第二百十二話 彼女の行方
「……なあ、ヒルダ。……暑くない?」
「ぜんぜん」
「そっか……なら、いいけど」
乗合馬車の中である。
乗客は少なく、充分なスペースがあるにも関わらず、ヒルダはずっと俺の膝の上である。
央天使を片付けて、央天使のおかげで(図らずも)扱いやすいサイズになった精霊を獲得したヒルダを連れて、俺たちはエルフの隠れ里から大陸へと戻って来た。
途中まではヴィンセントも一緒だったのだが、ケルセーに着いてから彼はタレイラ行の馬車でグリードの元へ帰っていった。
多分、自分の経験したことをグリードへ報告するつもりなのだろう。
「……彼、信じて大丈夫だったの?」
キアが、さりげなく聞いてきた。流石に、本人のいる前では切り出せなかったのだ。
「どういう意味だ?」
「そのまんまの意味だよ。私は彼のこと全然知らないけど、全部話した上で野放しにしても良かったの?」
ああ、そっか。キアはヴィンセントと初対面だった。しかも、ロクな紹介もしてなかったっけ。
確かに、ヴィンセントは初対面での第一印象があまり良いタイプではない。
容姿こそ端正だが冷たい印象を受けるし、上から目線の口調だし。
「まあ、大丈夫なんじゃないかな。あいつ、粘着で陰湿だけど裏でコソコソと企むようなことが出来る奴じゃないし、グリード…聖教会のお偉いさんで俺の協力者?でもあるんだけど、そのおっさんに心酔してるのも確かだし」
考えてみれば、キアはグリードのことも知らないんだった。と言うか、グリードにキアのこと伝えるの忘れてた。
遠隔通信で紹介だけ簡単に済ませてしまうことも出来るけど、勇者の相棒である神格武装なんだし、きちんと面会させた方がいいかな。
「……彼が慕ってる上司が貴方の理解者だから、彼のことも心配ないってこと?事が事だけに、根拠が弱いと思うけど」
……なかなか現実的な見方をするんだな、キアってば。
一緒に暮らしてた頃は、どちらかというと脳内お花畑に近い系統だと思ってたのに。
「………ま、なるようにしかならないさ。もしヴィンセントが俺を裏切って敵対するようならこっちにも考えがある」
実のところ、俺自身はあまり心配していない。大した根拠のない主観、直感だが、ヴィンセントが俺の討伐を目論んだり、他の人間たちを焚き付けて戦争の引き鉄を引いたりすることはないと思ってる。
そんなことをしても、現状では、彼にも地上界にも何の益もないからだ。
益どころか、考えられる損害の方が甚大だ。
アルセリアも言ってたじゃないか、俺はちょっかいかけられなきゃ人畜無害な魔王だって。
眠れる魔王にちょっかいかけてその逆鱗に触れるような真似は、愚行以外の何物でもないとヴィンセントならば分かっているだろう。
彼は、“七翼の騎士”としてグリードに忠誠を誓ってはいるが、ルーディア聖教そのものに対してはごくごく平凡な信仰心しか持ち合わせていない。
妙な正義感やら教義やらにせっつかれて身を亡ぼすような判断は避けるはず。
グリードのように魔王を上手いこと利用してやろうと企みはしないだろうけど、静観することにしたんじゃないかな。
……よしんばそうではなかったとしても。
俺と世界の在り方を考える、いい機会になるかもしれない。
「…ギルってば、彼を通して地上界を試してるの?」
そう問われても、否定は出来ない。
「んー、どうだろうな。結果的にはそういうことにもなるのかもな」
「アンタって、たまにどーしようもなく魔王!って感じのこと言ったりやったりするわよね」
「んにゃ、んにゃーにゃ」
アルセリアとエルニャストも会話に参加してきた。
なお、この馬車内には俺たちの他に二組の客がいる。
よって、あんまり俺のこと魔王だ魔王だ言うのはやめてほしいんだけど………。
「お兄ちゃん、お腹すいた」
俺の膝の上のヒルダが、駄々をこね始めた。まだ昼食にはだいぶ早い時間だ。
俺は彼女の口に、エルフの里で作って来たハチミツ入りキャラメルを放りこむ。
「今はこれで我慢な」
「……ん」
至福の表情でキャラメルをもぎゅもぎゅするヒルダを見て、アルセリアも羨ましくなってきたようだ。
「ちょっと、私にも寄越しなさい」
俺の手から、包みをひったくる。
アルセリアに続いてキアもキャラメルを口にし、かわい子ぶっておねだりするエルニャストを軽くあしらっている。
「んにゃ、んにゃにゃ、にゃ」
「だめだよー、エルにゃん。猫は人の食べ物ダメなんだから」
「にゃ!にゃーにゃーにゃ!」
「暴れてもダーメ」
……なんだか見てると、エルニャストもだいぶ猫が板についてきたようだ。
いっそ、このままでもいいかな?
「…んに、にゃにゃーお」
………俺の考えを読み取ったのか、エルニャストが控えめに抗議してきた。
勘のいいヤツめ。
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五日ほど馬車の旅を続け、俺たちはサン・エイルヴに到着した。
「へー、ここがベアトリクスの故郷か。なんか明るくて賑やかなところだな」
タレイラとは別の活気がある。
行ったことはないけど、イタリアとかこんな感じなんじゃないかな。
荘厳な建物と、信仰心より好奇心な観光客たちの組み合わせ。
「これが、タイレンティア大聖堂ね。サン・エイルヴで一番有名な教会よ」
「……すごいステンドグラスだねー」
「……にゃーにゃにゃー……」
揃って大聖堂を見上げる俺たち。
確かに見事なステンドグラスと意匠だ。歴史の重みはそこまで感じられないが、もっと別のパワーを持っている。
「んじゃ、観光がてらベアトリクスを迎えに行くとするか」
「そうね。ビビの用事ってのも、もう済んでる頃合いだろうし」
「ねぇねぇ、合流したら少しこの街を見て回ろうよ」
「………サン・エイルヴ、何が美味しい?」
「…にゃにゃ、にゃ」
などなど、呑気に大聖堂に足を踏み入れた俺たちだったのだが。
「……え?それは…本当ですか?」
案内に現れた正司教だという壮年の男の説明を聞いて、アルセリアが声を上げた。
なお、別派閥とは言えやはり“神託の勇者”。聖央教会とエスティント教会は友好関係にあるということもあって、かなり丁重なもてなしを受けた。
が、肝心のベアトリクスはここにはいないという。
「左様です。ブレア司教はここを訪れた後、所用があるとすぐに立ち去りました」
「何処に行くとか言ってませんでしたか?」
「いえ、何も聞いてはおりません」
なんてこった。ここへ来てすれ違いですか。
それほど広大な都市ではないから、合流が不可能とは言わないけど……
「あの、言伝とか何かありませんか?」
「申し訳ありません、何も承ってはおりません」
…もう、ベアトリクスの奴。伝言くらい残しておけっての。
携帯電話もないこの世界じゃ、世界規模ではぐれたら合流がめちゃくちゃ大変じゃないか。
「……そうですか。………あの、マスグレイヴ枢機卿にお会いすることは出来ますか?」
枢機卿とは言え、“神託の勇者”の面会依頼を断ることは難しいだろう。
しかし、
「重ね重ね申し訳ございません。マスグレイヴ猊下は只今、聖任によりこの地を離れておいでです」
「……そうですかーー」
がっくりと肩を落とすアルセリア。
弟なら、姉の行き先を知ってるだろうと俺も思ったんだけどな。
「聖任で…とのことですが、マスグレイヴ猊下は今どちらに?」
一応よそ様のおうちなのだし、敬語を使って丁寧に聞いてやったのだが、正司教だというこの男、アルセリア以外には敬意を払うつもりがないようで、思いっきり睨み付けられてしまった。
……まあ、“七翼の騎士”の肩書のせいだろうけど。
「申し訳ないが、重要な儀式に関わることゆえ、部外者に漏らすわけにはいかない」
とだけ、冷たく言い放たれてしまった。視線すらこっちに合わせない。失礼な奴だ。
「……分かりました、ありがとうございます。私たちはしばらくここに滞在しますので、もし彼女が来たらその旨をお伝え願えますか?」
そう言いながらアルセリアは、宿泊予定の宿の名前と連絡先が書かれた紙を正司教に渡した。
こういう風にしか連絡が取りあえないのは、まどろっこしくて仕方ない。
「承知いたしました。では、勇者さまにおかれましては良き旅をお送りください」
多分本心から言ってないだろってツッコみたくなる口調と表情の正司教に見送られ、俺たちは大聖堂を後にした。
「もう、どこ行っちゃったのかしらビビってば」
「流石に、ここから離れてるってことはないと思うけどね。……それともまさか、私たちがまだスツーヴァにいると思ってそっちに向かった…とか?」
……キアの言うことも一理ある。が、多分それはないだろう。
「あいつのことだから、無駄足になる可能性は避けるハズ。ここからスツーヴァだと、優に一か月は越えるからな、わざわざ戻るより、それこそタレイラとかロゼ・マリスとかで俺たちを待つ方を選ぶんじゃないか?」
サン・エイルヴとスツーヴァでは、それこそ世界規模でのすれ違いになってしまう。
合理主義のベアトリクスが、考え無しにそんな労力を払うとは思えなかった。
「リュート、とりあえずグリード猊下に連絡してみて。もしかしたら、ビビから言伝があるかもしれない」
「ああ、そうだな」
それが一番ありうるだろう。
携帯電話のように常時通信が可能なわけではないし、タイミングも限られるが、俺とグリード、ベアトリクスとグリードの間では、遠隔通信が可能である。
まあ、設備さえ整えば俺とベアトリクスの直接の遣り取りも出来るのだが、双方が通信機器の前にいないと無理なので、互いに動き回っている状況では難しい。
グリードも普段忙しく世界中を飛び回ってはいるが、タレイラの聖央教会支部かルシア・デ・アルシェに連絡を入れれば向こうからかけ直してくれる。
返信を待つ間こっちはここから動けないが、無駄に動き回るよりはマシだろう。
流石に、聖央教会との通信のためにタイレンティア大聖堂の設備を借りるのは心苦しいので、街外れの小さな教会で借りることにした。
一発で掴まるか心配だったが、幸運にもグリードはタレイラの自宅にいた。
『やあリュート。随分としばらくぶりのような気がするけど……』
鏡の向こうのグリードは、相変わらず柔和な笑みを浮かべてはいるが、圧が凄い。
多分、俺が全然連絡を寄越さないもんだから、やきもきしていたのだろう。
「…悪い、色々とごたついてて。……で、アルセリアの武器のこととか報告はあるんだけど、その前に…」
俺は、ベアトリクスの件をグリードに伝えた。
「それで、今あいつが何処にいるのか分からなくてさ。そっちに、何か伝言とかいってないか?」
だが、俺の話を聞き終えたグリードの表情が、一変した。
『……なるほど、彼女はサン・エイルヴで消息を絶った…というわけだね』
「いや、消息を絶ったとか、そういう大げさな話じゃ……」
グリードの心配性を笑い飛ばそうとした俺だったが、それは出来なかった。
彼の表情が、いつになく深刻だったからだ。
思えばグリードとの付き合いもそれなりになって、腹黒い愛想笑い以外の表情も色々と見てきた。
困り果てた表情や、厳格な表情、怒りを秘めた表情。
しかし、今回ほど悩ましげな表情は、初見である。
「……なんだよ、何かあるのか?」
『………ふむ。確かに私は大げさに考えているのかもしれないけどね。……大げさに考えざるを得ない事情が、彼女とエスティント教会にはあるのだよ』
………それは、穏やかじゃないな。
他でもないグリード=ハイデマンをして「大げさに考えざるを得ない」と言わしめる事情。
ちょっと実家と折り合いが悪いとか、派閥間のゴタゴタだとか、その程度だったらグリードほどの狸親父が意に介することはない。
『……リュート。君だけでいいから、出来うる限り早く、こちらへ戻ってきてもらえるかい?』
「それって、どういう……?」
暗に“門”を使えということなのだろうが、わざわざ濁して言うのには何か理由があるのだと察した俺は、そのまま頷いた。
「了解、猊下」
グリードの表情は、最大の警戒を孕んでいた。
エスティント教会は聖央教会とは悪くない関係を築いているというし、マスグレイヴ枢機卿も個人的には悪い人間じゃないと思っているが、どうやら信用しすぎるのは危険なようだ。
こういうときのグリードの判断には間違いがない。
……俺もヴィンセントのこと言えないなー。なんだかんだ言って、俺が地上界で最も信を置いているのは(感情面はともかく)グリード=ハイデマンなのかもしれない。
それにしても……なにやってんだよ、ベアトリクス。
厄介ごとがあるんなら、一人でここに戻ってくるべきじゃなかっただろう。あいつだったら、そのくらいのこと分かってて当然なのに。
単細胞勇者の随行者にふさわしくポンコツな面も否めない彼女だが、いざとなれば冷静で合理的な判断を下せる能力を持っている。
そんな彼女が、わざわざトラブルの原因へ自ら飛び込んでいく理由が分からない。
……それとも、分かっていてそうせざるを得ないほどの理由があった……ということか?
まったく、つくづく世話の焼ける娘っ子たちだよ。アルセリアといいヒルダといい、ベアトリクスといい。
ま、ここは有能な補佐役リュートさまの出番ですな。俺がいなきゃ何にも出来ない彼女らのために、今回も一肌脱ぐことにしますか。
珍しくベアトリクス中心の話です。




