第二十話 オカン再び
「おーまーえーらーなぁ……」
マウレ卿の不敬にも余裕で対応した俺は、今、本気で怒りに身を震わせていた。
目の前には、まるで悪戯が見つかって小さくなっている仔犬、みたいな三人の少女たち。
神託の勇者。その同志たる、神官と、魔導士。
人類の、地上界の希望を一身に背負う救世主、神の意志の代行者は、俺の目の前で正座させられていた。
「あんだけ、言ったよな。宿でおとなしくしてろって。言ったよな。俺、言ったよな!」
“星霊核”との接続を切っておいて、本当によかった。そうでなければ、多分この村は今頃消し飛んでいる。
で、なんで俺がここまで腹を立てているかと言うと。
「だって…グリムボアくらいなら、雑魚だし、今までも楽勝だったし、大丈夫かなって、思ったんだもん」
目を逸らしつつ、ぼそぼそと言い訳をする勇者。
不貞腐れているが、視線を合わせないあたり、決まり悪さも感じているのだろう。
だが、許さん。
「そんな雑魚なら、なおさらお前らが動く必要ないだろう。つか、村人たちだって武装すりゃ対応できる下位魔獣じゃねーか。別に俺は危険だから言ってるんじゃなくて、どうしてお前らがそんな雑用で動かなきゃいけないんだって話だ」
普段であれば、口を出す必要すらない。グリムボアは確かに雑魚中の雑魚で、まあ巨大な猪型の魔獣なのだが、某有名アニメーションの山に住む猪の神様を思い浮かべてもらうと話は早い。
巨体だし、怪力だし、一般人がいきなり遭遇すれば危険極まりないが、それなりの心得のある者がそれなりの準備をすれば十分に対抗出来る程度の魔獣なのだ。
なお、その肉は豚肉に似て美味である。市場に流通もしている。
まさか、肉に目が眩んだんじゃないだろうな……?
「あの、リュートさん、ご忠告を無視する形になってしまったのは申し訳ありませんが、何事もなく退治出来たのですし、それでいいじゃありませんか」
一見良識人に見えて実のところ全然そうではない神官が、とりなすように口を挟む。て言うか、他人事みたいに言ってるけどお前も同罪だっつの。
この、こいつらの、結果だけを見て物事を判断するのはどうにかならないのだろうか。
魔界で雑務を片付け、俺は夕方前に地上界へと戻ってきた。
途中で、沿岸部にある交易都市に立ち寄って、生きのいい海老と貝、魚を購入することも忘れない。
で、今日のメニューをどうするか考えながら村へと帰った俺を迎えたのは、
宿のおっちゃんの、密告だった。
何でも、郊外の畑にグリムボアが出て、作物がごっそり食い荒らされたそうだ。困り果てた畑の主は、普通なら国に陳情を出すか遊撃士組合に依頼を出すかするところをそうせずに、勇者たちのところへ相談を持ちかけたのだ。
おっちゃんが買い出しのため留守にしていたことも不運だった。
困っている村人を前に、この単細胞…じゃなくて使命感の塊である勇者たちが安眠を決め込むはずがない。しかも相手は下位魔獣。
このくらいなら構わないだろう、と彼女らはグリムボア退治を気軽に引き受け、実行したというわけだ。
おっちゃんが買い出しから戻ってきたときには、既に部位別に切り分けられたお肉の山が。
自分が勇者たちに物申せる立場ではないと分かってるおっちゃんは(いや、どんどん言ってやってほしいものだ)、ことの詳細を俺に説明してくれた、というわけだ。
おっちゃん、グッジョブ。
「あのな、俺は別に、ヒュドラだからダメとか、グリムボアなのにダメとか、そういうこと言ってるんじゃないんだよ」
「なんでよ。グリムボア美味しいじゃない」
…………って、おい!
「あああー、もう!結局食い意地かよ!!」
あれ、こいつ、実は勇者じゃない?ただの食道楽?
「まあ…それは冗談として」
本当に冗談か?
「ヒルダには無理させなかったし、私もビビももうすっかり良くなってるんだから、グリムボアくらいわけないと判断したのよ。それの何がいけないの?」
「お前らはさ、思ってるほど自分たちのこと分かってないんだよ」
言うまでもないことかと思っていたが、言わないと分かってもらえないようだ。
「どう考えても勝ち目がないのに魔王を斃そうとしたり、重傷なのにヒュドラを退治しようとしたり。今までもそうだったのかもしれないが、多分重大な結果にならなかったのは、単に運が良かっただけだ。無茶や無謀は避けるってことを、覚えておく必要がある」
それを痛感しなければいけない時なのに、安易に村人の依頼を受けてしまったことが、問題なのだ。
とは言え…
不満げなアルセリア、どこか他人事のようなベアトリクス、一向に意に介していないヒルダ。この三人にいくら言ったところで、すぐに理解してもらうのは無理そうだ。
ここは、強硬手段を取るか。
「今日、こっちに戻る前に、ケルセーっていう海沿いの街に行ってきた」
俺のその言葉に、ぴくん、と反応を見せる三人娘。
ケルセーは、大陸西岸の交易都市である。海上交通が盛んで、観光業もまた盛ん。
そして、特産品は、何と言っても鮮度抜群の魚介類。
「この青髭エビってのは、揚げ物にすると最高なんだってな」
ぴぴぴくん。さらに三人娘は反応する。
「で、こっちの棘ヒラメは、鮮度が落ちるのが早いから、本来は地元じゃないと食えないらしいな。
まあ、“門”経由で距離を無視出来る俺には、関係ない話だけど」
ぴぴぴぴぴくん。
「俺が前世でいた世界に、クラムチャウダーっていう、貝の出汁とミルクのハーモニーが最高な料理があるんだけど、この岩アサリってのは、それにちょうどよさそうだ」
ぴぴぴぴぴぴぴぴくん。
「けど、お前らがそーいう態度なら、仕方ないなー。宿のおっちゃんに言って、他のお客さんに出してもらうとするかー」
泊り客はいないが、この宿は食堂も兼ねている。
「ちょちょちょちょちょ、ちょと、ま、待つよろし!」
…………お前、どこの人だよ。
「わ、悪かったわよ。アンタの言いつけ守らなかったのは、謝るから!もうしないから!」
流石は食道楽。あっさりと態度を翻した。
俺はベアトリクスに視線を移す。
「リュートさん、アルシーも、こう言っていることですし、ね?」
とことん他人事を貫く所存らしい。
で、ヒルダは………
「お兄ちゃん、おなかすいた…………」
ダメだ、上目遣いでその言葉を言われると、俺は抵抗出来ない。
「そっかそっかー。ごめんな、ヒルダ。すぐご飯作るからなー」
「……ちょっと、なんか私たちと随分態度違くない?」
アルセリアの抗議の声を無視すると、俺はこれ以上ヒルダを待たせないよう、すぐさま調理に取り掛かるのだった。
魔界での野暮用と、勇者たちへの説教で、思ったより遅くなってしまった。昨日より一時間以上遅れて、夕飯が出来上がった。
まあ、空腹のところおあずけ、というのを今回のお仕置きにしておくか。
魔王が勇者に忠告とか説教とかお仕置きとか、考えると虚しくなってくるので、料理中は余分なことを考えないようにした。
本日のメニューは、魚介尽くし、である。
青髭エビは、フライにした。天ぷらも魅力的だったが、醤油がないので天つゆが作れない。塩で食べるのも乙だが、俺は天ぷらには抹茶塩と天つゆの両方を用意することを自分の至上命題としている。
青髭エビは、大きさ的には大正エビと伊勢エビの中間くらい…確か、オマール海老ってこのくらいだっけか。一つ味見してみたが、プリプリさがすごい。甘さは控えめだが、フライにはこのくらいがちょうどいい。
そこに、タルタルソースを添える。マヨネーズを気に入ってくれたのだから、タルタルとエビフライの組み合わせは間違いない。
ピクルスがなかったので、キュウリと塩と酢でそれっぽいのを作ったが、思いの他うまくいったと思う。
棘ヒラメは、ムニエルに。舌平目に似ているが、もっと弾力に富んだ肉質で、北海道のホッケにも匹敵するような脂の乗り具合。
この世界にはバターはあるが、一般的に流通しているものではないらしい。半分くらい薬扱いのようだ。ただしこの村には牧場はあるので、生クリームまでは生成されている。それを攪拌しまくって、どうにかムニエルに必要な分だけの乳脂は作った。
…て、こんなことやってるから時間かかるんだよな……。
バターでヒラメを焼いて、味付けは塩コショウ。そこにフェンネルで香りづけ。出来立てバターのせいか、はたまた素材が良いためか、フランス料理店で出てきてもおかしくないような一品に仕上がった。
で、岩アサリはクラムチャウダーに。ジャガイモと玉葱のみじん切りもたくさん入れて、具沢山に。
付け合わせは、コールスローサラダ。パンは、ケルセーで行列が出来ている有名店で少しはマシなものを入手した。バターを使ってないからか風味には欠けるが、なんとか及第点。
以上が、本日のビストロ・魔王のディナーコースでございます。
あ、ディナーコースとか言うなら、なんかデザートも作っといてやればよかったかな。
……いやいや、俺がそこまですることないよな。別に俺はこいつらのオカンじゃないんだし。
繰り返すよ。俺は、こいつらの、オカンじゃない!
自分に強く言い聞かせたりもしたが、それでも自分の料理を夢中で食べてくれているのを見るのは、悪い気がしなかった。
エビフライはタルタル派ですが、カキフライにはとんかつソースが好きです。




