第二百一話 魔王、無茶振りされる。
寄港地であるアイラ島は、ちょうどスツーヴァとケルセーを結ぶ航路の中間地点にあった。
かつては観光で賑わっていたそうだが、綺麗な海と豊かな自然を持つという恵まれた境遇に胡坐をかいて殿様商売を続けていた結果、この次の寄港地でもあるワテル島に観光客を持っていかれてしまった、不憫な島である。
今の主産業は、漁業。それから、航路の中継地点として物資補給の役割も担っているので、観光が廃れたからと言ってその重要性は変わらない。
「へぇ。位置的にもう少し涼しいかと思ってたけど、案外暖かいんだね」
「ほんとだ。このくらいが過ごしやすいかも」
どうやらここの気候は、「涼しいのと暖かいのが好き」なアルセリアのお眼鏡に適ったようだ。
多分、潮流の関係だろう。
南からの暖流がこの近くを流れているため、緯度ほどに寒冷ではないのだ。
「それじゃ、ここから西へ行く方法を探るか」
俺たちの目的地はアイラ島ではない。ここからオラージュ海域に行くことが出来なければ何の意味もないのだ。
正規の航路は存在しない。
しかし、だからと言って航行が禁止されているわけではないのだから、個人で船を出している人はいないんだろうか?
誰も近付かないということは、漁場として魅力的である。魚影は濃いし、魚はスレてないし、商売敵もいない。
ならば、多少の危険には目を瞑り、近辺で漁をしている船だっているかもしれないよな。
そう思って漁協で訊いてみたんだが、残念なことに漁協に加盟している漁師たちでそこを狩場にしている者はいないとのことだった。
どうやら、俺たちの想像以上に危険な海域らしい。というのも、
「…ああ、ダメだダメだ。あそこにゃ化け物が棲み付いとる。そいつから逃げ回りながら岩礁をすり抜けるなんざ、伝説の船乗りキャプテン・グロックだって不可能じゃ」
……キャプテン・グロックって誰だろう?
知ってて当然、みたいな顔してるから、いちいち聞くのも悪いかな。
「……化け物…ですか…」
あ、アルセリアの考えてること分かった。
絶対、だったら退治しちゃえばいいじゃんって、思ってる。
「退治してしまえば、問題ないってことですよね?」
……ほら、やっぱり。
アルセリアの質問に、漁協長は目を丸くした。
「何を言っとるんだ娘さん。海でアレに敵うものなんざ、いるはずがない。トップクラスの遊撃士だって、海の上じゃ難しいだろうて」
「そんなに強いんですか?」
アルセリア、ちょっとスイッチ入ってるっぽい。考えてみたら最近、魔獣退治から遠ざかっていた。
……もしかして、ストレス溜まってる…?
「強いと言うか……ヤツは海を自在に動き回るからの。船の上からでは、潜られては攻撃が届かんし、さりとて海に入ったら最後、あっという間に食われて終わりじゃ。この間も、隣の寄港地近くに出没したらしい」
「え、そうなんですか?」
「おう。相当な被害が出たって話じゃよ。…奴が陸近くに出ることは滅多にないんじゃがな……もしかすると、活発に動き回る時季なのかもしれん。悪いことは言わんから、オラージュ海域に行くなんて無茶はやめなさい」
………遣り取りを聞いていて、ふと思った。
「あのさ、爺さん。その化け物って………もしかして、クラーケンだったりする?」
「おお若いの、知っておったか。そのとおりじゃ」
………クラーケンって。
「…あれ?そう言えば、行きに出たヤツはやたらとヒルダに懐いてたわよね」
「で、お前は毛嫌いしてたよな」
「だって、ぐにょぐにょしてて気持ち悪いんだもの」
心当たりありまくりの、俺たちであった。
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「だったらさ、自分たちで船を出しちゃえばいいじゃない」
呑気に言ってくれたのは、勿論だが、我らが単細胞勇者アルセリア=セルデン。
いやいや、内海でプレジャーボート出すんじゃないんだから。外洋だよ外洋?
しかもあるかどうかも分からない島を探して岩礁地帯を……って、海図の読み方も知らない俺たち素人じゃ、ムリな話だろ。
出没するモンスターがクラーケンだと知って、俺たちの懸念は一つ消えた。
そいつが、ヒルダに懐きまくっていた個体ならば俺たちのことも敵視してはいなかったし(クラーケンは案外知能が高い。多分覚えていてくれるだろう)、仮に違う個体であっても…或いは、同じ個体でも俺たちのことをド忘れして襲ってきたとしても、まあ、問題はない。
確かに、海上で水生魔獣と戦うのは、一般には自殺行為に近い。
何しろ、こっちは陸上生物。海に落ちれば呼吸もままならない上、水中での動きは圧倒的に相手に軍配が上がる。
しかしながら……
神格武装を手にした勇者と、魔王と、その従者のパーティーである(すっごい字面だ)。
それこそリヴァイアサンとかなら厄介かもしれないが、クラーケン程度に手こずることはない。
と言うことで、安心して船を出してくれる人を探そうと思う俺たちだったが。
「はぁ?オラージュ海域?ムリムリ。あんなところに船出す馬鹿はいねーよ」
「なんだってまたそんなとこに?物見遊山で行く場所じゃない」
「アンタらは、自分らの好奇心で船乗りを地獄へ道連れにしようってのかい?」
「こっちは遊びで船乗りしてるんじゃないんだ。冷やかしなら余所に行ってくれ」
……などなど、思いっきり拒否反応を見せられてしまったのである。
結局、船を出してくれる漁師は見当たらず、しびれを切らした勇者による冒頭の台詞と相成るわけで。
「レンタルボートとか、あるんじゃないの?漁業の島なんだからさ、釣り人だって来るだろうし」
「で、ボートだけ借りてどうすんだよ。俺たちは素人だぞ?」
「だって誰も付いてきてくれないんじゃ、仕方ないじゃない」
……だからってどうしてそういう考えになるんだよ。
何にも考えていないくせに勢いで行動した挙句、にっちもさっちもいかなくなったら全部こっちに押し付けるに違いない。アルセリアはそういう奴だ。
しかしながら、説得しようにも代替案がない限りこいつは納得しなさそう。さてどうするか……
……ん?あれ、そういやキアはどこ行った?いつの間にか姿が………
「お待たせー。話つけてきたよん」
キョロキョロしていると、なんだか妙なテンションでキアが戻って来た。
「…って、どこ行ってたんだよ?」
「どこって……自分たちで船漕いでくんでしょ?だから、漁師の人に使ってない船借りてきた」
……なんですとー?
昔からそうだが、キアの行動が早すぎて怖い。
しかも、使ってないものを借りるスキルが高すぎるんじゃなかろうか。
……あと、さ。気になる点が一つ………
「…………あのさ、キア」
「ん、何?」
「………漕いで…って、言った……?」
とっても嫌な予感。
「うん、言ったよ」
悪びれずに答えるキア。俺が何を危惧しているのか、分かっていない。
そう、彼女が借りてきた船というのが。
「……………………」
「ねぇ、これ少し窮屈じゃない?」
「そうかな?エルにゃんは場所取らないし、実質三人で使うんだからいいでしょ」
「…んにゃー」
「……………………」
「そうだけど…途中で雨とか降って来ても屋根もないから濡れちゃうし」
「それは贅沢だよアルシー。どのみち海なんだから濡れるよ?それに、ここしばらくは天候も安定してるって、漁師のおっちゃん言ってたし」
「…んにゃにゃ」
「……………………」
「ふぅん、そっか。まあ、乗れればいいけどね」
「そうそう。重要なのは航海という本来の目的を達成できるかどうか、なんだからさ」
「……んにゃ…にゃ?」
……いやいやいやいや、ちょっと待って、待ってくれ。
君たち言ってることおかしいよね?おかしいことに気付いてないってのもおかしいよね?
俺たちの目の前、堤防に係留されてる船。
……………どう見ても、レジャー用の手漕ぎボートじゃん!!
遊園地とかで、カップルが乗るようなやつ!東山公園で乗ると破局するとかいうジンクスがあったりなかったりするやつ!
彼氏が、彼女にちょっといいとこ見せようと張り切って格好悪いとこ見せちゃったりするやつ!
絶対、海に…しかも外洋の、潮流が激しくてプロの船乗りですらお手上げの海域で使うような船じゃない!!
「あのさキア。……これ、手漕ぎだよね?」
「だからさっきからそう言ってるじゃないか。ボケるには早いよギル」
……いっそボケさせてほしい。
「…で、誰が漕ぐわけ?」
俺の問いに、少女二人は一瞬沈黙する。
沈黙して互いに顔を見合わせて、それから同時に。
『そんなの、ギル/リュート に決まってるじゃない』
どうせそんなことだろうと想像していたとおりの答えが返って来た。
「あのな、いくらなんでもムリだっつの。手漕ぎで外洋に繰り出せって?自殺行為じゃねーか。しかもこの中で海図が読めるヤツいるわけ?ちゃんと座礁しないように流されないようにナビゲート出来るの?言っとくけど船漕ぎながら俺そんなこと出来ないからな。つーか海図なんて読めるわけないっつの」
溜まり溜まった鬱憤を晴らすかの如く一気にまくし立てさせてもらったのだが。
……二人+一匹の、俺を見る眼差しのなんと冷たいことよ。
「ギル、出来ないことを並べ立てるだけって、格好悪いと思う…」
「グダグダ文句ばっか言わないでよね。こんなしょっぱい魔王が宿敵だとか、情けなくて涙が出てくるわ」
「にゃにゃにゃーにゃ、にゃにゃ。んにゃ」
この場の空気は、完全に俺が一方的に悪いという方向に流れていた。
「アンタ一人の我儘で私たちを振り回さないでよね」
………俺、泣いてもいいかな…?
もう、抵抗するのも反論するのも常識を説くのも面倒臭くなってきた。
考えてみれば、アルセリアに常識が通用しないのも、キアには常識なんて概念が通用しないのも、最初から分かってたんだった。
もう、こいつらを制御しきれなかった自分の落ち度ということで、諦めるしかない…か。
「んにゃ、なーお」
唯一、辛うじて常識人と言えなくもないエルニャストが慰めてくれたりするが、猫の手なんて実際には何の役にも立たない。
エルネストに戻して船を漕がせようとも思ったが、この流れでそれは非常に格好悪い。
あーあ。もう、知-らないっと。どうなっても知らないからな。遭難しても転覆しても責任は負わん!
こうなったら、少しばかりズルさせてもらうことにしよっかな。
いいよね?こいつらが常識知らずなんだから、俺一人が常識に囚われなくっても、いいよね?
「……まあ、スワンボートでないだけまだマシってところかーー」
「え、ギル、スワンボートの方が良かった?じゃ、そっちにしようか?」
………あるのかよ、スワン。
東山公園のジンクスは地元では有名なやつです。
けど、聞いたのは随分前だから、今も健在なのかな……?
因みに、自分は風の強い日に無理して乗って、流されました(笑)あやうく受付のおっちゃんに救出されるところを、なんとか自力で戻りましたけど。




