第十九話 オカン、時々、魔王。
「お初にお目にかかります。私は、ルガイア=マウレ。西方諸国連合の盟主を務めさせていただいております」
「構わぬ、面を上げよ」
ここは、魔界の中心にして頂、支配者たる“魔王”の居城。
俺は、魔王城へと戻ってきていた。
俺がいるのは、玉座の間。離れたところに傅くのは、一人の魔族。
ことの発端は、様子見にと気楽に戻ってきたことだった。
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「陛下、お早いお戻りで」
俺の帰還が予想外に早かったことに内心の喜びを隠し切れず、ギーヴレイが出迎えてくれた。
だが、彼には言っておかないといけない。
「すまないな、ギーヴレイ。実はまだ向こうでやることが少し残っている。またすぐに戻るつもりだ」
その言葉に、しゅしゅしゅーん、という擬音語が聞こえてきてもおかしくない勢いで、ギーヴレイがしょげていった。
………ほんと、ゴメン…………。
これ以上この忠臣を傷付けないように、俺は慌てて付け足す。
「これからも、少なくない頻度でこちらへ戻ってくるつもりだ。心配するな」
それを聞いたギーヴレイは、ぱああー、という擬音語が聞こえてきてもおかしくない勢いで元気を取り戻した。
…………なんだろう、すごく悪いことをしているような気がしてきた…………。
地上界を訪れて丸二日たち、勇者たちも順調に回復していることを確認した俺は、様子見のために魔界に一時帰国することにした。
無茶無謀は織り込み済み、の勇者たち。まだまだ目を離すのは心配だが、魔界をほっぽり出したままというのは、それはそれで気掛かり過ぎる。
俺は勇者の保護者でも補佐役でもなく、…半分くらいそうなっていることは否めないが…魔界の王なのだ。
勇者たちと別れてからも、しばらく地上界を旅するつもりだ。ある程度の期間を想定しているので、こうしてちょくちょく魔界に戻ってこようと思っている。
何しろ、執務のほとんどをギーヴレイに押しつけ…もとい、任せてはいるのだが、流石に俺が一度は目を通さないといけないような案件は少なくないのだ。
三人娘には、絶対に無茶をしないように、具体的に言うと、回復してきたからといって安易にヒュドラ退治に向かわないように、としつこいくらいに言い聞かせてきた。
さらに今日の分として、朝食に野菜たっぷりのミルクスープを、昼食にじゃがいもとほうれん草のキッシュを作っておいてきた。夕飯までには戻るつもりだ、と言ったら、今日は魚介類が食べたい、とのご所望を受けた。
仕方ないので、魔界から帰るついでに、どこか沿岸部に寄って新鮮な魚介類を調達してくるとしよう。
「それで、ギーヴレイよ。我がいぬ間、問題はなかったか?」
今は魔界のことに集中。俺はあいつらのオカンじゃないんだからな。
「は。問題…というわけではございませんが、マウレ卿より拝謁の情願がありました」
「マウレ卿……確か、西方諸国連合の現盟主…だったか?」
「左様にございます。エルネ=マウレ殿の直系の末裔です」
西方諸国連合。
二千年前、魔界統一を果たした時点で、魔界の全ては一応は俺の支配下に入る形となっていた。だが、広大な魔界の全てを直接統治するのは難しい。いくつかの国の集まりは、秩序維持に利用できると、そのまま半分くらい自治権を黙認していた。
それでも、俺のいたころの西方諸国連合の盟主、エルネ=マウレは、分をわきまえている輩だった。魔王がとやかく介入してこなくても、大きな決定の際は必ずこちらの了承を求めてきていたし、何かにつけ魔王を立てることを忘れなかった。
それは忠誠心と言うよりもむしろ処世術だったのだろうが、結果として向こうは既得権益の保全を、こちらは面子と楽チンな支配体制を得ていたので、まあWIN-WINといったところ。
しかしてその子孫であるルガイア=マウレはと言うと…
「確か、妙な動きを見せている…とか言っていたな?」
そう、俺がエクスフィアに復活したその日、確かにギーヴレイからそう報告を受けていた。
「はい。ここのところ、卿の領地内で術士と商隊の動きが活発化しておりまして」
それだけならば、特に気に留める必要はないのかもしれない。単純に軍事と経済に力を入れるだけのつもりだと考えられ………
ん?それは、まずいのか?
経済基盤の強化と、軍事力強化?
…………それって……
「今のところ、謀反を謀るほどの規模ではございませんが、念のため間者を貼り付けてあります」
俺が考え付くことくらい、ギーヴレイはとっくに考えてさらに実行に移している。流石だ。こいつがいなければ、俺はこんな呑気に地上界観光なんてしていられなかっただろう。
「なるほど。そして、そのマウレ卿が、我に面会を求めてきている……と」
「いかがなさいますか?」
どうするかと聞かれても、答えは一つしかない。
「分かった。今すぐにマウレ卿をここへ連れてこい」
卿が今どこにいるのかは知らないが、俺は今日の夕方までには地上界に戻らないといけないのだ。このくらいの無茶は、ガマンしてもらう。
王へ面会を求めているのだ、当然、呼び出されたらすぐに参内出来る場所にいるものだろう。
「御意。ただちに招請いたします」
そして俺は、マウレ卿と初対面を果たしたのだ。
面を上げろと言われた直後、マウレ卿は躊躇いなく顔を上げた。俺の直属の臣下たちとは違い、まっすぐにこちらに視線を合わせてくる。
その眼差しは、たとえ服従の形を取ってはいても盟主である誇りは売り渡さないという意思表明だと、俺はそう受け止めた。
「魔王陛下におかれましては、ご機嫌麗しゅう…」
「前書きはいい。我に申したいことがあるのではないか?」
復活した魔王に拝謁を求める。これ自体は別に不自然でもなんでもないし、ご機嫌伺いに馳せ参じる魔族たちはそれこそ星の数ほどいた。
特にゴズレウル一派を殲滅した直後は、次は我が身かと恐れをなした魔界中の有力者が慌てて謁見の間に押しかけたものだ。
だが、マウレ卿はそうじゃないと、一目で分かった。
これは、恭順の意を示している表情ではない。
今まで俺が接してきていた魔族たちは、そう言われてすぐに自分の意見を言うことがなかった。大抵、戸惑うか恐れ入るか固辞するか。こちらが、怒らないから言ってごらん的な表現で促してようやく、思うところを口に出来ていた、のだが。
マウレ卿は、違った。
彼は、何の躊躇もなく
「恐れながら、陛下にどうしてもお伺いしたいことがございます」
全然恐れ入っていない様子で、切り出した。
「陛下は、地上界、天界への干渉を禁じられました。それは、何故にございますか」
おおう、直球だ。
「さらに、身の程知らずにも魔界へと侵攻した廉族共も野放しにしたとか。是非とも、納得のいくお答えを頂戴したく存じます」
「マウレ卿、陛下に対し不敬ですぞ!」
卿の言い方に、ギーヴレイが激昂する。だが、
「ギーヴレイ将軍。貴方は、疑問を抱かれなかったのですか?」
そう言い返されて、続く言葉に詰まる。
ちらり、と見やると、バツの悪そうな顔。まあ、ギーヴレイ自身も俺の決定にめずらしく疑問を呈していたから、他人のことをとやかく言えないんだろうな。
「何故と申すか。ならば答えよう。理由がないからだ」
端的な俺の答えに、マウレ卿は初めて表情を崩す。
「理由が、ない…?それはどういう…?」
「そのままの意味だ」
俺がにべもなく言い放つと、なおも食い下がってきた。
「恐れながら、我らは魔族にございます。そして御身は魔王陛下。地上界を征服する理由など、それ以外に必要だと仰るのですか!?」
それが、魔族の常識なのだろう。
創世神に見棄てられ、見放され。まるで最初からなかったものであるかのように、加護も恩恵も受けられず。
嫉妬と憎悪で、天界と地上界の存在そのものを拒絶するようになってしまった魔族にとって、それを滅ぼすことは、長きにわたる宿願。
せっかく魔王が復活したというのに、あっさりとそれを覆されたことに不満を抱くのは、仕方のないことだ。
だが、こちらにだって言い分はあるのだ。
「それは一体、誰の決めた道理だ?」
俺の問いかけに、マウレ卿は硬直する。問いかけの内容のせいではなく、俺の冷たい視線を浴びて。
「年端のゆかぬ貴様らは知らぬこととは思うが、そもそも天界と地上界、そしてこの魔界は、決して相反する存在ではない」
「それは、どういうことでございますか!?」
「ただ、在り様が違ってしまっただけだ。不運な出来事…などと、貴様らには受け入れがたいかもしれないが、それは事実だ」
エルリアーシェは、別に魔族を嫌っていたわけではない。ただ、天界と地上界に目を向けすぎて、陰でその光を待ち続けていた者たちに、気付けなかっただけなのだ。
それを、創世神の罪だと言ってしまえばそれまでの話。だが、それならば、そんなこととは露知らず眠り続けていた俺だって同罪だ。
だから、俺は創世神の代わりに、彼女が出来なかったことをしなくてはならない。
魔族たちに、加護と恩恵を。安寧と繁栄を。
「尤も、かつては我も天界・地上界を手中に収めんとしたことは事実。それをもって貴様らが思い違えてしまったのならば、それは詫びよう」
臣下たちに焚き付けられるように決めた地上界侵攻ではあったが、俺自身、あの頃はそれを望んでいた。
いや、自分が本当に望んでいたものに、気付いていなかっただけか。
それが何のかようやく分かった今、少なくとも俺に、地上を征服する理由はない。
「特段の理由なく、魔族だから廉族を滅ぼす、というのが貴様の言う魔族の本分であるなら、そしてそれゆえに我に従えぬと言うのなら、好きにするがいい」
俺の衝撃発言に、驚いたのはマウレ卿だけではなく。
「へ、陛下!何を仰せられますか!?」
普段ならこんな不躾な真似は決してしないギーヴレイが、思わず割り込んできた。
そりゃそうだ。西方諸国は、魔界の中でも最大の一派。そこに、完全自治を認めるかのような発言は、看過できるものではないだろう。
だが。
「控えよ、ギーヴレイ」
その一言で、ギーヴレイは引き下がる。マウレ卿はと言えば、どう答えていいのやら考えあぐねているようだ。
可哀想だが、ここはきちんと締めておく必要がある。
「マウレ卿よ、貴様は先ほど、納得のいく答えを求める、と言ったな?」
一段と声に覇気と冷気を込め、俺は眼下のマウレ卿を睥睨する。卿の中で、自尊心と恐怖心がせめぎ合うのが見て取れた。
「………思い上がるな」
その一言で、恐怖心の方が競り勝ったようだ。
「も、申し訳ございません!!」
最初の威勢はどこへやら、マウレ卿は額を床に押し付けて平伏した。
この辺で許してやりたい気もするが、相手の立場とこちらの立場を考えると、そうもいかない。
「なぜ我が、貴様の理解を得る必要がある?貴様らが、我を理解し、納得出来るように努めよ。それが出来ぬと言うのであれば、己の意のままになる者を主に据えるがよい」
だが、マウレ卿も伊達に西方諸国連合の盟主を務めているわけではないようで、
「それは……我らの独立を容認していただける、ということでございますか?」
転んでも只では起きない、とばかりに言質を取りに来る。
だが、魔王を甘く見てもらっては困るな。
俺は、敢えて一呼吸置いた。沈黙を訝しく思ったマウレ卿が思わず頭を上げたタイミングで、冷たい微笑と共に、
「さて。それは、貴様らの出方次第…であろうな」
「…………!」
これで彼は理解しただろう。
俺の言葉の意味するところ。それは、
独立するなら構わないけど、滅ぼすからね。
ということに他ならないと。
自身の置かれた立場、そして俺の意図を察したマウレ卿は、再び平伏。
「これまでの無礼、どうかお許しください。我ら西方諸国は、陛下に絶対かつ永遠の忠誠をお誓いいたします」
声からすると、完全に承服したわけではなさそうだったが、これ以上食い下がっても無駄だと判断したのだろう。
「ご用命あらば、お呼びください。即座に馳せ参じる所存にございます」
「うむ。貴様の忠義、確かに受け取った。…話はそれだけか?」
正直、これ以上無理難題を持ち込まれると、俺が限界だ。
「は。左様にございます」
「ならば下がるがよい」
その言葉を受けたマウレ卿から滲み出ていたのは、間違いなく安堵。魔王の不興を買いかねない状況での謁見は、魔族にとって拷問のようなものだ。
これ以上状況が悪化しないうちに、とそそくさと退散するマウレ卿が扉の向こうへ消えて、俺もまた安堵の溜息を一つ。
あーもう。こういうの、ほんっと疲れる。
昔は、少しでも歯向かってきた者は有無を言わさず手打ちにしていたので、こんな苦労はなかったのだ。
つくづく、恐怖政治の独裁ってのは楽なものだと、そしてあの頃の自分はそれに甘えていたのだと、我が身の来し方に反省。
「ギーヴレイよ、どう思う?」
「そうですね…これでマウレ卿も、陛下のご威光を目の当たりにしましたし、しばらくは表立っての動きは控えるでしょう」
………んん?表立って…は?
あれ、もしかして俺、失敗した…かも?
マウレ卿が本当に俺に恭順するのであればこれで何の問題もないのだが、そうじゃない(と思われる)以上、妙な企みは抱いたままだろう。
………もうちょっと、泳がせるべきだった…だろうか。或いは、彼の領地内での妙な動きに対して探りを入れるべき…だった?
あれ?あれれ?
考えれば考えるほど、下手打った気がしてならない。
しまった。冷や汗を隠しつつ、ギーヴレイに視線を移すと、
「それにしても、流石は陛下にございます。あのマウレ卿に一縷の反論すら許さないとは」
……なんだかご満悦だ。
「後のことは、このギーヴレイにお任せください。卿にわずかでも陛下に対する不敬が見られれば、即座に処断いたします」
ギーヴレイからすると、俺は彼を信頼し敢えてこういう方向へ話を持っていった、ということになるらしい。
「う、うむ。だがギーヴレイ、早計な真似は控えよ。急があれば、必ず真っ先に我に伝えるのだ」
そう言うと俺は、ギーヴレイに掌より少し小振りの宝珠を差し出す。
「これを破壊すれば、我に伝わる。それを感知し次第、我は即座に帰還する。行動に移すのは、我の沙汰を待て」
「御意にございます」
恭しく宝珠を受け取ると、ギーヴレイは深く腰を折った。
実のところ、空間の断絶を超えて意思の遣り取りをするのは並大抵のことではない。俺ですら、自分から魔界への一方通行で声を届けることしか出来ないのだ。
まして、ギーヴレイの方から俺へ連絡するのは、彼の魔力をもってしても不可能。
今渡した宝珠は、念話用の魔導具ではない。“星霊核”と俺との間の糸のうち、ほんの一部を具現化したものだ。
これを破壊すれば、たとえ地上界にいて“星霊核”と接続を断っている状態でも、察知くらいは出来る。
実を言うと、宝珠を使うと“魔王”の力の一端……ほんの一滴程度だが……を流用することが出来る。従って、下手な相手には渡せないものなのだが、そこのところ、ギーヴレイなら心配無用。
緊急事態が起こったら破壊して俺に伝えろ、と命令した以上、それ以外の用途で使うことは、彼に限っては絶対に有り得ない。
そして思う。こうやって、何の疑問も心配もなく全てを委ねてしまえる相手がいるというのは、実に幸運なことではあるのだが、それに甘え切ってしまっている自分がいることも確かで。
「…………いつもすまんな」
思わず、ぽつりと漏らした一言に、ギーヴレイは仰天する。
「陛下?何を仰せですか!」
「ああ…いや、考えてみれば、二千年前から今に至るまで、お前には随分と苦労をかけ続けてきたと思ってな。それでも変わらず忠義を尽くしてくれるお前の存在は、我には勿体ないくらいだ」
俺は今まで、彼らのその忠義に応えてやれていただろうか。真正面から、向き合っていただろうか。
自分の後を無邪気に付いてくる彼らに背を向けて、自分の思うように勝手気ままに過ごしてきたのではないか。
そう思い、正直な自分の気持ちを口にしただけのことなのだが……
「……ギーヴレイよ、どうした?」
どうしたもこうしたも、見れば分かる。ギーヴレイは、その端正な顔をくしゃくしゃに歪めて、両の眼から滝の様な涙を流れるままにしていた。
「陛下……勿体ないお言葉にございます。ですが陛下、この私めの望みはただ、陛下のお役に立つことのみ。どうか、そのようなことを仰らないでください……陛下が僕たる私に謝意を示されるなど、あってはなりません……」
言いながらも感激に身を震わせている。
んもー、素直じゃないなぁ。
「そうか…ならばこれからは控えよう。だが、お前たちが得難い臣下であることは私の喜びであり、誇りだ。そのことは忘れるな」
「は!有難き幸せ!!」
いくら喜びのためとは言え、これ以上臣下を泣かせるのは忍びない。俺はこの話はここで打ち切って、以降は溜まった雑務に専念することにしたのだった。
因みに、俺の決済が必要な書類の山が、処理しやすいようにギーヴレイの手によってきっちりと整理、分類されていたのは、言うまでもない。




