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世話焼き魔王の勇者育成日誌。  作者: 鬼まんぢう
成長と前進編
215/492

第二百九話 選択肢があるということは時に残酷でもある。




 

 俺は、一時的に借りた(強奪したとも言える)ヴィンセントの魂魄を媒介に、同じ根源ルーツを持つヒルダの中へと潜り込んだ。

 

 彼女の、精神こころの奥深くへ。



 深層なので、余分なものは存在しない。

 ヒルダは、真っ暗な空間の中で膝を抱えて丸まっていた。




 「………ヒルダ」

 近付いて、声を掛ける。

 いくら央天使でも、外部から強引に干渉してはここまで辿り着くことが出来ない。

 今ならまだ、ヒルダは無事なはず。



 声を掛けられて顔を上げ、()()姿を見た瞬間……



 ヒルダの表情が、氷点下まで温度を下げた。



 ………うう、寒い。ヴィンセントの奴、いつもこんな視線に耐えていたのか……その忍耐力には脱帽だ。



 「………何しに来た」

 普段俺に対するのとは真逆の、拒絶と侮蔑と嫌悪の感情をふんだんに散りばめた声。


 「ヒルダ、俺だよ、俺」

 先ずは誤解を解こうと、語り掛ける。


 その口調に、ヒルダの表情が和らいだ。


 「………お兄ちゃん…?」

 「そ。ヴィンセントの魂魄を借りてここに来てるから、多分お前の眼にはヴィンセントの姿で映ってると思うけど……俺だよ」



 その説明だけで、彼女は分かってくれたようだ。

 俺の懐に、がば、と抱きついてくる。



 「…………お兄ちゃん」

 「…うん。怖かったな。もう、大丈夫だから」


 ヒルダさえ取り戻せば、央天使などどうとでも出来る。

 ヒルダにちょっかいを出した報いをたっぷりと受けさせてから、魂ごとその存在をバラバラに引き裂いてやろう。



 「……お兄ちゃん」

 「もう何も心配いらないから、帰ろう。アルセリアもキアも、エルニャ…エルネストも心配してる。……あと、多分だけどヴィンセントも」


 最後の一言は余計かもと思ったが、一応魂魄を借りてるわけだし、彼の立場も考えてやった方がいいだろう。



 ヒルダは、素直に頷いてくれると思っていた。

 この状況を彼女が望む理由などないはずで、俺が来た以上は何も怖れることはないのだから。



 ……それなのに。


 

 帰ろうと言われても、ヒルダは顔を上げなかった。俺に抱き付いたままで、離れようとしない。

 それどころか、俺の腰に回す腕の力が、一層強くなった。

 


 「……ヒルダ…………?」

 「…お兄ちゃん。……お兄ちゃんは、ボクのお兄ちゃんだよね……?」


 何故か、詰問調のヒルダ。

 俺はまた、何か彼女を怒らせるようなことをしてしまったのだろうか…?


 「当たり前だろう。ずっとそう言ってるじゃないか」

 それはもう、決まり文句のようなものだったのだが。


 「………じゃあ、()()()お兄ちゃんの妹……?」

 そう言いながら俺を見上げるヒルダの表情に、俺は一瞬、息を呑んだ。



 昏い表情。


 彼女のこんな目は、今まで見たことがない。

 暗闇に揺蕩う静謐。真っ暗な水底。


 彼女の心が……見えない。



 「……ヒルダ?」

 「お兄ちゃんの妹は、ボクじゃなきゃ嫌だ。ボクだけじゃなきゃ…嫌だ」


 彼女の腕に、さらに力が籠った。

 そして。



 「何言ってるんだよ?お前だけってどういう……?」

 「答えてお兄ちゃん!!」


 突如、暗闇に炎が生まれた。


 血潮の如き真紅の劫火。

 俺たちを取り囲むように円を描いて揺らめく。


 精神世界の中であるに関わらず、頬にその熱が届いて熱い。



 「……ヒルダ?」


 彼女は、どうしてしまったのだろう?

 確実なのは、ここに央天使の力は及んでいないということ。


 この状況を生み出しているのは、他ならぬヒルダ自身だ、ということ。




 「お兄ちゃんの妹は……ボクだけだよね………?」

 

 泣きそうな顔でそう絞り出すヒルダを見た途端、彼女の不安が俺に届いた。


 

 …………そっか。ずっと、不安な思いをさせてたんだな。




 俺は、ヒルダを抱いたまま腰を下ろした。

 俺たちを取り巻く炎の勢いは衰えない。


 ここは、ヒルダの領域。

 例え魔王おれであろうと、彼女の完全支配下にあるこの空間で、彼女の激情が具現化したこの炎に焼かれれば、タダでは済まされないだろう。

 

 しかし、俺は構わなかった。

 まあ、魂魄を間借りしているヴィンセントは御臨終あそばすかもしれないけど……まあ、不可抗力ってことで(我ながら非道い)。



 彼女が本心から俺に怒りや憎しみを抱いていて、俺を傷付けることでその傷が僅かでも癒えるのならば、兄として炎に焼かれるくらい本望だ。


 ……それが、彼女の本当の望みなのだとすれば。



 「……ヒルダ。話をしよう」

 俺は、俺の胸に顔をうずめたままのヒルダに優しく語りかける。

 「ヒルダが、何を望んでいて、何を怖がってるのか。……お兄ちゃんに、話してごらん?」


 そう言いながらも、彼女の不安はなんとなく予想が出来ていた。

 ヒルダは、そうそう表面的なことで感情を爆発させるような子ではない。



 「……お兄ちゃん、あっちの世界に妹いるって言ってた」

 辛うじて聞き取れるくらいの、小さな呟きのような声。

 

 「ああ、そうだよ。話したこともあったよな?」

 今までの旅の中で、断片的にだが前世の話を三人娘にはしていた。

 現在の俺を形作る基礎ベースとなるものを、知っていて欲しかったから。


 「…………………」

 「……ヒルダ?」

 「………………その妹と、ボクと、どっちが大事?どっちがお兄ちゃんの妹?」


 …………やはり。

 予想はしていたが、何とも答えづらい…と言うか俺自身まだ答えを見付けられていない問いがぶつけられた。


 けれども、誤魔化さずに逃げずに、きちんと答えなければならない。


 「どっちがなんて決め」

 「ボクは、その人の代わりでしかないの?」

 「それは違う」


 俺の答えを遮るように続けられた問いには、即答出来た。それは分かり切ったことだったし、即答しなければならなかった。


 「ヒルダは、悠香の代わりなんかじゃない。それだけは確かだ」



 そうは言いながらも、出会った当初、彼女ヒルダ悠香いもうと)の面影を重ねていたことは事実。

 見目はまるで違うが、同じ年頃で同じように手のかかる妹。



 だが、共にいる時間が長くなるほど、誰かを誰かの代わりにするなんてことは出来ないのだと、気付いた。


 俺にとっては明確なことでも、ヒルダには丁寧に説明しなければならない。



 「…どう言ったらいいのか難しいんだけど……」

 誤解を与えないように、慎重に言葉を選ぶ。


 「正直に言うと、最初の最初は、確かにヒルダを通して悠香を追い求めていたんだと思う。俺にとってはさ、ある意味自分の復活ってのは、理不尽にも家族と引き離された現象…みたいなもんでさ」



 魔王としての記憶や自我が戻らなければ、正気を保てていたかどうかも分からない。

 そして、それらが戻ったからと言って、はいそうですか、と割り切れるものでもなかった。



 「俺はさ、本当に家族が好きで。悠香が大切で。……あいつが嫁に行くまで俺がしっかり守ってやらないとって、ずっとそう思ってて」

 ついでに述べると、悠香が嫁に行く日は絶対泣いたと思う。号泣したと思う。

 なんなら披露宴で人目をはばからずに泣くだろう確信があった。



 だから、そんな妹と二度と会うことは出来ないのだという事実は、自分で思っていたよりもかなり深刻なダメージを俺に負わせることになった。



 それに気付いたのは、ヒルダにお兄ちゃん認定してもらった瞬間。

 まさか自分が、彼女のその言葉にあそこまで歓喜…はまだしも安堵するとは、その瞬間まで思わなかった。


 安堵して初めて、自分が傷付いていたことに気付いた。



 人間として向こうの世界で死んで、魔王としてこっちの世界で復活して。

 桜庭柳人としての自我はそのままに、魔王としての記憶と自我も甦って。


 自分でも気付かないうちに負っていた深い傷から、流れ出る血もそのままに。



 その傷を半ば強引に塞がれて初めて、自分が傷付いていた事実を知ったのだ。

 


 「で、そんな家族に…悠香に会えないって事実に絶望する直前に、ヒルダに救ってもらった」

 「……ボクが、お兄ちゃんを……?」


 ヒルダとしては、自覚がないのだろう。きょとんとしている。

 まあ、救われた当の本人も自覚が薄かったのだから、仕方ないことか。



 「そう。ヒルダがいなければ、どうなってただろうな……」


 そのことについては、以前に考えてみたことがある。


 

 自分で言うのも何だが、そしてそれはキアやアルセリアにも見透かされているようだが、俺は身内のこととなると我を忘れる傾向にある。

 万が一家族を失うことになったら……などと考えると、それだけで軽く絶望出来てしまう。



 もし……もしこの世界エクスフィアが無ければ。

 この世界が、滅んでしまったら。


 魔王たる自分の魂が世界を超えられることは実証済みである。

 それならば、自分の帰属先(本来の居場所という意味では違うのだが)であるこの世界がなくなれば、かつての世界に戻れるのではないか。


 

 ……だったらいっそ、滅ぼしてしまえば。



 これはギーヴレイにさえ内緒のことだが、そう思ったことが一度ならずあった。

 

 魔王ヴェルギリウスの力を以て、桜庭柳人の望みを叶える。


 そんな愚かな衝動を抑えてくれたのは、他ならぬヒルダだった。


 “神託の勇者”アルセリアでも、ベアトリクスでもなく、この問題に関しては、ヒルダが世界を滅亡から救ったのだ。


 世界だけではなくて。



 「絶望した魔王おれから世界を救ったのも、絶望から俺を救ってくれたのも、ヒルダなんだよ」

 「……ボクは、何もしてない。何も…出来てない」


 いじらしいことを言うヒルダの頭を撫でた。無性に、撫でたくなった。


 「ヒルダがあそこで俺を受け容れてくれたから、俺は救われたんだよ。誰かを救うって、必ずしも絶大な魔力だとか大仰な何かが必要なわけじゃない」


 案外、取るに足らないような些細な出来事や一言が、大きな救いになることだってあるのだ。



 「だから、ヒルダは悠香の代わりっていうのじゃなくて……悠香の不在で出来てしまった俺の傷を癒してくれたんだ」

 「…代わりと何が違う?」

 「全然違うだろ?」


 改めて言葉にしようと思うと、なんとも難しいけど……



 「もしヒルダが悠香の代わりなんだったら、俺は過去ばかり見ていただろうな。自分が魔王であることも、この世界に復活したことも否定して。……けど、ヒルダが傷を癒してくれたから、この世界で前へ進もうと決心することが出来た。これは、前世に置いて来た悠香じゃ出来ないことだよ」

 「……………………」


 

 ……きちんと、伝わっただろうか。

 俺を見上げるヒルダと、目が合った。



 ……うん、大丈夫。俺のヒルダは、分からずやな子ではない。


 ただし………



 「ヒルダ、これだけは言っておかなくちゃいけないってことがある」

 真っすぐに俺を見つめてくる彼女を、俺も真っすぐに見つめ返す。


 「…最初の質問の答えだ。お前と悠香、どちらが大切かっていう」


 この流れならばいくらでも有耶無耶に出来そうだった。

 しかし、それだけはするわけにいかなかった。


 何故ならば。


 「その質問には、こう答えるしかない。どちらも同じように大切だ、選ぶことなんか出来ない…って」

 「…お兄ちゃん、それ……」

 「まあ聞いてくれ」


 彼女の口に人差し指を置いて、俺は続ける。


 「桜庭悠香は、桜庭柳人にとって、かけがえのない存在()()()。それは過去のことだけど、だからこそ否定は出来ない。そして、現在から未来を生きるヒルダとは、比較することが出来ないんだよ」


 「……よく分かんない」

 「…悠香は、前世の俺の希望であり、支えであった。彼女がいなければ、復活後の俺はもっと違う道を選んでいたと思う。それこそ、地上界を滅ぼしてしまう…とか」


 そこでようやく、ヒルダも合点がいったようだ。


 甘くてお人好しで世話焼きである俺の性質は、悠香によって生み出されたものだということに。

 そして、それがなければ俺はただの「冷酷無比の魔王」でしかないということに。



 …まあ、悠香一人の影響でもないのだが、俺に最も強い影響力を持っていたのは彼女だった。



 「そのくらい、悠香の存在は俺の中で大きい。ヒルダはこれからも俺と一緒にいて、色々なことを一緒に経験していくのだと思うけど、だからと言ってヒルダの方が悠香よりも大切だとは、簡単に言えない」


 言葉に出すのは簡単だ。

 しかし、それは悠香にもヒルダにもやってはならない裏切り。


 「結局、比べることなんて出来ない。二人とも、同じくらい大切な俺の妹だ……っていう風にしか、答えられない。……納得してもらえるかは、分からないけど」



 こればかりは、俺の心情を説明したところで理解してもらえるかどうかはヒルダの問題だ。

 俺に出来るのは、誠実に応えることだけ。


 

 一抹の不安がなくもなかったが、ヒルダは再び俺をぎゅっと抱きしめてくれた。

 先ほどよりも力強く、けれども、先ほどとは違い優しく。



 「……分かった」

 「……そっか」

 「お兄ちゃんは、比べることも出来ないくらい大切な妹と、ボクを、同じくらい大切だって、言ってくれるんだよね?」

 

 良かった、通じたようだ。


 「そうだよ。なんてったって、ヒルダは俺の大事な妹だからな」

 「……………うん」



 安心したような表情で笑ってくれたヒルダを見ると、これで一件落着にしてしまっていいかな、とも思ったが、俺にはまだ伝えなければならないことがある。


 ……と言うか、それを伝えるために「どちらが大切か」なんて蒸し返したのだ。



 「……ヒルダ。俺は、悠香もお前も選ぶことは出来ないけど、お前はちゃんと選ばないとダメだ」


 唐突に言われて、ヒルダは首を傾げた。

 一体何と何を選ぶのか…と思っているに違いない。



 「さっき俺は、これからも俺とヒルダは一緒にいて、一緒に色々な経験をすることになるだろうって言ったけど、それも永遠に続くわけじゃない」

 「どういうこと?」


 本気で理解していなさそうな表情に、俺は何とも言えない気持ちになる。

 それだけ彼女が、俺を慕ってくれている証拠なのだと分かっているから。


 けど、大前提は忘れてはいけない。



 「…俺は魔王で、お前は勇者一行だ」


 言われて初めて、「あ、そうだった!」という表情になるヒルダ。

 

 ほらやっぱり、忘れてた。

 まあ、同行する魔王があんまりにも魔王らしくないもんだから、無理からぬことではあるけども。



 「もし、いつか……俺が魔王として地上界に敵対する日が来たとしたら……お前は、勇者であることか、俺と共にあることか、どちらかを選ばなくてはいけなくなる」


 本当は、それこそ選択にもならないようなことである。

 勇者一行が、魔王の手を取るなどとあっていいはずがない。


 しかし。



 「……やだ、そんなのやだ!」

 駄々をこねるヒルダを見ていると、そう簡単な問題でもないのだと思う。


 「なんで?今のままでいいでしょ?アルシーと、ビビと、キアさんと、お兄ちゃんと、今のままでなんでいけないの!?」



 ……今のまま。

 そう、今のままで。


 確かに、そうあれたらどれだけいいだろう。

 俺としても、望めることならそうあってほしいし、そうあるべく死力を尽くすつもりだ。


 しかし、俺が魔王で、彼女らが勇者である限り、その可能性は絶えず俺たちについて回る。



 そんなことありえないから、と一蹴してしまうことは出来ない。



 「ちゃんと聞いてくれ。…俺だって、出来ればお前たちとこうやって、のんびり過ごせれば一番いいと思う。地上界も魔界も争わないで、平和にやっていけて、そしたら世界中…は無理にしても大多数の人たちが一番幸せでいられる未来になると思うから」


 「だったら……」

 

 「だから、そのために頑張るつもりだよ。…けど、いくら俺が魔王でも、俺の考えだけで全てを動かせるほど世界ってのはご都合主義じゃない。もし、地上界と魔界が徹底的にりあうことになったら……俺は、魔界の王として地上界に敵対することになる」



 どれだけ三人娘が特別でも。ヒルダが俺の妹でも。グリードや教会の連中のことを気に入っていても。


 それは、大戦以前からの、自分に対する誓い。

 これだけは、曲げるわけにはいかない。



 「勿論、理不尽な理由で地上界に攻め込むことは絶対にしない。そんな理由で臣下が勝手をするようなら、主としてそれを諫める。……けど、地上界が道を誤ったとしたら、それは俺にはどうにも出来ないんだ」


 何故ならば、俺は魔王で、地上界の敵だから。

 

 敵の言うことを聞いて矛を収める者など、いるはずがない。


 復活した魔王の治める魔界に攻め込む真似など、そうそう出来るとは思えないが……仮にこの先、天界が絡んでくるとしたら話は別だ。


 魔王おれの力を実際に目の当たりにした者でない限り、天使たちの言葉に容易く踊らされてしまうだろう。


 ここ最近の天界の動きを考えると、ありえなくもない…と思ってしまう。

 


 「……やっぱり、そんなの嫌だ」

 ヒルダはなおも拒絶するが、その口調から、抗いきれるものでもないと察してはいるようだ。

 ただ、認めたくないだけで。


 だから俺は、残酷だと思うけど続けなければならない。



 「…ヒルダがどれだけ嫌だって言っても、状況がそれを許さなかったらどうする?どちらも選べずに、俺とアルセリアたちが殺し合うのを黙って見ているだけなのか?」


 どちらかに加担してもう一方を滅ぼすことよりも、それは残酷な光景。

 それに、ヒルダは耐えきれるのだろうか。


 「そのときに、お前を守ることが出来るのは、お前自身が自分の意志で下した決断だけだ。俺も、アルセリアもベアトリクスも、グリードも、何も出来ない」

 「………………」



 ヒルダは、頷きも返事もしなかった。

 そしてそれが、肯定の証だと分かった。



 「……ボクは、選ばなくちゃいけないの?」

 「ああ……残酷なことだと思うけど、誰だってそのときが来たら選ばなくちゃならない」


 魔王や勇者に限らず。

 全ての生命は、選択という義務と権利を等しく押し付けられているのだ。


 「……みんな…?」

 「そう。俺も、アルセリアも、ベアトリクスも。みんなちゃんと選んでる。選んだ上で、ここにいる。……だから、ヒルダも…な?」


 表情から、俺の言わんとしていることが彼女の中に浸透したことを確認すると、ふたたび俺はヒルダの頭をかいぐりかいぐり。



 「大丈夫、そんな深刻に考えるな…真剣に考えなきゃいけないことだけど…そんな事態にならなければ、何も心配いらないんだし、そうならないようにみんな頑張るからさ」


 アルセリアたちとて、俺との敵対を望んではいないだろう……いないと思いたい。当然、グリードも。

 尽力すれば避けられる惨劇であれば、それを惜しむことなく行動してくれると信じている。


 だから今俺がヒルダに言って聞かせたのは、保険のようなものだ。

 万が一、億が一、俺が彼女らの敵となって立ち塞がったときに、彼女がきちんと自分の立ち位置を見失わないでいられるように。


 

 「………分かった。お兄ちゃんが、ボクのお兄ちゃんでいてくれる限り、ボクはお兄ちゃんと一緒にいる。けど、お兄ちゃんじゃなくなったら、ボクは……お兄ちゃんを殺すよ」


 「…うん、それでいい」



 ……それでいい、と言いつつ、表現がちょっと怖い。

 が、彼女が決意を固めたのだ、ツッコむのはやめておこう。



 ……さて。

 ヒルダとの話し合いも終わったし……



 あれ?いつの間にか、俺たちを取り囲む炎が消えている。

 ヒルダが落ち着いてくれた証拠か。



 「それじゃ、ヒルダ。帰ろう」

 俺は立ち上がって、ヒルダに手を差し伸べた。


 しかし、彼女はその手を取らなかった。


 「………ヒルダ?」


 まだ何か、物申したいことがあるのだろうか。

 心配になった俺だったが……



 「……ちょっと待ってて、お兄ちゃん」

 ヒルダは、自分一人で立ち上がった。彼女の決意を示すように。


 「まだ、一個だけやらなきゃいけないことがあるんだ」

 そう言うと、俺に背を向けて虚空を睨み付ける。



 ここは、彼女の意識。彼女の空間。彼女の領域。


 暗闇に裂け目が走り、その一角が崩れ落ちた。



 その向こうに見えたのは、狼狽した様子を隠し切れない、央天使サファニールの姿だった。




リュート氏、偉そうなこと言ってますがあんまり信用しない方がいいです。

このあたりの台詞、ちょっと伏線じみてたり。

彼、三人娘の前ではやたらと大人ぶりたがりますが、中身けっこうお子様ですからね。

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