第二百二十一話 宣言
サン・エイルヴの宿の一室で。
微妙な空気の中、三人の少女と一匹の仔猫は落ち着かない時間を過ごしていた。
「……けっこう時間かかってるわよね、あの二人。……大丈夫かしら?」
ソワソワしながら、アルセリアが誰にともなく言う。
「大丈夫だよ、ギルがついてるんだから、今さらここの連中がちょっかい出してきたって…」
「いや、そうじゃなくって………」
的外れなクォルスフィアの返答に首を振るアルセリア。だが、
「それじゃ、何が「大丈夫」?今頃ギルがビビを押し倒してないかってこと?」
「ちょ!ちょちょちょちょ、キア!何言い出すのよ!!」
赤面し、慌ててクォルスフィアに詰め寄るアルセリア。
どちらかと言うと、彼女が心配しているのはその逆である。
「……て言うかさ、キアって余裕よね。あいつ、貴女の恋人じゃないわけ?」
別に恋人でもなんでもない自分がこんなにヤキモキしているのに、なぜクォルスフィアが平然としているのかが心底分からないアルセリアは、直球で訊ねる。
ベアトリクスがどういう想いを抱えてリュートを連れ出したのか、乙女としては分からないはずないだろう。
「んー?別に……気にならないかなぁ。ギルが私のことを嫌いになるってんならともかく、そんなことはありえないって分かってるし」
「…え……?なにその達観。……なんて言うか、その……独占欲…的なものは、ないわけ?」
まともな恋愛経験もないアルセリアだが、それでも浮気だのなんだのは恋人間において御法度であることくらい、知っている。
だが、クォルスフィアは普通の範疇に収まるようなタマではなかった。
「あははー、そんなこと言ったってねー。魔王だしね、彼。独占なんて出来るような存在じゃないっしょ」
軽く笑い飛ばすクォルスフィアの言っていることも分からなくはないが、理屈と感情は別物だとアルセリアは思う。
が、続くクォルスフィアの言葉に、硬直した。
「それにさ、ギルには本命がいるし。多分だけど」
「……ほ、本命!?」
多分と言いつつ断言調のクォルスフィア。
「本命って……どういうこと?何か知ってるの?」
「いや、知ってるってわけじゃないけど…多分そうだろうなーって思うことはあったっていうか」
「誰?誰なのよそれは!?」
自分でも何故ここまでムキになるのか、アルセリアには分からない。
が、クォルスフィアが言うということは、リュート=サクラーヴァではなく魔王ヴェルギリウスに本命がいる、ということである。
……魔王に本気で惚れられるなんて、相手が自分のような勇者でもない限り災厄の種にしか…
いやいや、相手が自分とか、別にそういう願望があるわけでは、ない。
「やー、誰って言うか……そんなの、一人しかいないに決まってるじゃん。ギルが本気で惚れても大丈夫な相手なんてさ」
「…………?」
「そりゃ、元は同じ存在だもんね。同格にして対極。多少我儘で振り回してもビクともしない、彼が文字通り自分の全てを委ねられる相手……」
「それって……創世神さま!?」
驚きに、アルセリアは思わず叫ぶ。
後ろで聞いていたヒルダも、目を丸くしていた。
「だって、あいつと創世神さまって、敵同士でしょ?昔、それはそれは熾烈な戦いを繰り広げて……って、……ええ?どういうこと!?」
この世界において、神と魔王の戦いは古今東西あらゆる伝承に記されている。
互いに相容れることなく、憎み合い反発し合う二つの意思。彼女らは、教会の教えの中でそう聞かされて育った。
考えてみれば、リュートの口から創世神のことを直接聞いたことはほとんどない。
彼が、創世神のことをどう思っていたか……ということも。
「ま、あの二人は神さまだからね。私たちちっぽけな生命が推し量ろうなんて、ムリなことだって」
手をぱたぱたしながらあっけらかんと言うクォルスフィアだが、アルセリアはふと思い出した。
クォルスフィアと、初めて会った日のことを。
「……ちょっと待って。そう言えば貴女、最初のとき随分私に警戒してなかったっけ…?」
警戒と言うか、牽制されたような気もする。
明らかにあのときのクォルスフィアは、アルセリアに対して今回のような達観姿勢は取っていなかった。
「……まあ、そりゃあ…ね。アルシーは……ね」
「何よ、私が何だって言うのよ?」
「んー、なんだろうねぇ、ねーエルにゃん」
「にゃー」
白状しようとしないクォルスフィアに溜息をついて、アルセリアは窓の外に目をやった。
ついさっきまでは晴れていたのに、いつの間にか分厚い雲が空を覆っている。今にも一雨来そうだ。
こんなに落ち着かない気分なのは、きっと天気のせいだ。アルセリアは、そう思うことにした。
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「ええーっと…………」
無言のまま俺を見下ろすベアトリクスに、何て返答したらいいのかが分からない。
……っていうか、いきなりすぎるんですけど!
こいつ、今まで俺のこと茶化して弄って楽しんでたよな?そんな素振り、見せたことなかったよな?
ええ?なに、俺どうしたらいいわけ?
「……リュートさん」
「はいぃ!?」
……変な声が出た。
「突然で、驚かせてしまったことは申し訳ありません。ですが、昨日今日で気付いた気持ちでもないんです」
「へ、あ、え、そ、そうなの?」
やばい、どもって言葉が上手く出てこない。なんか男としてこれは情けないような。
そもそも、俺だって何も分からない初心な坊やってわけじゃないんだから、ここはビシッと……
「そういうわけですので、こうなった以上はもう隠すつもりもありません。アルシーには申し訳ないと思いますが…」
「へ?え?なんでアルセリアの名前がここで出てくるわけ?」
俺、多分頭の中が正常に回転してないっぽい。
ビシッとどころの話じゃなかったりする。
「…………。そういうところが、ほんっと……」
「ご、ゴメン!よく分からないけどゴメン!」
舌打ちしそうな勢いで言い捨てられてしまったよ。
「とにかく、こうなったのも元はと言えばリュートさんのせいですからね、責任…というか、ケジメは付けてくださいね」
「え、え、えええ!?」
責任?ケジメ?………って、何の?
「自分が選ばれるとは思ってません。けど、だからと言って諦めるつもりも手加減するつもりもありませんので、その点は覚悟しておいてください。それじゃ、伝えたいことは以上なので、私は戻ります」
「ちょ、結局なんだったんだよ、おい、ベアトリクス!」
言いたいことを言いたいだけ言って踵を返したベアトリクスを呼び止めたら、一瞬だけ足を止めた。
「……ビビ」
「……へ?」
「ビビ、でいいですよ、もういい加減長い付き合いですし。ベアトリクスって、呼びにくいでしょう?」
いきなり、愛称呼びを許可されてしまった。何故このタイミングで?
「え、あ……そう…?じゃあ、まあ、お言葉に甘えて……ってそうじゃなくて!一体何だってんだよ、もう少し詳しく説明してくれないと…」
「してもいいんですか…詳しく、説明を?」
そのときの彼女の表情を見た瞬間、その目の座り具合に、俺は深入りするのは危険だと感じた。
頷こうとしていた首の動きが、思わず止まってしまう。
「………まあ、いいです。貴方がタラシのくせにヘタレだってことは最初から分かってたことですから。…では、また後ほど」
俺が硬直している間に、ベアトリクスはそのまま教会を出て行ってしまった。
…………なんだったんだ、今の。
結局彼女が何をしたかったのかも、これから俺は彼女にどう接したらいいのかも分からないまま、俺は一人、懺悔室で途方に暮れるしかなかったのである。
…にしても、とことん身内相手にはヘタレ全開な主人公です……。




