第二百三十七話 職場のロッカーにファブを入れておくと千人力な気がする。
「ところでリュート」
俺のカップにお茶のおかわりを注ぎながら、グリードが世間話でもするかのような感じで言った。
「我々のところに現れた天使は、君の方から戦争を仕掛けた…みたいな感じに言っていたのだけども、そのあたりはどうなってるのかね?」
……へ?俺の…魔界の方から仕掛けた?
「何それ、知らないよ?つか、サン・エイルヴを破壊したのって、天使じゃねーか」
「じゃねーか、と言われても、我々が知るはずないだろう?まあ、私はそう思ったが、大多数の人間は、君の仕業だと思っているだろうね、当然のこととして」
……俺、随分と信用がないんだな。
いや、魔王としては…ある……ってことなのか?
「まあどうせ、アルセリアたちを狙ってサン・エイルヴを滅ぼして、ついでに俺にその濡れ衣を着せてやろうって魂胆なんだろ?そうすりゃ、開戦の言い訳も立つってもんだ」
「そこなんだけどね」
グリードが首を傾げた。
このおっさんはいちいち仕草に愛嬌がありやがる。若い頃は…今もかもしれんけど…モテたんだろうなー。
「何故天使は、魔界との戦を望むのかね?」
「……は?何言ってんだよ。そんなの決まってるじゃないか、あいつらは廉族以上に魔族と魔王を嫌いまくってるからな」
「だからと言って、勝ち目がないのに?」
……………?
そう言えば。
確かに、奴らの行為は軽率……だったりするかも。
自分で言っちゃったりするけど、創世神がいない現在、俺は無双だったりする。
どれだけ敵が策を弄しようが、天界・地上界の全生命体で俺一人に立ち向かってこようが、その気になれば全て滅ぼして一件落着(俺にとっての)…というわけだ。
それが分からない連中ではないだろう。
勿論、世代交代を重ねて平和ボケしてしまった可能性も無きにしも非ず…だけど。
多分奴らにとって、唯一俺へ対抗する手段が、アルセリアたちだった。
殺すにしても人質にするにしても、一定以上のダメージを俺に与えられる方法。
しかしそれも、あくまでも一定以上。
その程度では、俺を滅ぼすに至らない。
逆に、俺の怒りを買って大戦が勃発する、という展開の方が、ありえるわけで。
「………確かに、妙だな」
「天使というのは、自殺志願者ばかりだったりするのかい?」
「いや、んなわけないだろ。そりゃ、勝つためなら平気で自爆するような連中ばっかだけど、勝ち目もないのに無駄死にするようなことは絶対にしないよ」
長い時間を経て変化も見られるかもしれないが、種としての根本の在り方はそうそう変わってないはず。
と言うか、勝ち目もないのに無駄に敵に喧嘩を吹っかけて自滅する…なんて、種としてどうなの?って感じだ。
「もしかしたら、ゴタついているのは、魔界だけじゃないかもしれないね」
グリードは、そんなことを言い出した。
「天界で、何かが起こってるって言いたいのか?」
「いや、神ならぬ人の身で、そこまでは分からないよ。ただ、一連の経緯と、あの天使の様子と、君から聞いた話と、そして今までの諸々を考慮すると……」
一旦言葉を切って、グリードは思案しながら紅茶を一口。
自分の中で考えをまとめたようで、
「非常に漠然とした印象なんだけどね。……何と言うか、天界の足並みが、揃っていないような気がする」
「漠然とした印象って……要は、勘だろ?」
「まあ、そうとも言う」
何とも心許ない話ではあるが、しかしグリードほどの切れ者が抱いた勘ってのも、無視しない方がいいって俺の中の何かが囁いている。
「…分かった。ちょっと調べてみるよ」
もしかしたら、その中に突破口が開けるかもしれない。
天界が戦争を諦めて、アルセリアたちが無事に見つかれば、一件落着だ。
地上界も巻き込まれて大変な目に遭うこともないし、世界滅亡の危機も避けられるわけだし、俺はこれ以上大切なものを失わずに済む。
よし、その展開、いいじゃないか。
俺は、物語はハッピーエンドじゃないと気が済まないタチなんだよ。それに自分が関わっているとなれば尚更。
中学生の頃、演劇部の助っ人でロミジュリの神父役をする羽目になったことがあるが、ラストがどうしても我慢出来なくて強引に脚本を変えさせたことがあったっけ。
だって、せめて物語の中くらいは、幸せでいたいじゃないか。
………って違う違う。これは、お芝居じゃない。決められた脚本も設定も存在しない。
だから、お芝居以上に力技で、自分の望む結末を引っ張ってこよう。
「さて、後は具体策なんだけど……」
「そうだね。君は、天界にも渡れるんだよね?」
「渡るだけなら、問題ない。……けど、バレると思うんだよねー」
そこが唯一の懸念だったりする。
「…バレる?今回みたいに、空間をなんかいい感じに弄って気配を隠すことは出来ないのかね?」
「いやいや、渡るときはいいんだよ。そうじゃなくて、天界に行ったあとでのはなし」
フォルヴェリア王国に潜入していた天使イヴリエールは、俺が魔界の関係者だと見抜いていた。
「どうも、魔界の匂いが染みついちゃってるみたいでさ」
「なるほど。それを嗅ぎつけられると、正体がバレてしまうというわけか」
まあ、正体っつっても多分魔族と勘違いされるんだろうけど、結局は同じこと。
敵が侵入した!ってことで大騒ぎになって、色々と収拾がつかなくなるのは怖い。
「そうなると、殺菌消毒が必要だね」
「汚物かよ」
「……………………」
「そこは否定して!?」
冗談だと分かってるけど(って冗談だよね?そうだよね?)、グリードの態度が非道い。
「しかしまあ、徹底消臭しないといけないだろ?」
「ファブれっていうのかよー」
ああしかし、あのスプレー式魔法の液体ならば、魔界臭くらい消してくれそう。いや、ファブでもリセでもどっちでもいいけど。
「ファブ…?それは、職能か天恵か何かかい?」
「あ、いや、気にすんな。まあ、匂い…つーか気配みたいなもんだけど、消す方法は多分あると思うからやってみるよ」
ギーヴレイなら、いい知恵を出してくれるに違いない。
「それ以外のことに関しては、出たとこ勝負ってとこかな。天界がどうなってるのか分からないし…」
「そうだね。悪いが、それに関しては私からアドバイス出来ることはなさそうだ」
……いやいや、ここまで魔王にアドバイス出来てるんだから、それで十分だと思う。
それじゃ、行くとするかな。
俺は、お茶の残りを飲み干して、立ち上がろうとする。
その時、控えめ…というか恐る恐る、といった感じで、扉がノックされた。
「…………グリード……無事なのか…………?」
正真正銘に恐る恐る、小さく扉を開いて、教皇が顔を覗かせた。
そして俺とばっちり目が合うと、
「で、出たーーーーー!!」
その場に腰を抜かす。
……って、お化けかよ。…………似たようなものか。
「何だねファウスティノ、藪から棒に」
私的な場だからか、グリードの口調がフランクだ。
あ、教皇の後ろに、もう二人くっついてる。一人はアスター。もう一人は知らないけど、枢機卿の仲間だろう。
「………よう」
アスターとも目が合ったから、軽く片手を上げて挨拶しておく。
それに安堵したような表情を浮かべると、アスターはトコトコと部屋の中に入って来た。
「え、あ、ちょ…アスター殿!!」
もう一人の枢機卿(多分)が慌てたように声を掛けるが、それに構わず俺の目の前まで来ると、俺を見て(因みに現在、いつものリュート=サクラーヴァの姿ではなく、魔王姿である)、グリードを見て、もう一度俺を見て、何かを察したようだ。
「…僕ごときが口を挟めることではありませんが、もう一安心だと考えていいんですね?」
……視線がキツイ。
「……うん、まあ………悪かったな、取り乱して」
ここは素直に、謝っておくとしよう。
怒りに我を忘れて彼らも地上界も滅茶苦茶にしてやろうと息巻いていたのは確かなのだから。
しかも、熟考に熟考を重ねた上での判断ならまだしも、ただの腹いせで。
俺の謝罪を、アスターは受け容れてくれるようだ。
小さく溜息をつくと、俺の隣に腰を下ろす。
教皇ともう一人は、オロオロしながら、そして状況が全く分からないみたいで、ただその場にへたり込んで見ているばかりだった。
「それで、その………姉たちは…」
多分、それが彼の本題なのだろう。ベアトリクスの方はよく分からないが、アスターは間違いなく姉を慕っている。
その身に最悪の事態が降りかかったと悲痛な顔を見せるアスターを見てると、年長者として励ましてやらないとって気分になってくる。
「グリードと二人で色々話して、あいつらはきっとまだ無事だって結論に達した」
俺の返事に、パッと顔を上げると、
「それは……本当ですか?」
「…正直、確証があるわけじゃない。けど、希望は捨ててない。だから、何としてでも探し出してみせる」
その言葉にアスターは、安堵のような悔恨のような、奇妙な表情を見せた。
そして
「…………ごめんなさい」
再び俯くと、小さな声で呟いた。
「なんで、お前が謝るんだよ?」
「…あの時、姉さんたちはサン・エイルヴにいたのに……僕は逃げ延びることが出来たのに……」
…ああ、自分だけが無事に逃げ延びたことに、罪悪感を抱いているのか。
「それは仕方ないだろ。襲撃の瞬間、すぐ目の前にあいつらがいたってんなら話は別だけど、サン・エイルヴの何処にいるのか分からない相手を探すほどの余裕は、お前にだってなかったはずだ」
「そう……なんですけど」
頷きつつも、納得はしていなさそうなアスター。
こういうのは、理屈じゃないんだよな。
「ま、少なくとも俺はまだ諦めてないし、だから謝るタイミングも謝る相手も違うだろ」
ヒルダよりさらに小柄な少年の頭をなでこなでこしながら、俺は自分の決心を彼にも告げる。
「俺は何がなんでもあいつらの行方を突き止めるし、このゴタゴタも収拾させるつもりでいる。だからその間、お前らはお前らにしか出来ない分野で踏ん張れよ」
主に、地上界の統制とか。
サン・エイルヴの壊滅は、地上界全域に大きな衝撃を与えただろう。そういった災厄が起こると、社会全体が不安定になる。
直接天使や魔族が絡まなくたって、燻っていた諸問題が一気に再燃することだって考えられるわけで。
ディートア共和国の中で起こっていた民族・部族問題とか、国家間の諍いとか、“魔王崇拝者”みたいな妙なテロリスト連中とか、或いは利権問題とか。
それに関して、魔王が手を貸してやれることはない。
多分、これから彼らは忙しくなるだろう。
「……分かりました。リュート…さん、は、もう行くのですか?」
この姿の俺をリュートと呼ぶことに躊躇いを見せつつ尋ねたアスターに、俺は頷く。
「ああ、あんまり悠長にやってる時間もなさそうだしな」
「それでしたら、その前にお願いが………」
「……………?」
お願い…?珍しい…つか、初めてだな、アスターが俺にお願いなんて。
まあいいだろう。俺には別にショタコンやブラコンの気質はないが、子供のおねだりくらいは聞き届けてやろうじゃないか。
「…その、ここの空間と……貴方が止めてしまった人間を、元に戻しておいてくださいね……」
………あ、忘れてた!
自分の職場のロッカーにはリセが常備してあります。




