第二百二十四話 出陣
俺たちが向かったアルドヴァ州は、カザック、エンドラ両州とケーナ自治領に接している。と言うか、ケーナ自治領がそれらの州に囲まれている形になっている。
ゲリラ戦真っただ中に陣を敷くわけにもいかなかったし、ここを抑えておけば自治領を突破されても食い止められる上、叛乱軍がケーナ自治領を迂回して北部へ侵攻しようとしても牽制できる。
……なけなしの知恵と知識を総動員してそう判断したのだが、俺にはこれが精一杯である。
ただ魔王だというだけで、物語の主人公のように優れた頭脳だとか諸葛孔明ばりの軍師の才能だとかを持っていたりするわけじゃない。前世の記憶を有効活用しようにも、俺の知識なんてせいぜい漫画で読んだ程度のものだ。
……こんなことなら、三国志とか孫子の兵法とか、読んでおくんだった…。
俺が悩んでいるのには、理由がある。
カザック、エンドラ両州はほぼ叛乱軍に制圧されているが、ケーナ自治領は敵味方混在状態。
しかも、自治領というだけあって、独立部族も少なくない。
そういった連中の中には、叛乱軍に与するところもあれば抵抗するところ、出方を決めかねているところもあり、全て敵だと断じるわけにはいかない。
無差別に辺り一帯を焼き払うわけにはいかない、ということだ。
…魔王チートも、使えなければ意味がない。
上空から偵察しようにも原生林がそれを邪魔するし、魔力反応から位置を探ったって奴ら絶えず移動してるし、戦場が混沌としすぎていて、どうにも打つ手に困る。
……勿論、だからと言って不利だというわけではない。
それまで南部方面軍で抑えていたところに、エリートである武王軍が駆け付けたのだ。しかも、魔王のおまけ付き。士気はこの上なく高い。
数でいっても勢いでいっても、普通にやれば負ける要素はどこにもない。
ただ、分散している敵の部隊を各個撃破していくと、非常に時間がかかる。
俺が望む、ちゃちゃっと早期解決、が遠ざかってしまうのだ。
「失礼致します、陛下」
武官の一人が、本陣にいる俺のところに来た。
叛乱軍のトップに降伏勧告を届けたので、その返答待ちだったのだが。
「連中は何と?」
「…それが……」
武官は怯えている。
普段俺と直接接する機会がない上に、自分の持ってきた情報が俺の怒りを買うのでは、と危惧しているのだろう。
「……何があった」
「……は。彼奴らは、陛下のご厚情を完全に拒絶するつもりのようです」
……勧告を告げに行った使者が、死体で発見された。
勿論、期限内に返答はなかった。
連中は未だ、何の声明も出してはいない。ただ、行為で以てその叛意を明らかに示した。
「………なるほど、聞く耳は持たないというわけか」
俺がぽつりと零すと、武官が小さく悲鳴を上げてへたり込んだ。
……そんな怖がらなくってもいいじゃないか。君に怒ってるわけじゃないよ。
どうも魔王を直接知らなかった世代は、魔王を過度に怖れるか過度に見くびるか、両極端な気がする。
叛逆者たちが降伏勧告を突っぱねたということは、こちらとしても容赦する必要はないということ。
そっちがその気なら、徹底的にやってやろうじゃないか。
この魔王を敵に回すことの愚かさと恐ろしさを、身を以て思い知るがいい。
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「陛下、只今戻りました」
いつになく上機嫌で、フォルディクスが戦場から戻って来た。こいつのこんないい表情は、一体いつぶりだろうか。
「戦況は……聞くまでもないか」
「ええ、勿論です。まあ、若干茂みが邪魔だったりしますが、私の眼には大した障害にもなりませんよ」
久々の殺戮に、フォルディクスは浮かれている。
彼は、魔族の中ではそれほど戦闘狂というわけでもないが、諸々の鬱憤(多分俺のせい)を戦闘で晴らしているのだろう。
フォルディクスは、魔導射手である。
魔砲術という、一般的な魔導とは異なる系統の術の使い手で、俺は彼以外にそれを使う者を見たことがない。魔界にも、天界にも、勿論地上界にも。
天地大戦の折、何度かその戦いを目にしたことがある。
術者である彼の周りに浮かぶ無数の光陣。それが彼の力の本体である。
その光陣は、その場にある全ての物を砲弾として放つことが出来た。圧縮された空気や水、光でさえも。
一般的な魔導とは違い、圧縮し放出するまでは魔導に依存しているが、射出された砲弾はただの物質に過ぎず、魔導障壁や魔導干渉に非常に強い。
物理防御力に優れた相手であればダメージも軽減されてしまうが、それこそルクレティウス並みの防御力の持ち主でなければフォルディクスの攻撃の方が勝る。
しかも、その光陣はどうやら彼の眼も兼ねているようで、実際に視認出来ていない場所に照準を合わせることも可能。則ち、術を展開したフォルディクスには死角が存在しない。
運用次第では、極めて恐ろしい力である。
て言うか、魔砲術者を大量生産出来たら無敵じゃね?
……まあ、制御の難しさから考えると、ちょっと現実的ではないのだが。
それに、フォルディクス並みの魔力の持ち主でなければ、投石器の方がよっぽど威力があるわけだし。
「どのくらいで制圧出来るか?」
「そうですね……一、二週間もあれば十分かと」
便利極まりないフォルディクスの能力だが、欠点もある。
魔砲術は、中~遠距離攻撃向けであり、超遠距離狙撃が出来るものではない。
さらに、一度に展開出来る光陣の数には限界があるらしく、今回のように視認出来る範囲が少ない場合、どうしても配置を密にする必要が出てくる。
見通しの悪い原生林の中で遭遇戦を繰り広げるよりも効率的な戦い方は出来るが、森に潜む敵兵全ての位置を捕捉し一度に撃ち抜く、といった芸当は流石に不可能。
結局は、限られた範囲を索敵し各個撃破する、という作戦には変わらないわけだ。
ふーむ……一、二週間…かぁ。
出来れば、あんまり長引かせたくないんだけどなー…。
浮かない顔の俺を見て、フォルディクスは上機嫌のまま提案してきた。
「せっかく御身にお越しいただいているのですから、この辺り一帯を消し飛ばしてしまわれればよいのでは?」
「……敵勢力もろとも、無関係の集落も巻き添えにしろ…と?」
ジロリと睨んでやると、フォルディクスは分かっていたのだろう、恭しく腰を曲げた。
「この地域の者たちは、どのみち陛下の治世に協力的ではありません。大して役に立たない連中であれば、陛下の御為にその身を捧げるくらい、何と言うことはないでしょう」
…この地は、自治領というだけあって、俺に積極的に忠誠を誓っているわけではない。かつての西方諸国連合と似ていて、滅ぼされたくないから仕方なく恭順している、といった程度。
それ故に、俺の統治に対する貢献は少ない。
二千年前の魔王であれば、フォルディクスに言われる前に実行に移していたはず。
役に立たないのであれば、価値を見出す必要もない。
無価値であるならば、滅ぼしてしまっても構わない。
魔王としては、ありがちな考えだろう。
だが、俺にその気がないことはフォルディクスも分かっていて、ワザとそんな提案をしたのに違いない。
彼の表情を見れば、それは明らかだった。
或いは……ここで彼の望むとおりの振舞いを見せれば、俺への反感も消えるのだろうか。
だが、彼のご機嫌取りのために自分を曲げることは出来ない。
彼の望む魔王を演じるにしても、譲れるところと譲るべきではないところは、きっちり線引きしないと。
「……連中が叛乱軍に加われば話は別だが、曲がりなりにも我が民である以上はそれを庇護する義務が我にはある。我が連中を切り捨てたならば、それに対し疑問を持つ勢力が必ずや生まれる。それは愚策ではないか?」
「………全ては、陛下のお望みどおりに」
特に反論することなく、フォルディクスは傅いた。
俺は、今まで先延ばしにしていたことを、今片付けることにした。
「…フォルディクスよ。お前は、我に一体何を求めている?」
ずばりと唐突に問われて、フォルディクスは意外そうに顔を上げた。
それもこれも、俺が今まで逃げていたからなんだけど。
しかし、フォルディクスはそうそう簡単に本心を見せてくれない。
「……陛下の忠実な僕である私が、御身に何かを望むなど、不敬不遜も甚だしゅうございます」
「建前はいい」
ここには、俺に盲目的な忠誠を見せる他の武王たちはいない。ならば、彼も本心を打ち明けやすいというもの。
「………申し上げれば、望みを叶えてくださると?」
「内容による。仮にお前が、我に天地大戦時そのままの姿を望むというのであれば、悪いがそれに応えることは出来ない」
俺の言葉に、フォルディクスが落胆するのが分かった。予想はしてたけどやっぱり…といった感じか。
「であるならば、私から申し上げることは何もございません」
感情のこもらない言葉で、締めくくろうとする。
「お前は……何も聞かないのだな」
俺は、それを淋しいと思う。
俺のやることを、どちらかと言えば面白そうに受け止めているルクレティウスとアスターシャは別として、ギーヴレイもディアルディオも、変わってしまった俺に疑問や自分の想いをぶつけてきていた。
だから俺も、自分の心情を話すことが出来たのだし、その結果、彼らの理解を得られた……と思っている。
けれど、フォルディクスは俺に何も聞かない。何もぶつけてこない。
望むだけで遠巻きに見て、叶いそうもなければ無言で諦める。
だから、俺もそれ以上踏み込むことが出来ない。
「私がお尋ねしたところで、それに何の意味がありましょう」
そう言うフォルディクスの声は、反感というよりも失意に近い響きを持っていた。
それに答える言葉を探しているうちに、彼は本陣から去って行ってしまった。
………うーーーん。厄介だ。叛乱軍なんかより、こっちのがよっぽど厄介だ。
互いに妥協できるポイントを探せればと思ったんだけど、向こうにはまるで歩み寄るつもりがなさそうだ。
……俺が全面的に折れれば、彼との関係も改善されるんだろうけど……こっちだって譲れない部分は大きい。
フォルディクスが望むのは、天界も地上界も手中に収めんとしていた頃の、冷酷無比残虐非道な魔王。 今の俺は、その姿からあまりにもかけ離れてしまった。だが、今さら昔に戻ることも出来ない。
このままだと、良くない結果になりそうな気がして怖い。
やはり、こんな叛乱なんかで時間を取られてる場合じゃない。さっさと終わらせないと。
そう思っていると、イオニセスが戻って来た。
「遅くなり申し訳ございません」
フォルディクスと違って根っから無表情なイオニセスだが、彼は昔の俺とか今の俺との違いとか知らないから、ちょっと気楽。
「首尾はどうだ?」
「はい、近隣の地素解析は終了いたしました。後は術を敷くだけです」
「そうか、流石だな」
よっしゃ。イオニセスを連れてきて正解だった。たった一日で、この広大な原生林の全域を解析し終えるとは。
これなら、フォルディクスの見立てよりもずっと早く制圧を完了することが出来そうだ。
今までこのタイプの臣下がいなかったから知らなかったけど、補助系も極めれば大幅な戦力拡充になるんだな。
フォルディクスのことは心配だけど、イオニセスの大規模呪術は非常に興味深い。
新任武王のデビュー戦、楽しませてもらおうじゃないか。
イオさん初陣です。




