしで、二人は新たに、同じ価値観を築いていくのですわ!」
……よく分からん。
純粋培養が書物だとか人のうわさ話とかで中途半端に耳年増になると、こんな風になるのか?
「そして今日が、私たち二人の、新たな門出なのですね!」
「んなわけあるかーい!」
本日も、暴走超特急は平常運行なのであった。
竜の背に乗るということを抱っこやおんぶと同じように考えていたリュートですが、考えればいきなり抱っこやおんぶをせがむのも十分にアレですよね。




