第二百二十九話 炎獄の街
…燃えていた。崩れていた。壊れていた。
一番最初に俺の目に飛び込んできたのは、かつて…ついこの間まで、タイレンティア大聖堂と呼ばれていた、絢爛たる信仰の象徴。
その存在を世界中に知らしめていた見事なステンドグラスは粉々に砕け、堅牢なはずの石造りの建物は、瓦礫の山と化している。
新しい信仰の地、サン・エイルヴは、消滅していた。
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どれだけ呼びかけても、エルネストからの応答がないと言う。
ルガイアにとって、それは初めての経験らしい。
「弟の身に、何かあったとしか考えられません」
と言うことは、彼の近くにいるはずの彼女たちの身にも、何かがあったと………
弱さを、弱さを受け容れたことを後悔することになる。
アンタの敵は、俺だけじゃない。
フォルディクスの言葉が、俺の脳天を直撃した。
時間稼ぎ………俺を傷付けるための……
まさか。まさかまさか。
考えたくない。認めたくない。
だけど、そう考えればフォルディクスの行為は理に適っているわけで……
「如何いたしますか、陛下?」
ルガイアの問いが、俺を現実に引き戻した。
…駄目だ、ここで狼狽えるな。先走るな。
考える前に衝動的に動いては、きっと取り返しのつかないことになる。
俺は……魔王なんだから。魔族の、主なのだから。
「……ルガイアよ、そのことはギーヴレイには伝えたか?」
「は。本来であれば御身に真っ先にお知らせすることとは思いましたが、不測の事態を考慮し、先に報告してあります」
…そうか、流石だ。こんな考え無しの魔王より、彼らの方がよっぽど頼りになる。
「ならば、ここの鎮圧は貴様とイオニセスに一任する。時間をかけても構わぬ、確実に処理せよ」
「御意」
俺はルガイアにそう命じ、ずっと放りっぱなしのイオニセスに近付いた。
不死とは言え、フォルディクスの攻撃で見るも無残な姿になっている。
「へ…いか………」
「じっとしていろ」
起き上がろうとする彼を制すると、俺は彼に自分の魔力を注ぎ込んだ。
俺の魔力は彼の中で変質し、彼の一部となり、彼を俺の一部へと変える。
ルガイアや、エルネストと同じように。
その一環で、俺は彼に一つの権能を与える。
眠りと、覚醒。
俺が彼に許した理への干渉権限、“権能”。
遅効性の攻撃手段しか持たない彼の、身を守る盾になってくれるだろう。
俺の魔力によって瞬時に傷が癒えたイオニセスは、千切れたはずの右腕を不思議そうな目で見やり、それから膝を付いた。
「イオニセスよ。これより、この地はお前とこのルガイア=マウレに任せる。我が認めた力、我が与えた力、存分に振るうがいい」
「度重なるご恩情、勿体なく存じます。必ずや、ご期待に沿ってみせましょう」
それまでと違い、どことなく力強さを帯びるようになったイオニセスの声にひとまずは安堵し、俺は二人に後のことを任せると、魔王城へと跳んだ。
魔王城は、いつもと変わらない空気だった。
ルガイアの報告は、ギーヴレイのところで留められている。
彼が、そうするべきだと判断した、ということだ。
「お帰りなさいませ、陛下」
おそらく俺以上に状況を正しく推測出来ているであろうギーヴレイだが、実に落ち着いている。
いつもと変わらぬ声、変わらぬ態度。
「……フォルディクスが、造反した」
だからそんな彼に、こんなことは言いたくなかった。
だが、言わないわけにはいかない。
俺の短い言葉に、一瞬だけギーヴレイは動きを止めた。
だが、その表情も声も、次の言葉を発するときには平静なものに戻っていた。
「……そうでございましたか。では、ルガイアの報告にあった件と、何か関わりがあると考えた方がよろしいでしょう」
フォルディクスが裏切った経緯も、彼が遺した言葉も知らないはずのギーヴレイはしかし、即座に判断する。
そしてそれでも、冷静なまま。
それが俺を思ってのことだということは、明らかで。
今は、そんなギーヴレイが頼もしくて有難くて、愛おしくて堪らない。
彼だけは、何があっても失うわけにはいかない……そう、心に強く誓った。
「我はこれより、地上界へと赴く」
「……は」
「叛乱軍の処置は、イオニセスとルガイアに一任してある。が、必要とあらばさらに兵を出しても構わぬ。だが、お前とルクレティウスは魔都の防衛に徹しろ。…場合によっては、ディアルディオに“権能”の制限を解くことを許可しても構わん」
ディアルディオの“権能”。それは、“滅び”の権限。
その制限を解くと言うことは、敵は須らく滅ぼし尽くしても構わない、という許可。
流石のギーヴレイも少しだけ驚いたようだったが、俺の決意にすぐさま気付き、腰を折る。
「全ては、陛下のお望みのままに」
そして顔を上げ、俺を見るギーヴレイはほんの少しだけ、微笑んでいた。
穏やかに、柔らかに、力強く。
それはきっと、俺を安心させるためなのだろう。
「私は、どこまでも御身と共にあります。……ご武運を」
「ああ。………頼んだぞ」
俺は、彼の想いを有難く、そして遠慮なく受け取り、地上界へと渡った。
“門”を抜け、降り立ったのはタイレンティア大聖堂。
……の、はずだった。
だが俺は一瞬、出口座標を誤ったのかと思った。
それほどに、知っているはずの光景は、まるで見知らぬ光景へと変化していた。
しかし、この地獄は間違いなくサン・エイルヴであるという結論に達した瞬間、頭の中が真っ白になった。
なんだ…なんだよ、これ。
爆撃でも受けたかのように燃え盛り崩れ落ちる建物。
千切れたり潰れたり割れてたり崩れたり焼け焦げたりしている、人型の物体。
熱によって生まれた上昇気流が、炎の竜巻を生み、街並みを舐め尽くしていく。
その轟音で、阿鼻叫喚はほとんど掻き消されてしまっていた。
遠くの空に、背中に翼を生やしたシルエットが飛び回っているのが見えた。
おそらくそれらが、黙示録を鳴らした張本人。
こんな光景は、腐るほど見てきた。
俺にとって、決して珍しいものではない。
だけど、あの頃とは違うことが一つ。
ここには、あいつらがいる。
キアと、アルセリアと、ベアトリクスと、ヒルダと、エルネスト。
俺の、大切なものたちが……
「キア、何処だ?アルセリア、ヒルダ、ベアトリクス!!何処にいる?返事をしろ、エルネスト!!」
彼らの名を呼びながら…ほとんど叫びながら、燃える街並みを彷徨い歩く。
よく似た髪色の死体に心臓が止まりそうになって、違うことに安堵して、再び歩く。
落ち着け、落ち着け。
神格武装と、“神託の勇者”一行と、魔王の腹心だぞ。
そう簡単に……こんな都市が壊滅したくらいで、巻き添えを食らうはずがない。
……そうだ。きっと、何処かに避難しているんだ。
遠くに天使どもの姿が見えた。彼らとの正面衝突を避けるために、身を隠している……
大丈夫、俺なら、すぐに探し出せる。あいつらの魔力パターンは、よく知っているんだから。
俺は、“星霊核”に働きかける。
そこから、世界の隅々まで張り巡らされた水路のような“霊脈”に意識を乗せて、あいつらの気配を探る。
もっと広く。遠く、遠くへ。
その範囲はサン・エイルヴを超え、ロゼ・マリスに達し、タレイラも捉え、リエルタ村やケルセー、ディートア共和国もスツーヴァも、俺が名も知らない都市も地域も………
そして俺は、もうこれ以上、意識を広げる場所が残っていないことに気付いた。
どうして………どうして。
世界中、隈なく探したのに……
どんな小さな隙間も、見落とさないように細心の注意を払って探したのに………
見つからない。
あいつらが…いない。
何処にも………いない。
もう…………何処にも。
はい、キナ臭さも最高潮…と言うか、重苦しくなってまいりました。
重苦しさはしばし続きますご容赦下さい。
次で第一部完的な感じでございます。




