第二百十八話 偉い人のお墨付きって、結局は責任転嫁のためのものだと思う。
「…………………」
「…………………」
「…………………」
……………あれ?
なんか、妙な沈黙。
……俺、なんかマズった?
いや、今回は流石にマスグレイヴ枢機卿もいることだし、タイミング見計らったわけじゃないんだけどさ、なんかお墨付きがどうとか聞こえたから、適当に合わせてみただけ……なんだけど……。
………なんだか、とんでもなく外してしまった気がしてならない。
「………アンタねぇ……」
ああ!アルセリアが何か呆れ顔になってる!
って、牢の中のベアトリクスは呆れ顔を通り越してものすごく冷めた顔に!
ヒルダだけがいつもの無表情で、少し救われる。
「……ええっと………ごめん、なんかお取込み中……だったか?」
「…そうじゃなくて……なんて言うか、タイミング考えなさいよね……」
え?何、タイミングって?
そんなシチュエーションだったわけ?
俺がどう返事しようか迷っているのを尻目に、アスター=マスグレイヴが前へ進み出た。
そして、臨戦態勢に入っている部下たちと、なんか偉そうな神官…確か、俺たちが最初にここに来たときに出迎えた奴だ…に告げる。
「ユリシス、すぐに兵を引くんだ。この場は、枢機卿である僕が預かる」
「…………猊下…!」
ユリシスと呼ばれたその男は、素直にアスターに従う気にはなれないようだった。忌々しそうな表情で俯くが、兵を下げようとはしない。
「……ユリシス、聞こえなかったのかい?」
変わらぬ調子で、アスターは問う。
おそらく、ユリシスとかいう神官が敬意を払っているのは(払っているならば、の話だが)アスターの地位や権力に対してなのだろう。
その視線に、表情に、子供ふぜいが……という感情が渦巻いているのが、第三者である俺にも伝わってきた。
……幼くして権力者になるってのも、けっこう苦労があることなのかもな。
その点では、アスターに同情しなくもない。
「……お言葉ですが、猊下。ベアトリクス=ブレアの罪状も、そして罪人を奪取せんと不法侵入を図った勇者殿も、正当な裁きを受ける必要があります。まさか、この件を握りつぶされるおつもりではありませんよね……?」
おお、道理は自分たちにあると自覚しているわけか。そして、自分たちが正しいからこそ、例え枢機卿の指示であっても堂々と逆らえる…と。
なるほど、こいつは長老派かな?アスターの祖父である大神官の腰巾着だということだが……
「枢機卿ともあろうお方が、正義を捻じ曲げて許されるはずがありません。貴方のお祖父さま…エマニュエル大神官ならば、なんと仰せられるでしょうかな?」
「……………」
……あ、今、アスターの奴、舌打ちしやがった。
聞こえないくらいこっそりとだけど。
いちいち爺さんの名前を出されて嫌味を言われるの、ムカつくんだろうな。
「私は、エマニュエルさまより、猊下を補佐してこのエスティント教会の秩序を守るようにと仰せつかっております。教えと秩序を乱す輩を制圧する我が行為を、何故お止めになるとおっしゃるのですか」
ユリシスという男は、やや得意げになっている。
普段、自分の子供よりも幼いくらいのガキんちょに付き従ってるせいで、ストレスでも抱え込んでるのかねぇ。
だからって、意趣返しとばかりに子供相手にムキになるのも、大人げないってもんだけど。
そして、そんなことで意趣返しされるほど、アスター=マスグレイヴも子供ではない。
舌打ちしたことなんてまるでお首にも出さず、彼は反抗的な部下に笑顔を作って見せた。
……なんか、姉弟だけあってベアトリクスに似ている、冷たい微笑である。
「ユリシス。君は、まさかこの僕が情や我儘でこうしているとでも思っているのかな?」
「…そうでないのならば、どのような理由かお話しいただけますでしょうか」
理由を問われたアスターは、一瞬複雑そうな表情を見せた。
理由が話せないのではない。
ただ、彼にとってはあまりにも不可解な状況なわけで。
三人娘は、どうなることかと成り行きを見守っている。
エルニャストは、どことなく安堵したように俺の肩に飛び乗った。
……って、なんか怖い目にでもあったのか、エルニャスト。
「どうされましたか、猊下。我らが納得出来るような理由があるのなら」
「姫巫女に、託宣が下された」
さらにアスターを追い詰めようとしたユリシスを遮って、アスターが短く言った。
「我がエスティント教会の姫巫女、マリアデールが神託を受けた。“翼を抱きし剣の巫女に、慈悲深き腕は宿らん。其は永劫の闇を包み眠りへと誘うであろう”……と」
彼自身、その事態に納得も理解も出来なくて、疑念の表情も見せている。
が、それを聞いたユリシスとその配下の驚きは、それどころではなかった。
「……な、まさか!猊下は、その巫女とやらが彼女だと仰るのですか!」
ベアトリクスを指差しながら(失礼な奴だ)、口角泡を飛ばしてユリシスは叫ぶ。
表情は晴れないままだが、アスターは平然と、
「“翼を抱きし剣”。これは、“七翼の騎士”の紋章だね。そして彼女は、その一員。“慈悲深き腕”が何を意味しているかは、言わなくても分かるだろう?…そして、最後の一文は、おそらく魔王征伐の預言だと思われる」
アスターの解説が進むにつれて、ユリシスの顔色が血の気を失っていく。
「バカな!我がエスティント教会の秘宝を、聖央教会の手の者にむざむざ渡すと言うのですか!?そのようなこと、長老会が黙っているはずが……」
「神託よりも、長老会の意志が優先すると君は言うのかい?」
「そ……それは………そう!あのグリード=ハイデマンの差し金でしょう!?貴方は、姉を救いたいがために、その後見人である彼と共謀して、偽りを真実にしようとしているのだ!!」
冷静さを完全に失って喚くユリシスの背後では、その配下であるはずの神官と騎士たちまでもが、見苦しく叫ぶ上司に呆れた表情を浮かべ始めていた。
……ここの長老会としては、虎の子の秘宝を他派閥に奪われるなんて、死んでも御免なんだろうな。
聖央教会と友好関係にあるってのも、単にトップ同士(グリードとアスター)の仲が良好だってだけらしいし、長老会のお偉方は権勢を欲しいままにしている聖央教会に対して、忸怩たる思いを抱えているようだ。
「確かに、聖央教会の姫巫女マナファリアにも同刻、同様の神託が降りたとの報せを受けた」
「そうでしょう!それこそが、聖央教会の企みの証拠で…」
「教皇庁所属の姫巫女二名も、同じ神託を受けたとのことだ」
「………………え?」
硬直するユリシス。と、その配下。と、三人娘。
そりゃそうだ。
いっぺんに四人の姫巫女が、同じ神託を受けるなんて前代未聞。
それこそ、魔王復活だとか勇者誕生だとかの重要事案でさえ、そうではなかったのだから。
これは相当信憑性がある…と誰もが思うだろう。
しかも、四人のうち二人は完全な部外者。
ここの姫巫女と、聖央教会の姫巫女(あの暴走超特急娘……)に関して言えば、それぞれアスターとグリードが手を回して神託を捏造することも決して不可能ではない(やっちゃダメだけど、絶対)。
しかし、教皇庁直属の姫巫女に関しては、彼ら枢機卿とて決して及ばない場所にいる。
捏造など、出来ようもなかった。
…………うーん。ちょっと顔がにやけそうでマズい。
アルセリアが、お前また何かやりやがったな、みたいな顔で睨んできた。俺のニヤニヤに気付いたか。
…まあ、ちょっとね。
彼女ら四人の姫巫女が受けたのは確かにれっきとした「神託」だよ。
けど、誰の「神託」か、ということに関しては……ねぇ?
「確かに、彼女らがしたことは決して褒められたことではない。けど、神託が下された以上は、ベアトリクス=ブレアは“聖母の腕”の正当な所有者だ。そして、紛れもなく悪しき魔王から世界を救う使徒。多少の咎めは受けてもらうが、このような扱いを続けることは枢機卿として容認出来ない」
……まあ、所有者がどうとか言ったところで、ベアトリクスが秘宝を強奪しようとした事実も、アルセリアたち(俺もか)が不法侵入した事実も、変わりないんだけどさ。
アスターの奴、このままなし崩しに押し切るつもりだ。
「そんな………そんなはずは………………汚らわしい小娘が………“聖母の腕”に認められた…だと……?そんなこと……あるはずがない………」
ブツブツと、聞き捨てならないことを呟くユリシスに、アルセリアとヒルダの表情が一変した。
大切な親友、大切な仲間を、汚らわしいなどと言われて黙っている二人ではない。
だが、屈辱に視界が狭まっているユリシスは、神格武装を手にした“神託の勇者”と、天地大戦で地上界の盾となった高位精霊“黄金翼の聖獣”を宿した“黄昏の魔女”の、殺気めいた視線に気付かない。
「そうだ!あるはずがない!どんな手を使ったかは知らないが、どうせ貴様などに“聖母の腕”が使いこなせるはずがないだろう!ただ有していればいいというものではないのだ、貴様が本当に正当な所有者だと言うのならば、その資格を見せてみろ!今、ここで!!」
……あ、ヤバい。
こいつ、死んだかも。
ユリシスという神官がどれほどの地位にいる者なのか俺は知らないが、こいつは今、完全に勇者一行を敵に回した。
決して聖人君子とは言い難い三人娘は、多分この先こいつが魔獣に喰われかけていても、平然と見棄てるに違いない。
流石にこれ以上は、血を見ることになりそうだ。
いくらなんでも教会内でそれは避けたい。つーか、せっかくの根回しがおじゃんになってしまう。
アルセリアとヒルダを止めようと一歩踏み出したとき。
「グダグダ喧しい男ですね………」
地の底から響くようなドスの利いた声が、俺の耳を打った。
書いてる自分はユリシス正司教に同情的です。別に間違ったことは言ってない……。性格はともかくとして。




