第二百二十話 告解
翌日。
正式に、教皇庁からの通達があった。
教皇直々の署名入りで行われる、最も格式高い形で。
聖央教会特任司教、ベアトリクス=ブレアを、ルーディア聖教に伝わる神器“聖母の腕”の正当な継承者に指名する……と。
その報せは、ルーディア聖教全体に驚愕を以て受け止められ、さまざまな噂が飛び交った。
やれ、とうとうグリード=ハイデマンが次期教皇選に名乗りを上げる前段階では、だとか、いよいよ魔王征伐の日が近いのか、だとか。
そしてそのゴタゴタで、ベアトリクスや俺たちの振舞いは、不問…と言うか有耶無耶に誤魔化されることとなった。
勿論、その裏にグリードとアスターの尽力があったことは、言うまでもない。
アスターと言えば、ようやくぎこちなかった姉弟の距離も少しは縮まるのかと思ったんだけど、次の日にはすっかり元の距離感に戻ってしまっていた。
血縁とは言え、一緒に暮らしたこともなければそんなものなのか。
或いは、それでも二人の間には見えない絆が結ばれているのか。
そんなこと、俺の知ったことではないのだけれど。
『何はともあれ、全ては収まるところに収まった…というわけかな』
まずは一安心、といった感じに、鏡の向こうのグリードは満面の笑みを浮かべた。
今回の件で色々と陰で動いてくれたことは確かだけど、結果だけを見ればグリードの一人勝ちという気もしなくもない。
なんの犠牲も払わずに、自分の子飼いに神器を継承させることに成功したのだから。
しかも、グリードの後見を受けるベアトリクスはもともと次期大神官候補だったらしいが、今回の件で…神授の秘宝の所有者となったことで、さらにその可能性は濃厚になった。
「……そう言えばさ、あいつ……“聖母の腕”の起動実験…って、言ってたんだけど…」
ふと思い出してグリードに訊ねようとしたのだが、彼の表情を見て、それは俺が聞くべきことではないと気付いた。
「……いや、やっぱいいや、何でもない。……とにかく、これでエスティント教会の長老とかいう連中が大人しくしててくれれば問題ないんだけどな」
グリードは、空気を察した俺に満足げに頷いた。
『まあ、それは無理だろうね。まだ年若いマスグレイヴ枢機卿では、あの個性派老人どもを御するには経験が足りなさ過ぎる。今回は教皇聖下の勅命もあることだし、表立っては声を上げることはしないだろうけど』
そう言いながらも、楽しそうなのは何でだろう。
なんだか、アスターを試して鍛えて楽しんでいるかのようだ。
……結構、アスターのことを気に入っているのかも。
「どーせ、アンタが何かと「手助け」してやるんだろ?双方の利益のために」
『うーん、そうだねぇ。お互いが利を共に出来るのなら、それが理想だからねぇ』
……食えないオッサンだ。
その後、詳細報告を終えた俺は、近いうちに“神格武装”も紹介するとグリードに約束し、通信を終了した。
この後、行かなければならないところがあるのだ。
……って、別に宿に戻るだけなんだけど。
なんかこう、気持ち的にそうやってテンションを上げていかないと、色々不安で堪らないのだ。
………何故かって?
それはな、ベアトリクスから、改まって呼び出しを受けてるからだよ。
確かに昨日、俺に言いたいことがあると言っていた。
俺はまたもや、自分で気付かぬうちに彼女の(或いは彼女らの)不興を買っていたということか。
あの時の調子からすると、結構怒り心頭的な、ベアトリクスにしては深刻そうな感じではあった。
どんなお咎めがあるのやら、戦々恐々としながら俺は宿へと戻った。
「……えと、……帰った……けど」
恐る恐る部屋を覗くと、ベアトリクスがいつもの笑顔で待ち構えていた。
他の三人は、その後方でどうなることかと見守っている。どうやら、俺をフォローしてくれる気はなさそうだ。
「思ったより早かったですね。グリード猊下はなんと?」
「あ、ああ。この件に関してはもう何も心配することはないってさ。残務はあっちで全部片してくれるって。エスティント教会とも、表立って事を荒立てるつもりはないみたいだ」
あたりさわりのない報告の間も、ベアトリクスの仮面の下が読めない。
「それは何よりです。私の仕出かしたことで派閥間の争いが起こってしまっては心苦しいので」
………心苦しい、程度で済ませてしまうのが、彼女の怖いところである。
「それではリュートさん、行きましょうか」
「え?へ?行くって……何処へ?」
「ゆっくり話が出来る場所ですよ」
にこやかに言うと、ベアトリクスは俺の腕を引きずって部屋から出る。
抵抗出来ないような力ではないが、ここは大人しく従っておこう。
部屋の中では、エルニャストが俺たちについていこうとしてキアに捕まっていた。
「ダメだよ、エルにゃん。二人は大切なお話があるからね」
「………ふに、にー」
キアに諭されて、何か合点がいったような表情になりやがるエルニャスト。また下らん邪推でもしてるのだろう。
アルセリアとヒルダは、なんだか微妙な表情で俺たちを見送った。あの二人のことだから、同席するとばかり思ってたんだけど、今回は珍しく俺とベアトリクスの一対一のようだ。
俺が引きずられていった先は、ついさっきまでグリードとの通信で借りていた教会。
ベアトリクスは、何も説明せずに俺を小さな部屋に放り込んだ。
小さな椅子が一つギリギリ入るくらいの、本当に小さな部屋。
椅子の真正面は壁なんだけど、その壁には小さな穴が開いている。けど、カーテンがかかっていて向こうは見えない。
音で、ベアトリクスがその向こう側の部屋に入ったことが分かった。
……あ、これ、懺悔室とかいうところ?
なんか映画かドラマで似たような感じのを見たことがある気がする………
…………って、懺悔?
俺に、懺悔しろと?何を?なんで?
……………………いや、魔王なんだし懺悔しようと思ったらネタは腐るほどあるけどさ、でも懺悔するつもりなんてないし……だって魔王だし……
いやいやでも、魔王でもやっぱり悪いことしたら謝るのは当然……?けど俺は………えええ??
一人狼狽する俺だったが、突っ立ってるのも狭苦しいので、仕方なく椅子に座る。
ええと、これからどうすればいいんだろう……?
「安心してください。告解というわけではありませんから」
俺の不安を察したのか、ベアトリクスが先に宣言してくれた。
でも、だったらなんでこんなところ……
「ゆっくり話したかったのと、他人に聞かれたくなかったのと、あと、面と向かってはちょっと、その……話しづらいと思ったものですから」
「は……話しづらい内容…なのかよ」
「ええ、まあ……そうですね、私にとっては」
……ますます怖い。分からなくて、怖い。
「我がルーディア聖教の告解室は、完全防音で中での遣り取りが外に漏れる心配はありません。ですから、リュートさんも思ったまま話してくださると助かります」
婉曲に言ってるが、正直に話せ、というわけだよな、この状況は。
「一番最初に、お礼を言わないとダメですね。馬鹿なことを仕出かしてしまったのに、助けていただいて、ありがとうございました」
「そう、それなんだけどさ。一体どうしちまったんだよ。アルセリアやヒルダならともかく、お前にしてはちょっと短慮に過ぎるっつーか……神宝の奪取なんて、罪になるって分かってるはずなのに…」
結果オーライではあったのだが、彼女にしてはあまりにやり方が稚拙だった。
もっと、周囲の人間や状況を利用して上手く立ち回ることは考えなかったのか。
何せ、身近に勇者が一人、枢機卿が二人、魔王が一柱。
利用次第によっては、世界だって動かせる人材ばっかなんですけど。
俺の問いに、壁の向こう側でベアトリクスが苦笑するのが分かった。
「それを言われると反論のしようがありません。ほんと、どうしちゃったんでしょうね、私。自分でも上手く説明できないんですけど………言うなれば、意地になってしまった…ってとこでしょうか」
「……意地?」
意地で教会に喧嘩売るんか、コイツ。
ああ、でも……彼女は、それだけの理由を持っているんだった。
「そもそも私、“聖母の腕”は自分のものだって、子供のころから確信してましたから」
彼女は、強い口調でそう言い切った。
「あれを安定的に起動させられるようになったのは私のおかげですし、安定的に起動させられるのは私だけです。かつてあれのために存在させられていたのですから、その所有権は当然私にあると思いませんか?」
「思いませんか……って。……まあ、俺は、お前がいいんならそれでいいと思うけど」
すごい理屈だが、感情面では彼女の主張は正しいのだと思う。こんなとき、常識だの法規だのはクソの役にも立たないもんだ。
「まあ、今考えれば本当に馬鹿な事をしたと思ってます。後悔は微塵もしてませんけど」
晴れ晴れとした声からすると、これは本音かな。
「まあ、それはそれで置いときまして。ここからが本題なんですけど」
う…来た!
「……何故、助けに来たのですか?」
………………え?
「何故って……助けちゃダメだったのかよ?」
「私は、そう思います」
……?
ベアトリクスは、何を考えてるんだ?まったく分からん。
俺は勇者の補佐役で、彼女は俺の仲間で、そして勇者が彼女を助けたがっている状況で、俺が彼女を助けない理由が逆に見当たらないんだけど?
「貴方は……………魔王です」
「え?あ、ああ……そうな」
「けれども、“神託の勇者”の補佐役であり、そして“七翼の騎士”の一員でもあります」
「そ…そうそう。だから……」
「それは、貴方が私を助ける正当な理由にはなりませんよね」
…………へ?なんで?立派な理由じゃないか…?
「魔王云々はともかく、補佐役とはあくまでも“神託の勇者”に対する役職です。しかも、その役目は勇者がその任務を滞りなく遂行するためのもの。仮に、エスティント教会に対し罪を犯したのが私ではなくアルシーだったとしても、それを助けるのは…罪の幇助は、補佐役の業務ではありません」
………言われてみれば、そうかもしれないけど……
俺、そこまで考えて補佐役やってないからね。
「そして、“七翼の騎士”としては、尚更です。グリード猊下の私兵でしかない立場で、教会内の揉め事に口を出すことは許されません」
「でも、グリードにも命令されたんだぜ?お前を助けろって」
確かに“七翼の騎士”はグリードの私兵だが、だからこそボスの命令なら従う他ないだろう。
「なら聞きますが、貴方は猊下に罪なき人を殺せと「命令」されたら、それに従うのですか?」
「異端審問のことを言いたいのか?んなハズないだろ。そもそも、アイツが俺にそんなことをさせようとするなら…」
「なら、猊下に絶対服従というわけではないのでしょう?さらにもう一つ聞きますが、もし猊下が私を助けるようにと命令しなければ、貴方は私を助けなかったと?」
「それこそ、そんなハズないだろ。あいつの「命令」が後ろ盾になったってのはあるけど」
「でしたら、猊下の命令は理由にはならない、ということですね」
ベアトリクスの奴、容赦なく攻め込んでくる。
なんだろう、俺が彼女を助けたことが気に喰わないのだろうか。
「…揚げ足取るなよ……」
「すみません。ただ、はっきりさせておきたくて」
ベアトリクスは一度沈黙すると、大きく深呼吸をしたようだ。
「本音を言うと、私は……あの場で、貴方が来てくださることを、期待したくなかったのです」
「……は?なんじゃそりゃ」
期待してた、じゃなくて、期待したくなかった?
あまり聞くことのない言い回しである。
「…そりゃ、貴方にとっては廉族の中でのゴタゴタなんて、その気になれば難なく解決出来てしまう些事なのでしょうけど、私にとってはとても重要な出来事だったんですよ」
「ああ……まあそうだろうな」
「だから、貴方と私には、温度差があるわけです」
「はー、温度差ねぇ。………温度差?」
温度差って、何だろう?
「リュートさんはご存じなかったかもしれませんが、私だって一人の人間です。か弱くて、揺らぎやすい、ちっぽけな小娘なんです」
……それに関しては色々と物申したいが、ここではやめておこう。
「……アルシーとヒルダは、私の親友です。立場やお役目を捨てて感情だけで私を救おうとしてくれることも、不思議なことではありません……その是非はともかくとして。逆の立場ならば、私も同じようにしたでしょうし」
「ああ……そうだろうな」
「けど、あの二人だけの力では、こういう形で私を救うのは難しかったでしょうね」
「ああ……そう…なのか?」
それでもあいつらは救出を強行すると思うけど。
俺が思うより、あの三人の絆は深くて強い。お互いを守るためなら、そしてそれが正しいと思えば、平気で罪を犯すだろう。
まあ、その場合、かなり厄介な事案になることは確実だ。
下手すりゃ内紛。アルセリアの勇者としての肩書も、危うくなったかも。ここぞとばかりに、グリードを引きずり降ろそうと対抗勢力が張り切ったことだろうし。
今回そうはならなかったのは、姫巫女による“神託”があったから。姫巫女たちの受託モードに誤作動を起こさせて、俺の声を創世神のものだと勘違いさせたわけなんだけど。
……確かにそう考えれば、ベアトリクスの言うとおりか。
「けれど、貴方はあの場に現れてしまった。貴方の姿を見たとき、私がどんな気持ちになったと思いますか?」
「へ?えっと……安心してくれたんじゃないかなーって…思って…た……んだけど…」
「そんなわけないでしょう!」
……怒られた。
何故だろう。すごく、理不尽な目に遭ってる気がする。
……いや、気がする、じゃなくて、理不尽だよねこれ?
「…期待したくなかったのに、期待してはいけなかったのに、期待どおりに貴方が現れて、まるで奇蹟のように鮮やかに私を救ってしまった。もうこうなったら、私も自分自身の気持ちにケリをつけるしかなくなってしまうじゃないですか」
「へあ?……そうなの…?それは……よく分からんが………悪かった……な?」
彼女が何に憤っているのか分からないが、とりあえず謝っておく。
「私は、アルシーが大切ですから」
「ああ、うん、知ってる」
「ですから、彼女の妨げにはなりたくない。彼女の重荷にはなりたくないし、悩みの原因にもなりたくなかったんです」
「ああ、うん、知ってる」
…もう!なんなんだよ、何が言いたいんだよ。
俺が、アルセリアの重荷になってるとでも言いたいのか?
………なったっていいじゃん、魔王なんだし。
「それなのに、貴方のおかげでそうもいかなくなってしまいました。どう責任を取ってくださいますか?」
……………………。
…………………………………?
「は!?え、何、責任?って何の責任?つか、なんで俺が責任!?」
俺の当然の疑問に、ベアトリクスからの答えはなかった。
なかった代わりに、彼女が席を立った音が聞こえた。
「………………?」
状況が分からずに待っていると、俺の側の扉が開けられた。
「な、なんだよ一体………?」
扉を開けたときのベアトリクスの形相に怯んで及び腰になる俺。
今までにこんな展開はなかったもんだから、どう対処していいのか分からない。
そんな俺にベアトリクスは無言でつかつかと歩み寄ると。
やはり無言のまま、俺に唇を重ねてきたのである。
ベアトリクスがとうとう動きました。




