第二百十五話 作戦開始
全くもって、自分らしくない。
薄暗い石牢の中で、ベアトリクス=ブレアは自嘲気味に思った。
短慮、浅慮もいいところだ。今やエスティント教会も一大派閥。その気になれば今からでも自分を内々に処理することだって可能だと、少し考えれば分かりそうなものなのに。
……否、その可能性に気付いていなかったわけではない。
だが、もう連中の顔色を窺って自分を押し込めることはしたくなかったのだ。
……“神託の勇者”と、枢機卿筆頭の存在を、過信していたのかもしれない。
だが、如何に英雄と権力者の関係者とは言っても、結局自分は一人の司教、一人の小娘に過ぎない。
少なくとも、無断で教会の秘宝を「強奪」して黙認されるような存在では、なかった。
ベアトリクスは、左手を掲げてそこに刻まれた文様を見やった。
それは既に彼女と同化して、外部から切り離すことは出来ない。例え腕を落としたとしても同じ。
彼らがこれを取り戻そうと思うなら、ベアトリクスの死を待つしかない。
待つことが出来ないのならば……………
醜い内面を隠し持っているくせに、頑なに自分たちの手を汚したがらない連中は、どういう手段を取るつもりなのだろう。
外部の手を借りる?
それとも………水も食料もないまま彼女がここでミイラになるのを待つつもりかもしれない。
どのみち、自分が行き着く先は一つしか残されていなかった。
「……愚かな行為には、相応しき結果が訪れる……というわけですか」
聞く者が誰もいないのに、彼女は一人で呟いた。
その声は、冷たい石の壁に吸い込まれて消えた。
……アルシーは、今頃どうしているでしょう?
私がここで消息を絶ったことはいずれ彼女も知るところになる。そうすれば、グリード猊下のお耳にも入る。
それは彼女の一抹の希望でもあったが、すぐにその可能性を振り払う。
神殿の最奥に侵入し、不可侵の秘宝を盗み出した自分は、今や正真正銘の「大罪人」。グリードも、アルセリアも、その立場ゆえに彼女を救うことは決して許されない。
ああ、それでも……彼なら、どうするのだろう。
あの、お節介で世話焼きで、お人好しの世話役ならば。
閉じた瞼の裏にその姿が浮かんで、彼女は慌てて目を開けた。
駄目だ、それを期待してはならない。
彼は彼女の敵ではないが、彼女には彼を当てにする資格はない。
リュート=サクラーヴァが自分を助ける筋合いなど、何処にもないのだ。
それに……もし仮に、万が一、彼がここに現れたとしたら……自分は、どうすればいいのか。
親友を裏切ることはしたくない。だから自分の本心を明かすことは出来ない。
けれど、自分とて一人の弱い人間なのだ。こんな状況で、自制出来る自信はない。
……だから、彼にはここに来てもらっては困るのだ。
自分の意地を貫き通すためにも、それだけは絶対に、嫌なのだ。
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「と言うわけで、俺は今から好き勝手に動くことにした」
「は?え?何?何が「と言うわけで」なの?」
唐突に戻ってきて唐突に言い放った俺の言葉に、アルセリアは疑問符を並べ立てた。
俺はそれに答える前に、この場所…サン・エイルヴの宿屋の一室…の空間を、外部から切り離した。
世界から隔絶される特有の感覚に、キアとアルセリアが硬直するのが分かった。
「ちょ、ちょっとギル!?いきなり何?」
「……アンタ、今何したのよ……?」
「………お兄ちゃん、なんか怖い……」
三人が怯えるのも無理はない。廉族に空間に直接干渉する力はないから、具体的に俺が何をしたのかは分かっていないだろう。
しかし、孤絶した空間に取り残されるということは、生命体にとっては確実に死をもたらすものであり、それを本能的に感じ取ったのだ。
…が、勿論俺に、こいつらを害そうという意図があるはずがない。
「心配するな。少しの間だけ空間を切り離しただけだって。ちょっと今から、他人に聞かれたくない話をするからな」
そう、何のことはない、俺は盗聴・監視防止のためにここを切り離しただけなのだ。
何しろ、俺は気配とかそういうものに疎い。誰かが…具体的に言うとエスティント教会の間者が…盗み聞きしていても多分気付かないだろう。
また、防諜用の魔導術式もあるだろうけど、詳しくなかったりするので抜け道とかそういうのが怖い。
だったら、こうしてしまえば安心…というわけで。
「……え?何?内緒話のためだけに、狭隙結界…………?」
正しく言えば狭隙結界じゃないんだけど、キアの知識だとそうなるのか……まあ似たようなものだけど。あんな低レベルな術と一緒にしてほしくはないな。
とは言え、今はそんなことどうでもいい。
「俺は、グリードから指令を受けた」
そして、聞かされた話をかいつまんで彼女らにも話す。
ベアトリクスが幼少期に受けた仕打ちに関してグリードが俺に話した内容はだいぶ省略されているらしかったが、さらにそれを大部分端折って話す。
あまり、俺の口から詳細を明かすことは憚られた。
それでも、彼女らが事態を理解するには充分だったようだ。
「………なるほど。で、ギルは彼女を助けに行くんだね?」
「まずは、居場所を突き止めてから、だけどな」
彼女がエスティント教会と関係ないことで行方をくらませた可能性も完全には排除出来ないし、まずは確認が最優先である。
俺は、閉ざされた空間の外側、先ほどのタイレンティア大聖堂付近の魔力反応を探った。
無数の反応の中から、ベアトリクスのそれを見つけ出そうと、神経を研ぎ澄ませる。
「……と。やっぱりあいつら、嘘ついてやがったな」
「ビビ、やっぱりここにいるのね?」
アルセリアがすかさず食いついてくる。
俺は頷いた。
「…けど、妙だな。やけに反応が鈍いっつーか…」
「彼女に何かあったの!?」
…心配なのは分かるけど、俺も同じだけど、胸倉を掴むのはやめてくれ。
「いや、あいつ自身にって言うか……何だろう、輪郭がはっきりしてない……?結界の中とかに閉じ込められてる……とか?」
それが彼女の気配だということは確かなのだが、感触が変だ。いつもと違うと言うか、違和感があると言うか。
「……さっきの司教さんは、嘘をついたのかな、知らなかったのかな?」
「あいつ自身がどこまで知ってるかは分からないけど、エスティント教会としては嘘をついてるだろ。少なくとも、今のベアトリクスが通常と違う状況にあることは確かなんだ。それがここの連中の仕業だってことも、もう間違いないだろ」
キアも俺の意見に同意してくれた。
「そうだね。彼女の存在はここの人たちにはあまり都合がよろしくないみたいだし…すぐにでも動いた方がよさそうだ」
アルセリアとヒルダには、もとより異論はない。エルニャストが俺の行動に異議を唱えるはずもない。
これで、俺たちの方針は定まった。
「とりあえず、空間を元に戻したら即行動開始だ。俺はここの連中をとっちめてくるから、お前らはベアトリクスの方を頼む」
「とっちめるって……それ、本気で言ってる?」
アルセリアが、若干の警戒を見せながら尋ねてきた。
俺が、どういう立場でこの件に介入しようとしているのか、勇者として確認せざるを得ない彼女の立場も分からなくない。
「本気に決まってんだろ。………安心しろって、そんないきなりここを吹き飛ばすようなことはしないから」
「…いきなり、じゃなきゃやるかもしれないってわけ…?」
ジト目で俺を睨み付けるアルセリア。だが、剣呑さはない。なんだかんだ言って、俺の良識を信じていてくれている…ということにしておこう。
「それは、ここの連中次第かな。ベアトリクスに危険がなくて、そいつらにきちんとした道理があれば俺だって事を荒立てたくはないし」
寧ろ、そうあってほしいというのが本心だ。
だが、彼女の反応がどうも地下あたりから返ってきていることを考えると、楽観視は出来そうにない。
「……エルネスト。お前はこいつらをベアトリクスのところまで案内しろ」
俺はエルネストに命じると、彼の脳内に直接、ベアトリクスの位置情報を送り込んだ。
「にゃ。……にゃにゃーにゃにゃ?」
「そのままでいいだろ。…つーか、そのままの方が誤魔化しがきくし」
一瞬、エルネストを元の姿に戻そうとも思ったが、猫のままのほうが何かと動きやすそう。女の子と仔猫の組み合わせほど、警戒心を薄れさせるものもない。
役割分担も決まったし、簡単に打ち合わせをした後、俺は空間を元へ戻す。
さあ、作戦開始だ。




