第百九十四話 二人の決意
魔王が魔界で人材確保に尽力しているその頃。
神託の勇者とその随行者は、最北の地スツーヴァで補佐役の帰りを待っていた。
勿論、ただ待っていただけではない。勇者アルセリアは、新たに所有することになった神格武装、“焔の福音”ことクォルスフィアと馴染むために一日の大半を鍛錬に費やしていた。
彼女がそのための場所として選んだのは、クォルスフィアが眠り続けていた洞窟の、氷晶に閉ざされた部屋。
部屋中を覆い尽くす、光を放つ不思議な水晶は、魔王の力により生み出された白銀水晶。魔力を含めたあらゆる力を吸収し閉じ込める性質を持っている。
そのおかげで、どれだけ全力で剣を振り回そうが、周囲に一切の被害を与えることがない。心置きなく鍛錬出来るということで、アルセリアは日がな一日ここに籠っている。
その日も、キアを手に精神統一の真っ最中。
下段の構えで、制止している。“焔の福音”は、それほど大振りの剣ではないが(規格としてはバスタードソードに分類される)、その密度は見た目以上で、両手剣か戦斧に匹敵する膂力を必要とする。
だが、アルセリアは微動だにせずに一時間以上こうしていた。
そうやって、アルセリアとクォルスフィアは、会話によらない意思疎通を続けている。
意識の拡散が限界に達したところで、アルセリアは剣を下ろして一息ついた。
そしてそのタイミングで、
「アルシー、……少し、いいですか?」
様子を窺いながら、ベアトリクスが入って来た。
実際、彼女がここへ来たのはだいぶ前である。しかし集中しているアルセリアを邪魔したくなくて、小休止までずっと部屋の前で待っていたのだ。
「あ、うん。どうしたの、ビビ?」
問いかけるアルセリアに、ベアトリクスは少し逡巡する様子を見せたあと、意を決したように、
「……私とヒルダは、少しの間だけ別行動を取らせていただいてもいいですか?」
そう、切り出した。
「…………え…?別行動って………私と!?」
驚いたのはアルセリア。随行者としてだけでなく、親友として幼馴染として、修行時代から魔王との決戦までずっと共に歩んできた彼女らが、自分から離れると言い出すなんて。
「え?なんで?どうして?私、何かした?」
思いもよらなかった言葉に動転するアルセリアを見て、ベアトリクスは柔らかな微笑を浮かべた。
「落ち着いてください。少しの間と言ったでしょう?ちゃんとまた合流しますから」
宥めるようにアルセリアの頭を軽く撫でながら言うベアトリクスは、姉と言うより母親のようにも見える。
「……でも、なんで?」
「私たちも、このままではいけないと思ったのです」
ベアトリクスは、アルセリアに理由を説明した。
「この短期間で、貴女は“神託の勇者”として目覚ましい成長を遂げている、と私も思います。聖骸を宿し、その力を引き出し、そして今、神格武装をも手に入れた。いずれは彼女を使いこなすことが出来るようになり、貴女はより一層の高みに駆け上ることになるでしょう」
誇らしげに、そして同時に寂しげにベアトリクスは語る。
「それは、友としても随行者としても、誇らしいことです。けれど……今のままでは、私たちは貴女の足手まといになってしまう…」
「そんなことない!ビビの回復にも、ヒルダの援護にも、すっごく助けられてるもの!!」
それは、アルセリアの本心であったのだが、ベアトリクスは首を振ってそれを否定する。
「今までは、確かにそうだったかもしれません。けれど、これからは……そうもいかないでしょう。アルシーが確実に成長しているのに対し、私とヒルダはずっと変わらないままなのですから」
魔王との対決でレベルが上がったと言っても、そして魔王の加護によりステータスの補正がなされているとしても、アルセリアと他の二人とでは、成長の度合いに著しい差がある。
このままでは、その差が決定的に広がってしまうのではないか……ベアトリクスの危惧しているのは、その点であった。
「ヒルダも、私と同じ考えです。ですから、それぞれに出来ることをしようと決めました」
アルセリアをまっすぐに見つめ、きっぱりと言うベアトリクス。これは相談ではなく報告。既に決心したことなのだと、暗に告げる。
アルセリアには、ベアトリクスの考えが分からなかった。今までも共に強くなってきたのだから、これからも同じように一緒に成長していくのではいけないのか。そう思い口にも出そうとしたが、
「アルシー、それは野暮ってもんだよ」
いつの間にか人間形態へと戻ったクォルスフィアに、優しく諭された。
「…………でも、そんな急に…」
「多分、本人たちはずっと考えてたことじゃないかな。彼女らは熟考した上で、君に相応しい者であろうと、その資格を得ようと覚悟を決めたんだよ。君はちゃんと、その気持ちを受け止めなきゃいけない」
「…………………うん、分かった」
ベアトリクスは、そんなクォルスフィアとアルセリアの遣り取りを眩しそうに見つめていた。
共にいた時間は自分たちの方が遥かに長いはずなのに、時間など無意味な絆が両者には結ばれていた。
そのことに安堵すると共に、羨ましくて、寂しい気持ちも否定しきれない。
「もう、決めたんだよね?」
アルセリアの確認に、
「はい。必ず、もっと強くなって戻ってきます」
だからこそ胸を張って勇者の随行者…勇者一行なのだと言える力を手にすることを、彼女と自分に誓う。
「…………そっかーーー。決めたんなら、仕方ないよね。けど……少しって、どのくらい?何処に行くの?」
納得しても不安なことには変わりない。アルセリアにとって、自分の目の届かないところに親友が行ってしまうのは初めての経験なのだ。
「私は、サン・エイルヴへ向かいます。ヒルダは、ご両親を探すと言っていましたが……」
「サン・エイルヴって、確かエスティント教会の総本山じゃなかったっけ?」
そう言えば、エスティント教会出身のマスグレイヴ枢機卿はベアトリクスの弟だったはず。アルセリアは思い出し、彼女が一度も口に出したことのない弟の元へ行こうとする理由に不安を覚える。
「ええ。あちらでちょっと、試してみたいことがありまして」
こういう言い方をするときのベアトリクスは、問い詰めても無駄だ。親友が相手であっても打ち明けることとそうでないことをきっちり線引きするところは、昔から変わらない。
「……ヒルダはご両親のところ?エルフの隠れ里……だっけ?」
「そう聞いていますね。場所も不確かなようですが、当てはありそうです」
言いながらベアトリクスは後ろを振り返った。つられてアルセリアも視線を移すと、部屋の入口の影からヒルダが顔を覗かせていた。
「もう行くの?」
問われて、二人同時に頷く。
「そっか。リュートが帰ってきたら絶対文句言うわね。ごねるかも」
「それは、ありえますね。……まあ、リュートさんにもたまには私たちの有難みを思い知ってもらいましょう」
意地の悪そうなベアトリクスの笑みに、アルセリアも苦笑せざるを得なかった。
「それで、その間私がアイツを宥めなきゃいけないわけね。……勇者もツラいわ」
「フフ、そう言わずに。目一杯甘えればいいじゃないですか」
「は!?なんで?なんで私がアイツに甘えるわけ?なんでそういう話になるわけ!?」
アタフタと狼狽えるアルセリアが微笑ましくてならないベアトリクス。
やがて、表情を改めると。
「それじゃ、行ってきます。くれぐれも無茶は駄目ですよ」
「それはこっちの台詞。……行ってらっしゃい、二人とも。気を付けてね。あと、出来るだけ早く帰って来てくれると嬉しい。……ヒルダも、絶対無理はしないでよ」
見つめ合う三人。かつて、魔王との決戦直前にもそうしたように、円陣を組んで互いに手を合わせる。
「……私たちは、魂の絆で結ばれし者」
「その絆は、時間空間の楔に囚われることはなく」
「………永久に共にあらんことを誓う…」
それは、誓いの言葉。聖教会とは関係なく、神も関係なく、三人が自分たちだけに向ける宣誓。強制力は何もなく、それ故になによりも強固な絆。
そんな三人を、次はクォルスフィアが心底羨ましそうな表情で見つめるのであった。
考えたら、勇者一人のことばっかりで、パーティーバランス悪いよなー…と。
なので、神官と魔導士にも頑張ってもらいます。




