第二百七話 秘匿されたモノ
勇者のお許しも得たことだし(って俺何言ってるんだろう魔王なのに)、俺は自分自身の枷を取っ払ってやることにした。
と言っても、もちろん節度は守る。
なにしろ、ここには何も知らないヴィンセントもいるのだ。
バレたらその時はその時だ、と開き直ることは出来たが、それでも誤魔化せるならそれに越したことはない。
だから、“霊脈”との接続は、必要最小限に。
そして、感覚網を島全体へと広げる。
目的の場所…目的の存在は、すぐに判明した。
なぜならば、向こうからこちらへ働きかけてきたから。
俺の神力に反応し、応えてきた。
それは本来、通常の精霊ならばありえないはずの反応。
そして、それが通常の精霊ではないということは、すぐに分かった。
何故ならば……そこに、感情があったから。
正しく言えば、敵意。憎悪。そして、精霊が持ち得ないはずの強固な自我。
それが向けられる先は………この俺、魔王ヴェルギリウス。
魔王への憎悪を抱く、自我の持ち主。
その気配に、俺は覚えがあった。
ものすごく久しぶりの気配。
それこそ、約二千年ぶりの再会。
それと俺の接点はそれほど多くはなかったが、いくらなんでも見誤る筈がない。
…………マズい。
これは、ちょっと……理由も原因も分からないが、この事態は、さすがにマズすぎるだろう。
俺の脳裏に、勇者一行終了のお知らせ、なんてフレーズがよぎってしまった。
「……キア、アルセリアとヴィンセントを連れて今すぐここを離れろ」
俺は、この状況では一番頼りになるキアにそう命じた。
いくらなんでも、相手が悪すぎる。
ヴィンセントはもとより、例え神格武装とそれを手にした“神託の勇者”であっても、彼女らがどうにか出来るような相手ではない。
唯一の救いは、それの敵意は魔王だけに向いているということで。
巻き添えを食らわない程度に離れてもらえれば、三人に被害はないだろう。
……尤も、あれとの戦いになった場合、「巻き添えを食らわない程度」の距離というのが問題なのだが。
理由もなくいきなり逃げろと言われた三人は、戸惑った。こちらとしては、詳しく説明しているヒマはないのだけど。
「おい、一体どういうことだ、リュート。きちんと分かるように説明しろ」
何が何やら分からないヴィンセントと、
「何が見えたの?ヒルダは無事?」
俺の言葉よりヒルダの安否が心配なアルセリア。
「……いいから、ギルの言うとおりに」
唯一人、俺が焦っているという尋常じゃない事態に気付いたキアが、二人を連れようとした瞬間。
空間が、弾けた。
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それは、動かない時間の、沈黙の檻に囚われていた。
眠りの中で、愛する存在の死を知った。
己が全てを捧げる対象が、今はもう何処にもいないのだと知った。
そして今、喪失感と絶望の中でそれは、目覚めの時を迎える。
忌まわしくおぞましい邪悪な気配。
異質なる存在。
この世界に、あってはならないもの。
悪しき王の気配を受けて、それは最後のまどろみから、目覚めた。
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ガラス玉を思い切り地面に叩きつけたような、音にならない音。
先ほどエルフたちが使った【来光断滅】とは比較にならない密度の魔力が限界まで圧縮され、そして臨界点で解放される。
波のように幾度となく打ち寄せる衝撃と、重苦しく響く旋律。
【断罪の鐘】。
主に天使族が好んだ、聖属性の極位術式。
邪を滅する、無慈悲なる楽の音。
その旋律は、聴く者全てに慈愛と救い…すなわち死をもたらす。
……静寂が戻った。
俺たちの周囲には、何もなくなっていた。
鬱蒼と茂った森林が、すべて消し飛んでいた。
俺たちを中心に、何もない荒野が数キロにわたって広がっている。
咄嗟に防壁を展開して正解だった。さもなければ、俺はまだしも他の連中は森と一緒に消し飛んでいただろう。
「………な……なんなの…………?」
俺の後ろで、アルセリアが茫然と呟いた。
いくら勇者でも、極位魔法を目の当たりにするのは初めてか。
それも当然。
全術式の中で最高難度にあたる「極」位を行使出来るのは、天使族や魔族の中でも特に高位にある者たちのみ。
魔界で言えば、武王クラスだし。
そして、天界で言えば……
「……抹消されたかと思えば、こんなところで居眠りこいてたとはな」
俺は、空中に佇むそれに、語りかけた。
俺の大切な妹の姿で、無表情に憎悪をぶつけてくる、その天使に。
「……央天使サファニール」
俺の目の前にいるのは、ヒルダだがヒルダではない。
何故ならば、彼女はあんな冷たい無表情じゃないし、俺に憎悪をぶつけてくるなんてことはないし、何より、その背に顕現する白銀の翼。戦場で幾度となく遭遇した、霊力パターン。
………五権天使筆頭、央天使サファニール。
いつの間にか天界からその存在が消されてたと思ったら、まさかここで封印されていたとは。
エルフの秘宝である精霊とやらの正体が央天使だったのか、或いは別物だったのか。
どのみち、俺たちを幻惑していたのはこいつの能力で間違いないだろう。
………だけど、解せない。
創世神は消滅した。それに伴い、彼女が天使たちに与えた権能もまた、消え失せたはず。
加護や恩寵とは違い絶大な力を所有者に与える権能ではあるが、権限元である創世神や魔王が消えれば、自動的に失われてしまう性質を持つ。
だが………
「おい、リュート……あれは、ヒルダ……なのか…?」
ヴィンセントが、震える声で俺に訊ねた。意識を保ってるだけ上等と言える。
俺に聞いてどうする、という話だが、なんとなく俺ならば分かっていると気付いたのだろう。
「……ヒルダだけど、余計なもんがくっついてる。……さっさと引っぺがさないとな」
天使族ふぜいが、俺のヒルダの肉体を乗っ取るだなんて不遜にも程がある。
すぐにでも、その行為の愚かしさを思い知らせてやろう。
しかし、問題が。
いくらなんでも、人間リュウト=サクラバでは央天使相手に勝ち目がない。
魔王ヴェルギリウスであれば大した敵ではないのだが……
ヴィンセント、どうしようか。
俺が妙案を思いつく前に、央天使が口を開いた。
「………悪しき王よ。貴様さえ滅べば全ては終わる。世界の厄災も不条理も、永きに渡る戦いも、我が身を苛む劫火も……全てが終わり再び世界には安寧がもたらされるのだ」
……なんだか、この世の不都合の全責任が俺にあるみたいな言い分が気に入らない。
確かに創世神に喧嘩を吹っかけたのは俺だが、厄災だとか不条理だとかはシステムエラーみたいなものであり、正直言って俺には関係ない。
……まあ、連中からしてみれば、魔王の存在自体がエラーだと言うのだろうけど。
「塵へと還るがいい」
央天使がそう言った瞬間、
「な、何これ!」
「………空間が…裂けていく?…このままじゃ…」
「おい、一体何が起こってる!?」
俺の後ろで、三人が一斉に叫んだ。
俺には何が起こっているのか分からないが、キアの言葉から事態を想像。
なるほど、ちょっと放置は出来ないな。
俺は、央天使の権能に介入し、強引にその権限を剥奪…と言うか横取りする。
「あれ?……元に戻った……」
「何だったの、今の……」
アルセリアとキアの様子から、どうやら何事もなかったかと一安心。
しっかし、やりにくいなー。
奴の権能は俺にはまったく無効なため、何が起こっているのかさえ知ることが出来ない。ある意味で、見えない敵と戦ってる気分。
奴の権能は、“認識”。
認識を操作し、支配する能力。
概念系の力であるため、俺やエルリアーシェが制約なしで行使した場合、洒落にならない事態を引き起こすことさえ可能。
だが、央天使にそこまでは無理だろう。格下相手であれば好き放題出来る最強無敵の能力ではあるが、残念ながら奴と俺の力量差は明白。
普通に考えれば、魔王の楽勝必勝パターンである…ハズなのだが。
「………忌々しい」
言葉どおりの感情を浮かべ(と言ってもやっぱり無表情なんだけど)、央天使が歯軋りした。
ヒルダの身体で勝手な事するんじゃない。噛み合わせが悪くなったらどうしてくれる。
「やはり、私では貴様には太刀打ち出来ぬ。……が、貴様にこの娘を傷付けることが出来るか、魔王よ」
……やはり、央天使は俺とヒルダの関係性に気付いている。
一体どこで知ったのやら……まあそれは後で考えるとして、確かにこの状況は厄介だ。
無理矢理に央天使の精神体をヒルダから引き剥がすことは可能だ。
だが、ヒルダが完全に奴の支配下に置かれている場合、強引なことをすればヒルダ自身が無事では済まない。
さてどうするか。
いかにしてヒルダを傷付けず、央天使だけを排除するか。
僅かでも彼女に意識が残っていれば手はあるのだけど………。
「リュート………あれは、一体何を言っている…?」
ヴィンセントの、掠れた声。
「……魔王、とはどういうことだ……?」
……やばし。
誤魔化しようのないくらいバッチリと、ヴィンセントに聞かれている。
つーか、“霊脈”を繋いだ時点で、姿こそ変わっていないものの俺が普段の俺ではないことは一目瞭然だろうし。
面倒臭いし、あとで記憶の改竄でもして……
………………そうか、ヴィンセントがいたか。
半分とはいえ、同じ血族の血を引くこいつなら……うん、使える。
俺としては複雑な気分だが、こればかりは本当の肉親でなければどうにも出来ないこと。
悔しいが、ここはヴィンセントがヒルダの兄で良かったと思うことにしよう。
俺が向き直ると、ヴィンセントが後ずさった。
どう見ても、いきなり攻撃を仕掛けてきたヒルダ姿の未知の敵より、俺の方に怯えている。
その気持ちは分からなくもないが……少しの間だけ、我慢してほしい。
なーに、死ぬことはないから安心しろ。まあ、俺がヘマしたら廃人にはなるかも知れんけど。
「ヴィンセント、お前の根源を少し借りるぞ」
「な、何をするつもりだ!?」
近付く俺に対し警戒を最大限にするヴィンセント。助けを求めるかの如くアルセリアとキアに視線を向けるが、彼女らは黙って見ているだけで動かない。
アルセリアは俺が何をしようとしているのか多分分かっていない。が、少なからず俺を信用しているのだろう。
キアには、おおよその見当が付いているのかもしれないが、彼女もまた俺のすることに疑いは抱いていない。
孤立無援となったヴィンセントは、本能に従った。
則ち、目の前の危機に対して、身を守ろうとしたのだ。
具体的に言うと、俺に向かって剣を構えた。
誰であろうと如何なる理由があろうと、本来、魔王に対して刃を向けるのであれば容赦はしない。
だが、彼の混乱も無理からぬものであるし、何よりヒルダの無事が懸かっている。
俺は、彼の愚行を大目に見てやることにした。
「き……貴様、やはり、只者ではないのだな……!答えろ、貴様は一体何なんだ!?」
いつか聞いたことのある問いを繰り返すヴィンセントには答えず、俺は彼に近付く。
得体のしれない恐怖に駆られた彼は、俺に向かって剣戟を繰り出した。
それを軽く手で払って、愕然とする彼に肉薄すると。
「……少しばかりキツイだろうが、勘弁な」
俺は、彼の額に手を伸ばした。
さてはてキナ臭くなってきました。
と言いつつ、結局はシスコン&ブラコン全開で進んでいきますけど。
ヴィンセント、完全に巻き込まれ型の被害者です。




