第二百三十六話 父と子
前回まで好き勝手やってたくせに、しれっといつも通りなリュートです。
「べへモス五十体…ねぇ。そりゃまた天界も、かなり気合入ってるなー。やっぱアレか、全面戦争やるつもりかな」
グリードからこれまでの説明を受け、俺は嘆息した。
確かにべへモスは強力な上に使い勝手のいい幻獣だが、一度に五十体も召喚だなんて聞いたことがない。まあ、向こうはエルリアーシェを失ってるわけだし、魔王が健在な魔界に対抗するにはなりふり構っていられないってとこなんだろうけど。
「けど、そう考えるとやっぱり、アルセリアたちは天界の手には渡ってないだろうな」
「ああ、私もそう思う。仮にそうであれば、真っ先に利用されるだろうからね」
グリードも同感のようだ。
“神託の勇者”とその一行なら、贄にしても依り代にしても、そこいらの有象無象数千人分の価値くらいはあるはず。
「さらに、天使との遣り取りで分かったことだが、あちらは、私と君の関係については何も知らない。則ち、情報の出所は……」
「ああ、それに関しては完全に俺の手落ちだ。……まあ、こっちに天界との内通者がいたんだよ」
言いにくいことだし、言いたくないことでもあるのだけど、一応グリードにはフォルディクスの一件を話しておく。
奴は、時間稼ぎと言っていた。
勝ち目がないことは承知の上で、それでも俺に一矢報いようとしたのだ。
いつ、どうやって天界と通じたのかは分からない。少なくとも、俺やギーヴレイは全く気付かなかった。
しかし、現実としてフォルディクスはワザと戦を長引かせて俺を魔界に足止めし、その隙にサン・エイルヴは天使たちによって破壊し尽くされた。
俺と勇者一行の関係を天界に教えたのはフォルディクスだ。
彼女らは魔王の弱点であると、情報を与えたのだろう。
そしてそれを天使たちが利用しないはずがない。
不幸中の幸いと言うべきか、フォルディクスは俺が地上界で何をしていたかをまるで知らなかった。彼が知っていたのは、俺が勇者一行に執着しているということのみ。
おそらく、ギーヴレイじゃないけど愛妾とかそういう風に思っていたんじゃないかな。
だから、俺と聖教会との繋がりだとか、グリードとの関係だとか、そういった情報は天界には渡らなかった。
渡っていれば、今頃グリードはここにはいない。魔界との内通者ということで、天使たちに、或いは聖教会に、粛清されていただろう。
俺が説明を終えると、グリードは神妙な顔をしていた。
「…成程。絶対の君主というものも、辛いものだね」
その言葉は、今の俺にはぶっ刺さりまくる。
「ああ、ほんとだよ。未だに、何がいけなかったのか、何を間違えたのかって、考えてばかりだ」
なかなか臣下には言えない愚痴も、グリードの前では吐き出せる。
本当は、もう少し自分を曝け出すことも必要なのかと思ったこともある。が、フォルディクスの失望を考えると、身動きが出来なくなってしまったのだ。
他の奴らだって、もしかしたらフォルディクスと同じものを俺に求めているのかもしれない。
「間違い…か。いや、おそらく誰も何も間違えてはいないと思うよ」
グリードが、そんなことを言い出した。
……え?いや、多分俺は間違えたんだ。それが二千年前のことなのか、今のことなのか、両方なのかは分からない。もしかしたら、創世期に遡るのかもしれない。
けど、どこかでやらかしたから、こんなことになってしまったんじゃないか。
そんなようなことをぼやいたら、グリードは首を振った。
「リュート、君は多分、これまであまり不条理な経験をしたことがないのではないかね?」
……なんだよいきなり。
まあ、そりゃあ……あんまり、ない…かな。
桜庭柳人の人生は、最期を除いてそれなりに順風満帆、全てが上手くいっていたわけではないけど努力はきちんと報われていたと思う。
魔王としては、不条理もへったくれもありはしない。封印云々はともかくとして、大抵が自分の思いどおりになっていたのだから。
釈然としない俺の表情に気付いたグリードは、まるで父親が息子に語るような口調で言う。
「例え間違いを犯さなくても、誰も間違っていなくても、どんなに努力をしたとしても、どうにもならない事柄というものはあるんだ。……と言うか、そういう事の方が圧倒的に多いものなんだよ」
「……そんなもの…なのか?」
「そうとも。かつての君が、冷酷無比な魔王として君臨していたのも、そのフォルディクスという君の臣下がそんな君に心酔したのも、今の君が感情を大切にして自らの弱さを自覚するようになったのも、彼がそんな君に失望してしまったのも、どちらが悪いというわけではない」
グリードの口調は、いつになく優し気だった。
桜庭柳人の父親とは全くタイプが違うけど、アルセリアたちがこいつを父と慕う気持ちも、分からなくはない。
「君と彼とでは、求めるものも見ているものも違った。不幸なことに、互いがそれに気付くのが遅すぎた。けれどそれは、どうしようもないことなんだ。何故ならば、神だろうが魔王だろうが魔族だろうが、己がどう在るのか、どう在りたいのかは、自分自身の意志によってのみ決められるものなのだから」
……なんだか、結構イイ感じのことを言っているようなんだけど……イマイチよく分からない。
俺の顔に浮かぶ?マークに気付いたのか、グリードはさらに捕捉。
「君は、彼が君に何を望もうとそれに応えて自分の姿を曲げることは出来ないし、また、彼に理解されたいと望んだところで彼の意志に反してそれを強要することは出来ない。…違うかね?」
「違わない……けど」
そう言いながらも、俺にはそれを可能にする力があることも事実。
その気になれば、フォルディクスの意志も望みも完全に無視して、俺に何一つ逆らうことのない忠実な僕に作り替えることだって出来た。
……ああでも、だから、俺はそうしたくなかったのか……。
自分の意志を尊重してもらいたかったから、彼の意志も大切にしてやりたかったんだ。
望みを叶えてやることが出来ないのであれば、せめて意志だけは…と。
「おそらくその彼は、アルセリアたちを殺すことで、かつての…自分の望む魔王を取り戻そうと思ったのだろうね」
「そんなことしたって、自分が殺されてたら意味ないじゃないか…」
「そうでもないさ。少なくとも彼は、そうは考えなかった。自分の命を犠牲にしてでも、取り戻せるのなら惜しくはないといったところじゃないかな」
確かに、グリードの言うとおりなのだとしたら、フォルディクスの狙いは成功一歩手前まで行ったと言える。
怒りに我を忘れた俺は、天界も、必要とあらば地上界も、全て滅ぼして全世界を自分の支配下に置いてしまおうとさえ考えていた。
いや…今だって、もしアルセリアたちの生存が絶望的だと決まれば、どうなるかは分からない。
グリードのおかげで、目は覚めた。
あいつらが、そう簡単に死ぬようなタマじゃないってことも、思い出した。
何せ、今のあいつらは高位天使とだっていい勝負が出来るほどに成長したのだ。しかも、回復の超エキスパートであるエルネストもついている。
けれど……現にあいつらの行方は分からないままで、本当に生きているかの確信もないのだ。
もし、あいつらの身にもしものことがあったら………
…ああ、ダメだダメだ。考えるとどんどん悪い方へと想像が転がっていく。
今は、あいつらを信じることにしよう。
「……何はともあれ、あいつらを見つけなきゃ話にならんってことか」
「そうだね。そしてそれが難問だ」
俺とグリードは、揃って頭を抱える。
天界が廉族に与えた猶予は、半年。
その間に俺は、アルセリアたちを探し出し、そして天界との全面戦争を避けなければならない。
………いやいやいやいや、ちょっとそれ、無理ゲーじゃね?
まあ、アルセリアたちに関してはどうにかするつもりだけど……やる気満々の天使たちを相手に、何をどうやったら戦争回避なんて出来るわけ?
「あのさグリード、一応聞くけど……やっぱり、天界との全面戦争になったりしたら、困るんだよな?」
「困るどころの話じゃないだろう。どうせ地上界が主戦場になるに決まってる。一体どれだけの犠牲が出ると思ってるのかね?」
……怒られた。
「でもさ、この際だから魔界は地上界に味方するよ?もうなんなら、魔界・地上界連合軍とかどう?」
「……真面目に話したまえ」
……結構真面目なつもり…なんだけど。
「リュート、君は一つ勘違いしているようだね。我々地上界の民にとって、魔族は決して相容れない敵なのだよ。君の周囲にはたまたま、魔王や魔族に対して憎悪を剥き出しにする輩はいなかったかもしれないが、世界中の人々が君を憎み君の死を願っているといっても、過言ではないのだからね」
「……ちょっとそれ非道い」
傷付いちゃったじゃないか。
いくら魔王でも、そこまで嫌われてるって面と向かって言われるのは悲しいぞ。
「非道いも何も、それが事実だ。そしてそんな地上界が、魔界と手を組むと思うかい?」
「…まあ、そりゃ、難しい……かもしんないけど」
「難しい、じゃなくて有り得ない、だよ。仮に天界が地上界を完全に敵と見なして、生き残るためには魔界に与するしかないという状況にでもならない限り、廉族は魔族を信用しないだろうね」
……そっかー。
俺が考えていた以上に、両者の溝は深いのか。
だからこそ、魔族たちは俺を王と呼び慕うのか。
「んー、じゃあ、表立って共闘ってのは無理だとして。でもそしたら、いずれ天使どもは贄を求めてまた降りてくるんじゃないか?そこんところ、どうするんだよ」
「……………」
「…………?」
グリード、沈黙。
「……おい、黙ってないで何か考えを…」
「なあ、リュート」
グリードの口調がいきなり軽くなって、俺は気付く。
こういう口調のときのコイツは、大抵俺に無茶振りをしたり俺を都合よく使い倒そうとしているのだ。
俺が地上界で学習した中で最も重要なこと。
…気さくなグリードには要注意。
そんな俺の警戒なんて気にもせず、グリードは、
「確かに天界と魔界との戦争に地上界が巻き込まれては非常に困るのだがね」
「……ああ、そうだろうな」
「だからと言って、君たちが天界と争うこと自体を止める権利は、私にはないわけだ」
「……ああ、そうだろうな」
「だから、地上界が巻き込まれることなく、天界が地上界から手を引いてくれれば願ったり叶ったりだね」
「……ああ、そうだろうな」
………なんか、嫌な予感。
「例えば……そうだねぇ。天界が、魔界との戦を諦めざるを得ないような事態になったら、地上界も安心だと思わないか?」
「…………何が言いたい?」
「いやいやこれは、可能性の話だよ。そう例えば。天界の指揮系統に回復不能な被害が出て、戦争どころじゃなくなる…とか」
……何が、「例えば」だよ。
「それは何か?俺に、天界の上層部だけを吹っ飛ばして来いって言ってるわけか?」
「…………………」
「おいこら目を逸らすな!」
なんつー奴だ。こいつは本当に聖職者なのか?
これって見方を変えれば、暗殺推奨だよね?秘密工作だよね?
しかもそれに魔王を使おうという………
よく分かった。やっぱりこいつは、あの三人娘の父親だ。
血の繋がりなんて関係なく、「立ってる者は魔王でも使え」の教えは父から子へと受け継がれているわけだ。
「まあまあ。だから、可能性の話だと言ってるじゃないか。……因みに、可能かい?」
「出来なくはないけど!!」
なんか色々と、釈然としない!
「そうかそうか。まあ、この話は置いておこう。おいおい考えてもらえると有難いよ…と言っても猶予期間のことは忘れないでくれ」
……こいつ、半年以内に何とかしろって言いやがるのか。
「まずは、アルセリアたちの行方を探そう。……心当たりとかは、ないんだよね?」
「あったら探してるっつの。そもそも、あいつらの反応が何処にもないって言っただろ」
と言いつつも、“天の眼地の手”を使ってなかったなー…と思い至る。
何せ、今の今まで、あいつらは死んだって思い込んでたもんだから……
「君は、世界中どんな場所でも見通すことが出来るのかい?」
「見通すっていうのとは違うけど……あいつらの魔力反応を感知することくらいは出来る」
「どんな場所でも?死角とか、盲点とかは?」
「そんなものは……」
……あれ、どうなんだ?
もしかしたら、あるのかも……
「…いや、そうだな……それこそ、空間が閉じられてたり隔絶されてたりしたら、流石にその内部までは感知出来ない……」
……そうか、狭隙結界!
好き勝手に空間を閉じたり切り離したりするのではなく、自然に存在する空間の裂け目を利用した結界ならば、俺やエルリアーシェでなくとも使える。
人間であるアルセリアたちは無理かもだけど……或いはキアなら、使える…んじゃないか?
確認したことはないけど……色々規格外なキアのことだ、その可能性は十分にありえる。
しかし、問題が。
狭隙結界を敷くことの出来る空間の裂け目ってのは、世界中至る所に点在している。それこそ、天界にも地上界にも魔界にも。
あの五人の総存在値を格納出来る規模のものなら数は限られてくるだろうが、それでも数百はあるだろう。
それを一つ一つ虱潰しに探していくには、非常に時間がかかる。
裂け目の位置自体は、“天の眼地の手”を感度MAXで稼働させれば判明する。が、隔絶された空間の向こう側に何があるのかまでは、俺自身が行って確認してみなければ分からない。
「ちょっと、半年縛りってのが大きいかも」
「天界の与えた猶予期間中に、アルセリアたちを見つけるのは難しいということかい?」
「まあ、やってみないと分からないけど……」
そもそも、狭隙結界の中にいるというのも、推測に過ぎないのだ。……と言うより、彼女らが生きているという判断でさえ、何の確証もない。
「確定してる情報が少なすぎて、流石にこの先どう転ぶのかがまったく読めない…」
「そんな情けないことを言わないでくれ、魔王だろ?」
しれっと言うグリードを睨み付け、紅茶(これもグリードが淹れたものだ)を一口。
ああ、ほうじ茶が飲みたい………
「……よし、決めた。まずは、先に天界の方をあたることにする」
足元が不安定な状態では、動くに動けない。なら、少しでも確実な道を選ぶとしよう。
そう決めた俺に、グリードは少なからず驚いたようだった。
「本気かね?それは、天界と戦を起こす…という意味ではなく……?」
「心配しなくても、それは最後の手段だっての。俺だって、戦争は出来るだけ避けたいからさ。ただ、アルセリアたちを探そうにも、時間が足りないんだよ」
とりあえず、天使どもの幻獣召喚を阻止しておこう。贄を千人レベルで用意するのだから、かなり大規模な儀式になることは間違いない。
ちょちょいと邪魔をして台無しにしてやれば、連中の気勢も削がれるしさらに時間を稼げるし、こちらにとっては好都合。
アルセリアたちのことは心配だが、空間の隙間に隠れているのであれば、天使たちに彼女らを捕捉することは出来ない。
他の方法(そんなものがあれば、だが)で隠れているにしても、この俺が探知出来ないのだから、これまた天使どもが探し出すことなんて不可能。
則ち、彼女らが生きてさえいれば、心配は要らないのだ。
……生きてさえ、いれば。
「……なあ、グリード」
これは多分、世界中の誰にとっても一番良くない未来の可能性…なんだろうけど。
「なんだい、改まって」
「もし…もし仮に、だけどさ。やっぱりあいつらがもう何処にもいないってなったらさ」
俺は、あいつらを失いたくないと思う。
俺を拒絶し続ける世界の中で、初めて自分から望んで手に入れたものを。
だから、それを失ったとしたら、俺は世界に絶望したっていいんじゃないだろうか。
「そしたら、全部滅ぼしちゃってもいいかな…?」
消極的な俺の宣告に、グリードは困った顔をした。
が、何故か反対はしなかった。
「それは、私が許可するようなことではないからねぇ。…勿論、一人の人間としては、やめて欲しいと言うよ?……ただ、君が真にそれを望むと言うのであれば、それも致し方ないと思う」
それは……本心だろうか。
天界相手だろうが魔界相手だろうが、何より地上界の利益を最優先させるグリードなのに。
「随分、殊勝なことを言うんだな」
「そりゃあ、魔王陛下を前にしてるからね」
食えない表情で嘯くグリード。
とことん俺を茶化したり揶揄ったり利用したり軽んじたりしてるこいつだが、根っこの部分ではきっちり弁えているのが、好感が持てるところである。
「ただし、ロクに調べも考えもせずに、短絡的に楽な方へ逃げるのだけはやめてくれよ。それは、誰のためにもならない……君も含めて」
多分グリードは、今回の一件……ブチ切れた俺が地上界へ乗り込んできたこと……を言っているのだろう。
俺も確かに、早まったと言うか短慮だったと言うか、耳が痛い。
「分かったよ。肝に銘じとく」
頭から拒絶されなかったことに、不思議な安堵感を覚えた。
グリードは、俺にとっては吹けば飛ぶような小さな存在だと言うのに、彼の肯定(しかも限定的な)が嬉しいと思うのはなんでだろう?
グリードも言ってたじゃないか。自分が許可するようなことじゃないって。
俺だって、いざその時が来れば、グリードの意見なんて意に介さないだろうに。
それでも、臣下でも僕でもない彼に頷いてもらったという事実は、思いのほか心地よいものだった。
グリードと三人娘だけでなく、グリードとリュートもまた疑似父子なのだと、書いていてそう思いました。って魔王の親父かよグリード…。




