第二百二十五話 ムシムシパニック
「……陛下、彼は何を……?」
訝しげに尋ねてきたのはフォルディクス。
彼の目の前では、イオニセスが術式準備の真っ最中だった。
銀水晶を細かく砕いた粉末を水に溶いたもので地面に魔法陣を描き、その真ん中に座り込んで術を練り上げている。流石にリゼッタ一人を相手にしたときとは違い、広範囲を術内に捉えなければならないため、今回は全てのリソースを術式に充てている。
「まあ、見ているがいい」
そうは言いつつ、実は俺自身も、イオニセスが何をしているのか、何をしようとしているのか、皆目見当が付かない。
尤も、俺が彼に下した命令は、この原生林から敵勢力だけを排斥せよ、というもの。
森に籠ってゲリラ戦を続けられると鬱陶しいので、だったら森から追い出してしまおうというわけだ。
なので、イオニセスの最終目的は分かるのだが……さてはて、どうやって敵と味方を区別して、敵だけを森から排除するのやら。
なお、最初はリゼッタにしたように敵を昏倒させようかとも思った。
が、そうするとイオニセスの術で昏倒した敵なのか、叛乱軍に襲撃されて倒れた無関係の部族なのかの区別が付かないため、今回は却下。
イオニセスの魔力は、武王の中ではごくごく平均値。
だが、目を見張るのはその制御技術。
初めて見たときも思ったが、ここまでロスがなく滑らかな魔力の流れというのは、そうそうお目にかかれるものでもない。
効率よく循環させることで、本来ならば大掛かりな儀式が必要であろう術を、自身の力のみで展開させている。
……ふむふむ、地脈に干渉しているわけか。
そういや、地素解析がなんちゃら言ってたな。大地を流れる魔力の流れを利用して、周辺一帯を自身の術中に収めようということか。
俺とフォルディクスが見守る中、イオニセスが息をついて立ち上がった。
どうやら、呪術は完成したらしい。
「……後は、若干時間はかかりますが、陛下のお望みどおりの状況となるかと…」
「そうか、ご苦労だったな」
…うーん。どんな効果のある呪いなのかな?気になる。すごく気になる。
けど、興味津々に食いつくのも、なんか主君として落ち着きがない感じで憚られる。
イオニセスも、一向に解説してくれる気配がない。
多分、説明するまでもなく俺は全て把握しているのだと、思い込んでいるのだろう。
まあ、すぐに結果は分かることだし…ここは、どっしり構えて様子を見るとしますか。
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実際、結果はすぐに分かることとなった。
なんと言うか……敵ながら、叛乱軍の皆さまには同情を禁じ得ない。
それだけ、彼らを見舞った災難というのは、悲惨なものだった。
…一言で言ってしまえば、蟲地獄。
魔界には、地上界とは比較にならないような凶悪な虫が多数生息している。
動物を生きたまま貪り食うような種類も多く、魔獣よりも魔蟲による死亡事故の方が多かったりするくらいだ。
で、これはどの世界でも共通だと思うのだけど、原生林なんてのはそれこそ蟲のパラダイス。
数も種類も、都市部とは段違い。
特に危険なのは、蜂とムカデ、あと毒蛾とか、蛭とか。
蛭なんて、獲物の血が固まらないように出血毒を持っているのだが、これがまた強力で、医療環境の整った場所ならばともかく、こんな辺鄙な場所で5~6匹に噛まれれば命の危険に晒される。
しかも、じわじわゆっくり失血死…なんて、想像するだけで怖い。
勿論、その全てが狂暴というわけではなく、普通にしていれば注意するべきはほんの僅か。森を知り尽くした獣魔族を中心とした叛乱軍兵士であれば、そのあたりの上手い対処法も熟知しているのだが。
最初の脱落者が出たのは、術の完成からわずか半日後。
スズメバチくらいの巨大な蜂に全身をたかられて、転げるように森から逃げ出したのだった。
報告した兵士によると、元の姿が見えないくらい蜂がみっちり食らいついていたそうだ。
蜂の他にも、三十センチくらいのムカデが数百匹も……というケースもあった。
…………グロい。
自分だったら、絶対発狂しそう。
俺はそれほど虫が苦手というわけではないのだが、脚が多いヤツだけは駄目なのだ。ムカデとかゲジとかヤスデとか。
Gならば苦も無く退治できるが、ムカデだとちょっと…いや、かなりビビる。
なお、悠香に頼まれれば平気なフリをして退治するけど。内心は心臓バクバク。
魔導の使い手であっても、身体を這いずり回る蟲には対処出来ない。何人か、パニックになって焼き払おうとしたらしいが、自分ごと燃やしてしまう結果となった。
イオニセスに確認したところ、呪いの発動条件は「魔王を崇拝していない」というものらしい。
ということは、敵対してなくても内心で俺のことを面白く思っていない部族とかいたらちょっと可哀想なことになったかも。
イオニセス自身は、「魔族でありながら魔王陛下に忠誠を誓わない者など、それだけで排除の理由になります」とか言ってたけど。
まだそんなに付き合い長くないのに、この生真面目さはギーヴレイだとかルガイアだとかに通じてそうでちょっと怖い。
……それだったら、フォルディクスも危険なんじゃないかなー。不用意に森に入らないように言っておこう。
呪術の効果はてきめんで、続々と敵兵たちは森を逃げ出した。
後は簡単、逃げてくる敵を迎え撃って終了、だ。
入れ食い状態のサビキ釣りのようで物足りないくらいだが、この分ならば当初の予定を大幅に繰り上げることが出来そうだ。
と言うか、この分だと俺がわざわざ出向く必要なかったかも。
森から敵を追い出すのはイオニセスの呪術。
で、出てきた敵を片付けるのは方面軍とフォルディクスの部隊。
俺は、やることがなくなってしまったのである。
……と悠長に構えていられたのは、呪術発動から三日間だけだった。
何故か、それ以降森を出る敵の数が激減したのである。
排除出来たのは、敵戦力のおよそ三分の二。
戦果としては十分すぎるくらいではあるのだが、それでもまだ三分の一が森に潜んでいるということになる。
……蟲まみれで、耐え抜いている?
いやいや、それはちょっと考えにくい……もしそうだとしたら、とんでもない精神力の持ち主だ。
つか、精神力とかの問題じゃないし。
「…もしかしたら、奴らがイオニセスの呪術に対し、何らかの対抗策を見つけ出したのかもしれませんね」
俺と同じくやることがなくなっていたフォルディクスが、原因究明会議の席でそう言った。
「……対抗策…か。そのようなものがあるのか、イオニセス?」
呪術に関しては何も知らない俺は、イオニセスに確認。
自身の術が破られたかもしれないという可能性を示されても、イオニセスはけろっとしている。
もしかしたら内心で臍を噛んでいるのかもしれないけど、まったくそうは見えない。
「彼奴らが術の正体を知った場合は、確かに対抗する術はあります。ですが、呪術に精通した者でなければ、難しいことかと……」
呪術に精通…ねぇ。只でさえ稀少な呪術の遣い手が、たまたま叛乱軍にいたってことか…?
けど、だったらこちら側には何故呪いをかけてこないのだろう。
「再度術をかけなおすことは可能か?」
「…地素さえ乱されていなければ、問題ありません」
それは則ち、地素を乱されてしまうと不可能ということか。
しかも、もし相手側にも呪術士がいた場合、それも考慮の内だろう。
やっぱり、便利なだけの力ってのはないもんだな。
まあ、敵の三分の二を削ることが出来たのだから、落胆する必要はないけど。
嫌な感じはしていたのだが、その後の調査で、やはり地素が乱れていることが分かった。
何者かが強引に、大地に大量の魔力を流し込んだのだ。
イオニセス曰く、そんな方法では数週間もしないうちに地素は正常に戻るとのことなので、敵がやったのはただの時間稼ぎに過ぎず、連中の圧倒的不利には変わりない。
が、あまり時間を取られたくない俺にとっては痛い話で。
しかも、厄介なことに。
呪術は解除されてしまったが、呪術によって活発化した蟲さんたちはご健在である。
というか、中途半端に術の支配から解放されてしまったので、とても興奮状態である。
で、術は解除されてるわけだから、当然制御は利かない。
……しまった、これ、こちらの兵士が下手に森に入っても、蟲にたかられるんじゃ……
なんか、いい手だと思ったんだけど完全に裏目に出てるじゃないか。
結局、蟲が沈静化するまで待ちぼうけってこと?
………面倒臭くなってきた。もう、全部まとめて吹き飛ばしちゃおうかな。
虫は苦手です。苦手というか、恐怖しかないです。
そのくせ、ネットで虫画像を検索してしまうのは何故でしょうか…。




