第二百六話 何も考えずに動くのと考えすぎて動けなくなるのとどちらがマシかと言うとどちらとも言えない。
かれこれ、森の中を彷徨い続け、もう一、二時間は経っただろうか。
そう思って時計を取り出して見てみると、まだ半時しか経過しておらず。
太陽の位置で目安を知ろうにも、木々に遮られて空は見えない。
ヒルダを案じるあまりに気が急いているのか、時間の感覚がかなりおかしい。
幸い、磁石はきちんと機能しているので方角を見失うことはないが、ほんの一休みのつもりが一時間以上経っていたり、逆に二、三時間経ったかと思うとまだ十五分くらいしか経ってなかったり。
そんなにも平静さを失っているのかと、自分で自分が情けなくなってきた頃。
それが気のせいではないと気付いたのは、アルセリアだった。
「…………あれ?ここって、さっきも通らなかった?」
巨大な岩の手前で立ち止まり、俺たちを振り返る。
確かに、先ほどもよく似た岩の傍を通り過ぎた。
しかし、俺たちは里の長にもらった地図をもとに歩いている。方位磁石でこまめに方角も確認してるから、知らない間に道迷いだなんて………
「……よく似たような岩はいっぱいあるし、気のせいじゃないかな?」
キアはそう言うが、アルセリアは納得いかないようだ。
「そんなことないわよ。さっきここ通った時、あそこの亀裂が串団子に似てるなーって思ったの、覚えてるもの」
「……なんつー覚え方してるんだよお前」
一瞬その食い意地に呆れた俺だが……
いやしかし、確かにそう言われると串団子に見えなくない。あんな複雑な亀裂、そうそう偶然に重なるなんてこと普通はないよな。
「にゃにゃ、んにゃーにゃ」
「…ん?なんだよ……………あ、ほんとだ」
エルニャストに言われてその岩の後方を見てみると、その陰になった他の岩の突起が、まるでこちらから見ると猫の顔の形のようである。
……これも偶然…なんてこと、ないよな。
………ん?あれ、待てよ?
なんで俺たちこんなところにいるんだ?
俺は、再度地図に目を落とす。
方角と、歩いた時間と距離からすると、もうとっくにこの滝のあたりまで到達してないとおかしくないか?
……おいおいおい、この俺が、山歩きで地図を読み間違えた?こんなにしょっちゅう確認してて?
そこまで焦ってるなんて、どうかしてるだろ、俺。
「……ちょっとリュート。アンタまさか、迷ってない?」
………ギク!
「み……認めたくない…が、そう……かもしれない…………」
俺、痛恨の失態!である。
「えー、しっかりしてよね。アンタこういうこと得意そうだから任せたのに」
「うう……返す言葉もありません………」
アルセリアにだけは言われたくなかったが、しかし事実なので反論は出来ない。
くそう。これで、かなりの時間ロスになってしまった。急いで取り戻さないと。
焦りは禁物だが、少しばかりペースを上げるか。幸い、ここにいるのは揃いも揃って体力自慢ばかりだ。
「いや……待て、リュート」
気を取り直して歩き出そうとした俺を、ヴィンセントが止めた。
「それだけとは、思えないのだが」
「……どういうことだよ?」
ヴィンセントは、性格的にはいけ好かない奴だが、多分この中では本当の意味で一番の常識人だ(俺含めて)。また、その判断力は俺も高く評価している。
少なくとも、短慮なアルセリアや常識知らずのキアよりも、彼の言うことは当てになる。
「今まで道を間違えそうだったポイントや歩いた方角を考えると、いくら迷ったにしてもここへ戻ってくるというのは余りに不自然だ」
………言われてみれば、確かに。
一度通った所に戻って来たということは、どこかで完全に方角を間違えていることになる。が、しょっちゅう磁石を見ていれば普通気付くものだろう。
「……単なる道迷いじゃ、ない……?」
「エルフたちも言っていただろう、どうやってもヒルダの下へは辿り着けなかった…と。俺たちなどより遥かに森に精通しているはずの彼らが、自分たちのテリトリーで迷うなんてありえるか?」
「…ありえない……よな」
………と、言うことは。
「そう言えば、長さん変な事言ってたよね。辿り着けないのは精霊の力じゃないかとか何とか」
キアが思い出したように言う。
そう言えば、そんなこと言ってたっけ。あのときは、幻術か何かに惑わされたんだとばかり思ったけど……
幻術の気配、魔力の流れなんて、感じなかったぞ?
もしその精霊が侵入者を拒んで幻術を使う……自我の無い精霊が果たしてそんな真似をするかどうかはこの際置いといて……としても、何らかの魔力反応は必ず起こるはず。
この島だって、同じだ。
光学系幻惑術式の反応があったから、俺は気付くことが出来たわけで。
魔力反応を残さず他者に働きかけることが出来るなんて、そんな権能でもあるまいし…………
……………………。
…………………………………。
…………………………………………………。
「……おいリュート、どうした?」
いきなり黙り込んだ俺を訝しく思ったヴィンセントが、声を掛けてくる。
………いや、いやいやいやいやいや。ないよね。ありえないよね、そんなこと。
権能持ちがこんなところにいるだなんてこと、あるはずない……よね?
権能は、神にのみ赦された理への干渉権限を、限定的に他者に預けたもの。当然、それを付与出来るのは世界中探しても創造主と魔王のみ。
しかも、その力が力なので、おいそれと簡単に付与したりはしない。
神に認められたごく一部の高位体のみが持つ、超常の力。最も強い祝福。
俺だって、権能を与えるのは武王たちに対してのみだ(マウレ兄弟は唯一の例外)。言うなれば、それを持つことが武王たる証とも言える。
天使どもにしたって、五権天使…今は四天使か…しか権能を与えられていなかった。
しかも、創造主の消滅にしたがってそれは既に失われている。
だから、仮に、万が一、まずありえないことだが権能持ちがここにいたとして、それは俺の配下と言うことになる。
が、それは一番ありえないことだろう。
だって、あいつらがこんなところで俺を嵌めようとするはずがないし、そもそもそんなこと不可能だと分かってるだろうし、と言うか第一、連中は俺の力を使わずに地上界へ来ることなんて出来ない。
だから、武王たちが今回の件に関係してるなんてこと、絶対にない……と、思う。
………いや、フォルディクスあたりだと絶対と言い切れなくも……いやいやしかし、あいつの権能はこの手のタイプじゃないし……
「おい、さっきからどうした?顔色が悪いぞ?」
なおも返事をしない俺にしびれを切らして、ヴィンセントの口調がきつくなったのが分かった。
が、俺はちょっとそれどころじゃなかったりする。
……大丈夫だよね?俺、自分の臣下たちを信じていいよね?疑うなんて、それこそあいつらへの裏切りだよね!?
「………ギル」
ついついと、キアが俺の裾を引っ張った。
「何を気にしてるの?また自分一人で抱え込んでる?」
彼女の眼が、まっすぐに俺を射抜く。誤魔化しや言い逃れなんて許されそうにない眼差しだ。
その眼差しに負けて、一瞬、自分の中の懸念を話してしまおうかと思った。
が、それは出来ないと思い留まる。
魔界の問題に、彼女らを巻き込んではならない。
それは、最初から自分自身に固く誓っていたことで。
どれだけ俺たちが慣れ合おうと、魔族の中に彼女らに友好的な者が現れようと、そこだけはケジメをつけておかなければ。
魔界について、全ての責任は俺にある。
巻き込めば、少なからず彼女らにその一端を担わせてしまうことになる。
「んにーー」
何かを察したエルニャストが、とりなすように俺の肩からキアの腕の中へ移ると、喉をゴロゴロ言わせて頬を摺り寄せた。
……何かと気に喰わない絵面ではあるが、俺の意を汲んでくれたことも確かだ。
「………そっか」
エルニャストの言葉は分からないはずのキアだが、なんとなくそのあたりは察したようで、諦めたように溜息をついてから頷いた。
「……じゃあ、何も聞かない。ただ、これだけは言っとくけど……気になるなら、確かめてみればいいんじゃないかな?」
「いや、確かめろって言われても……」
簡単に言ってくれる。
俺たちを惑わす力の正体が分からない以上、対処しようがない。
そして、その正体を探ろうにも、方法が………
俺は、思わずヴィンセントを振り返っていた。
「………何だ?」
……こいつがいるからなーー。
そうじゃなきゃ、さくっと“霊脈”繋いで、ちゃちゃっとその精霊とやらの正体を探れるんだけどなーー。
なんか、上手い誤魔化し方ってないかなー。
俺の視線と考え込む素振りで、アルセリアは勘づいたのだろう。
俺の後頭部を、軽く小突いてきた。
「………おい」
「何グダグダ考え込んでるのよ、アンタらしくない……いや、アンタらしいっちゃらしいんだけど。……別にいいじゃない」
………?
いいじゃないって、何が?
「お前、何言って……」
「私思うんだけどさ、アンタはもう少し好きなようにしてもいいんじゃない?」
……いきなり、とんでもないことを言い出した。
自分が何を言っているのか分かってるのか?
俺が普通の人間……ただの補佐役でしかないのであれば、それはとても響きの良い台詞だ。
だが、こともあろうに、勇者が魔王に対して「好きなようにしろ」だなんて。
「て言うかさ、ムリして我慢に我慢を重ねて、それで突然大爆発起こされるより、そっちの方がずーーーっとマシなんですけど」
「誰が爆発なんて」
「心当たりないとは、言わせないわよ」
………う。
「そりゃ、やり過ぎはやめて欲しいけど、適度にガス抜きするくらいは大目に見たげる。アンタは考えすぎて身動き取れなくなるタイプなんだから、少しは考える前に行動してみなさいよ」
……アルセリアの奴、なんで俺のことを的確に言い当てるわけ?
こいつ、そこまで俺のこと分かってたっけ?
何かを確信しているような表情で、アルセリアは俺の背中を押す。
「だーいじょうぶ。アンタが、自分で正しいって思うことをするんだったら、ちゃんとこの勇者さまがフォローしてあげるから。グリード猊下だっているんだし、安心しなさい」
………アルセリアは、分かっているのだろうか。
彼女は、俺が正しいと思うことが自分自身にとっても正しいことなのだと、そう言ってることになる。
その中身が何であるか知らない時点で。
それは、要するに白紙委任みたいなものだろう。
………勇者のくせに、魔王を信じすぎなんだよ。
ヴィンセントの手前、口に出すことは出来なかった。
が、俺は彼女のお言葉に甘えさせてもらうことにする。
「……彼女のフォローを貴方が頼りにするって、どうかと思うけどね……」
呆れて苦笑しながらキアにツッコまれたりしたが、俺は気にしない。
どうせ俺は、ヘタレ魔王だからな。
自分は、考えすぎて動けなくなるタイプです。
石橋を叩いて渡るんじゃなくて、叩き壊す系。
なので、考える前に行動出来る人が羨ましいこと限りなしですが、多分周囲はそういう人に振り回されるんでしょうね……。




