第百九十九話 誇り高き彼女の意地
若手神官たちの詰所。
ルーディア聖教では、教会内は自給自足である。さらに、あらゆる雑事も全て神官たちが行う。
炊事洗濯掃除、屋根壁の修理、雑草処理、畑や家畜の世話、観光客の案内に至るまで。
当然、高位神官たちがそのような雑用をするはずがない。自然、若手の下っ端たちがそれら全てを担っていた。
そんな若い修道僧たちの憩いの一時は、詰所での仲間内での団欒。厳しい戒律も神の眼も、ここには届かない。
「本当かい、ブラザー・レジナルド。ベアトリクス司教と言ったら、聖央教会の次期大司教と噂されてる方じゃないか」
有名人に会えて浮かれているレジナルドを、仲間の修道僧がさらに煽る。
「あの、グリード猊下の後見があるんだろ?しかも勇者さま一行として魔王討伐の任についてるって…」
「どんな方だった?」
「俺たちとそう年は離れてないんだろ?」
口々に聞き出そうとする仲間たちに辟易しながらも、レジナルドはまんざらでもない。
「いやー、とっても優雅な方だったよ。優しそうで、綺麗で。なんか、聖母って感じかなぁ」
などと、にやけながら語る。
しかし。
「……あのさ、お前ら。あんまり、その人の話題は出さない方がいいと思う……ここではな」
冴えない表情の若者が、そんな彼らに水を差した。
「……え?なんでだよ、ブラザー・セシリオ。勇者さまの随行者ってったら、英雄じゃん」
首を傾げる他の面々だが、ブラザー・セシリオは冴えない表情のままで続ける。
「…俺も、理由とか詳しいことは知らないんだけどさ。……あの人、うちの上層部からかなり睨まれてるみたいなんだよ」
ブラザー・セシリオはエスティント教会最大の後援である伯爵家の末っ子で、そのせいか地位に似合わない優遇を受けていたりやたらと情報通だったりするのだが、そんな彼の言うことなので無下にすることも出来ず、他のブラザーたちは互いに顔を見合わせた。
「…睨まれてるって……でも、あの方は聖央教会の所属だよね?うちとはそんなに仲が悪いわけじゃないと思うけど……」
「だから詳しくは知らないよ。って言うか、多分知らない方が身の為な感じがするんだよ彼女のことは。ただ仲が悪いとか、派閥争いだとか、そういうんじゃなさそうな………ここで神官を続けたいんだったら、彼女のことにはもう触れない方がいいと思う」
漠然とした警告ではあったが、陰気臭いブラザー・セシリオの表情と声につられるように、レジナルドたちも神妙な顔で頷くのだった。
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「……それで、わざわざ勇者さまと別行動してまで、どういった用向きなのかな?」
ここを出て以来、一度も帰郷したことがないのに…という一文は、決して口にしない枢機卿。
けれども、気まぐれや、まして望郷の念が募って彼女が里帰りしたとは、決して考えられなかった。
「……単刀直入にお願いいたします。“聖母の腕”を、お譲りください」
「……………………」
ベアトリクスの頼みに、間違いなくアスターは驚愕した。が、それが表に出る寸前で踏みとどまれるあたり、やはり彼は人の上に立つ者なのだと、彼女は思う。
……そうあらなければならない弟の苦労も、無視することは出来ない。
「……ベアトリクス=ブレア。君は、自分が何を言っているのか分かっているのかい?」
極力感情を抑えながら、アスターは問う。
「勿論です。伊達や酔狂でこんなことをお願いしたりはしません」
ベアトリクスは、まっすぐにアスターを見据えて言う。
その表情も、落ち着き払った態度も、彼女の本気を物語っていた。
「……仮にそうだったとしても、貴女の決意が真剣なものでも、はいそうですかと僕が頷くわけにはいかない…ということも?」
「ええ、承知しております」
しばらくの間、他人行儀な姉弟は無言のまま見つめ合っていた。
やがて、
「……理由を、聞いてもいいかい?」
「お話するまでもなく、ご理解いただけると思っておりますが」
「………そうだね、貴女は、“神託の勇者”の随行者。魔王征伐を聖教会から託された、「選ばれし者」だったね」
ベアトリクスが、エスティント教会の秘宝を求める理由。
それは魔王を斃すための力を求めてのことだと、アスターは判断した。
当のベアトリクスに、そのつもりが全くさらさら無いことには、気付いていない。
しかし彼女もまた、そのことを敢えて言うつもりはなかった。
魔王討伐という大義名分があれば、アスターとて彼女の頼みを一笑に付すことは出来ないはず。
それでも、快諾してもらえるとは思っていない。
“聖母の腕”。
それは、遥か古の時代からルーディア聖教に伝わる、神授の秘宝である。
味方に大いなる祝福を、敵に恐ろしい災いをもたらすというそれは、使い手が限られていることもあり、普段は厳重に大聖堂の奥深くに封じられている。
ルーディア聖教の中でも最も歴史の浅いエスティント教会がなぜそれを有しているのか、ベアトリクスは知らない。
おそらく、自分たちの両親が絡んでいるのだろうとは想像しているが……正直、そこの経緯に関しては興味がなかった。
重要なのは、その大いなる祝福の力を得ることのみ。
「知ってはいると思うけど、あれは誰にでも使える代物ではない」
「そのようですね」
脅かすようなアスターの言葉にも、ベアトリクスは涼しい顔だ。
余程の自信があるのか、あるいは覚悟が深いのか、アスターは判断しかねる。
「……どうして今さら、という感が強いのだけども……何か、心境の変化でも?」
「……と、仰いますと?」
「あの補佐役…ええと、リュート君…だったか。彼はこのことについて何か言っていたかい?」
唐突に出てきたリュートの名に、ベアトリクスは警戒する。
「何故そこで、彼の名が出てくるのでしょうか」
リュートの正体については、アスターが知る由もない。
だが、ディートア共和国の一件で、彼がただの補佐役ではないと勘づかれた可能性はある。
補佐役でありながら、勇者たちにへつらうことなく、時に主導権を握り、そして勇者たちもそれを咎めようとしなかった。
それだけのことではあるが、今まで彼女らに付いてはすぐにクビになっていた他の補佐役たちと比べると、扱いに大きな差がある。
遠く離れた地からでも、“神託の勇者”の動向はある程度把握しているのだろう。枢機卿ならば、不可能なことではない。
「いや、君たちにとって、彼はどういう存在なのか…とね。グリード猊下も彼のことを随分と高く評価しているみたいだし」
その一言で、アスターがリュートを警戒していることが分かった。
ルーディア聖教きっての切れ者であり、次期教皇と噂される枢機卿筆頭、グリード=ハイデマン。
その彼に高評価を受け、大切な“神託の勇者”を任されている人物となれば、それはグリードの代理人と言っても差し支えはない。
“七翼の騎士”であるという事実以上に、グリードとの個人的な繋がりがリュートの立場を際立たせていた。
「彼から何か入れ知恵でもあったのかな?」
「まさか。リュートさんは、“聖母の腕”に関してはその存在すら知りませんよ」
仮に知っていたとしても、彼ならば違う方法で同等の力をベアトリクスに与えることすら可能だろう。
しかし、ベアトリクスはそうなることを避けたかった。
魔王を警戒しているわけではない。
彼女は、自分の直感で、リュートが自分たちの敵にはなり得ないと信じている。
だが、敵とか味方とか以前に、彼に頼りたくはなかった。
アルセリアはいい。
彼女は、創世神の意思を継ぐ者。そこに魔王は、特別な想いを抱いている。
リュート自身気付いていないようだが、彼のアルセリアへの態度は、ベアトリクスやヒルダに対するものとは明らかに違っている。
ヒルダに関しては、彼の前世の習性が働いていることは事実。だが、それを除けばヒルダもベアトリクスも、彼にとっては「勇者の同志」でしかない。
彼が自分たちに強く出られないのも、自分たちに気を配るのも、結局はそれが理由だ。
共に旅を続ける間に、それ以上の絆が生まれることもある…或いはもう生まれ始めているかもしれない…とは思うが、アルセリアと自分たちでは、スタート地点が違う。
だからこそ、彼に頼らず自分の力で強くなり、その点を以て彼に認めてもらいたい…と思う。
自分でも、なぜそこまで意地になっているのかが分からないが、いつまでも「アルセリアのおまけ」ではいたくなかった。
そう、これは意地だ。自分一人が拘っている、ただのつまらない意地。
今までの自分ならば、そんな非合理的な判断はしない。
勇者のおまけだろうが何だろうが、魔王が自分たちに加護と庇護を与えるのならば好都合。言わば、最強の盾。労せずしてそれを手に入れられるのだから、何を悩むことがあろう。
今も、そう考えている自分がいることも確かだ。
最小の労力で最大の結果を得ることは、貶されることではない。それこそが知恵だ。くだらない意地なんかよりも、ずっと重要なこと。
それなのに敢えてその道を進もうとする自分は、やはり直情勇者の影響を受けているのか、或いはお人好し魔王に毒されたのか。
なんにせよ、彼女は自分の意地を貫き通すために、ここへ来たのだ。
今回、ベアトリクスとヒルダの視点なわけですが、こうしてみるとそれぞれの考えとかリュートに対する感情、立ち位置とかが意外に皆バラバラなんだなーと思ってみたり。
特にベアトリクスは自分の感情を剥き出しにすることがあまりないので、新鮮な感じです。




