第二百十三話 不穏なお茶会
「…と言うわけで俺は今からタレイラに行ってくるから、お前らはここで待っててくれ」
「は?え?何?何が「と言うわけで」なの?」
唐突な俺の発言に、アルセリアは疑問符を並べ立てる。
「ま、詳しくは後で。グリードのおっさんからすぐに戻ってこいって言われちゃったんだよ。……で、キア」
俺は、キアにアルセリアとヒルダのことを託す。
「ほんとは宿も移動しておいてもらいたいんだけど……万が一ベアトリクスがここに来たらってことも考えるとそうもいかないからな。とりあえず、警戒を密にして、何かあったら二人のことは頼む」
説明も何もなく一方的な依頼ではあるが、キアは何か察したようで、頷いてくれた。
「分かった。……何かあったらって、後のことは考えずにってことでいい?」
「ああ、それで構わない。お前の判断で、最善だと思う方法を取ってくれ」
無責任な丸投げだとは思うが、このくらいの指示の方がちょうどいい。
俺も大概、神経質になっていると思う。だが、呑気に構えて後手に回ることになるのは御免だ。
極力、トラブルは避けたい。
特に相手がルーディア聖教関係者ともなれば。
しかし、それよりも彼女らの安全の方がずっと優先される。
もし、ベアトリクスとエスティント教会が敵対しているとして、その仲間であるアルセリアたちが巻き込まれないとも限らない。
「……お兄ちゃん…」
ヒルダが、俺の裾を掴んできた。自分も一緒に行きたいと主張している。
だが、
「…ゴメンな、ちょっとだけここで留守番しててくれ。キアとアルセリアのことよろしくな」
頭を撫でながらそう言い聞かせる。彼女の髪に飾られた、黄金色の羽根が目に入った。
精神世界で入手したにも関わらず、現実世界に具現した力の象徴。
……これがあれば、そしてヒルダがこれを適切に扱うことが出来れば、百人力だ。
俺に頼りにされているという事実が嬉しかったのか、ヒルダはいつになく素直に頷いてくれた。
「…分かった、ボク、頑張る」
「おう。けど、絶対に無理は駄目だからな。キアの指示には従うんだぞ」
「ちょっと、なんでキアだけ?私の指示は?」
アルセリアが割って入る。が、お前の指示ほど危険なものはないっての。
最近はマシになっているとは思うが、それでも今までの経験から信用は出来ない。
「それじゃ、行ってくる」
「なんかよく分かんないけど、行ってらっしゃい」
「こっちのことは心配いらないから」
「…お兄ちゃん、気を付けて」
「にゃにゃーにゃ」
………………。
こら、エルニャスト。
「お前何しれっと見送ろうとしてるんだよ。お前も来るんだよ」
行ってらっしゃいませ陛下お早いご帰還をお待ちしておりますーみたいなことを言うエルニャストの首根っこを摘まんでブラブラさせると、「にゃ…にゃにゃーお」と観念したようだ。
……まったく、俺のいない間に色々といい思いをするつもりだったに違いない。侮りがたし、エルニャスト。
観念しつつも不満げなエルニャストをぶら下げたまま、俺は宿を出て郊外へと向かった。
宿から直接“門”を繋げても良かったが、万が一他者の目があった場合を警戒したのだ。
グリードが警戒している相手なのだから、俺も倣っておいた方がいい。
尾行がないか用心しつつ街を出て、人気のない場所でタレイラへと跳ぶ。
出口に設定したのは、グリードの私邸の中庭。俺が初めてグリードとお茶をした場所だ。通常、グリード以外の立ち入りはないということで、ここを指定された。
“門”を抜けると、既に中庭のテラスにはグリードが待ち構えていた。忙しい身のハズなのに、俺が来るのをずっとここで待っていたということか。
……それだけ、事は重大ということか。
「…いきなり呼びつけて済まなかったね」
「酔狂でしてるわけじゃないって分かってるからな、別にいいさ」
テラスにはテーブルと椅子が用意されていて、さらにテーブルの上にはお茶と軽食の用意までされてあった。
…お茶会なんて優雅な真似をしてていいのか?
「まあ、かけたまえ」
グリードに促されるまま、俺も席に着く。周囲には、俺とグリード以外誰もいない。
「これから話すことはルーディア聖教の機密事項なんだけどね。君にとってはあまり気分の良くない話になるだろうが、ま、落ち着いて聞いてくれたまえ」
自らの手でお茶を淹れながら述べるグリード。なるほど、お茶でも飲んで冷静に聞いてくれと言うわけか。
意外なのかそうでもないのか、グリードの淹れたお茶はなかなか美味だった。
「…さて、それでベアトリクスの件なのだが」
お茶を一口飲んでから、静かにグリードは切り出した。
その声と口調は、とても静かで寧ろ穏やかに聞こえる。
遠隔通信のときは何やら緊迫した様子だったように感じたのだが、もしかして俺の気のせいだったか?
一瞬、そう思ったのだが。
そうではなく、俺が必要以上に感情的にならないように、という配慮の結果らしかった。
「彼女がサン・エイルヴに行ったのは、自己研鑽或いは修練のため…ということで、間違いないのだね?」
「俺はそう聞いてる。少なくとも、あいつがアルセリアたちと別れたときはその場にいなかったから…」
とは言え、例えその場にいたとしても止めることはなかっただろう。
俺が知っているベアトリクスの事情は、エスティント教会の枢機卿と苗字の違う姉弟の関係だ、ということのみ。
多分、何の疑いもなく送り出していたに違いない。
「彼女からそれを言い出した、ということかな?」
「……そう、だと思う。ヒルダと話し合った、とか言ってたけど……ベアトリクスの行き先をヒルダが決めるわけないから、そうなんじゃないかな」
「………そう、か。彼女が、自分からサン・エイルヴに向かうと…………」
納得いかないような表情で、指を組むグリード。
……なんだろう、ベアトリクスが故郷に帰ることが、そんなにも不自然なことなんだろうか。
「サン・エイルヴで何をすると……どんな修練を行うとは聞いているのかい?」
「いや、それはなんとも。アルセリアたちも、何も聞いてないって言っていた」
ベアトリクスは、アルセリアやヒルダとは違って若干秘密主義なところがある。あまり自分のことをさらけ出したがらない、と言うか。
それはいつものことなので、アルセリアもそれほど深く追及はしなかったらしい。
「そして彼女は、連絡を絶った。…サン・エイルヴの神官は何も知らないと言っている、マスグレイヴ枢機卿は留守にしていて面会不可、というわけか」
グリードの表情が一段と曇ってきた。
目の前でそういう姿を見せられると、こっちまで不安になってくるじゃないか。
「…なあ、ベアトリクスがサン・エイルヴに行くってのはそんなに不自然なことなのか?そこの連中と、何があったってんだよ?」
なかなかグリードが核心部分に踏み込んでくれないので、ちょっとばかり焦れてきた。
何か良くないことがあるのなら、とりあえずさっさと懸念を話してくれ。
俺の言わんとするところが伝わったのだろう、グリードは観念したように溜息をつき、お茶をもう一口。
「不自然…というか、普通に考えればありえないことなんだよ、ベアトリクス=ブレアが自らの意志でサン・エイルヴに戻る…ということはね」
……ありえない?
それは、どういうことだ?生まれ故郷…かどうかは知らないけど家族の住んでるところなんだし、派閥は違えど同じ宗教の教会なんだし、一体何が………
「彼女がサン・エイルヴを訪れるというのは、そう、例えばアルセリアが“魔王崇拝者”のところへ行くのとほぼ同意義だと思ってくれていい」
「………おい、それって…………」
それは只事じゃない。
だって、アルセリアにとって“魔王崇拝者”及び“魔宵教導旅団”とは、敵の中の敵、自分自身の仇、言わば復讐の対象。
そこにあるのは、憎悪や怒りの感情。
間違っても、分かりあったり手を取り合ったりすることはありえない………
……ありえない…って、そういうことか……?
「…でも、エスティント教会はれっきとしたルーディア聖教の一派なんだろ?ベアトリクスと連中の間に、何があったんだ?」
「本来は、私の口から話すつもりはなかった。かなりセンシティブな内容だから、いずれベアトリクス自身が君たちに話すのであればそれを待とうと思っていた……が、事が事だからね。君には、話しておこう」
そしてグリードは語り始めた。
最も神に近いとされた女と、最も敬虔だと言われた男が犯した罪と、贖いの物語を。




